第21話:青騎士に会ってみた(その後:南条 瞳編)

 目が覚めた時、私は日本に帰って来たのかと錯覚した。

 目に映るのは、懐かしい襖や障子…

 そして、敷かれた布団は日本のものだった。

 布団の下もだろうけど周りには畳もあり、夢にまでみた光景だ。

 私が南の世界と呼ばれるところに連れてこられたのは500年前くらいだろうか? 

 学校から帰っている途中で信号待ちをしていたら、猛スピード曲がって来たトレーラーがバランスを崩してこっちに倒れて来た。

 あっ! これは駄目だ! と思って目を閉じる。

 次に意識があったときには、白い世界で主神と名乗る男に南の世界で女神として生きろと言われた。

 とはいえ何も無い部屋で、身体を動かす事も出来ず教皇を名乗る男に力だけを吸い取られる存在だった。

 多少は自分の意思で外の世界を見たり、人知れず助力することはできたがそれだけだ。

 気が狂うんじゃないかと思ったが、案外この世界を眺めるだけでもそれなりに楽しめた。


 それから本当に気が遠くなるような時を過ごし、突如主神様からの力の供給が止まったかと思うと私がこっちに来てから19人目の教皇の首を持った中野という日本人の男が目の前に現れた。

 この教皇はいつも私をイヤらしい目で見ていて、あまり好きでは無かったがそれでも変わり果てた姿を見て少し心が痛んだ。

 もしかして、中野という男は私を助けに来たのかなんて淡い期待を抱いたが、彼の最初の言葉でその幻想は打ち砕かれた。


「やあ、初めまして南の女神さん。僕は大魔王中野だ…君の力をちょっと貸して貰いたい。といっても君に拒否する権利も無ければ、抵抗する手段も無いだろうけどね」


 そう言って、中野に連れられて水晶の中に閉じ込められ、南の塔に幽閉された。

 結局、主神が大魔王に変わっただけで、何も変化は無かった。

 いや、外の世界を見る事も出来なくなったため、余計に辛い日々を過ごす事となった。

 だけど、そんな日々は唐突に終わりを告げる。

 南の塔に連れていかれて、わずか半年で私はようやく自分で自分の身体を動かす事が出来た。

 といっても、瞼を開けるだけで精いっぱいだったけど…


「おっ! 目覚めたのね! 大変ね。ちょっとタナカ様をお呼びしないと」


 目の前に居たのは、フクロウのような人でちょっとムカつく胸をした女性だ。

 恐らく魔族だろう…ろくでもない人生だ。

 折角日本に帰って来られたと思ったのに、この女性のせいで一気に現実に引き戻されたような感覚だ。

 そして私は、大魔王の次は魔族に捕まったのか。

 しかし、私の耳がおかしくなっていなければ、いま彼女はタナカという日本でもありふれた名前を言っていたな。

 でも中野の事もある、あまり期待はしないでおこう。


「入ってもいいか?」


 そんな事を考えていると、襖の向こうからとても優しい声がする。

 中野も声や口調だけは優しかった。

 優しい声なんて、なんの意味もない。

 だけど、恐らくここは彼の拠点だろうから断る術もない。


「ど…どうぞ」


 必死で震えそうになる声を押さえて、どうにかそれだけ言うと遠慮気味に襖が開かれる。

 目の前に現れたのは、日本でもそこらへんに良そうな凡庸な男だった。

 でも、髪の毛は茶色く染められているし、瞳はカラーコンタクトだろうか? 第一印象は最悪だ。

 まだ、黒髪の中野の方がマシに見える。

 有体に言うと、おおよそチャラい男としか思えない。


「体調はどうだ? どこか痛んだりはしないか?」

「べつに…というか、ここはどこですか?」


 ちょっと冷たかっただろうか? 

 だけど、こっちの世界に来てから2人の人間と、19人の教皇としか面識が無いがそいつらの所為で、人間不信の真っ只中なんだからしょうがない。

 そう自分に言い聞かせて、タナカと呼ばれた男を見る。

 ちょっと困ったような顔をしたが、フワリとした柔らかい笑顔を見せる。


「思ったより元気そうで良かった」


 何をどうすればこれが元気に見えるのだろうか? 

 満足に体を動かすことも出来ないのに、私の態度に対する嫌味のつもりだろか? 

 本当にろくでもない。


「俺は田中という、予想しているだろうが日本人だ」


 中野の所為で日本人だと言われても、無条件に信用することは出来ない。

 とはいえ、相手は名を名乗ったのだ、こっちも名乗るのが礼儀だろう。


「それはどうも。私は南条…南条瞳です…日本人です」


 なんていう自己紹介だろう。

 お互い見れば日本人なんてのは分かりそうなものなのに…まあ、もしかしたら中国人や韓国人の可能性もあるだろうが、そんな名前は日本だけだろう。


「うっ…なんかメッチャ警戒されてるけど、ネネなんかしたか?」

「失礼ですね! 私は目が覚めてすぐにタナカ様をお呼びしたね!」


 丸聞こえの小声で2人がひそひそ話しているが、その女性は何もしていない。

 私が勝手に不信感を抱いているだけだ。

 とはいえ、一つだけその女性が私を不快にさせたとすれば、スラリとしたお腹の上にあるその無駄にでかい2つの脂肪の塊だろうな。

 浴衣に収まりきらないというか、収める気も無いだろうその姿にイライラする。


「まあいっか、取りあえず起きる事は出来るか?」


 田中と呼ばれた男に言われて上半身を起こそうとするが、上手く力が入らない。

 そりゃそうか…500年も体を動かしていないんだから、体の動かし方なんかとうに忘れた。


「ちょっと無理そうね」


 私が目を閉じて溜息を吐くと、田中が近寄って来る。

 もしかして、そのために動けるか確認したというのだろうか。

 田中の手が私の身体に伸びてくる、咄嗟に出来る事は身体を硬くすることだけだった。

 本当に男っていうのはろくでもない…

 そしてタナカの手が私の頭に触れる。

 生意気にも温かくて心地よい手だ…

 これから何をされるのか分からないが、少しだけ心が落ち着く、

 心なしか、全身に温かいものが流れてくるのを感じる。

 まあ、もうどうでもいいや…初めてがこんな奴でこんな状況なんて最悪だが、500年の間に色々と諦めて来たし、若い分、色ボケした老害教皇どもに比べたら耐えられない事も無い。

 でも…どうせなら好きな人と…そう思って目を閉じる。

 しかし、田中はそれ以上何かをするという訳でもなく、ずっと頭に手を置いたままだ。

 しばらくしてようやく田中の手が寝そべった私の首の後ろに移される。

 腕枕? とは言えないよな…首の下にあるのは掌だ。

 しかし本当に温かい手をした男だ…

 そこでまた、田中の動きが止まる。

 やるなら早くしろ! こっちは覚悟を決めてるんだ! 

 そんな風に思っていると、不意に首から手が離れる。

 その手が心地良かった為か、何故かちょっと残念な気持ちになる。

 我ながら矛盾していると思う…やはり心のどこかで若い日本の男で良かったと思うところでもあったのだろうか? 


「もう一度試してみてくれないか?」


 そんな事を考えていると、田中が何か言ってくる。

 もう一度試す? 何を? 


「あー、体を起こしてみてくれないか?」


 はあ…

 さっきのを見ただろうに、意味の分からない事を言う。

 特に状況が変わったわけでも無ければ、何かされた訳でもないのに…

 そんな事を思いながらお腹に力を入れると、スッと上半身が持ち上がる。

 自分でも驚いたが、田中の横の女性はもっと驚いた表情をしている。


「大丈夫そうだな」

「なっ! なんで?」


 私が思ったままに疑問を口にすると、田中が頷く。

 いや一人で納得してないで教えてくれないか? 


「ああ、たぶんこれは中野じゃなくて、主神と呼ばれてる奴の仕業だろうが首のところで神経を切断されていた。時間が経ち過ぎていたからな…治せるかどうか不安だったが、頭と首から治癒の力を流しつつ、神経部分だけ時間逆行の魔法を使ってどうにか再生できた。人体に時空魔法を使ったのは初めてだったから少し不安だったが、上手くいって良かった」


 余程成功したことが嬉しかったのか、田中が急に饒舌になる。

 こういう時の男の心情としては、褒めてもらいたいんだろうな。

 途端にこの得体のしれない日本人が可愛く見える…私って思ったよりチョロいかも。

 いや犯されるかもという不安が、助けてもらった事で安堵に変わりドキドキを勘違いしたのだろう。

 吊り橋効果ってやつだな…本当に気持ちが落ち着くまでは様子見だ。


「言ってる意味は良く分からないけど、私の身体で実験したって事ですか?」


 そうじゃない…ここは、素直にお礼を言う場面だろう。

 自分の性格が嫌になる。


「まっ…まあ、悪く言えばそう取れなくも無いが、それしか助ける方法が考えられなくて」


 たじろいだ様子で、言い訳をする姿もまた可愛く見える。

 惜しい…これで茶髪じゃなければ。


「茶髪…」


 思わず口に出てしまった。


「えっ?」


 田中がキョトンとしている。

 そりゃそうだろう…いきなり茶髪と言われても、そうですよとしか言いようが無いだろうしね。


「茶髪…チャラい…」


 でも私の口は止まらない。

 何故こんな事を口走ったのかは分からない。

 もしかしたら、茶髪で残念だと思っていることを伝えたかったのかもしれない。

 自分の事なのに、全然わからない。

 いきなりの展開に、頭が混乱しているのだろうか? 


「ちょっ! この女、体が動かせるようになったと思ったらお礼も言わずに失礼ね! タナカ様は、目立たないようにあえて茶髪にしてるっていうのにね! 本当の田中様はそれはもう見目美しく、魅力的な黒髪、黒瞳をお持ちな至高のお方なのね! タナカ様! こいつ砂漠に捨てるね!」


 横の女性が凄い剣幕で、まくし立ててくる。

 しかも目立たないように茶髪って、余計に目立つ気がするのに…


「ああ、この髪か…こっちじゃ、どうも黒い髪と黒い目っていうのは魔力の象徴らしくて、すぐに目を付けられるからね。仕方なくね」


 そう言って一瞬で髪の毛と瞳が黒くなる。

 思わずドキッとしてしまった。

 確かに、日本でもそれなりの容姿だろうが、飛びぬけてカッコいいという訳では無い。

 だけど、さっきのチャラい姿よりは遥かに魅力的だ。

 ただ、横で目をハートにして輝かせてる胸だけデブのせいで、一気に冷めてしまったが。


「そっちの方が良い。それと動けるようにしてもらって有難うございます」

「ようやく笑ってくれたか。一応浄化の魔法で体は綺麗にしてあるが、風呂も用意してある。おい、ネネ! 案内してやれ。体は普通に動かせるだろうが、無理はするなよ! 飯も準備してやるから、取りあえず落ち着いたら話をしよう」


 田中は…いや、田中さんはそれだけ言うと、部屋から出て行った。

 ネネと呼ばれた女性が何か言おうと口をパクパクさせていたが、田中さんが頼んだぞと言って片目をパチリと閉じてウィンクすると、ネネは頬を上気させて御意ね! と訳の分からない事を口走っていた。

 案外チャラいのは見た目だけじゃないかもしれない。

 そんな事を思いながら、名残惜しそうに田中さんが出て行った後をじっと見つめているネネに対して咳払いをする。


「あっ…、仕方ないね! 本当は嫌だけど、タナカ様の命令ね! 準備が出来たら声をかけるね!」

「付き合っているのですか?」

「つっ!」


 私の言葉に、ネネが目を大きく見開く。


「何を言っているね! 私とタナカ様が付き合うとか恐れ多いね! 私は見ているだけ、傍にいるだけで十分ね! それに、あの人はとってもモテるから…私だけのものにはなりそうもないのね…」


 慌てふためいて一気に捲し立てた後、1人で勝手にショボーンとなる。

 この娘も可愛いな。


「もう、そんなに元気なら早くするね! タナカ様の魔法は偉大だからお風呂が冷める事はないけど、食事の準備までしてあるのに、待たせるのは失礼ね」


 それから強引にネネが私を引き起こす。


「いっ!」

「痛かったね? 大丈夫ね? どこが痛むね?」


 別に痛かったわけじゃない。

 急に引っ張られたから、咄嗟に口をついただけでどこも痛くはない。

 途端にオロオロして、どうしようとこっちを覗き込んでくる彼女も可愛らしくて嫌いじゃない…そのおデブな胸以外は。


「大丈夫ですよ…それじゃあ、お風呂に案内してもらえますか?」

「良かったね…ごめんなさいね。急に引っ張ったりして、気を付けるね」


 素直だ…私には無い心を持っているこの魔族にちょっと嫉妬する。

 でも、私だって本当は素直なはず。

 ちょっとこっちの世界でろくでもない目にあって、擦れてるだけ…そう思いたい。


 ―――――――――

「な…何これ?」


 ネネさんに連れてこられたお風呂で、私は呆然と立ち尽くす。

 取りあえず、脱衣所に入ると服を置く籠が棚にいっぱい並べられていた時点で、ちょっと嫌な予感はしていた。

 いや、この世界の実情をしっている私としては、お風呂といえば人一人がつかるのが精いっぱいの小さな浴槽しか想像してなかった、

 でも脱衣所の奥の扉を開けて入った先には、大小さまざまな浴槽があり、それぞれに温泉の水質や種類、効能の書かれたプレートが、こっちの世界の言葉と日本語の両方で書かれている。

 聞けば、サウナや露天、それに岩盤浴まであるらしい。

 どこのスーパー銭湯だ! と思っていたら、ネネも服を脱いで入って来て掛け湯をしている。

 ボーっと立ち尽くしていたら、ネネさんに仕切りで分けられたこれまた、たくさんある洗い場に引っ張っていかれる。


「タナカ様の命令ね、背中は流してあげるね。前は自分で洗うね」


 そう言ってタオルを手に取っている。

 そのタオルもこっちの世界で見た事も無い、フワフワの手触りの良い生地だ。

 さらに前世で嗅いだことのある某メーカーのボディーソープの匂いによく似た液体で洗われる。

 というか、完全にこれボディーソープだ…

 固形石鹸がようやく金持ちに出回ったばかりのこの世界で、異質過ぎる。

 さらに、明らかにちょっと高めのノンシリコンのシャンプーや、コンディショナー、トリートメントまで置いてあるし、洗顔や、クレンジングまである…

 本当にここは日本じゃないのか? 


 ―――――――――

「気持ち良かったー」


 風呂から上がるころにはすっかり元気になっていた。

 500年も身動きが取れなかったのが嘘のようだ。

 なんか、それすらも夢だったのでは無いだろうかと思えるほど体の調子が良い。

 入る時には気付かなかったが、脱衣所の洗面台には乳液や、化粧水まで置いてある。

 なんなんだここは? 

 ボタンを押すと、風の魔法が発動する筒…完全にドライヤーだな。

 もあり、あるなら使うしかないという事で髪を乾かしていると、遅れてやってきたネネがちょっと驚いていた。


「流石女神かね…この道具の使い道を即座に把握するとは、侮れないね」


 確かにこっちの世界じゃ、まずお目にかかることは出来ない魔道具だろう。

 ちょっとカンニングしたみたいで後ろめたくなったが、もしかしたら異世界人ということを田中さんは伝えていないかもしれないから、あえて笑って誤魔化しておいた。


「くっ! 流石に笑顔も美しいね。女神はズルいね!」


 ネネさんがそんな事を言いながら、バタンと何かを開ける音がする。

 それから、またバタンという扉を閉める音が聞こえたと思ったら、手に得たいの知れない液体の入った瓶を3本持って戻って来る。

 凄く懐かしい形状をしている。


「ミルクと、ミルクコーヒーと、フルーツミルクどれがいいね?」


 何…だと…? 

 本当にここは日本じゃないのか? 

 余りに今までの生活と掛け離れた現状に、思わず眩暈を起こすが…それ以上に感動してしまった。

 田中さん…一体何者? 

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