五
学校を出てからその場所に辿り着くまでどれだけの時間が経っただろうか。既に日は傾き始め、空は夕色で満ち、森と田が黒く染まり始めていた。
御園生初子の家は、学校から少し離れた場所にあった。その家は小高い丘のふもと付近に作られている。周囲を生け垣で囲われたその家は純和風の様式で、庭には綺麗に剪定された松の木や錦鯉の泳ぐ池などがあるような豪奢な作りであった。その大きさに日光が遮られて巨大な陰を作り、庭を暗く覆っていたので、私は幾度か躓いて転びそうになった。
教師曰く、彼女の家は遠くない場所にあるというので私はそれを信じ切っていたのだが、田舎と都会では距離感覚が違うということを私は完全に忘れていた。彼らにとっては遠くなくても、私の感覚で言えば遠いのだ。ましてやそれが初めて行く場所となれば足も迷い、余計に時間がかかってしまう。
私は額に浮かぶ汗を手で拭い、玄関に立つ。私はそこに備えられた、明らかに後付の、全体の様相から浮足立つインターフォンを深く押した。
「どちら様でしょうか」
インターフォンから返答がくる。そのしゃがれた声から、応対しているのは老婆ではないかと思われた。
「旗柏中学の平岡公雄と言います。御園生さんに学校の書類を渡しに来たのですが」
私が言うと、相手は何も答えなかった。ただ、家の上階から、先程の声の主であろう者が精一杯声を出して
「お嬢様! ご学友の方が書類を届けにいらっしゃいましたよ!」
と言ったのが外にまで聞こえてきた。そ少し後に、何者かが階段を降りてくるような軽い音が鳴った。その音は徐々に下っていって、あるところを境に止まった。玄関の引き戸が開いた。
「書類ですよね。ありがとう」
御園生初子であろう黒髪の少女はそう言って私の顔を見た。彼女は軽くフリルのあしらわれた白いブラウスと、水色のロングスカートを身に着けていた。
「ええ、先生が渡してこいと言ってきましたからね」
私が答えると、彼女のその目に好奇心らしきものが宿るのが分かった。彼女は言った。
「あら、貴方。最近越してきたのかしら」
「分かりますか」
私が言うと、彼女は目を細め口元に手を添え、小さく笑った。
「勿論。だって貴方、全然訛っていないもの。それに、何の恐怖も感じず、涼しい顔でこの家の敷居を跨げる人は、最低でもこのへんではあまり居ないわよ」
「あの、もしかしてそれって」
それは恐らく、彼女の家に纏わるあの言い伝えに関わるものについて話しているのではないかと私は思った。
「あら、知ってたの?」
「ええ。小耳に挟んだ程度ですが」
私のその小さな嘘を聞いて、彼女は言った。
「貴方、深入りするつもり?」
そうして彼女は妖しく笑った。彼女は笑う時、その白い手で口元を隠す。その仕草の優美さ、白い指と整った綺麗な爪が、私の脳裏に焼き付いた。
「まさか、とって食うわけでもないでしょうし」
そう答えると、彼女は私の手にあった書類を取り、言った。
「貴方。明日、図書室の隣にある名前のない教室に来なさい。いつでもいいわ。私、待ってますから」
さようなら。そう付け加えて、彼女は家の中へ戻り、玄関を閉じた。その時に、黒くて長い彼女の髪がふわりと宙に舞った。
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