第23話 さみしがりやのおうさま

『我は、なによりも、仲間が欲しかった……』


 静かに語るリヴァイアサンの首は半分ほど抉られ、血が海を盛大に染め上げていた。

 【天災】と恐れられる威厳はなくなり、そこには哀愁を漂わせる、一人の孤独な王がいた、


『我は生まれながらに力を持っていた。誰も近づけさせぬ、覇者としての力を。

 だが、それゆえに仲間がいなかった。仲間を知らなかった。血を分け、生み出した眷属を、我は海王種と呼び、仲間と思い接した。

 しかしな、仲間を知らぬ者の末路とは悲惨なものよ。接し方がわからず、皆我を恐れ、敬う。

 初めはそれで満足していた、人間を見るまではな……。本物を見た、偽りは砕かれた、なによりも素晴らしい、絆を見たのだ』


 子供に語りかけるように、誰かに知ってもらいたい、子供のような大人の如く語るリヴァイアサン。

 ラルアを眩しそうに見つめ、笑いかける。


『健やかに、せめて、それだけは願わせてほしい。我は奪うことしか知らぬ。我は命ずることしか知らぬ。

 だが、願いは知っている。想うということも初めて理解出来たように感じる。運命に抗え、——我が子よ』


 見つめられるラルアが躊躇うような口を開く。

 静かに、親と別れるかのようなか細い声で、呟くように言葉が紡がれる。


「ごめ、んなさい……。わた、しはっ、生まれたことを、後悔、してたっ……、生きてる、ことに、疑問を持ってた……。でも、でもっ……」

『良い、それ以上は言うな。嫉ましく、忌々しく、弱々しく、腹立たしい娘よ。美しく、健やかに強く生きよ』


 息も絶え絶えなラルアに、死際とは思えない声で応じるリヴァイアサン。

 王たる威厳なのか、最後の誇りなのか、誰も口を開かない、静寂の中ラルアのすすり泣く声が響く。


「おとうさぁん!!」


 思い出などない。何かをもらった記憶もない。寄り添った記憶もない。およそ親と言えることなど何もなく、あるのは血を、命を分けたと言う事実のみ。それでもラルアは叫ぶのをやめない。


「ありがとうっ……! わたしを生み出してくれて! 血を分けてくれて! 居場所が、あなたが言う絆をもらった! だからっ……、ありがとうっ!」


 生まれたことを後悔してきた。生きてきたことを謝罪してきた。

 それでもいいと、生まれてきて、生きていいと肯定された。居場所をもらい不確かな絆は確かに胸にある。

 きっと他の人が見たら嫌悪する光景だろう。”龍王”に感謝し、涙を流す。だが、今ここにいる者は誰も止めない。止められない。

 父と娘の再会を。


『ラルア、だったな。我が自ら血を分けたわけではない。それがわかっているだろう、なぜ、我を父と呼ぶ?』

「血を分けてもらった……、それだけで、おとうさんは……おとうさんだよ……」


 根拠のかけらもない子供の暴論。それがわかっていながら否定できない。それを否定してしまったら、きっと家族を、絆を否定することになるから。誰もそれを否定しない。

 それは、母親が母親である理由であり、父親が父親である理由であり、姉が、兄が、弟が、妹が、すべての家族において、家族だからという”絆”がある。

 ただそれだけだと、根拠も理由もない肯定。

 ラルアが悠馬からもらった勇気で、ラルアがリヴァイアサンにその勇気を押し付ける。

 そしてそれは、リヴァイアサンが無自覚にラルアへ娘といったことで肯定されたことと同義でもある。


『ふん。存外、悪くないものだな。血を分けただけで、父親か……。ふふ、ははははっ! 良い! 良い幕引きだ! 命の最後に、望みを得られた! 英傑よ、希望よ! 我を乗り越え得たものがこれか!

 命を賭して守るに値するものだな……。矮小な人間。そう侮っていた、それが敗因かもしれぬな……。

 ——よく聴け、人間! 我ら”龍王”は作られし存在だ! 我らは人間の業であり、罰である! 不倶戴天の敵と運命を定められた、それに見合う行動をする! 心して掛かれ! そして、命を燃やせ! 貴様らは美しい!』


 天を貫くように叫ぶリヴァイアサンの言葉が脳に染み渡る。分かりづらい笑みを浮かべ、満足そうな顔で、最後に泣きじゃくるラルアを見つめる。


『さらばだ、幼きも愛しい我が娘よ。我が得られなかったその絆を胸に抱きしめ、気高く生きよ。

 我の願いはラルア、お前に託す』


 その言葉を最後にリヴァイアサンは灰へと姿を変え、海へ還っていった。


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「”天羽々斬”をこんなにボロボロに……! どうやったらこんなになるのよ!?」


 夏美の叫びをベッドで聞きつつ、ジブい顔をする悠馬。

 刃こぼれに刃こぼれが重なり、”天羽々斬”の刀身は半分ほどに削れてしまっていた。リヴァイアサンとの戦闘が終わってから、数時間経ち、細かい傷から少しずつ消えていっているが、刀身の半分が削れてしまっては、さすがに悠馬の能力の影響で、独自回復していく”天羽々斬”でも時間がかかる。


「ESE回路がズタズタだし、刃はなくなってるし、あ! 芯まで削れてるじゃない!? なんで刀身まがってるのよ!?」

「め、面目ない……」


 ”天羽々斬”の調整から匙を投げたくなっている夏美が、嘆息しつつベットで横になっている、意識のない志雄に視線を送る。


「まったく……無茶しすぎなのよ。ESEの出力を最大にして、さらに全力の能力行使。体がもたないに決まってるわ……」

「ま、まあまあ、本郷さん……、志雄さんがいなかったら」

「わかってるわよ! 愛理! 悠馬にしっかりと、今回の反省点を叩き込んでおいて! ラルアちゃんは、ESEを調整するから私に渡してね?」


 怒る夏美に悠馬と愛理がたじたじになり、ラルアだけ無言でうなずく。

 ラルアにだけ優しく声をかけたことで、悠馬と志雄に怒っていることがはっきりと伝わってくる。

 それだけに怖い。誰も逆らえず、これでもかと首を縦にふる。


「でも、よかったわ。みんな生きていてくれて」


 消え入るようなその言葉に、全員が生還の喜びを噛みしめる。

 残念ながら、一人を除いて。


(なんとか倒せたのかもしれないけど、俺が最初に倒れた。負けると心が折れたのは間違いない。それがどれだけ大きいことか、わかっている……。気を使って誰も言わないだけだ)


 そんな悠馬の心を見透かしたように、愛理が悠馬を睨みつける。


「悠馬が一番最初に倒れたのは失態だよ。でも、総督が、ラルアちゃんがいてくれたから倒せた。今はそれでいいんだよ。——輪龍中佐。お疲れ様でした」


 見事な敬礼をしつつ、慈愛に満ちた目で見てくる愛理に、悠馬は心が軽くなることに気がついた。

 暖かな空気が流れる病室に、一瞬の間が生まれ、そのまま愛理が言葉を続ける。


「それに、”龍王”は単独で撃退することを期待されていません。足止めがせいぜい。ごく少数の人数で撃破できたことを喜ぶべきです。これは総督や、本郷大佐にも貢献でき、国を救った英雄でもあります。長くなし得なかった偉業を日本が達成した、その事実が、輪龍中佐の評価です」

「愛理……。すまない」

「すまないじゃないわよ、ありがとう、でしょ? どうして総督も悠馬もすぐに謝るのかしら? 愛理もそんな堅苦しい言い方しなくてもいいんじゃない?」


 責めるような視線を向ける夏美に悠馬は頭を下げ、愛理を揺れる瞳で見つめる。

 流れる汗と、早くなる心音を自覚し、目がぐるぐると回り始める。

 改めて言葉にしようとするとこんなにも気恥ずかしいものなのかと、心の中で思いながら、口を開く。


「あ、あり、がとう……」


 生暖かい視線が悠馬を射抜き、言葉でとどめを刺される。


「ゆう、かっこ悪い」

「ガハッ!」


 ラルアに言われたことが精神的ダメージが大きく、ベットに寝転び布団の中に潜り込む。

 そんな珍しい悠馬を見て、女性陣の笑い声が響き、布団の中で悠馬が煙を吹きそうなほど赤面する。


「……るっせェなァ」


 唐突に響く猛獣のような声に悠馬が自分の布団を引き剥がし、上体を起こす。


「志雄さん!? 大丈夫か!?」

「なんだ、てめェら。俺様の葬式か?」

「縁起の悪いこと言うなよ! いいから大人しく寝ててくれ!」


 落ち着きがなくなる一同に、志雄が舌打ちをして、鼻を鳴らし、口角をあげる。


「ハッ! よくやったじゃねェか、クソガキ。自分が、どう思おうが、結果は、結果だ。しっかりと、報告しとけよ」


 喋り終えた後に、小さく吐息をつく志雄に心配げな視線を向ける夏美。


「心配すんな、ちょっと体が重いだけだ。まァ、もう少し、休むけどよォ」

「絶対安静。今度は、動いたら殺すわ」

「あァ、わかってる。すまねェな」


 その言葉を最後に志雄は目を瞑り、寝息を立てる。


「ラルアちゃん、そろそろ戻ろ?」


 愛理が解散の空気を察してラルアの手を引き、立ち上がる。ラルアはその手を握り返し、悠馬へ視線を向け、躊躇いがちに微笑む。


「うん、ゆう。またくるね」

「ああ、気をつけてな。ゆっくり休めよ」


 悠馬も微笑を返し見送る。

 病室を出て行く愛理とラルアを見送り、夏美に視線を向ける。


「それで、俺と志雄さんの体は……」


 聞きずらいことだからこそ直球に質問を投げる。

 困ったような夏美に罪悪感を感じながら、視線を逸らさない。


「総督は、臓器の一部がやられているわ。義足のつなぎ目も壊死仕掛けていた。そこはどうにかできるかもしれないけど、臓器は無理ね。長期間の戦闘はもう、二度とできない」

「そう、か……。俺の、せいで」

「悠馬のせいじゃないわ。それに、悠馬も人のことを言えない状況よ。ESEを限界以上に使ったせいで、脳がショートしている。今も頭痛が絶えないはずよ。これはしばらく安静にすれば大丈夫だけど、後遺症は残るわ。おそらく体の一部の麻痺と、思考の空白があると思う……」


 実際に鈍器で殴られるような頭痛が絶え間なく襲ってきている悠馬は、自分の症状の重さに歯噛みする。

 戦闘には致命的な空白が生まれる可能性があり、麻痺した手足は私生活に支障が出てくるかもしれない。

 そうなってしまっては希望を背負い続けることはできないかもしれない。そう考えついたときに、夏美が口を開く。


「それでも、後遺症も今の症状も悠馬なら大丈夫だと思うわ。悠馬の再生能力で壊れた細胞を治して行くから、最小限に抑えられる」


 若干の躊躇いがある声音に、悠馬の希望が潰えないように不確かな情報を口にしたとわかる。

 そのことに感謝しつつ、深く頭を下げる。


「ありがとうございます。本郷さんがいなかったら、そう思うと震えますね」

「……冗談が言えるならよかったわ、もっと取り乱すと思ってた」

「覚悟はしてましたから。あの二人には、言わないでくれませんか? 心配を、かけてしまうので」

「……わかった。でも、無理はダメよ? 少しの間安静にすることも約束してね」


 夏美の静かな声に頷いて、ベットに横になり目を閉じる。

 頭が痛く、瞼を閉じた世界が回っているような気持ち悪さに襲われるが、無理にでも眠ろうと体から力を抜く。

 全力を尽くし、死力を振り絞り、命を賭け、勝ちをもぎ取った。

 【天災】は最後の最後まで”龍王”たる威厳を見せつけ、謎を残し、ただでは倒れなかった。

 リヴァイアサンの残した謎も、傷も、想いも、今は遠くへ置き、英雄たちは静かに休む。

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円環の希望と終末の龍王 働気新人 @neet9029

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