第三十二話 渦中(四)

 ――またこの夢だわ。

 アウロラは森の中を歩いていた。頭の上には色づいた木々がいくつも重なり合い、空は見えない。シューザリーンを囲む森なのか、別のところなのか分からない。見覚えのない場所だった。

 森の中はぼんやりと明るく、歩みを進めるのに困ることはなかった。しかし時計台はもちろん、太陽も木々に隠され、一体いまが朝なのか、昼なのか、それとも夕方なのか見当がつかない。

 木々の中を行くアウロラがどこに向かっているのか、意識としてのアウロラは知らなかった。ただに向かって歩いている最中であることだけ分かっていた。

 ――流れを正さなきゃ。調和を取り戻さなきゃ。光が全て消える前に。

 夢の中のアウロラは、夢を見ているアウロラとは別の意識でそう思い、焦っていた。くれないと金に塗りあげられた地面を蹴って、木の間を走り出す。

 ――早く……夜がもう一度、生まれ変わる時までに……!

 



「はぁっ……」

 飛び起きたところは自室の布団の上だった。鼓動が早い。こめかみを押さえると指に脈動が伝わってくる。

 近頃よく見る夢だ。兄が国を出てから頻繁に同じ夢を見ては目を醒ます。もう何度目か知れない。激しい焦燥感に駆られて走り出し、でも彷徨さまよう森を抜けることは出来ずに夢から醒めるのが常だった。

 何の前触れなのか分からなかった。夢の中のアウロラは何かを目指しているのだが、夢を傍観するアウロラの意識には、それが何なのか謎だった。

 ――まるで迷路だわ。

 目指す場所が分からず辿り着けない夢の中の状況が、針を進め示すべき時を失った時計と重なる。

 ——お兄様がいらっしゃらない不安なのかしら。

 両親亡き後、国の統治者になった自分たち。何十代に一度あるかという稀有な男女の王位後継者。王族に男女両方が生まれると、第一子を上位に据え、国は二人の共同統治となる。その代は必ず安寧が保たれ国が繁栄するとして、二人の子女は「生まれ出づる光と還る光」と呼ばれ、その誕生に国中が歓喜した。

 優秀な兄ならいざ知らず、アウロラには自分にそれほどの器があるとは思えなかった。でも、そうやって自分と対と言われた兄が欠けた状況は、アウロラにとって生まれた時から存在していた当たり前の秩序が崩れたのと同じだった。まるで自分の中の均衡が崩れたように。そして国にとっては、新しい二人の治世が始まるべき時に兄王子が不在というこの欠陥は、国全体の均衡を崩すものなのだろう。

 ――小さい頃、お母様はよく仰っていたわね。

 ふと耳に母の言葉が還ってくる。




「アウロラ、立派な君主になろうと思わなくていいわ」

 お母様はいつも微笑んでいらして、柔らかな物腰で美しかった。国王であるお父様からも信頼され、城下の皆から慕われて。「立派な君主」そのものだと思っていた。

「お母様はご立派ではないの?」

 無知で浅はかな私は理解できなかった。そんな私の問いに、お母様はかがんで目を私と同じ高さに合わせ、細長くて滑らかな指で私の頬をそっと包んだ。

「私たちはね、王族だけれど、その前に国民なのよ。この国が困ったことにならないように、国全体が平和でいられるように、皆さんの意見をまとめて、外の国の方々とお話し合いをする代弁者で代表者なの」

 お母様は笑みを崩さず、でもとても強い光を瞳にたたえて仰っていた。

「自身を立派だと思ってしまうのは怖いことだわ。皆さんがたくさん体を動かして食べ物や着るものを作ってくださる方がよほどご立派なことなの」

 だから立派な王族になろうとするよりも、誠実で、皆さんとの対話を絶やさない「国民」になりなさい――そうお母様は事あるごとにお話なさっていた。

 単純な考えしか持っていなかった私は、国の皆と「対話」するために、城の外に出る機会があったら自由に歩き回る時間をもらって城下の皆と話をした。それでも十分に話をするには足りなかったので、城を抜け出して買い物もしてみたし、畑仕事もやらせてもらった。皆の真似をして作業をやってみれば、四肢は城での生活より疲れたし、どんな仕事でも城の机の上でやる小難しいこととは違う形でとても頭を使うものだった。ちょっと前に朝市に出かけるのを覚えてからは、シレア以外の人のやり取りも聞いてみた。そこで耳にする外国の様子は、格式張った場所で聞くよりずっと鮮やかだった。

 街へ出る回数が増えると、人々も次第にうち解けて話してくれた。色々教えてくれたし、叱ってもくれた。そして皆から話を聞くたび、街の皆がお母様とお父様をとても尊敬して下さっているのが感じられた。

 だからこそ私は、その尊敬や信頼を崩したくない。

 ――生まれ出づる光と還る光……ね。

 時計が止まってしまった今、地下水脈にも異常が起きている今、出口が見えずもがいている自分にこう呼ばれるだけの器量があるか分からない。でもやっぱり私はこの国が好きで、皆の笑顔が悲しみに変わるのは耐えられない。不確かなことばかりに囲まれても、それだけは確かだった。

「アウロラ、誠意を忘れずにいなさい」

 母の声が耳元でささやく。

 ――分かっているわ。

 夢が何の予兆なのか、過度に気にしたところで仕方がない。自分にやれることをするしかない。

 ——時計台の異変は解決してみせるから。

 シレアの名を持つ者として、自分にはシレア国の営みを支えてくれる皆のためにしなければならないことがある。

 隣で寝息を立てる客人の女の子を残し、アウロラはそっと布団を抜け出して早朝の執務室へ駆けて行った。

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