私は彼女を追いかけるように、彼女の好む小説を読むようになっていた。それは例えば川端康成、三島由紀夫や芥川龍之介、太宰治のような古い作家が殆どだった。

 そのため、私は何度か読み方の分からない文字や意味の分からない単語、表現に突き当たり、そのたびに彼女に教えを請うた。彼女は嫌な顔一つせず、親が子供に勉強を教えるような丁寧さで私に読み方、意味を解説してくれた。

 既に季節は夏になっていた。都会よりもずっと多い蝉や蛙らの鳴き声が毎日そこかしこから響き始めており、遮るものの少ない陽の光は容赦無く地を焦がし、また逆に爽やかな風が辺りに吹いた時には、肌の表面に浮かんだ汗が蒸発するあの何とも言えない気持ち良さを感じ取ることができた。

 校内ではあの夏休み前の浮足立つような期待が膨らみ始め、生徒たちはこの長い休みの過ごし方について頭を悩ませるようになっている。ましてや私の学年はまだ中学一年生で、受験や将来のことに関する強い不安を感じ取るような年頃でもなかったので、彼らの悩みは純粋に楽しみの一点のみだった。

 しかし、私は憂鬱だった。夏休みに入ってしまえば私はあの教室へ出向くことが出来なくなる。それは、夏休みという長い期間を彼女に会わずに過ごさなければならないということであった。

 七月も半ばとなり、夏休みが目前に迫ったある日。私は彼女に質問した。

「ねえ。御園生さんは夏休みに何処かへ行く予定はあるのかい」

 彼女は答えた。

「夏休み……ああ。そうだったわね」

「もしかして、夏休みのことを完全に忘れていたとか?」

「その通り。すっかり忘れていたわ……だって、私はいつも休みみたいなものですからね」

 そう聞いて、私は押し黙った。彼女は核心の部分を答えようとしない。私の心中にある不安はすくすくと育っていた。

 すると彼女は、私の態度から何かを察したのか、静かにこう呟いた。

「ねえ……海、行きましょうか?」

「海? 海ってどこの?」

 彼女のその言葉に私は動揺して、妙な返答をしてしまう。

「バスで行きましょう。学校前に停まるあのバスがあるでしょう。あれは海の辺りまで出ているのよ」

 彼女の中では既に海に行くことが決定しているようだった。勿論私もそれを拒否しようという気はさらさらなかった。

「いつ海に行こうか。人の少ない時期がいいよね」

「八月十五日がいいわ。夏はいつ行っても海水浴客が居ると思うのだけれど、私は人の居ない場所を知っているから。そこで一緒に泳ぎましょう?」

 彼女のその言葉に、私は強く頷いた。

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