一三

 あの時から。私の心の内に刻まれた失恋の日から既に十年もの月日が経とうとしていたが、彼女の残した思い出の日々は未だに私の中に強い存在感を持っている。既に彼女は天上に居るであろうに、私は彼女を忘れることが出来ない。或る晴れた夏の日に、太陽の前を横切って日の光を遮る巨大な雲のように、私の心中に暗い影を落とし続けていた。

 私は変わった。けれどもある意味では変わっていなかった。進み続けた時計の針が私の身体を不釣合いに成長させ続けたのだ。時間は止めようもなく進み続け、私もまたそれに歩調を合わせて中学を出て、高校を出て、大学を出て、今に至っている。しかしその心中に大きな変化は起きていないように思われた。

 確かに今の私は世間で言う大人であろう。私は働いて収入を得て、自分の名義の口座を持ち、自分の稼いだ金で生活をしている。だが逆に言えばそれだけでしかない。身体と地位は変われども、私は私であり続けている。心の中には彼女の幻影は居座り続けていて、私は未だに彼女の死について有効な反証を行えないでいる。

 今に至るまで、私には幾度か恋愛の機会が訪れた。しかし、そのどれもが彼女の影に阻まれた。例えば女性と手を繋いだ時とか、何処かへ遊びに行った時とか、そういう風な在り来りな恋愛の風景の中に自分の身を当てはめると途端に居辛さを感じて、その場から逃げ出したくなる。私は無意識に、或いは意識的に恋や愛といった感情の発露とかつて感じていた彼女の存在とを結びつけてしまうのだ。彼女がもし生きていたら、彼女と私がもしこんな在り来りな風景の似合うような関係になっていたら。そう考えた瞬間に、実体として存在する目の前の女性が何か偽者のように思えてしまう。本来であれば目の前に存在する彼女たちこそが実際であり、私の中に息づく彼女の姿こそが幻覚であるはずなのに、その因果は逆転し、生々しいほどの像を持って彼女が目の前に現れてくるのだ。そうして、彼女を記憶の果てに追いやろうとしている自分。実体のある女性を偽者にしてしまう自分。彼女を救えなかった自分。そういった自己否定が、つい少し前まで持っていたはずの目の前の女性に対する淡い恋心を黒く塗り潰すのだ。

 私はいわば精神的不能であった。それを改善するには、私の中に生きる彼女の影を殺さなければならない。そして私は、そのような反逆に手を染めるだけの勇気さえも持ち合わせてはいなかったのだ。

 私はしかし、自分の身に起きた不幸な出来事――とくに、彼女との間に交わされたあの蜜月の日々については――を、誰にも悟られないように生き抜いてきた。それどころか、内心を知ることのない他人からすれば私は普通の学生よりもよく恋をする青年であるように思えたかもしれない。大抵の大人は、学生時代の恋愛を麻疹のように思っているので、私が何度か同じ年代の女子に近寄りながら何の実を結ぶことがなくても、そこに何かの疑問を差し込みはしなかった。だが、実際の私の恋愛には致命的な不能が起こっていたのだ。

 その点において私はある種の名演者であると自負していた。内実がどうであれ、外側から見れば普通の青年にしか見えないように自分を隠し、私を評価する人々の心の中にある物語を過不足なく演じ続けるのだ。それは例えば真面目な青年だったり、或いは恋多き男子だったりする。

 しかし私は、その能力のあまりの便利さに頼り過ぎた。私の外面は確かに問題のない一人の人間であった。高校生なら高校生の、大学生ならば大学生の、社会人であれば社会人の顔をしている、するように努力できた。

 裏腹に、その内面は中学生の頃のままだった。私は彼女の影を未だに追い続けていて、追っていった先に彼女の幻影を見ては自身のその不能をなじるのを繰り返していた。私のその彼女を超えて欲しい、彼女を私の目に映らない何処かで殺して欲しいという願望だけがただ私を構成していて、それ以外には何も存在しないのだ。

 それでも私は生きることができた。生き続けることができた。私は一般的な学生がそうであったように、予想できる生き方の中でも底の部分だけを上手く掬い取って生きてきた。最低限生きる上で問題のないようにとか、そういう風な角の立たない願望を抱いているように思い込んできた。現代においては、高望みをしない態度こそがもっとも尊ばれているということを、私はよく理解している。人がネジを求める時、サイズさえ合えばいいように。そこに故障の気が見えさえしなければ他のことを気にしないのと同じように、一人の学生が社会の枠から逸脱せず、それを構成する一部品にさえなれば、学生を見る大人は気にしないのだ。

 私は今、教師をやっている。教師というのは、その資格を取ること自体はわりと容易であり、大学で単位をとって卒業すれば一種免許状を取得することができる。勿論それ以外にも方法はあるが、私はこの方法で資格を取った。問題は、その資格で……つまり、教師として飯を食んでいくということで、将来を見据えてしっかりと考えておかねばならない。将来の少子化を考慮し、予算を減らす方針を取る国と、実際に学生たちを教育する学校との板挟みで、現場の教職員たちが割りを食っているのが日本という国における教育の現実だ。

 教師の仕事は多い。授業だけでなく、部活指導や進路指導、生活指導に職場体験指導もある。そして、国は教職員を増やそうとしないし、今後増やすこともない。しかし、実際の現場では教職員たちが休日さえ返上して働いてその場を凌ぎ続けているのだ。結果、各学校は限られた予算で出来る限りの人員を確保するために、非正規契約の教員を増やすのだ。そのあたりは実社会の企業と何ら変わりはない。すると勿論、正規の教員になることが出来ない者も出てくる。彼らは非正規契約の教員として働きながら、次の教員採用試験に備えることとなる。非常勤講師であれば兼業も許されているので、塾講師や家庭教師等の仕事を兼ねていることもある。

 私は運良く教員採用試験に合格し、幾度か異動を経て、今は都内の中学校で国語を教えている。

 その仕事は決して楽ではない。私は部活動や進路指導等を行う立場にないが、それでも毎日忙しく働いている。

 校内で残業をするのも問題になるし、かと言って家に持ち帰ると途端にだらけてしまうので、いつも私は駅前にある喫茶店に入って仕事の続きをする。喫茶店の閉店時間は夜の十時だが、その時間になってようやく仕事が終わるような有様だった。

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