第4話 師の誇り
「キョクゲンよ、あの掛け軸には何と書いてある」
バタン先生の雰囲気が先ほどとは打って変わり、別人のように
「『
「そうじゃ」
バタン先生は深くうなづき言葉を続けた。
「両名よ、我が
今度は二人に問うた。キョクゲンが口を開くより一寸早くキョクメイが答える。
「『
「
キョクゲンは『龍』の方を知らなかった。教わったかも知れないが、そんなものはとうの昔に忘れてしまっている。
「なぜこのような名が付いているかまでは話しておらなんだな」
由来についてキョクメイはひどく興味を引かれている様子だが、話が長くなるようであれば、さっさと
「話せば長くなるが――」
苦痛を宣告された。
「めでたい席に出される
だらしなく開いた口の端から長い
「まこと敬希はうまい。思い出すだけでも鼻の穴からヨダレが垂れそうじゃ」
キョクゲンとキョクメイはバタン先生の顎髭に目を奪われている。
「古来からのしきたりに従い、わしはその敬希に歳の数だけロウソクを刺そうとした。だが悠久の時を生きてきた長寿のわしじゃ、すぐに敬希はロウソクで覆い尽くされ、ふと気が付くと目の前にある物体が、敬希なのかロウソクの
「さすがはバタン先生。くっそ長いヒゲとヨダレは
キョクゲンはシラケた顔で適当に拍手した。
「わしはわしの長寿を祝い、ロウソクの束に火を付けた。だが
キョクメイは兄を
「その時じゃ!!!」
バタン先生はくわっと目を見開いた。両の目からまばゆい
「ロウソクの束に大きな炎が
「まあ、なんて立派な鼻のクソ」
キョクメイは今しがたキョクゲンがほじくり取った、バカデカい鼻クソに感心している。バタン先生をそれに例えたのかどうかまでは伺えない。
「仙人修行を極めたこのわしじゃ、
「……バタン先生、
優等生のキョクメイは即座に仙術を思い出した。
「――庵から飛び出たわしが表の
キョクゲンのバカデカい鼻クソがキレイな丸になってきた。
「時として天は人に試練を与える。残酷にもこの敬希をめぐる悲劇は予兆にすぎなかった。轟音を立てて敬希から立ち上る地獄の
バタン先生の体が
「だが天を持ってしても、最後まで我が心を折ることはできなかった。わしは
感極まってぷるぷると天井を仰ぎ見るバタン先生の鼻の穴からは、川のような
「おいこの
業を煮やしたキョクゲンが怒号を放った。
「お前を
「兄様ったら、お下品」
「さっきから大事な時間を削って聞いてみりゃ、さっぱり話が分からぬわ!!!」
「つまりバタン先生は、みなが言う言葉の意味を履き違えて、あまつさえ自称しているわけなんだね、仙術の使い方もなんかヘンだよ」
「そうそれ! 俺が言いたかったのそれ!!」
しゅんしゅんと頭から湯気が立ち上っているキョクゲンの横で、キョクメイが冷静にバタン先生の言葉を分析した。
今バタン先生の
「先生先生、口から魂が出てるよ」
見かねたキョクメイは顎髭に触れないよう細心の注意を払いながら、バタン先生の腕をつかんで揺り動かした。
「おおおお、あれに見えるは我が敬希……」
「キョクゲンよ、いかにお前が不肖とはいえ、七転八倒流であることに変わりはない。そこでじゃ、師であるわしからお前に
「……いりませぬ」
「まぁそう言うな、減るものでなし」
バタン先生の
「みなも良く聞け! 今日からキョクゲンは『ドングリ兄さん@七転八倒流』じゃ!!」
「ドングリ兄さん! これからもよしなに!!」
ひねりもクソもない名前を聞かされた教え子達は、一斉にキョクゲンの方を向き
「兄様よかったねえ、これからはドングリ兄妹を名乗れるよ!」
「お前の好物のせいでえらい名前を付けられてしまったぞ」
「本当は嬉しいくせに」
「いや全然」
後れて庵から出てきたバタン先生は、顔一杯に満足の文字を浮かべている。
「ドングリ娘一号にドングリ兄さん二号か、我ながら良い名じゃ」
「……ドングリ兄さん一号はいずこに」
「二号、お前はこれから
二つ名から三つ名に増えた。
「友人の頼みゆえ、さっさと参らねばなりませぬ」
引き続きつまらぬ話を聞かされないよう、キョクゲンは先手を打った。
「師からの忠告じゃ、心して聞け」
早速先手は効力を失った。
「この国では――他の国でも同じなのじゃが――世に出る者にとって大事なものがある。もう忘れたかも知れぬがのう」
それについてはキョクゲンも覚えている。覚えているというより常識である。
「『
キョクメイは少し残念そうな顔をした。
「キョクゲンよ、お前は志はおろか、この四定全てを持ち合わせておらぬ。智や武は教えることができる、徳も生まれ持ったものとはいえ磨くことができる、だが志だけは違う。人から教えられたり磨いたりできるものではない、自ら
キョクゲンは黙っている。
「さてと兄様、ぼちぼち街道の方へ行こうねえ」
キョクメイはわざと話を
「バタン先生、それではごきげんよう――」
キョクゲンが挨拶を述べたとき、既にバタン先生の姿はなかった。
「街道が見えてきたねえ」
「いやぁ、えらく道草を食った。これでは王邑まで一足飛びに辿り着くことはできんのう」
「どのみち山を越えない回り道なんだから一緒だよ。道の途中、
「俺もそう考えておった、知らんけど」
キョクゲンは少し
「それではメイ、ちょっくら行ってくるとするわ」
「兄様、気をつけてねえ、あんまり留守が長くなるようなら
二人は三度振り返ってお互いを見送ると、それぞれの方角へと去っていった。
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