一五

 さて。何度目かの春を経た後に、私はようやく教師としての初心者マークが取れ、職員室内において一人前の教師として取り扱われるようになった。

こういった社会的前進、人間としての脱皮を経験するたびに私は、誕生日に別段欲しかったわけでもないものをプレゼントされた時のような、何か粘着質な気持ち悪さが脳裏に思い浮かぶのだ。そういったものは受け取った時点で既に物質のていを成してはおらず、ただ生暖かい人間の感情だけがそこにある。受け取れば恩を着せられ、拒絶すれば私もまた拒絶される。贈り物とはそういった一種の強制を伴うことがしばしばある……。

私が教えている教科は国語で、分かりやすいか否かについては正直私もよく分かりはしないのだが、有り体に言えば普通である。可もなく不可もなく。そういった内容だ。

文学の面白さを伝えなければならない、というような崇高な目標は端から私の中には存在していなかった。もし仮に私の教師生活の中に目標なるものがあるとすれば、それはただただ無難に、何の問題事も引き起こさずに日常を進行していくというもので、教師としての意識は限りなく低い部類に入る。

朝の学校。一般的な社会人よりも早い時間に家を出る。表の正門ではなく、裏口から入校だ。

さて、そうして私は職員室に入り、身支度を始める。中ではクラスを受け持っている教師達が慌ただしく行き来していて、ゆったりとお茶を飲んでいられるような雰囲気ではない。社会では得てしてこのような場面で『空気を読む』ことが求められるが、こういった状況自体が私にとっては一種の地獄だった。神経を張り巡らせ、周りの動向を見て、行動一つ一つに勿体ぶって意味合いを付ける。これは資料をまとめている。これは授業計画の見直しをしている。これはほんの少しの息抜き。これは、これは、これは……酷く不合理で、なのに必要な所作。否、『必要ということになっている所作』だ。

私の目の前に立ちふさがる障壁は壁の形を取らず、もっと巧妙な形で配置されるようになり始めた。それは無形の、しかし無数の棘のついた蔦である。鉄条網じみたそれが、私が死ぬに至るまでの道程にびっしりと敷き詰められているのだ。それを踏みしめるたびに私の足に傷がつき、前に進めば腕に切り傷ができ、薙ぎ払おうとすればさらに大きな痛みを伴う。そんなようなのがただずっと、目に映らない遠いところまで、私の行く真っ直ぐな道全部を埋め尽くしているのだ。

先を見ては気が遠くなることもある。だがそれでも、私は前に進み続けなければならないのだ。

新学期、新入生に向けて初の国語の授業。私は事前に用意してきた言葉を連々と、朗読するように読み上げた。

「文学の面白さというのは、そう感じるものが好きに感じ入るものであり、何かしらの意図を持ってそう感じることが出来るものではない。私は諸君らが受験をする上で困らない必要な要点をしっかり学ばせてやりたい。その上でもし文学に興味があるというのなら、放課後に図書室に来なさい。文学はいつでも諸君らに戸を開いているのです」

 しんとする教室。幾人かの生徒が如何にも興味なさげに教科書をぺらぺらとめくる。

私は授業を始める。ここまで全てがいつものことであった。

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