第4話 勇者の本

 玄関を開けた先には栗色の髪を短く刈り上げた活発そうな少年が立っていた。


 腰に剣を、手には取り回しの良い大きさをした丸型の盾を持っている。

 ただ、どれも使い込まれた様子は無い。

 身なりが良く汚れ一つ見当たらない。

 体の線も細くて頼りない印象だ。

 とても魔物相手に戦える様には見えない。


 少年は俺に用があって来たみたいだが、生憎俺には少年の顔に覚えが無い。

 旅の途中で会った事があった、のか?


「俺がウィルだ。それで、何の用だ?」


「おお! 貴方がウィルさんでしたか! お会いできて光栄です!

 僕の名前はライフォード。ウィルさんにお願いがあって来ました。 僕を貴方の弟子にして下さい!!!」


「断る」


 俺は短く返事をしてドアを閉めた。

 見知らぬ少年のたわごとに付き合っている暇は無い。早くミルクを持って戻らないと彼女の機嫌が悪くなる。


 いきなり押しかけて来て弟子にしてくれだなんて何を考えているのやら。

 誰から俺の事を聞いたのかは知らないが、俺が勇者だったのは何年も前の事だ。

 今では彼女を起こす為に仕方なく戦闘を続けているだけなのだ。



「すまない。来客があったんだ」


 俺はミルクの入ったティーカップを渡して隣に座った。


「知り合いかい?」


「いや、知らない奴だ。いきなり弟子にしてくれと言われたから断って来たよ」


 人の顔を覚えるのは得意では無い。


「ふうん。それは栗色の髪を短く刈り上げていて、剣と丸い盾を持った身なりの良い少年かい? 」


 俺は、やけに具体的に言い当てる彼女の話に驚いた。

 流石は魔王……


「まさか君がそんな力を持っていたなんて知らなかった。驚いたよ」


「力? 私はただ、さっきからあそこの柵にしがみ付いている少年がそうなのではないかと思っただけだ」


 キョトンとした彼女が指し示す先を見る。


 すると、森と裏庭を隔てる柵にしがみつく少年の姿があった。

 体を乗り出し、俺に向かって必死に手を振っている。


「ウィルさん! 僕を弟子にして下さい! 許可してもらえるまで諦めませんよ!」


「勘弁してくれよ……」


 俺が旅をしている間にも勇者の教えを受けたいという連中が後を絶たなかった。

 少年少女、商人の息子から貴族の後継ぎ、果ては王族まで俺の元にやって来た。


 始めのうちは引き受けたりもしていたが、彼らの目的を知ってからは一切断っている。


 彼らは口を揃えてこう言ったそうだ。


『勇者に剣を教わったと言えば箔がつく』


 俺が良かれと思って引き受けた事は彼らにとって、自身の名声を高める手段でしか無かったのだ。


 俺の剣はそんな物の為にあるんじゃない。

 弱き民衆を助け、邪悪な魔物を打ち倒す。

 世界に平和を取り戻す為の剣だ。


 彼らに教えたのは、守る為の剣。

 身近にいる大切な人を守る為の力になれるならと思ったからだ。



「もしかして隣にいらっしゃるのはウィルさんの彼女さんですか? 流石勇者! こんなに綺麗な女性と暮らしているなんて羨ましいです!」


 読みかけの本を勢いよく閉じ、丸くなっていた背筋をピンと伸ばした彼女は、俺の腕を掴んで興奮気味に言った。


「なかなか良い事を言う少年ではないか! なぁ、少しだけ話を聞いてやったらどうだい?」


 目をキラキラと輝かせながら俺を揺する。


 何がそんなに嬉しいのか分からないけど、弟子はとらない。そう決めたのだ。


「仕方ないな。けど、俺は弟子はとらない。君が言うから話を聞いてやるだけだ」




 俺は少年の元へ行くと腕を組み、仕方なく聞いてやるんだぞ、という態度で質問した。

 下手に出るつもりも、優しく接するつもりも無い。


「理由くらいは聞いてやる。言ってみろ」


 少年は懐から一冊の本を取り出した。

 何度も読み返したのだろう。表紙はボロボロで、紙が色褪せている。

 辞書の様にびっしりと挟まっている付箋から、少年がこの本を熟読しているのが分かる。


「この本でウィルさんのことを知ったんです。この本には貴方の事が物語調で詳細に書かれているんですよ」


「俺の事が?」


「ええ。ウィルさんの出自や冒険の旅を記録した物です。僕はこの本を読んで感動しました! 貴方は正に本物の勇者です! 僕も貴方の様な立派な勇者になりたいんです!」


 俺は少年から渡された本をめくる。

 そこには少年の言った通り、俺が産まれた家の事や勇者として生きる為の鍛錬の日々、旅に出てから訪れた街や、倒した魔物の事まで詳細に書かれていた。

 それらはどれも下手くそな挿絵と共に俺を主人公とした物語となっている。

 最後のページをめくると、俺が最後に森で戦った魔物の事まで載っていた。


 目眩がする。

 いつの間にそんな本が作られていたんだ。

 と言うより、誰だこの本を書いた奴は……

 確かに詳しく書かれているが、物語調というより、絵日記じゃないか。


 旅に出てからの俺は一つの場所に留まる事は無かった。

 連れも無く、世界中一人で旅をしていたのに、一体誰が書き記したのか。


「それは何だ? 人間の書いた本は面白い。興味があるから、私にも見せてくれないか?」


 いつの間にか隣に来ていた彼女に本を渡す。

 自分の事が殊更詳細に書かれた本を見せるのは恥ずかしいが、既に世に出回っているのなら今更だろう。


「げえっ…!」


「げえ?」


「あ、いや。何でもないです!」


「です?」


 本の表紙を見た彼女は激しく動揺している。

 どこか具合でも悪いのだろうか。

 額に多量の汗をかき、顔が引き攣っている。

 いつもの彼女らしく無い。


 まさか……


「え!? ちょ……何を??」


 彼女が持っていた本を奪い、少年に向けて投げ返す。

 俺は彼女を抱き抱えると、少年から距離を取った。


「貴様、ライフォードとか言ったな。本当の目的を話せ! その本に何の魔法をかけた!」


「え、魔法? 僕は何もーー」


「惚けるつもりか? その本に何らかの魔法がかけられているのは分かっている!」


 彼女が魔王だと見抜いていたのか?

 俺の弟子になりたいなどと言って、目的は彼女の方だったとはな……。

 俺としたことが油断した。

 俺に解除出来る程度の魔法なら良いのだが…。


「大丈夫か?! 魔法の影響はどんな具合だ? 」


「あ、はい…。ううん、ちょっとヤバいかもなのだ……。胸の辺りが物凄くドキドキする」


「胸だと?!」


 しまった! 心臓に直接呪いをかけられたのか?!

 彼女が魔王でなかったら、とっくに死んでいるところだ。

 顔も赤い。体温もかなり上がっているな……。


 腕の中で彼女の容態がどんどん悪化していく。

 平和ボケをしているつもりは無かったが、この事態を招いたのは俺の中に油断があったからだ。

 本もよく見れば魔道書に似ている。

 あんな見え見えの罠に気付かないとは……。


「くそっ! 直ぐに呪いを解いてやるからな!

 許さないぞ、ライフォード。

 俺の主人を狙っているのなら、相応の覚悟があるんだろな?

 人間相手に使うのは初めてだが、仕方ない…。

 一撃で楽にしてやる」


 人間を相手に自分の力を使った事は無い。

 人間を守るべき立場の俺が、同じ人間を攻撃するのは戸惑われる。


 だが、ライフォード。

 お前は俺の逆鱗に触れた。

 弟子になりたいと嘘を言い、ご丁寧に本まで偽装して俺の油断を誘った。あまつさえ、主人である彼女の命を狙っただと?!

 絶対に許すものか!!!


「人間を攻撃するのは本意では無いが、俺の主人を手に掛けようとした事、あの世で悔いるが良い!!!」


「ちょ! ちょっと待って下さい! 僕は本当に何も!」


「黙れライフォード。最早、言葉は意味を成さない。お前は俺の逆鱗に触れたんだよ!」


 俺はライフォードを睨み付け、攻撃魔法を放つ為に魔力を練り上げる。

 魔物を屠る為に磨き上げた技に手加減など存在しない。


 俺が放つのは超大型の魔物を屠る為に編み出した奥義

ホーリー天撃ディストラクション


 逃げても無駄だ。

 極大威力の広範囲魔法で終わらせてやる。


「わ! わ! わ! ちょっと待つのだ! いくらなんでもそれはやり過ぎではないか?!」


 彼女が慌てた様子でライフォードへの慈悲を願い出る。


 自分を殺そうとした相手に慈悲を掛けるだなんて、君という奴は……

 世の中にはこんな慈悲深い魔王もいる。

 彼女の優しさを無為にするつもりは無い。

 しかし、これはケジメだ。

 勇者を辞め。魔王である彼女の下僕となった俺の存在理由は彼女と共にある。

 彼女を失ったら、俺は何の為に生きれば良い?


「覚悟しろ、ライフォード! 聖天ーーー」


 後頭部に鈍い痛みを覚えた俺は不覚にも意識を失った。


「ふう……。あ、危なかった。この辺り一帯が草木も生えない焼け野原になってしまう所だったぞ」


「あ、あの…」


「ん? ああ、大丈夫。気絶しているだけだ。それよりも、その本……。何やら邪悪な魔法がかけられている様だ。本は私が処分してやるから、本を置いて立ち去るが良い。早くしないとぉ〜……」


 不気味な笑みを浮かべ迫る彼女を見たライフォードは、悲鳴を上げて本を放り出すと一目散に逃げて行った。


「むぅ。何処で無くしたのかと思っていたら、まさか人間に拾われていたとは。彼に見られてしまったではないか。うぅ、恥ずかしい。これは机の奥にしまっておこう……」


 そう呟いた彼女は、本を小脇に抱え、彼を引きずって家の中に入って行った。

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