第二十四話 小憩(四)

 部屋に射し込む陽光の明るさを感じて目が覚める。眩しさに半分ほど瞼を開けてみると、ウェスペルの隣にアウロラはいなかった。

 布団から出て窓を開ければ、頬にひやりとした風が当たって深まる秋を知らせる。外には美しい紅葉に彩られた道が見え、その先に建物の屋根が連なっている。きっと昨日、城下町から来た道なのだろう。丈高い時計台も街の中心に見つけられた。その文字盤は、朝陽を返して昨日見た時よりもいっそう眩しく光っている。

 何事も起こらなかったと間違えそうな、静かな朝だ。

 見渡す限り鮮やかな色が広がる美しい情景に見入っていると、背後でとん、とん、とゆっくり扉を叩く音がした。そして「失礼します」と言う落ち着いた女性の声とともに戸が開かれた。

「おはようございます。御召し物をお持ちしました」

 入って来たのはすらりとした細身の若い女性だった。明るい茶色の髪の毛を後ろで一つのお団子に纏め、襟首と裾が控えめ程度にひだで飾られた、灰青色に近い膝丈の衣装を着ている。

「よくお眠りになれましたか? 私はアウロラ様付きの者で、ソナーレと言います。ウェスペル様の今日のお世話を仰せつかっております」

 若いとはいえ自分より一回りほど歳上に見える女性にこんなにも丁寧な対応をされて、ウェスペルはなんとも居心地が悪くなった。

「あっありがとうございます、お邪魔してます。もう本当にお構いなく……」

「そういうわけには参りません。御召し換えのお手伝いを致します」

 言うが早いか、ソナーレは手に持った服を広げ、ウェスペルの寝間着を脱がせようと申し出る。ウェスペルはさすがに戸惑って丁重に辞退し、人前で恥ずかしく思いながらもいそいそと着替え始めた。持って来てもらった衣装に袖を通すと、滑らかで肌に吸いつく。絹だろうか。

 背中の留め具を付けるのだけソナーレに頼んで鏡を向く。映ったのはまさか想像もしない姿の自分である。着替えた服は朝の空を映したような薄い水色で、銀糸の刺繍が裾と襟元に施されており、その見事な模様のところどころに紺碧の小さな宝玉が散りばめられている。袖は肘のところで、胴衣は腰でそれぞれ細くすぼまってからゆるやかに広がり、動いたらふわりと広がりそうだ。

「あぁ、本当にアウロラ様と同じ寸法ですわね。お似合いになる御召し物の型も同じ」

 確かにアウロラの着ていたのも似た作りで、彼女の方はもう少し明るめの秋桜コスモス色だった。見慣れぬ自身の姿に茫然としているウェスペルには構わず、ソナーレはてきぱきとウェスペルの髪の毛を編み込み結い上げていく。あれよあれよという間に、ウェスペルの頭には服の宝玉と同じ色の刺繍が入った白のリボンが結ばれ、これまで見たこともない令嬢の姿が鏡を前に座っていた。

「さあ、御食事にいたしましょう。お部屋で取られますか、それとも食事の間に参りますか? この時間ならお連れしても構わないと、アウロラ様から言付ことづかっておりますが」

 ウェスペルの答えはすぐに出た。アウロラが部屋に一緒にいるならまだしも、ひとりで食事をするほど寂しいことはない。


 


 ソナーレに案内されて食事の間に向かうと、そこはあまり広い部屋ではなく、城勤めの中でも下働きの者が集まるところだと思われた。入ってすぐに声をかけてきたのは、白い調理着を着た初老の男性である。

「おう、来たなあ、待っておったよ。アウロラ様の頼みじゃが、そうでなくともわしの味を口にせんままこの城からは帰さぬ」

「料理長、お味の素晴らしさは召し上がれば分かりますから、早く持っていらしてくださいな」

 ソナーレに催促され、料理長は「やれやれどっこいしょ」と腰を上げて奥の間へ去っていった。恐らく調理場に繋がっているのだろう。布の敷かれた食卓の前で待っていると、ほどなく湯気の立つ皿やら水差しやらを載せた盆を片手に料理長が戻って来た。

「食材が足りないとて、わしの料理に支障はない。秋の朝飯なら暖かいものは必須じゃよ」

 そうしてウェスペルの目の前に、色とりどりの野菜が入った汁椀と、何かを挟んで焼いたらしいパン、果汁が弾けんばかりの大きな葡萄や蜜がたっぷりの林檎を載せた小鉢が置かれる。その間にソナーレはウェスペルの膝に白い布をかけ、両脇に銀器を並べていった。

「あら料理長、このお野菜、可愛らしいですわね」

 汁椀の中の人参は紅葉もみじ、芋は銀杏の葉、大根らしきものは花の形になっている。「アウロラ様のおとし女子おなごに出すんじゃから」と、料理長は自慢気だ。大きな木の匙で一さじ汁を口に運ぶと、野菜の旨味が口いっぱいに広がる。さいの目に切って炒められた肉の燻製が風味を足していて、その仄かな塩気が人参や芋の甘みを一層引き立てる。

 感動して美味と礼を伝えると、料理長は本気一割だと謙遜しながらも顔には満面の笑みを浮かべた。

 一口一口に喜びつつはぐはぐと食べていると、ウェスペルたちが入って来た扉からもう一人、食事にやって来たようだ。昨晩すでに聞いた声が背後で情けない溜息を吐き出す。

「はー朝から疲れた……おやっさん、メシ……」

 反射的に振り返ったウェスペルは、開けた扉に手をついてこちらに懇願するシードゥスと目が合ってしまった。昨日の今日だ。思わずパンを千切る手が止まる。

「小坊主、男が恥ずかしい声出すな。精つけろや」

 ぶっきらぼうな声が飛んでくると同時に、シードゥスの顔は調理場に消える料理長の方に向けられた。その背に礼を言い、すたすた食卓へ近づいてウェスペルの対面の椅子を引く。一見するところ疲れ以外の何の感情も見えない。至って普通だ。彼と目が合ったと思ったのは気のせいだったのだろうか。

 しかしシードゥスが腰掛けて顔を上げたとき、またもウェスペルの視線と視線がぶつかった。

 ——いけない。見過ぎてたかも。

 相手の顔が固まったように見えて、慌ててウェスペルは視線を皿に戻そうとした。それなのに、うまく首が動いてくれない。

 ただ、互いの動きが止まったと思ったのも一瞬だった。すぐにシードゥスの目が細められ、気遣わしげに尋ねる。

「おはよう。寝れた? 快適?」

「う、うん。疲れてたのかぐっすり。朝はアウロラに会えなかったけど、ソナーレさんが来てくれたし。服まで貸してもらっちゃったり至れり尽くせり」

 シードゥスの声からは本気で心配してくれているのが分かって、なぜかウェスペルの体が瞬く間に熱くなった。自分で自分の反応の訳がわからず、動揺を隠そうとしたら早口になってしまう。

「そう。なら良かった」

 ほっと息をつき、心底安心したようにシードゥスは顔をほころばせた。柔らかな笑顔を向けられてウェスペルは今度こそ俯いてしまう。

 するとソナーレが横からシードゥスにも布巾を渡し、水と匙を卓に置きながら食卓の二人の顔を交互に覗く。

「シードゥスとはもうお会いでしたか。どう、シードゥス。ウェスペル様もアウロラ様と同じようにドレスがお似合いでしょう?」

「そそ、そんなことないです、こんなの着たことないし、アウロラみたいに着こなせてないし……アウロラとは全然違いますって!」

 褒められ慣れていないうえに、正直なところドレスなど身の丈に余ると思っていたので慌てた。顔がたちどころに熱くなる。なにせ動揺むき出しの自分をシードゥスがまじまじと見ているのだ。

「そうだよソナーレ。姫さまとは違うだろ」

 自分を眺めながら言われた言葉に、「あぁやっぱり似合ってないよね」と今度は落胆してしまう。そして無意識のうちに半ば期待していたのが分かってさらに戸惑う。ところがシードゥスは馬鹿にする様子もなく、ウェスペルをしげしげ観察して続けた。

「姫さまは、あれはそれで良いかもしれないけど。ウェスペルは顔そっくりだけどなんか違うじゃない」

「あらシードゥス。『なんか』って具体的にはどこが姫様と違ってらっしゃるの?」

「いや、なんていうか、雰囲気? 例えば……姫さまには多分、このドレスの色はここまで似合うかな。姫さまとはどこか別で……うまく言えないけど、ウェスペルはウェスペルで綺麗だよ」

 ウェスペルは恥ずかしさに耐えられず首をソナーレの方に回していたが、耳に入ってきた言葉にみるみる顔が火照って、ますます頭の向きを動かせなくなった。そんな彼女を見るソナーレの口調に悪戯いたずらっぽい含みが混じる。

「シードゥスったら。意外に見る目があるみたいねえ」

「え? だって、そう思ったし」

 ウェスペルは横目でシードゥスを盗み見て、短く答える彼の顔に少し朱が混じったような気がしてしまった。

 ――もう……多分、意識のしすぎ。

 何か思って言っているのか、天然なのか、分からない。こっちの平穏が掻き回されてばかりで、胸の鼓動が早くて頭が休む暇もない。

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