亀裂
第二十五話 亀裂(一)
「こら小坊主、たんと食え」
恥ずかしさに耐えられない状況の中、ウェスペルは料理長に救われた。助かった。シードゥスも食べる方に注力しはじめたので、ほっと肩の力を抜く。
「それにしても随分な疲れっぷりじゃな。どうした」
「豊穣祭が近いのに、一周忌の式典が割り込んだから、んぐ、準備に大荒れなんだよ」
咀嚼するのをやめず、野菜を飲み込みつつ、シードゥスが愚痴る。二人の会話にある「豊穣祭」という名前はウェスペルにも聞き覚えがあった。
「そのお祭り、街に来る途中でお聞きしました。歌があるのですよね、確か……」
城下まで送ってくれた主人が歌った歌。道を走る子供達も口ずさんでいた歌だ。何度も聞いたので少しなら覚えていたため、さわりだけ口に出してみる。
「おや、その歌には続きもあるが、一番しか聞いとらんか」
材木屋の主人が歌ってくれたのはそこまで長くない。首を振ると、料理長がソナーレに目で合図する。するとソナーレははにかんでから、細く高い声で調べを紡ぎ出した。
禊ぎ注げよ 秘せし河
刻み記せよ 我が命
鼓鳴らして この御代を
あめつち
禁じられたる
止めて 流れよ うつし世に
されば始まる 月日あれ
あまねく時が 集まりて
光 暗闇 無に返れ
刻め 定めよ 始まりを
初めは気恥ずかしげに遠慮がちだった声は、最後の節では朗々となっていく。料理長は始終笑みを浮かべつつ、口の形は歌詞をなぞり、手は膝を叩いて拍子を刻んでいた。シードゥスは頬杖をつき、神妙な面持ちで聞き入っている。
最後の句を歌い上げたソナーレは、うっとりと息を吐いた。
「素敵ですわねぇ。恋人同士がやっと出会える、そんな歌だと思いますわ」
「歌い継がれてきた祭りの歌じゃ。女神と男神の逢瀬かもしれん」
「恋歌かどうかはどうでも良いけどさ、その歌と一緒の舞は良いよね。鼓が叩かれて皆で舞うやつ。子供達も可愛いし」
歳上二人の意見に対し、若者の方が情緒の無い感想を述べる。でも、どちらの意見もウェスペルには頷けた。もし歌詞の中身が恋人同士の出逢いを指すなら、年頃のウェスペルも憧れる。一方で料理長が刻む拍子を聞けば、舞そのものもきっと魅力的だろうと想像できた。その拍子はかなり複雑な変化を含みながらも規則性を失わず、聴くものを引き込んで同調させてしまうような不思議な力があった。何人もが一斉に刻んだら、それは見事な律動になるだろう。
「私も見てみたいなぁ」
祭りまでいるというのは、自分が元々いた場所に帰れないということだ。しかしこんなにも人々が待ち望む祭りは、帰りのことなど一瞬でも忘れてしまうほどウェスペルの興味を掻き立てた。何よりシードゥスも昨晩、城への道すがら見事と言っていたし、アウロラも舞に参加するというし。
「祭りの時には屋台がどの道にもたくさん並ぶのですよ」
「普段食べてるのより美味しい気がする。料理人たちも気合入れてんのかな」
「そりゃそうだろう。子供達の笑い顔は当然、普段は仏頂面してる大人などの喜ぶ顔を見るのは嬉しいもんじゃて」
「仏頂面はおやっさんだろ」
けして贅沢ではないが滋養と美味溢れる食事の卓で、祭りの話に華が咲く。城勤めの面々も緊急事態の中での束の間の休息を楽しんでいるのだろう。ウェスペルも、皆がよそよそしくせずに自然に接してくれるので、時折口を挟みつつ、彼らの談義に熱心に耳を傾けた。
四人がようやく緊張感を取り戻したのは、食事の間に厳しい顔をした大臣が姿を現した時だった。
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