第19話 再戦

「輪龍中佐! ”天羽々斬”の調整、整備完了しています!」


 研究員が顔を出して、悠馬に叫ぶ。

 差し出された”天羽々斬”を、悠馬が受け取る。

 感触を確かめて、すぐに研究員にうなずく。


「ありがとう」


 ただ一言で、研究員が自分の仕事をかみしめた表情で頭を下げて、せわしなく奥へ引っ込んでいく。

 彼には彼のやることがあって、悠馬には悠馬のやることがある。役割を確認して、悠馬は走り出す。


「輪龍さん! 死なないで!」「頼んだぞ!」「中佐! 生きて!」


 街を走れば避難している人からいろいろな声が聞こえる。悲観する色や、諦めの色を、希望を込め、老若男女を問わず、悠馬に声援を送る。

 ただ手を挙げて走り去っていく。かけられた期待に、視線に込められた気持ちに、任された責任に、すべて答えられると思っていない。

 自分はちっぽけな存在だ。それをわかっている悠馬は、わずかに体が震える。

 それでも、明日を、未来を見るために足を踏み出すのを、人はやめられない。

 立ち止まりたい、うずくまりたい。それを良しとせず、また立ち上がり、歩き出す。そうすれば、必ず明日は見れる。


「志雄さんの言葉は、効くな……」


 光義志雄の言葉を、悠真がエルピスになった時に送られたその言葉を、心に反芻しながら駆ける。

 警報が鳴る。頭の中に響き渡る。

 体がこれ以上行くなと止める。理性はそれでも前に進めと吠える。”龍王”の威圧感と、絶望感を思い出し、恐怖が張り付いて離れない。


『わたしは、いちゃ、いけない子』


 脳裏を過る。

 言葉が、下手くそな泣き顔が、死んで当然だと込められた声が。その全てを飲み込み、悠馬が前を睨みつける。


 再会する。


 広大な海を根城にする化け物と。何者も飲み込んでしまいそうな顎、不気味に蠢く蛇のような肢体、黄色に光る猛禽類のような瞳。

 体に浮かぶ大量の歪な眼球、意味をなさない体に不釣り合いな複数生えた手。


 ——異形。


 この世のありとあらゆる生物の系統樹から完全に外れた容姿。様々な生物を無理やり繋げて作ったような、その姿に、生物としての拒否感、恐怖が体の奥から溢れ出してくる。


『小僧、我は貴様を殺す。そのために、来てやったぞ!!』


 地獄の門が開くような低い声が、殺意が突風のように悠馬を打つ。

 その突風を浴びて、震える体を心で制して、悠馬は獰猛な笑う。


「やれるもんならやってみな。お前みたいに図体ばっかでかい、気持ち悪いストーカーとは格が違ぇんだよ!!」


 ただの威勢の良い啖呵だ。膝が震えるのを止められなかった。指が恐怖に揺れるのを止められなかった。笑った顔は引きつっている。しかし、目だけは不屈に燃える。

 稲光が降り注ぐ中、リヴァイアサンが目を細める。


『……恐怖に震えている。みっともなく、な。だが、その気概だけは認めてやろう! 掛かってくるがいい! 我も人のように名乗ってやろう!

 ——我は海を総べる海王種の頂点! 破壊をもたらし、絶滅の波を貴様らに送ろう! 我こそは《嫉妬》の”龍王”リヴァイアサンである! 英雄よ! 世界を守る楔の役割を担いし者よ、来るがいい! 今、この瞬間、この場所が、貴様らの未来を決める分水嶺である!』


 敵意の眼差しが、殺意が、圧倒的な絶望が、悠馬1人に突き刺さる。

 突風が巻き起こり、竜巻が海を吸い上げ、波が蠢き、雷鳴が轟き、リヴァイアサンの周りに海龍種の古龍や成龍が現れ、王を見やり首をもたげる。

 リヴァイアサンの気迫に気圧されそうになる悠馬の頭には、守るべき大切なものが現れては消えていく。


 最後に、守ると決めた少女の姿が思い浮かぶ。


『わたしは、守られる、価値なんて……ない』


 悲痛に歪んだ表情と、声を聞いて、悠馬の心が震える。

 思いのままに叫び、リヴァイアサンを睨みつける。


「いいや! 俺が守ってやる! 全てを守り切って、みんなが笑う未来を手繰り寄せる!

 ——人類の希望! 明けの明星! 列島諸島連合国家”日本”が誇る”希望”——エルピス! 【円環の希望】輪龍悠馬! 参る!」


 “天羽々斬”を抜き放った悠馬がさらに叫ぶ。


『招来せよ! 我が呼び声に応じ、円環の理をこの手に! 失墜せよ! 虚空に浮かぶ虚無に座する王よ! ——覚醒せよ、無限龍の円環』


 獰猛に笑うリヴァイアサンと、黒い光に包まれる悠馬。

 死闘を覚悟し、最初から全霊を掛けて制限解除をする。

 想うは、最も背中を見てきた人。思い出すのは最も背中を見せてきた子。過るのは最も世話をかけた人。焼き付けるのはこれから生き様を見せていく、小さな子。

 自分が死のうが、全てを守り通す覚悟。

 それを自覚した瞬間、体から震えが消え、恐怖が消える。


「——行くぞッ!」


 黒い光が晴れた悠馬の体が弾丸のような速度で射出される。

 空間操作の応用で、固定した空間を足裏に、その空間ごと押し出すように圧縮させた空間を爆発させ予備動作なしで高速で移動する。

 音を置き去りにし、縦横無尽に駆け回る。


『英雄よ! 希望よ! 来い! その尽くを討ち滅ぼそう! かつての希望のように!!』


 目を見開き迎撃のために渦を巻き、海を震わせるリヴァイアサンと、今ぶつかる。


          ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎


「夏美ィ! 始まっちまった! 早くしろ!」

「待って! これを打ったら行っていいから!」


 志雄が焦りが見える怒鳴り声をあげ、夏美がその声をたしなめながら、注射をうつ。

 鎮痛剤、麻酔、止血剤様々な薬を志雄に打ち、なんとか戦闘を行えると体に嘘をつかせる作業を終わらせる。


「必ず、2分以上は制限解除をしないでね。それ以上は死ぬ」


 重苦しい夏美の声が悠馬とリヴァイアサンの戦闘で揺れる病室に響き、消える。

 息を飲んだ志雄が獰猛に笑い、真っ白な病室から色が消えたような錯覚を夏美が覚え、目を見開く。


「——安心しろ。俺様がいくんだ2分もかからねェよ」

「……わかったわ。行ってらっしゃい」

「ああァ」


 短い会話で、万感の信頼とわずかな心配を込めて志雄を送り出す。

 夏美の口元は困ったような笑みを浮かべ、志雄は猛獣のような獰猛な笑いを浮かべて、立ち上がる。


「総督、これ持って行って」


 忘れてたように、渡したくなかったもののように、恐る恐る夏美が懐から取り出すものを、驚いたように受け取る。


「こ、れは……」

「これならあなたも本気で戦えるでしょ?」


 渡されたものを握りしめ、感触を確かめ、懐にしまい込む。


「すまねェ」


 一言残し、駆け出す志雄の背中を見てため息ひとつ。


「こういう時は、すまんじゃなくて、ありがとうよ。全く、変わらないのね……」


          ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎


『何も変わっていない! 我に打倒された時から! 意識が変わっても、意味などない!』


 リヴァイアサンの周りを駆け回る悠馬に憎しみをぶつける。

 羽虫同然の大きさの悠馬を、それこそ羽虫のように攻撃していく。

 渦がかすめ、身体中の眼球が動きを捉え、それに合わせて大小ある無数の手が進路を塞ぎ、稲光が焼き焦がそうと狙いを定め、大振りの尻尾の払い落としが命を刈り取ろうと降ってくる。

 悠馬はそれを足場を生み出し急旋回で避け、斬撃で眼球を潰し、肉を抉られながら退路を生み出し、空間を固定して尻尾を外らせる。

 高速で動き回りながら、判断を下し、一瞬でやってくる答え合わせをかいくぐる。


「お前も変わらない! 単調な攻撃だけだ! どうした!? この程度か!?」


 挑発し、眼球を一つつぶす。いくつあるか数えたくもない量の眼球をひとつひとつ潰していく。

 以上に固く、刃の角度を間違えれば潰すに至らない。

 ゴムのような岩のような、不思議な感触が”天羽々斬”から帰ってくるたびに神経がすり減っていくのがわかる。

 それをリヴァイアサンは感じ取っているのだろう、眼球を潰した直後に周りの手が四方八方から降ってくる。

 脳内で空間の座標を指定、空間を固定し、即席の盾を作り上げて一瞬の隙を作るうちに死地から抜け出す。


(海龍種すら止められる空間固定の盾を一瞬か。どれだけの破壊力があの歪な手にあるんだっ……)


 密かに戦慄するが、悠馬は表情に微塵も出さず、不敵に笑い、高速で駆け巡る。


(捕まっても、掠っても、死ぬなこれは)


 汗を拭うことも、立ち止まることも許されない緊張の中、頭を巡らせる。

 何度切ろうが突破できない鱗の鎧と、一瞬でも気を緩めれば飲み込まれる海という矛。

 最硬の鎧と最強の矛を持ち合わせた、個体戦闘力最大級の”龍王”が鎌首を持ち上げる。

 来る。その予感がよぎり、体の産毛が逆立つ感覚を覚えながら正面から立ち向かう。


「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 瞬間、破壊が顕現する。


 リヴァイアサンの口腔に溜め込まれた水が、稲光の反射で怪しく光る。まともに受けたら間違いなく肢体が吹き飛び、即死する。

 その予感に駆られ、悠馬はリヴァイアサンの口腔から、自分の目の前の空間を固定し、盾を作り出し、即座に距離を取り、さらに空間を圧縮し、強度を補強し、被害がないように自分の後ろにまで盾を生み出す。


「ブっ!?」


 ガツンと頭を横殴りにされたような衝撃が悠馬に走り、口元を押さえた手を見ると、悠馬の鼻血で赤黒く染まっている。

 座標指定、空間固定、圧縮を広範囲かつ、高速で行ったことによる脳のオーバーヒート。

 目からは血涙が溢れ出し、止め処なく鼻血が溢れ出る。

 目は霞み、意識が朦朧とするのを、覚悟で押しとどめる悠馬の顔は下半分以上、自分の血で壮絶な状況になっていた。

 それでも止められないと、今ここで死ぬことだけは許されないと、それだけで空間操作を止めない。


『これが、世界の終焉である。刮目するがいい英雄よ。貴様らに明日はない』


 音が、世界が遠く聞こえ、視界がゆっくりと流れていく。

 リヴァイアサンの口腔に溜め込まれた水が圧縮を繰り返し、鋼をも断ち切る最高峰の劔へと変わっていく。わずかに仰け反ったリヴァイアサンは、反動を使うかのように口を前に出し、ブレスが放たれる。

 目を凝らせば見える、空間の歪みにブレスが当たった直後、その歪みをもふきとばす勢いのブレスがまっすぐに射出される。

 数トンにも及ぶ水が数センチほどに圧縮され一気に射出される様は、過去に存在したレーザー兵器のような様相を呈している。

 全てを灰塵に期す、世界の終焉といって差し支えないような恐ろしい威力を誇るリヴァイアサンの最大の攻撃を、悠馬の能力である空間操作でなんとか威力を緩められている。

 突破される盾を再度出現させ、圧縮し、固定しを繰り返す。破れられる速度の方が明らかに早いが、それでもまだ終焉は来ていない。

 まだ頭は動く、体は無事だ、声を張り上げろ、意識を保て、武器は落としていない。——まだ、戦える!


「俺が、明日を切り開く!!」


『呼応せよ! 我は無限の牢獄に囚われし咎人! 刮目せよ! これこそが生物の深遠なり! 慟哭せよ! 無限を得る人類の希望を! ——再来せよ、モード【クリミナル】』


 悠馬を赤黒い光が包み込む。右手に握りしめた、赤い幾何学模様と白金をきらめかせる”天羽々斬”が光に飲み込まれ、生物のようなものに寄生されていく。

 白と赤の肉のようなものに包まれた”天羽々斬”が主人の思いに呼応するように凝縮され、幾何学模様が血管のように蠢き、長刀へと変貌しいく。

 悠馬の赤い目の瞳孔が龍のように細くなり、光が晴れる。


 状況は変わらず、死が目前へと迫る。

 盾は破壊され、悠馬を守るものはもうない。

 そのことを意識するより早く、”天羽々斬”を頭上に掲げ、振り下ろす。


 世界の終焉と、人類の希望が激突する——!

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