第三十四話 激流(二)
「良い子ね、今日は少し疲れちゃうけど、風邪ぶり返さないでね」
アウロラは丹念に
朝食を済ませてウェスペルとシードゥスを見送り、残っていた城の業務を片付けていたら、あっという間に昼過ぎになっていた。昼食を大急ぎで胃に詰め込み、身を整えて
正直なところ、東塔行きには不安もある。祭器はすなわち国の神器であり、保管してある
まだ父王や王妃である母が玉座にいるうちは、為政者たる彼らが祭器を準備するのが定めで、アウロラは祭器が眠る聖櫃を開けたことすらなかった。父が逝去し、その後に役目を継いだ母が亡き今、母に代わってその責を果たすのは兄と自分。もともと兄王子は祭りの前に帰る予定であって、当然、次子である自分ではなく兄がやるものだと思っていた。
一周忌が始まってしまったら祭りの準備に割く時間も減ってしまう。今朝早くにシードゥスに言い渡して、兄が訪問中のテハイザへ、一周忌までに帰国するよう改めて頼む書状を送ってもらった。だが外交には相手国がある。元々の予定をそう簡単に崩せるはずもない。兄が国に着くのはどんなに早くても今日の日没には間に合わないだろう。自分が安直に東塔へ行って、事が済むと良いのだが。
愛馬の首に頭をもたせかけたまま思考に沈んでいたら、相棒が小さく鳴きながら首を揺らした。
「ごめん、痛かったね」
アウロラは母の耳飾りをつけていたのを思い出し、慌てて頭を馬から離した。母から受け継いだ耳飾り。それはすなわち、自分の担う責任の証である。
耳飾りの持つその象徴的意味がこんにちまで崩れていないということは、王族に対する民の信頼が代々守られて来たということ。だからこそ今日、御守りとして、また気を引き締めるものとして、この飾りをつけてきたのだ。
愛馬は「痛みはもういい」というように、今度は頬擦りしようと無邪気に頭をアウロラの顔に寄せて来た。主人の心配は馬に伝わってしまう。アウロラは頭を振って笑顔を作り、馬の首に手のひらをゆっくり滑らせた。
「姫様、ここにいらっしゃいましたか」
振り向くと、大臣が珍しく書類束も持たずに厩の入り口をくぐってきた。
「そろそろ行くわ。あとのこと、よろしくね。すぐ帰るから」
「なに、こちらは御心配なさらず。どうぞ落馬などなさいませんように」
その顔には疲労の色が
「それから、これをお持ちください」
しゃらりという音と共に取り出されたのは、ウェスペルの腕時計だった。止まってしまった時計台とは対照的に、カチコチと調子の良い律動で針が進んでいる。まるで周りの混乱など意に介さず、自身の信ずるところのみを信じて颯爽と歩く人のようだ。
「これ、私が持って行っちゃったら国の時刻管理は?」
「再び砂時計に切り替えました。大小いくつかを同時に使い、正確さも保っております。姫様、時計台の鐘がないのですよ。城から鳴らす代わりの時報も、東塔の中ではお耳に届くか分かりませぬ。どうかお持ち下さいますよう」
東塔と、それとは対になる西塔。時計台を挟んで立つ二つは、壁の厚い石造りの堅牢な物見の塔だ。時計台の鐘の音ならば国中どんなところまでも届く不思議な力があるが、城で鳴らす代わりの時報が城から距離のある東塔の内部で聞こえるかどうかはわからない。
「ありがとう。これを持つからには早く帰らなくちゃね」
アウロラは両手で包むように時計を受け取り、華奢な造りのそれを腕に着ける。ウェスペルが来て初めて見たものだったので着け方もわからず少し手間取ったが、少しいじってみたらきちんと留められた。
ウェスペルも今は一緒にいない。それでも腕時計を着けると彼女が隣に居てくれるようで、胸がすっと軽くなった。
鞍をつけた馬の手綱を引いて城門へ出る。秋の陽はもう傾いて、昼前の空を塗り上げていた鮮烈な青色に薄白い色が混ざっていた。
動きやすいよう作られた軽い布地の上下が風に揺れる。去年の祭りまで着ていた衣装だ。祭器と面するからにはと、一応儀礼用の衣装に着替えたのだった。いつもの乗馬用の服ではないが、州境を超えるような遠出ではないし、しっかりした馬具があればこの格好での騎乗も苦ではない。
光に透かした
「姫様、急ぎすぎて落馬しないで下さいね」
眉尻を下げつつ、ソナーレが水袋と干し葡萄を手渡す。その声があまりに不安露わで泣き出しそうなので、アウロラはいつしか強張っていた頬を緩めた。
「大臣と同じこと言わないでよう。この子はそんなことしないから」
小さな頃からずっと連れだって駆けた相棒である。その目を覗き込んで、そうだよね、と意思を交わすと、アウロラは鞍に
「さあ、行こう! 東塔までお願いね!」
元気な
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