四季詠みのコール・マイナー
詩一
はじめに
ここは、俳句初心者の私が、俳句を上げていくコーナーとなっております。
初心者ゆえ、至らぬところも多々あるかと思います。ルール違反など、お気づきの点がございましたら、ご指導ご鞭撻のほど頂ければ幸いです。
私が俳句を詠んでみようと思ったきっかけは、一つの作品に出合ったからです。
それは、いっさん小牧さんの「月が追いかけてくるように」です。
URLを張っておきますので、是非読んでみてください。
俳句に興味の無い方でも、一句詠んでみたくなるかと思います。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888885686
ちなみにそのいっさん小牧さんが「いっさん小牧の句集」という作品の中で俳句を披露していらっしゃいますので、同時にURLを張らせて頂きます。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054889715083
俳句は描写の文学であると(これもまたいっさん小牧さんに)教わったので、実際にこの眼で見て思ったことなどを詠んでいきたいと思います。ですが、小説を主としている自分の性質上、空想で俳句を思い浮かべてしまう時があります。そういうものも載せていきたいと思いますが、区分けする為に、【空想】と【写生】を明確に分けていきます。
因みにタイトルの『四季詠みのコール・マイナー』ですが、コールマイナーとは炭鉱夫のことです。
イングランド北東部、炭鉱町として栄えたアシントン。炭鉱夫の方たちはその昔、虐げられた労働者として考えられる事が多く、蔑視の意味合いで炭鉱夫を引き合いに出す方も居たそうです。しかしながら、その実炭鉱夫たちは己の与えられた仕事に尽力し、その中でやりがいも見つけていました。確かに給料の高い職業では有りません。危険が伴い、労働時間が長い割には、安い賃料で働かされていたかも知れません。しかし彼らには誇りがあった。何も知らない現代人が「可哀想だ」と言うにはあまりにも
そんな彼らの元に画家兼美術講師のロバート・ライアンが訪れ、彼らに芸術を教えました。すると彼らは芸術の道でも花を咲かせ、画家集団〈アシントン・グループ〉と言われるようになったそうです。
彼らの作風は現職に対する不満や風刺的なものではなく、本当に自由なものを描いていたそうです。
彼らのことを、門外の人間が描いたら、きっと「強烈な皮肉を効かせた風刺画」などに成り下がっていたことでしょう。
彼らは炭鉱夫として採掘場に潜る日々の中でも、芸術を生み出しました。それがどれほど希望があることなのか、と私は思います。
生きる為の日銭稼ぎに必死な人間は、芸術に思いを馳せることができないなんて言うのは、誰かが作り上げた虚構です。寧ろ、そう言った強烈に迫りくる普通の日々を真剣にこなしている人間こそが、芸術を生み出すのだと思います。
そしてそれは、俳句もそうなのだと。
俳句=芸術と言うのはあまりに安直すぎますが、私は俳句のことを言葉の芸術だと思っています。自分が紡ぎあげる俳句などは、まだまだ先人のそれには遠く及びませんが、芸術らしきものを作り上げられればいいなと思っています。
と、まあ大仰なことを言っていますが、要は自分が楽しみたいという願望です。
この句集を見に来てくださった方も、どうか心安らかにお過ごし頂きたく思います。
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