第21話 死地
無色不可視な槍により、圧縮された海水の槍が打ち払われる。
捌ききれない水の槍が悠馬の作り出した壁に当たり、威力が弱まったことで霧散。
見えない足場を蹴り悠馬が高速でリヴァイアサンへと駆ける。
リヴァイアサンからすると小さな羽虫のような悠馬に向かって、海から魔手がはい出てくる。
悠馬に狙いを定め、蛇のようにのたくって迫る魔手を、”天羽々斬”で迎撃する。
一振りで風を起こし、魔手を一刀のもとに切り伏せようと風を薙ぐ。
海水の魔手に触れた”天羽々斬”が弾かれ、悠馬は勢いに任せて後ろに大きく距離を取る。
海水の魔手から逃れたところに、海龍種、しかも古龍が海面から飛び出してくる。
人を三人は丸呑みできそうな口と、悠馬が腕を回しても到底足りない太さの胴。恐ろしい膂力も相まって、そこにいるだけで今日足りえる怪物。
それが同時に三匹。
一匹を空間固定の盾で防ぎ、一匹は顎を引き裂き、一匹は滞空させていた空気の槍にぶつかっていき風穴が空く。
「次から次へと!」
叫びながら距離を開くのはまずいと判断し、前に飛び出す。
海水の魔手、海龍種、圧縮された水の槍が同時に優馬を襲う。
海水の魔手を避け、海龍種を叩き切り、水の槍により腹に風穴が開く。
まともに受け体の芯がブレ、足場が消え、海に落ちていく。
悠馬が落ちる海は紫色の毒々しい色をした、リヴァイアサンの領地。
白熱する思考で新しい足場を生み出し、負担が増すことも構わず志雄の位置まで、空気の圧縮と爆発を繰り返し後退する。
「ぐッ……、ごほっ!」
内臓が傷付き吐血し、傷口から血が止め処なく溢れ出る。
傷口を筋肉で無理矢理止血し、再生までの時間を稼ぐ。
モード【クリミナル】を使った悠馬の再生能力は跳ね上がり、致命傷でなければ問題なく活動できるほどまで高まっているが、大人の腕ほどある風穴は、どう見ても致命傷だった。
ラルアのモード【サクリファイス】と同系統の能力。
“ESE”による潜在能力の発現とは別種のものであり、研究体にしか使えない禁忌。
研究体の体に組み込まれている”龍王”の遺伝子。それに働きかけ、一時的に”龍王”と同種の存在として身体能力や、特殊な能力を爆発的に飛躍させるもの。
思考の汚染や、体への負担が能力の上昇と比例して上がるため、長時間の使用ができない代物。
このコードを使えるものは【龍王の直系】と呼ばれ、忌み嫌われる。そして、【龍王の直系】である悠馬の能力は『怠惰』、ただ一言で呼ばれる。
(反動が来てるッ! 体が、重い……。『怠惰』を使っても、まだ、遠いッ……! 遠すぎる、これが、”龍王”!)
たった数合で致命傷を受け、戦慄を覚える。
どうしようもなく遠い。手が届かない。諦めという絶望が背後から歩み寄ってくるのが聞こえる。
命を手放し、希望を投げ出せば苦しみから解放され、楽になれる。そんな思考が脳裏を掠める。
ズドォンッ!!!! 雷鳴とは違う。轟音が聞こえた瞬間、悠馬に襲い掛かろうとしていた海龍種の一匹が吹き飛ぶ。
「悠馬中佐! 総督をこちらに! 早くしてっ!」
「あ、いり! どうして、ここに!」
音の方を反射的に振り返ると、銃口から煙を上げる大型のスナイパーライフルを構える愛理がいた。
話し方が混ざってる。愛理の瞳が揺れ、判断に迷う。次弾を装填する手の動きがやけに緩慢だ。
悠馬の惨状、倒れる志雄、圧倒的存在感の『嫉妬」の”龍王”。
未知の恐怖に犯される愛理。実は悠馬の腹が貫かれる前から戦場を見ていた。指先まで動かないほどの圧迫感のなか、勇気を奮い立たせ、何も出来なかった恥を、罪悪感を、守らなければいけないものを総動員し、世界の【天災】。不倶戴天の敵の前に立つ資格をもぎ取った。
エルピスですらない、ただ戦場に立てるだけの少女が足を震えさせ、瞳を揺らし、それでも闘志は消さず、私は守るとまだ叫ぶ。
自分よりも弱く、守らなければいけないと思っていた相手。
彼女が立ち上がり、立ち向かっているのにどうして自分は膝を屈していられるのか。どうして猛り、勇ましく戦わないのか。愛理が、志雄が、都市が諦めていないのに、自分が諦められるのか!
傷口から血が溢れることも厭わず、立ち上がり、剣を構える。
傷口から命が溢れ出ている。手足は冷たい。頭は灼熱に犯されたように燃えたぎり、同時に鉛を流し込まれたように重い。視界は赤く染まり、鼻は血が溢れる匂いを感じる機能を失っている。だが、まだ立てる、動ける。
悠馬が、エルピスが、希望の光が誰よりも先に立たなくてはどうするのだと自分を鼓舞し、敵を睨みつける。
『また、目が変わったようだな。戦いで学び、死地で怯え、死線を超え、仲間と共に希望を見出し、立ち上がる。
——卑しい、妬ましい、憎たらしい、悍ましい、腹立たしい、羨ましい!!!!
人間の光が! 人間という種が! 人間という淘汰されるべき存在が! 人間という弱く、脆い者たちが! 我は貴様ら人間が心の底から欲しい!』
叫びを上げ、癇癪を起こしたようにのたくり周るリヴァイアサンの言葉に悠馬は打ち震える。
『嫉妬』の名を冠する”龍王”その理由の一端を垣間見た瞬間、戦慄する。
嫉妬とは嫉み妬む。自分が持ち得ないものを他人が持ち合わせていることを妬む、虚しい事である。
それに気づいた時悠馬の心に寂しさが去来する。
「悲しいな、リヴァイアサン。
『……?』
ふらつく足で地面を踏みしめ、万感の思いを込めて、語りかける。
「お前は、生まれながらに何もかも持っていたのかもしれない。他の追随を許さない強さ、確固たる自我、最上の能力。
でも——」
『やめろッ……! やめろ、小僧ッ!』
「——お前は、絆だけは持っていなかったんだな」
『貴様ぁ!! それ以上口を開くな!!』
激震が走る。
凄まじい量の海水がセイレーンを襲う。
見上げるほど高く、呆れるほど膨大な量の水。呑まれれば命などなく、人間という矮小で脆弱な種族には対処できない【天災】。
なりふり構わず、全てを無に還すことに全霊を振り絞った、絶望の体現者が津波という考えうる最悪の手段に踏み切る。
——現在、地球という生命に溢れていた星の9割は海に支配された。
だが、地球が生まれる前からこの世界全てを支配しているものがある。
それは『空間』。全てのものに適用されるもので、万物を支配するものでもある。
空間系の能力者が重宝される理由に含まれるもので、最強と呼ばれる所以。
この世界全てに干渉でき、あらゆる状況でも希望の光が潰えないことが挙げられる。
つまり、絶望的なこの瞬間、対抗出来る存在がこの場にいる。
愛理の悲観に染まった顔を幻視した。志雄の焦った顔を幻視した。夏美の悲しみに染まった顔を幻視した。都市の人々が泣き崩れる瞬間を幻視した。——ラルアの笑顔を思い描いた。
「ここで死んでらんねぇんだよ!!!!」
思いが爆発し、視界全体に見えない壁を生み出し、数万トンの海水に対抗する。
拮抗は一瞬、結果は直後。
打ち砕かれた空気の壁。悠馬は負けじと空気の槍を撃ち放つ。津波の勢いを削ぎ、もう一度壁を生み出す。
視界は赤と白で明滅し、思考が焼き切れる。体の穴という穴から血が吹き出し、脳が限界を叫ぶ。
腹の風穴からは止め処なく血が溢れ、意識を容赦なく奪おうと画策してくる。
うるさい、主張するな、黙っていろ。
やめろと叫ぶ本能を押しとどめ、理性で無理を続行する。
見るのは、皆。志雄、夏美、愛理、都市の人々、ラルア。
志雄に叩き込まれた全てを思い返し、夏美に止められたことをしている罪悪感が湧き出し、愛理と過ごした幸せな日々を振り返り、都市のみんなの希望に背中を押され、ラルアを守ると誓った心を奮い立たせる。
「無理も承知! これくらいやらなくて、守れるかよ!!!!」
唇を噛み切り、意識を持っていかれるのを無理やり防ぐ。
空気の壁を作り続け、槍で勢いを削ぎ落とし、風を生み出し前進を妨げる。
津波の勢いは削り、壁に阻まれ虚しく消える。
残ったのは満身創痍の悠馬と、怒り狂ったリヴァイアサン。
だが、悠馬は超再生で傷を回復させ続け、致命傷だけが残る。
その致命傷も、大怪我程度まで回復されており、体だけ見れば戦闘は続行可能だった。
中身はぐちゃぐちゃになり、立っていることも、やっとな状態。全身の骨には負荷によるヒビが入り、強制的に限界以上の処理を掛けた脳は今にも意識を手放しそうになっている。
限界。
素人目に見ても誰もがそう判断しただろう。医者が見れば今すぐ最高の治療をもたらし、全霊を掛けても助かるか五分五分と言ったところ。
最悪な調子。そんな状態で悠馬の心は最高に昂っていた。血に塗れた口は獰猛な笑みを浮かべ、充血し、焦点の合わない目はそれでも闘志を消さない。
足は今にも崩れ落ちそうだが、地面を踏みしめ、立っている。
これでいい、これがいい。人生で最高に気分がいい。
脳内麻薬が溢れ出し、前に進む足を止めてくれない。
「悠馬ぁ!!」
遠くからぼんやりと愛理の声が聞こえた気がした。
「クソ、ガキがァ……。それ、以上は、死ぬぞォ」
小さく、呻くような志雄の声が聞こえた気がした。
『招来せよ。我が呼び声に応じ、かの暴虐龍の力をこの手に。失墜せよ、虚しい玉座についた王よ! ——覚醒せよ、暴虐王の剛爪』
守ると誓った、小さく、弱い少女の、強かな戦意に満ち溢れた声が聞こえた。
立て、奮い立て、顔を上げろ、——明日を見よ。
厳しくそう言うような想いの込められた、制限解除の文言。
「——まだ、なにを、すればいいか、わからない、けどっ!
わたしは、迷わない!! 戦うしか、出来ないからっ! そのために生まれたから!!
コード、【羅刹】、【嫉妬の眷属】! 太陽は、また登る! 人の、願いを込められた、この体で、わた、しは、あなたを乗り越える!
運命を、もう、受け入れない! わたし、は、ゆうと明日が見たいっ!! わたしは、天塚ラルア! ゆうの重荷を、一緒に、背負いたい!!!!」
悠馬達の名乗りを見ていたラルアから発せられる魂の咆哮。赤黒い光を纏い、太陽が、顕現する。
否、それは太陽と呼ぶには黒く、禍々しい光だったが、太陽と呼ぶにふさわしい優しさが滲み出ている、そんな光だった。
そして、少女は小さな体を震わせ、静かに目を閉じ、世界を恨んでいた過去、明日に希望を見た今、誰もが笑い合える未来を夢想し、叫ぶ。
運命に抗い、未来へ必死に手を伸ばそうとするそんな声で。
『呼応せよ。我はかの”龍王”の生贄なり。刮目せよ。これは人類の闇なり。慟哭せよ。我らが咎はここにあり。——再来せよ、モード【サクリファイス】』
その呟きと共に変化するブレスレット。少女の体には不釣り合いな剛爪へと生物的な動きで変わっていく。
体の周りには戦いの余波で陸上に上がっていた水を浮遊させ、小さく、鋭い槍を数多生み出し、愛らしい瞳に憤怒と敵意を込めてリヴァイアサンを睨みつける。
『その目、その態度、そしてその想い!!!! 血を分け、同じ生まれの我が眷属よ! 何故、我が持たないものを貴様が持つのだ!! ふざけるな、妬ましい、憎らしい、忌々しい、腹立たしい、馬鹿馬鹿しい、もどかしい、苛立たしい、羨ましい、美しいっ——!』
怒り狂うリヴァイアサンに応じるように、海が、空が、大気が悲鳴を上げる。雷鳴が轟き、あちこちに落雷が起き、海は渦を巻き、猛々しい波が立ち、大気は風を吹かせ、万物を吹き飛ばさんとしてくる。
その絶対的な存在感を前に、ラルアは静かに目を閉じ、開く。
目を閉じた一瞬になにを見たのか、本人以外はわからないことだが、覚悟を決めた目をする。
死地へと飛び込む、英雄の目。
その一端へ指をかけ、爪を擦らせ、精一杯の威嚇と、自分の心を叱咤し、誰よりも先を見る。
「邪魔、しないで!! ここ、は……あなたが、来ていいところじゃない!!!!」
叫ぶと同時に弾丸の如く体を射出したラルアを悠馬は止められなかった——。
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