第5話 荊の町

 しょうの国を東西南北に貫く街道が交わるところにけいの町はある。荊はその立地ゆえに昔から商業地として栄えている。王邑うぉんちゅう――大邑摂たいゆうしょう――が摂の政治の中心だとすれば、荊は摂の交易の中心となる。摂随一の交通の要所であるからして、自然と各国から人が集まり、その往来はむしろ王邑よりもにぎやかである。ちなみにキョクゲンが住む村も荊一帯の地方に含まれる。






 キョクゲンが街道を通って荊の町に入ったのは、遠く山の端に日が沈みかける頃であった。


「いつにまして荊は賑やかだのう、こんな時間になってもまだ往来に人が絶えることがない。どこぞに人が湧き出る井戸でもありそうなものじゃ。それにしてもまた珍しい品を売る店が増えておるわ、はてあの玉石ぎょくせきはどこの国のものじゃろうか――」


 いくたび荊の町を訪れてもキョクゲンが退屈することはない。路地に立ち並ぶ露天には食べ物かどうかも分からぬ果物、見るからに高価そうな宝玉、衣服なんぞが山と積まれている。町人の買い物だけではなく、交易商同士の商いが活発に行われているため、とにかく品の多様さには事欠かない。ただキョクゲンの村からほど遠くないため、ここで旅土産を買うことはまずない。


 あちこちの路地を巡りながら、あれこれを見ているうちに家々に灯が灯りだした。


「そうじゃ宿を取らねばな。おっとその前に晩飯じゃ、さすがに腹が減ってしもうたわい。天の仙人様が喰らうは春霞はるがすみ敬希けいきか――」


 荊にも王邑にもキョクゲンなじみの店がいくつかある。


「ここじゃここじゃ。オヤジ、キョクゲンじゃ、腹が喜ぶようなものを急ぎ出してくれんか」


 一声あげるとキョクゲンは飯屋の入口をくぐった。


「おう、キョクゲン久しぶりじゃのう、タダで食わせる飯はないが」

「今日はえらく混んでおるな、繁盛、いや結構結構」

「今度の祭事さいじのせいかもしれん。すまんがキョクゲン、席がいっぱいでな、相席あいせきでも構わんか」

「構わん構わん、でどこの席じゃ」


 ロウソクで暗く照らされた店の奥に、キョクゲンと同じか多少若そうな男が一人座って酒を飲んでいる。キョクゲンは男の前の椅子にどっかと腰を下ろした。


「しばしの相席失礼するぞ」

「時間が時間ですからどこもかしこも混んでおります。どうぞお気遣いなく」


 礼儀をわきまえた返答に一片の崩れもない服装、机の端に立てかけている美しい剣に似つかわしい端整な顔立ちがあいまって、王邑うぉんちゅうの都会っぽい役人かその類いのように見える。


「飯はいざ知らず、酒くらいさっさと出せば良いものを。喉が干上がるわ」


 朝から何も――ドングリを除き――食べていないキョクゲンは、机に肘をつきながら悪態をついた。


「私の酒でよろしければ……一杯いかがでございましょう」

「おや、良いのか」

「はい、一人で飲む酒ほどつまらぬものはございませぬ」

「いやはや、何とも太っ腹な御仁じゃ、それじゃ遠慮のう頂くことにする」


 言葉の通り遠慮なく人の酒を飲まんとしているキョクゲンのさかずきに、役人らしき男は手元の酒瓶さかびんから自ら酒を注いだ。


「おおぅ、これはこれは……あいすまぬ」


 さすがのキョクゲンも恐縮した。


「お役人さんよ、俺はこのけいの片田舎の村に住むキョクゲンと申す」

「これは申し遅れました、私はリハツと申します。キョクゲン殿の仰るとおり役人をしておりましたが、今は職を辞して諸国を漫遊しております」


 キョクゲンは予感が的中したことにご満悦である。


「リハツ殿、やはり役人さんでござったか、どうりで俺のような農民とは違う雰囲気がそこいらにただよっておるはずじゃ」

「ははキョクゲン殿、何を仰いますやら。そもそも国が国として成り立つのは田畑を耕す者がいてのこと。それに比べると役人などどうでも良いのです」

「そんなもんかのう」

「そんなものでございましょう」


 どこぞのイモ臭い仙人もどきと異なり、滔々とうとうと話すリハツを前にしてキョクゲンはますますさかずきが進む。キョクゲンの酒は一向に届く気配がなく、リハツの酒ばかりあおっている。


「リハツ殿、ええもんがある、酒のさかなにドングリはどうじゃ」


 せめて酒の代わりにと、手元の袋を机の上に置いて中のドングリを皿にあけた。それを見たリハツは少し目を丸くした。


「ドングリ好きの妹が俺向けに味付けした特製ドングリじゃ、まあ適当に皮をいで食うてくれ」

「妹君が味付けされた特製ドングリ――おや、そのドングリ入れも妹君のものでしょうか」


 リハツは特製ドングリよりむしろ、ドングリを入れていた布袋が気になるようである。


「この袋な、うむ妹のものじゃが」

「キョクゲン殿、しばしお見せ頂けますか」


 リハツは袋を手に取りまんべんなく見回している。布袋にはが縫い付けてあるのだが、それがどうも気になるようである。


「キョクゲン殿はこのけいの郊外の村にお住まいとのことでしたが」

「そうじゃ、何とも陽気でのほほんとした村じゃ、蝶々ちょうちょもおるでよ」


 見慣れた袋なんぞどうで良い、キョクゲンはさかずきをぐいっと飲み干して口元をぬぐってから、リハツの酒を自分の杯に注いでいる。


「妹君もご一緒にお住まいで」

「うむ、妹と父母とともに暮らしておる。ああひょっとしてリハツ殿は妹の知り合いか、キョクメイという名じゃ」

「いえ存じ上げません。ときに妹君は……どこぞのいおりで学ばれておられませぬか」

「庵――」

  

 キョクメイが学ぶ庵など一つしか思い浮かばない。


「たびたび大爆発を起こす庵になら通っておる」

「……大爆発?」


 リハツはワケが分からずまた目を丸くした。ワケなど分かるはずがない。


「この袋の刺繍ししゅう七転八倒斎しちてんばっとうさいの印とお見受けしますが――」

  

 キョクゲンは面食らった。


? 『七転八倒』?」

「はい、左様にございます」

「あの洟垂はなたれじじいが?」

「洟垂れじじい……はは……キョクゲン殿もなかなか面白いことを申されますな」

はなもヨダレも垂れ放題じゃったぞ。今日はあのクソじじいめが余りにも阿呆あほうなことをぬかすもので、一喝いっかつしてきたところじゃ」

「阿呆なクソじじいを一喝!?」


 リハツはあまりのことに狼狽ろうばいした――はずみに誤ってドングリを鼻の穴に押し込んだ。


「リハツ殿も洟水はなみずが出そうなのか?」


 今日はやけに洟水はなみずに縁がある。


「しまいには俺にを無理やり押しつけよったわ」

「えええ!! 『七転八倒斎しちてんばっとうさい』様から二つ名を!!!」

「なにを大層たいそうな……それくらい妹ですらもろうておるぞ」


 リハツの額と背中から大粒の汗が吹き出した。手にかいた汗と震えのせいで、今にも杯を落しそうになっている。鼻の穴に突き刺さったドングリは落ちそうにない。


「リハツ殿、いかがした? やけに顔色が悪うなっておる」

「いえ……いえ……」


 リハツは急に椅子を後ろに引いたかと思うと、両手を組み頭を下げた。


「キョク先生!」

「は?」


 相も変わらずキョクゲンはリハツの酒をさかずきに注ぎ込んでいる。


「私はおのれの立場もわきまえず礼を失しました。キョク先生、愚者ぐしゃリハツの非礼をどうかお許しください」

「はぁ?」


 果たして非礼はどちらか、キョクゲンは狐につままれたような顔になった。ほうけた顔とさほど違いはない。


「キョク先生は農民ではなく、この汚れた俗世を離れ隠遁いんとんされておられたのですね」

「……ただ田畑を耕しておるだけじゃ、たまに書を読んで、夜になったら寝る」


 晴耕雨読――キョクゲンの落ち着き具合が、リハツの勘違いをさらに増幅させているようである。


「キョク先生、このリハツめにお聞かせくだいませ。隠遁されておられた先生がなぜこのような地におられるのですか?」


 しごくまっとうな質問なのだが、キョクメイのせいで山越えをできず、あまつさえバタン先生のバカ話を聞いたがためにここで一泊するはめになった、と説明するのは何とも面倒、リハツも理解に苦しむのは間違いない。


「え、摂王献侯しょうおうけんこうの酒を飲みに王邑うぉんちゅうまで参る」


 かなり端折はしょった。


「なるほど、さすがはキョク先生。普通なれば摂王しょうおう祭事さいじにそのような……いや普段着を身に付けて参上するはずがございませぬ。これこそ賢人のなせるわざ……」


 キョクゲンは指でさかずきの酒をかき回し始めた。


「私も摂王しょうおう祭事さいじに呼ばれここまで参りました。是非キョク先生のお供をさせて頂きたく」

「ほぅ、リハツ殿も呼ばれておるのか」

「キョク先生、殿はおやめくだされ。今後はリハツと」

「それではリハツよ、共に王邑うぉんちゅうまで参ろうか」

「ああ、早速ご一緒することができるとは、なんともありがたいお言葉……」


 願い叶ったリハツは平伏した。


「それにしてもあの欲張りじじいめ、いったい幾つの名を自ら名乗っておるじゃ」


 キョクゲンはほとほとあきれた様子で皿のドングリを一つつまんで口に入れた。いつもの味が口いっぱいに広がった。

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子曰く、 姫河 兎酉 @rabi_tori

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