第二十二話 小憩(二)

 アウロラに言われて初めて、ウェスペルはそういえば空腹だったとわかり、勧められるままに食事に手を伸ばした。アウロラいわく「やや質素」という食事は、確かに見た目こそ華美ではなかったが、一口食べてみるとその洗練された味は芸術の域で、ウェスペルの胃も心も十二分に満たされていった。

「うーん、私もお腹減っちゃった。さっきご飯、食べたはずなんだけどなー」

 そう呟きつつ、アウロラは自分でも皿に手を伸ばして小さな焼き菓子をつまむ。

「どう? 美味しい?」

「美味しいなんてものじゃないかも。こんなの食べたことない」

 本心から言うと、アウロラは身を乗り出した。

「でしょう! うちの料理長はね、見た目は頑固に見えるのだけれど、作るものはとっても繊細なの。飾り切りも上手いし、ナプキンで白鳥とか作っちゃうのよ」

 どうやら可愛らしいところのある料理長らしい。ちょっと見てみたい。

「それはそうと、話しておきたいことって?」

 杯に注いでもらった冷茶で喉を潤し、ウェスペルは改めて尋ねた。

「ああ、うん。隣の国とのね、ちょっと微妙な関係のことなの」

 途切れ途切れに言葉が紡ぎ出されるにつれ、橙色の瞳にあった輝きが弱くなる。

「シレアの南にある海に面した国のこと。テハイザという国よ。漁業や海洋貿易で栄えていて、我が国でも海産物の多くを輸入しているの。シレアと比べると国際的にも力の強い大国だわ」

 アウロラは落ち着かなげに、指で机をトントンと叩く。

「ただ、彼らの主要産業は漁業と貿易。どちらも海に頼るところが大きいから、天候次第で国の経済がかなり左右されてしまう。肥沃な土地が少ないせいもあって、農産物が育ちにくいのよ。そういうところはシレアの得意分野なの」

 アウロラが指を遊ばせる円卓の表面では、年輪が美しく模様を作っている。そういえば、ウェスペルを城下町まで送ってくれた男性は林業を営んでいた。

「シレアは山の緑に囲まれて、気候も一年を通して比較的安定しているわ。おまけにシューザリエ川のおかげで山に降った雨が美味しい水になって流れてくる。山まで割とすぐだけど、なんでしょうね、ありがたいことに城下近くからは大河になって流れてる。そこから支流を作って、田畑に水を満遍なく送っているの」

「街に来る間にたくさん畑を見たわ。都の農産物はほとんどこの辺りで出来ているの?」

 アウロラは頷いた。

「自給自足が成り立つ肥沃な土地と、穏やかに流れる水の恵み。山々から授けられる自然がシレアの強みよ。それに対して、テハイザの方は荒れ狂う海神と塩を含んだ海風、守る木々のない海上の嵐と対峙しなければならない」

「それは……シレアが欲しいでしょうね」

「そういうこと」

 視線を落としたアウロラの声が低くなる。

「その昔、シレアとテハイザはとても親しい国だったというわ。でもいつからか崩れてきてしまった。長い時間の中で二国の絆に歪みができてしまったのでしょう」

 かつてあったはずの調和は危うくなっている。協和音が不協和音になるように。

「私たちは戦をするつもりは全くない。そんなのは馬鹿げているわ。奪い合いなんて本来、不要よ。お互いに無いものを補い合えばいい。でも、海洋に出た船は命がけで行くんだわ。船乗りたちは毎日、今日死ぬか、という生活をしている。そんな状況なら、少しでも安心できるものが欲しい……そして、それが欲になるのでしょう」

 大きくなった欲望は焦りに変わり、その焦りが、話し合いではなく力の行使に走らせる。軍事面で比較したら、やはりテハイザの方がシレアに勝る。

「緊張状態が続いていたの。しかもシレアは国王でいらしたお父様が亡くなって、昨年にはお母様も亡くなったわ。いまはお兄様がまつりごとを取り仕切っている。お兄様はすごく頭も良いし、文武ともに優れているし、国際政治だって絶対にうまくなさるわ。でも諸外国から見たら若造よ」

「お兄さんは、いまどちらにいるの?」

「新しい指導者として、各国へ挨拶に。テハイザにも行っている。お兄様なら穏便に絶対的な友好条約を締結してくるはず……はずだけれど、確証が取れるまで、城の中でもこの点に関しては神経質になっていて」

「何かこのあとの動きに関係するかも?」

「ええ。私がウェスペルを皆に紹介した時に、もし、万が一、こういうことで失礼を言う人がいたらごめんなさい。私はテハイザを信頼するべきだと思ってる。でも国外から来た方に対して疑心が生まれる可能性は……」

 アウロラが言い淀み、伏し目がちになる。聞かずともウェスペルには続く言葉が分かった。目の前の少女の気遣いと葛藤に胸が痛くなる。

 しかしややもせず、アウロラは顔を上げて真っ向からウェスペルを見つめた。

「すごく繊細な状況なの。だから、許してあげて」

 アウロラはウェスペルの手をとった。懇願するような瞳から、彼女が城の人々を心から大切に思っていると知れる。

「もちろん。アウロラが言うなら」

 他にどうしたら元気づけてあげられるのかわからず、できる限りの力を込めて、ウェスペルもアウロラの手を握り返した。するとアウロラは小さな吐息と同時に目を細め、お礼の言葉と共に瞳の橙が明るさを取り戻す。

「そう、そういえばそろそろ寝なきゃね! 明日のこともあるし、ウェスペルも疲れてるでしょ」

 アウロラに案内されて、ウェスペルは部屋の奥にあった湯浴み場で汗と埃を流した。木を渡った時に相当汚れたらしく、洗った肌がさっぱりと気持ち良い。寝室に戻って渡されたアウロラの寝巻きに袖を通すと、アウロラはさっきの神妙な様子などすっかりなくなって、「自分が二人いるみたい」と手を叩いて喜んだ。

 二人の少女は大きな寝台に一緒に入り、しばしお互いの国のことを他愛もなく話していた。だが心身ともに負担の多い一日で、次第に瞼が重くなってくる。やがてどちらともなく会話が途切れ、いつの間にか整った寝息をたてていた。

 まだ夜の世界には穏やかな静寂が満ち、星明かりが時計台を照らす。窓から入る秋の風が、二人の頬を静かに撫でた。

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