第5話 執事長と書いて宿敵と読む

 目が覚めたら俺はベッドの上にいた。

 辺りは暗く、ランプの灯りが天井を照らしている。


 酷く頭が痛い。

 一体何が…?


 ページをめくる紙の音がした。

 視線をベッドの横に向けると、彼女が椅子に座って本を読んでいるのが見えた。


 俺はランプの灯りに照らされた彼女の紅い瞳に見惚れていた。

 金色の美しい髪を耳にかける仕草に思わずドキリとしてしまう。

 何か思い出さなければならない事があるはずなのに、真剣に本を読む彼女をずっと見つめていたい気持ちになる。


 本…? 確か本を……そうだ!



「ライフォード!!!」


「むぅ…そこは私の名前を呼んで欲しかったのだ。

 やっとお目覚めかい? 気分はどうだ?」



 いつもと変わらない声。

 いつもと同じ彼女の姿。


 良かった。

 本に掛けられた魔法の影響は無い様だ。



「あ、ああ…もう大丈夫だ。あれからどうなったんだ? 広範囲魔法を放とうとした所から記憶が無い」


「あー、あれはだなあ……本に込められていた魔法の影響だ。あの少年は本当に何も知らなかったみたいだな」



 やはり魔道書だったか。

 あの本の内容はおそらく、魔法で俺の記憶を投影した物だったのだろう。

 それならば俺の過去が詳細に書かれていた事も説明がつく。



「そうか、俺も魔道書の影響を受けていたのか。ライフォードには悪い事をしたな。酷く怯えさせてしまった。

 君はその事に気付いていたから、ライフォードを助けようとしたんだな。

 俺とした事が魔道書如きにいいように操られるとはな……。

 君を守るつもりが助けられてしまった。すまない…」


「え?! 魔道書? あ、ああ! あの本! あの本なら私が処分しておいたから、もう安心だぞ!」



 自分も魔道書の影響を受けていたのに、それを処分してみせたとは…

 気絶していた俺とは大違いだ。

 普段は何もしていない様に見えても、やはり彼女は魔王なのだ。


 真の実力は実践でこそ試される。

 もしも今、俺が彼女と戦ったなら、きっとアッサリと敗北してしまうだろう。



「ところで、今は何時だ?」


「もう真夜中だよ。君がなかなか目を覚まさないから心配したぞ」


「本当にすまない。そうだ! 夕食の支度を…何も食べていないだろ? 何か作るよ」


「心配無い。君はゆっくり休んでいると良い。夕食は彼を呼んで作ってもらった。彼に言って君の分の夕食を用意させるとしよう」



 彼女が指を鳴らす。

 すると、部屋のドアをノックする音がした。


 彼…

 それは魔王城で魔王である彼女の身の回りの世話をする者達の頂点。

 俺が作ったベンチを薪にした張本人。


 執事長ウォルター。

 俺の宿敵だ。



「入るが良い」



 彼女の声の後、ドアが静かに開いた。


 入って来たのはやはりウォルター。

 整った顔に真っ赤な髪をオールバックにした長身の男。

 執事服に身を包んだ姿には気品があり、その一挙手一投足は上品で乱れが無い。

 何かと俺に突っ掛かって来る嫌味な奴。



「お呼びでしょうか魔王様」


「うむ。彼が目を覚ましたので、何か食べる物を作って持って来てくれ。そうだな、時間も遅い。軽めの物を頼む」


「かしこまりました。ですが……」


「何だ? 何か言いたい事があるならはっきり申せ」



 俺を見るウォルターと目が合った。

 その目は冷たく、言葉にせずとも俺を非難しているのが分かる。


 ウォルターは俺の前まで歩いて来ると静かに口を開いた。


「一時的とは言え、魔王様の身の回りのお世話を任されていながら今回の体たらく。主人を守るべき立場の貴方がそんな事では困ります。

 聞けば魔道書如きに遅れを取ったとか…。元勇者が聞いて呆れますね」



 普段であれば、俺も奴に言い返す言葉がある。

 しかし、今の俺は何も言い返す言葉が見つからなかった。

 皮肉を込めた冷淡な声で告げるウォルターの目を見ることも出来ない。



「すまない…」


「……素直に謝罪するとは貴方らしくありませんが、まあ良いでしょう。今回の件、どう責任を取るおつもりですか?やはり貴方の様な方には魔王様の身の回りのお世話を任せるなど無理だったのです。どうでしょう、今からでも勇者にーーー」


「待て待て! ウォルター、はっきり申せとは言ったが、お前の説教を聞くつもりは無いぞ。それに、今回の件は私にも落ち度があるのだ。それ以上彼を責めるな」


「魔王様に…?」


「そう言う事だ! 分かったらさっさと夕食を持ってくるのだ」


「失礼しました。直ぐに用意致します…」



 ウォルターが去った後、彼女はやれやれといった風に溜息をついた。


 悔しいが奴の言ったことは正しい。

 反論の余地が無い。

 彼女の下僕として、もっとしっかりしなければ駄目だ。

 そうでなくては彼女の側にいる資格は無い。



「君らしく無いな。君も何か言い返してやれば良かったのだ。いつも言い争っている元気はどうした?」


「今回ばかりは奴が正しい。そう思ったんだ。俺はもっと強くならなきゃいけない」


「どうしてそうなる?! 君は今でも充分強い。私の配下の中で、君に勝てそうな人材は数えるほどしかいない。ウォルターだって戦闘力では君に遠く及ばないではないか」



 単純な戦闘力ならそうかもしれない。

 けど、俺が真に勝ちたいのは執事長ウォルターだ。同じ主人を頂く者として奴にだけは負けたくない。

 彼女にもっとも必要とされるのは俺だ。


 だが、今のままでは奴に勝てない。

 あまりこの手は使いたくは無かったけれど仕方がない。

 奥の手を使うしか無いだろう。

 彼女の身の回りの世話をするもう一人の長、メイド長に助力を請うしかない!!!



「(い、いかん! あの本の存在を隠す為と思ったのだが、彼がおかしな事を考え始めた気がする…)

 さ、さては、また訳の分からない事を考えているな? 君は今のままで良いのだ。そのままの君でいてくれれば良い!」



 俺がそれでは駄目だと言おうとした時、ウォルターが戻って来た。

 ノックをして入って来たウォルターが用意したのはキノコを使ったスープとパンだった。


 随分早いと思ったら、キノコのスープだと?

 相手が俺だからとあからさまに手を抜いたな。



「お待たせしました」


「おお! 凄く良い匂いがする! ウォルター、私にも作ってくれ!」


「いけません! 魔王様がこの様な質素で粗末な食事をなさるなど! いくら魔王様が御所望されましても、執事長としてお出しする訳には参りません!」


「私は全然構わないのだ!」


「絶対駄目です!」


「うう……美味しそうなのに」



 確かに香りが良い。

 家に貯蔵していた食材だけで作ったとは思えない豊潤な香りだ。


 彼女が恨めしそうに見つめる中、俺はウォルターの作ったスープを口にした。



「(な、何だと!? これが、これがキノコのスープだと言うのか?!) くっ…!」



 口に含んだ瞬間に広がる旨味と豊潤な香りが俺を満たしていく。


 体が熱い。力が湧いて来る様だ。



「美味しいのか? なあ、美味しいのか?! もう! 何とか言うのだー!」



 俺はウォルターをスプーンをウォルターに突き付けて睨んだ。

 口を開けてスプーンの行く先を追いかける彼女が視界の端に写ったが、今はそれどころじゃ無い。



「何ですか? 貴方に睨まれる覚えはありませんよ。感謝の言葉の一つでも言ったらどうです?」



 執事長ウォルター。

 ムカつく奴だが、認めざるをえない。



「ウォルター。今回は俺の完敗だ…だが! 俺はお前を超えて見せる!!! 彼女の側にいるのは俺だ!」


「これは…聞き捨てなりませんね。魔王様のお世話をするのに相応しいのは私です!」


「いいや! 俺だ! 俺なら彼女を守ってやれる!」


「おやおや。魔道書如きに遅れを取った貴方が何を言うのですか? 貴方では役不足なのですよ!」


「ぐっ…! 次は負けない! 俺は今よりもっと強くなる!」


「次? 魔王様に何かあってからでは遅いのです! 事が起こる前に対処出来ない無能は必要ありません!」


「問題無い! 俺が強くなれば良い事だ!」


「はっはっはっ!何を根拠に。貴方がーーー」


「何をーーー」




 二人が言い争っている間にこっそりと部屋を出た彼女はスープの入った器を持って自室へと戻って来た。


「ふう。いつもの調子が戻った様で良かった。本の事もどうにか誤魔化せたし良しとしよう。

 それにしても良い匂いなのだ。まったくウォルターの奴め、私にも食べさせてくれても良いではないか。

 それでは一口……うぐぅ!!!」



 スープを一口飲んだ彼女は悶絶した。

 あまりの苦しさにベッドの上で転がり回る。

 体が異常な熱さだ。

 次第に手足の感覚が無くなっていくのが分かる。



「ま、不味い…リカバリー! 」



 彼女は咄嗟に回復呪文を唱えた。



「ハァハァハァハァ……も、猛毒ではないか!!!

 危うく死ぬところだったぞ…

 ウォルターめ、何を考えているのだ。というか、何で彼は平気なんだ……」



 彼女はそう呟くと気絶する様に眠りに落ちた。

 翌朝、気絶した彼女を見つけた彼とウォルターが慌てふためいたのは言うまでもない。

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