第20話 死闘
都市全体が振動するほどの衝撃が走る志雄まで届く。
舌打ちをしながら、全力で走り続ける。
地面につくたびに足から帰ってくる感覚が鈍いのを感じる。
頭がわずかにぼうっとする上に、口の中に血の味がする。
鈍い感覚のせいで奥歯を噛み砕いたらしい。それほどまでに強力な鎮痛剤を作り、志雄を戦える程度の適量を正確に打った夏美の実力に舌を巻く。
逸る気持ちを抑えるように懐にしまった志雄個人の”ESE”を触る。感触を確かめ、懐から手を抜き、足に力を籠め、速度を上げる。
「死ぬんじゃねェぞ、悠馬ァ!!」
限界に近い体を無理やりに動かしている自覚も、体感もある。
叫びでごまかし、”ESE”の応用で体の感覚が鈍いのを無視して動かす。
体の電気信号を意識的に操作する。”ESE”の精密な操作が必要となり、これができる者はごく一部しかいない。
絶望と希望がぶつかるその瞬間に、光義志雄も戦場へとたどり着き、叫ぶ。
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変貌した”天羽々斬”と、リヴァイアサンのブレスが衝突する。
”天羽々斬”の周りの空間を補強し、鋭く、より硬く鍛え上げた異形の刀と、数トンの質量を圧縮した『最強の矛』が激突する。
体が粉々になったかのような衝撃が刀から背中に抜けていく。
音も色も遠くなった悠馬の視界。周りだけではなく、自分の動きまで緩慢なことに腹が立つ。
持っていかれそうになる腕を、巧みな技術で押さえつける。
砕かれる空間固定を瞬時に直し、砕かれる。”天羽々斬”がわずかに削られていくのを感じる。削られながら再生する”天羽々斬”と断裂した先から再生していく筋肉。
飛び散るブレスが後ろの空間固定の盾にあたり、空間が歪み続けるのを感じる。
そちらに意識を割く余裕がなく、穴が開いていくのが分かる。
その穴から、ブレスの飛沫が都市を襲い、水の一滴一滴の大きさの穴が無数に開いていく。
途方もない威力のブレス。今まで砕かれても時間がかかっていた空間固定がほとんど意味をなしていない。
飛沫でこれだ。直に食らっている悠馬は世界の終焉を疑似的に味わっている。
自慢の再生力で何とか保っている。しかし、現状が揺るぎ、今にも弾き飛ばされそうな”天羽々斬”がなくなれば、いかに悠馬とて即死する。
体が粉々になり、一瞬で意識が掻き消え、再生もできず肉片へと変わる。
自分の死を幻視した悠馬の背筋に冷たい汗が流れる。
『ほう、よくやる……。矮小な存在が』
リヴァイアサンの低く。原始的な感情を湧きあがらせる声が響いた気がした。
悠馬の幻聴だったのか。それとも現実だったかは悠馬はわからない。
意識がそれを必要のないものと判断する。
刀を握り直す暇も、瞬きもする暇も。意識を割く暇も存在しない。
そんな余分なことをした瞬間に死ぬことを確信し、自分のすべてを賭して目の前の死に抗う。
『招来せよ! 我が呼び声に応じ、人類の禁忌をこの手に! 失墜せよ! 人の深淵を覗き超えるものよ! ——覚醒せよ! 明けの明星』
叫びが、人の光が、希望が、夜明けのごとく聞く人に力を与える声が悠馬の耳に届き、視界に音と、色が戻ってくる。それと同時に翡翠色のまばゆい輝きが移る。
飛び込むのは日本を背負った男の背中。
誰よりも鮮烈に、誰よりも前を走り続ける英雄の背中。その背中を追い求める悠馬にとって、その光景はどれだけ眩しかったことか。
盛大に揺れる、首に掛けられた志雄の”ESE”。緑色の小さな勾玉。”八尺瓊勾玉”。古代の神話に存在する神器の名を宿す。光義志雄専用の”ESE”であり、それを持つということは、志雄がエルピスとして全力を出すということが同義である。
——光義志雄の能力は実にシンプルだ。絶対防壁。そう呼ばれる能力の実状は物質支配。この世に非ざる硬度まで物質を引き挙げられる。その逆もしかりで、触れている物質の硬度を自在に操ることができる。
”ESE”によって発言する能力には数種類のものが存在する。
——【把握】【修正】【変化】【操作】【支配】の五つに分類される。各エルピスの能力は基本【支配】系と呼ばれる能力形態の究極系を発現している。
空間系の能力者はごく少数であり、悠馬の【空間操作】は歴史上初の能力でもあった。空間系の能力はあらゆることに重宝される。理由は【把握】系では気配察知や、調査、諜報に最大級の適才が。【修正】系では足場や、道具の補強に、【変化】系ではこれらに加え、空間自体を変化させ、空気をなくしたり、霧を発生させたりと戦闘に多大なる恩恵が。【操作】系ではあらゆる空間を自由自在に操り、足場を生み出し、見えざる壁を生成し、何物をも切り裂く見えない刃を作り上げ、人類の希望に。【支配】系は発現した者がおらず、謎に包まれているが、研究者の意見では、世界を新たに創造するとまで言われている——。
能力は千差万別あるが、【操作】と【支配】系は生活と戦闘どちらにも多大なる貢献ができるため、人類の宝とされている。
志雄の能力は決して強いものでも、希少なものでもない。だが、志雄はその能力の究極系であり、希少な能力ではない物質系の能力でエルピスまで上り詰めた秀才。
希少でもない能力で人類の希望になり、戦闘に向いているとはお世辞にも言えなかった能力でほとんどの”龍王”と対峙し、生き残った強者。あらゆる人間がその姿を目に焼き付け、胸の中に火を灯し、自分もなにかできることを探し、日本だけにとどまらず、海外の人たちの意識すら一つにまとめ上げた、《本物の英雄》。
英雄の全力が、悠馬の目の前で惜しげもなく見せられる。
死を幻視までした悠馬が受けていた世界の終焉を、志雄が持つ2本のナイフに防がれる。悠馬の能力で生み出された足場をさらに硬化させ、力を籠める。
ナイフに罅が入ったと同時に、悠馬がナイフを補強し、さっきまでも続けていた空間固定の盾をブレスにぶつけ続ける。
(ブレスを受けてからどれだけ経ったんだ!? 何秒だ!? 何分だ!?)
悠馬の中に焦燥がこみあげてくる。
極限の集中が切れ、雑念があふれ出てくる。
志雄の硬化が破られ、ナイフが折れる。ブレスが志雄に迫る寸前に”天羽々斬”が差し込まれ、”天羽々斬”と悠馬の体の間に志雄が挟まれる形になる。
一瞬志雄が驚いた表情を浮かべるが、体が勝手に動き、”天羽々斬”に手を添える。
硬化が働き、悠馬の能力と掛け合わさり、ブレスを防ぐ。
長い、長すぎる。滅殺の意思が込められた攻撃が永遠に感じるほど長く、悠馬と志雄をむしばむ。
「悠馬ァ! 気張れよ! ここが正念場だ!」
「言われ、なくても!!」
叫び合い、息を合わせ、空間固定と物質硬化がまじりあい、歪な空間の歪みが生まれる。
現存する最高戦力の一角、その二人の力をもって拮抗すらできず、徐々に押されていく。後ろに展開していた崩壊寸前の広範囲な盾がすぐそこにまで来ている。
だが二人は直感で感じていた。今この瞬間ですら少しの気の緩みで五体がはじけ飛び、都市を崩壊させて余りある威力を秘めている。
だが、もう少しでブレスが終わる、それを二人は直感した。
直感でしかないが、不思議な確信があった。死線が遠ざかり、肌がひり付き、脳が焼き切れるような感覚が遠ざかるような、根拠もない感覚。
途方もない時間が過ぎたような、瞬きの時間しか過ぎていないような。奥歯を割れんばかりに噛み締め、砕けた奥歯をかみしめ、耐える。
骨が悲鳴を上げ、筋肉が限界を叫ぶ。視界は白く明滅し、内臓がかき混ぜられる。
悠馬の体に深い傷が生まれてはその場で消えていく。空間操作の応用で行われる超速再生。細胞を空間と定義し、無事な細胞を活性化させ、傷を消していく。
志雄は体を高質化させ続け、傷を最小限に抑え続ける。
圧縮された水が肌を浅く切りつけ、血が噴き出し、視界がゆっくりと斑に染まる。
『ククク、はっはっはっ! 愉快! 実に愉快だ! 初めてだ! 我のブレスを止め切ったのは!! ははは! 痛快至極とはまさにこのことなり! 張り合いがないと思っていた! 他の”龍王”との小競り合いですらこのブレスは逸らされることはあっても、正面から止められたのは初めてだ!!』
世界の終焉を止め切った二人へ、現世界の覇者が、海の覇王が、小さな英雄たちへ心から楽しそうに、喜びを送る。
「はぁっ……はぁっ……!」
「生き、てるよなァ!?」
志雄に答えるように悠馬は”天羽々斬”を杖にして立ち上がる。
ひどく消耗した二人が肩で息をしながらリヴァイアサンをにらみ上げる。
『たった一合。矛を交えてその消耗! しかし、意気込み、気概どちらもよし! 我の前に立つにふさわしい! 侮り、見下したことを心より謝罪しよう! 我の血を分けし娘さえなければ、この争いに終止符を打つことすらためらわれる! 血沸き、心躍る、肉を削り、命を燃やす死闘! 何時振りか!? 心が満たされるこの感覚! 良い!』
リヴァイアサンの殺気立つ闘志があふれ出し、二人を襲う。
たった数十秒の一合、それで限界まで削られた二人には重苦しく絡めつく。
志雄の義足は血で濡れ、目や鼻、耳といった穴といった穴から血があふれ出す。
悠馬は脳の限界で顔が血で顔が赤黒く染まる。
意識は途切れ途切れになり、立ってることすらやっとだ。
『【円環の希望】輪龍悠馬、【明けの明星】光義志雄。貴様らと矛を交えたことを我は、誇りに思おう。本物の英雄と矛を交え、そのうえで我が勝つことも、すべて噛み締めよう。我に殺されることを誇りに思い、海に眠れ』
静かな声と同時に、息を整えることすら許されない二人へ、この世界のほとんどを占める海が牙をむく。
12の渦が天まで轟き、海龍種たちが嘶きを上げ、無数の眼球が蠢き、”死”が顕現する。
殺意のみを抱いていたリヴァイアサンが、自分にふさわしい好敵手として認め、戦意を、”龍王”の誇りを、すべての力を開放し、今まで抑えていた【暴虐の”龍王”】の全力全霊である。
その余波だけで都市が震え、海は怯え、空は慄き、世界が戦慄する。
渦だけではなく水の槍が数百と生み出され、数トンに及ぶ海水を鎧のように纏い、槍が色を変え、酸に、毒に、あらゆる液体に変化していく。
海水の壁が生み出され、海龍種にも同じように鎧が生み出され、牙を海水が包み込み、より硬く、より鋭くさせる。
海龍種による一つの軍隊が完成される。
軍隊とは一つの世界であり、確立された価値観と、理解できない倫理観により、一つの断絶された世界でもある。それを生み出せることが液体系の能力の究極体である液体支配。その能力の一端が見える。
意のままに海水を操り、液体自体を変化させる。
リヴァイアサンは直情的な性質に見えるが、内実は冷静かつ、広い視野をもって戦況を操作し、能力を変幻自在に操り、臨機応変に支配し続ける。
海を支配下に置いたリヴァイアサンの周りに出来上がる数百の液体の槍と、海水の壁、海流の鎧により、海に出来上がる海水の城が生み出される。
兵と城を揃え、二人への最大限の敬意を示す。
「悠馬ァ、俺様は、もう使い物にならねェ。大一番の正念場を、超えたつもりだったんだが、これからが本番見てェだ……」
「ああ、わかってるよ志雄さん。もともと戦えるような体じゃないだろ? 俺に任せとけ」
「ガキが、背伸びしてんじゃねェよ。足、震えてんぜ? ダァホが」
「ハッ! 武者震いだ、ドアホ」
いつもの通りだと言い聞かせるように軽い声音。震える体をごまかし、再生した体を確認する。
「これ以上制限解除したら俺様は死ぬらしい。それに、夏美と約束しちまったからよ。これ以上は、無理だ」
そう口にし、制限解除を止める志雄。自分の体の限界を感じ、足を引っ張るだけと判断し、表情には微塵も出さず、不安にならないように悠馬を笑って見送る。
戦場で二人はほとんど一緒になったことがなかった。悠馬の実力を正確に把握しているつもりだった志雄は、認識を改めていた。
いつの間にか大きくなった背中を見つめ、体中を苛む激痛を押し込め笑う。
「おい、悠馬。——死ぬなよ」
「——ああ」
短いやり取り。それだけで意思を疎通し、悠馬は単騎で【暴虐の”龍王”】と対峙する。
『一人か?』
低く重苦しい問いかけ。
「ああ、お前くらい一人で片付けないと、希望を背負うのには足りないんだよ」
『ククク、言いよる。ならば、やって見せよ! 来るがいい、英傑よ! 超えて見せよ、我が最大の試練である!』
リヴァイアサンが用意していた液体の槍をすべて射出する。それ一つで都市に多大な痛手を与えられる威力を秘めた攻撃。
波がうねり、渦が迫り、電が狙いを定め、海龍種が攻め込んでくる。
”天羽々斬”を振り上げ、駆ける。
「”天羽々斬”!! 頼むぞ!」
悠馬の掛け声に呼応するように強く脈動した”天羽々斬”が、悠馬の意思に答えるようにゆがみ始める。
悠馬の周りも意志に応じ、歪み固まる。
リヴァイアサンを真似て、見えない槍を生み出し、空気の壁を作り出し、鎧のように空気をまとい、風が渦巻き、悠馬を囲む。
槍に槍を、渦に渦を、同時に体を予備動作なしで射出する。
海龍種の頭を正確無比な剣技で切り落としていく。
繊細かつ失敗は許されない状況下で、次々と血の花が咲く。
「あいつ、笑いやがって……。どうしようもねェとこが似ちまったな……」
意識を失う直前の志雄の呟きが戦闘の轟音にかき消される。
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