第18話 再会
「ご、ごめん……」
「ごめんなさい……」
悠馬の部屋の入り口で愛理とライアが昨日騒いだことを謝ってくる。
隣人から騒音のクレームが来たことだろう。しゅんとした二人の頭に手を置く。
「ライアも楽しそうだったし、愛理も楽しそうだったし、大丈夫だ。俺にしか苦情は来てないからな。俺にくる分には大丈夫だ」
聞いた二人がさらに頭を下げる。
「悠馬が怒られるのは、いや……」
「私も……」
二人の様子に悠馬は苦笑いを浮かべる。仕方ないなと呟きながら頭を撫でる。
ふわふわの髪を撫でながら諭す。
「こういうのは俺は慣れてる。だから大丈夫だ。それより、せっかく楽しそうにしてたお前らが言われる方が、俺は嫌だな」
聞いた愛理がキョトンとした顔をする。
悠馬は眉を寄せて首をかしげる。
「どうした?」
「いや、悠馬がすごい優しい声出すの初めて聞いた気がするから……」
「ゆう、いつも、怒ったみたいな声してる」
二人の言葉に悠馬が困惑する。困ったように悠馬が銀髪を掻く。
「そうか……、別に怒ってないけどな?」
悠馬の言葉に二人が顔を見合わせる。
「知ってるよ。私は何年一緒にいると思ってるの?」
「怖くないから、大丈夫」
そうなのか? と悠馬は首を傾げながら、いつも入り口付近に掛けている白いジャケットを羽織る。
「二人が大丈夫なら、いいか。とりあえず、志雄のところに行く」
小さくうなずいて、悠馬は玄関の扉に手をかける。
「わ、私も行く! ちょっと待って!」
「わた、しも!」
愛理とラルアがバタバタと準備を始める。
悠馬はそんな二人を見ながら入り口で待つ。
(志雄さんからリヴァイアサンの話を聞かなきゃいけない。できる限り詳細に、それから対策を立てなきゃいけない……)
ラルアの青髪を目で追いかけながら悠馬は考える。
強大な体躯、異形の体、動くだけで海に渦を生み出し、万物を貫く圧倒的なブレス。そして、鋼鉄よりも固い鎧のような鱗。
それを志雄は制限解除だったとはいえ、普通のナイフで傷を負わせた。
志雄なら何かを知っているはずだ、せめて戦い方などわかるはずだ、それを知っているのと知らないのとでは違う。
悠馬はこぶしを固く握りしめる。
「ゆう? 怖い、顔」
「ん、ああ、すまん。考え事してた。それじゃ、行こう」
悠馬の言葉にラルアが頷くが、愛理が奥の方から大声を出す。
「待ってよぉ! 私まだ準備できてない!」
情けない声に悠馬が苦笑を漏らすが、ラルアは心配そうに奥に向かう。
ラルアの優しさをそっと見つめ、悠馬は静かに闘志を燃やす。
(この優しを守らなきゃいけない。地獄のような日々を送ったはずのラルアが、人に優しさを向けられる。普通の人にとっては当たり前なのかもしれない、でも、研究体のラルアがそれをできる。当たり前を知らないのに、当たり前をできる。それは、ラルアが自分で考え、感じる事ができる”人間”だってことの証だ。命を賭しても守らなきゃな)
過去の自分とラルアを重ねる悠馬は、誰にも悟られることなく、命を捨てる覚悟を固めていた。
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「総督、絶対安静よ。間違っても戦いに行ったりしないでね」
「わァったっての! ”龍王”でもこねェ限りは俺様も出ていかねェよ! そこまでバカじゃねェ!」
「”龍王”が雇用がなんだろうが絶対安静! 次制限解除したら死ぬわよ!」
志雄と夏美の口論が病室に響く。テキパキと志雄の容体を見た夏美が腰に手を当てながら、志雄を見下ろす。
「総督が死んだら悠馬や愛理はどうするの!? ラルアちゃんだっているのよ! 悠馬にはあなたの助言がまだ必要なのよ!」
夏美の言葉に志雄が獰猛に笑う。
「あのクソガキに、俺様の言葉はもう必要ねェよ。ま、エルピスは器じゃねェけどなァ。まだまだ青臭ェガキってのは代わりはしねェしな!」
「そういうところよ!? 悠馬だっていつも震えているのよ!? エルピスになったばかりの時は一人で不安に押しつぶされていたり、あの子はまだ、子供なのよ!? それに、悠馬にエルピスはまだ早いって最後まで抗議していたのは総督でしょ!?」
バカにしたような言い方の志雄を叱責する夏美の声には、いつもはあり得ない焦りの色が見え隠れする。
それもそうで、この国は志雄なしでは回らず、総督としての椅子は、志雄以外に務まるものではないからだ。
それに、夏美は愛理と悠馬を家族のように思っていることもあり、二人の父親のような志雄が死ぬということは、二人に大きすぎる傷を与え、最悪の場合、再起不能まで行きかねない、その思いが焦りを生んでいる。
「お前もだ夏美。そういうところだぞ、冷静になれや。あのガキが震えて、チビってることくらい知ってる。それに、早ェって行ったが、弱ェとは誰も言ってねェ。悠馬は強い、それはこの俺様が太鼓判を押してやる。
だがな、覚悟が、気概が、器がねェんだよ。覚悟と、気概はどうとでもなる。器だけはどうにもならねェ。俺も、俺自身が器じゃないって、昔から言ってたろ? だから、お前に約束したんじゃねェか」
静かな、しかし、力と意思が篭った志雄の言葉に夏美が口を閉じる。
志雄が悠馬を強いと言い、器じゃないと断ち切り、自分もそうだと言い切る。それでもと、志雄が晴れやかでありながら、獣のような凶悪な笑みを浮かべる。
「器も、手のデカさも関係ねェ。守るものをただ感じりゃ結果は出る。あいつもそうなる。ラルアを見る悠馬の目を見て確信した。——あいつも、大きくなったな……」
「総督……」
息子を思いやる父親のような、優しくも、頼もしい表情をしながら、慈しむような目を虚空に向けた志雄が、顔を勢いよくあげて夏美を睨みつける。
「息子が死地に向かうのを黙って見てる父親なんていねェ! 血が繋がってない!? 本物じゃない!? 関係ねェ! 悠馬は俺の息子だ! まだまだひよっこな息子の前にでて、生き様を、覚悟を、背中を見せねェで、どうするってんだ!
俺が死のうが、俺が守ってきた大切なもんを守れるなら、それで構わねェ!!」
神にすら噛みつきそうな志雄の気迫と圧迫感に夏美が息を飲む。
これが、”人類最大の希望”とまで言われた男の存在感であり、〈怠惰〉の”龍王”ウロボロスを除く、6つの【天災】との死闘をくぐり抜け、”龍王”との戦闘最多を誇る者の決意と覚悟だ。
志雄の圧倒的な空気に飲まれた夏美だったが、唇を噛んで体の震えをごまかし、志雄を正面から睨みつける。
「それでも!! 絶対安静! 息子を信用しないで何が父親なのよ!」
「……お、おう」
「何よその微妙な返事は!! 私だって愛理のお姉ちゃんするのに必死なのよ!? 愛理が任務で出て行くたびに心配になるし! 愛理ができる限り怪我をしないように調整に調整を重ねたESEを渡してると、他の隊員が文句を言ってくるし! そんなに文句があるなら愛理くらい可愛くて強くなって見なさいよ! 総督は自分勝手だし! なんのよぉ!」
夏美の必死な訴えにたじろいでしまう志雄。裂帛の気迫を、憤怒と、それ以上の優しさで返されたことで、うろたえてしまう。
「な、なあ。悪かったからよ? 落ち着け、な?」
珍しく動揺している志雄がワタワタしだす。だが、残念ながら夏美は志雄と正面から睨み合ったことで、アドレナリンがわんさか出ていて、落ち着ける状況になかった。
夏美の癇癪は、病院に来ていた他の研究所職員に止められるまで続いて、志雄はそっと布団に潜る結果になった。
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「ゆう……」
ラルアにジャケットの端を捕まれ悠馬が立ち止まる。
愛理もそれに気づいて体ごとラルアに向いて、しゃがんで視線を合わせる。
「どうしたの?」
「何か、くるのか?」
緊張が走る悠馬と愛理だが、ラルアがふるふると頭を振ってのを見て、ホッと肩から力が抜ける。
「わか、んない……。多分、気のせい」
ジャケットから手を離したラルアを見つめ、悠馬がそっと決意を固める。
(警戒はしておかないとな。何があっても必ず守るって言ったんだ。俺が死のうと、どうなろうと、俺が必ず守ってやらなきゃいけない。愛理も、ラルアも、この都市も、すべて守れるようにならなきゃいけない……)
静かな決意と、瞳に灯る覚悟の炎に愛理の目に悲しみと、寂しさがよぎったのを悠馬は見逃してしまう。
「さあ、行こうか。早めに”天羽々斬”を受け取っておきたい。何があってもいいように」
「うん、ラルアちゃん。行こ?」
わずかに怯えを見せるラルアに、愛理が優しく手を伸ばす。愛理の手を握ったラルアから、怯えがわずかに消えるのを感じ、小さく微笑む。
(悠馬が、無理をしたらこの国はどうしようもなくなる。そんなの私が一番知ってる。だから、悠馬とラルアちゃんは、私が……)
思いが重なり、願いが交差し、希望を紡ぎ、確固たる絆が生まれ、光を生み出し、——絶望が襲いかかる。
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「——夏美、何か来るぞ! でけェ……、リヴァイアサンだ!!」
志雄の叫びに夏美が弾かれたように振り向き、用意していた花瓶が床に落ち、砕け散る。
「今すぐだ! 今すぐ警報と、悠馬に”天羽々斬”を!! 俺も出る!」
「ダメよ! 志雄はここで安静にしてて! 私が確認しに行くわ!」
「ここで問答をする時間はねェ! 早くしろ! お前が行っても無駄死にするだけだ!」
「絶対安静! 今連絡するから!」
夏美が汎用型ESEを使って研究所へ連絡をする。
セイレーンの中枢に位置する研究所が、この都市のすべてでもあり、警報や、放送はそこからしかできない。
すぐさまけたたましい警報が鳴り響き、次に放送が鳴り響く。
『輪龍悠馬中佐。至急研究所へお越しください。”天羽々斬”を回収し、直ちに戦闘態勢へ移行。繰り返します——』
警報と放送が素早く行われたことで、一瞬夏美が息を吐く。
「安心すんな! 来るぞ! 俺も行く、ESEを!」
志雄が無理やり体を動かそうとベッドから出ようとする。
「相手が”龍王”なら行かせられないわ! 次制限解除したら死ぬわよ!?」
「そんなことを言ってる場合じゃねェ! 俺が死んでも構わねェって行ったろうがァ!」
夏美が嫌々と首を振り、志雄の頬に冷や汗が流れる。
(まずい、このままじゃァ……。また、間違えるっ……!)
「あなたが死んでしまったら、私はどうすればいいのよ! ねえ、志雄ぅ!」
「…………っ!?」
稲妻が走ったような感覚が志雄の体を打つ。
夏美との約束が脳裏をよぎり、息がつまり、頭が真っ白になる。
だが、志雄は頭を振り、声を低くし、目を伏せる。
「……夏美。これからはあいつらの時代だ。俺はもう、邪魔になるかもしれねェ。隠居するにしたって早すぎるけど、この戦いで俺のすべてを見せてやれるんだ。そしたら悠馬は、さらに上にいける。だから、俺を行かせてくれ、頼むっ……!」
深々と下げた頭を夏美が泣きじゃくりながら見つめる。
子供のように首を横に振りながら、頭を下げるだけで息を切らした志雄に手をのばしかけ、やめる。
「2分……。それが今のあなたの限界。正直2分でも体にどんな後遺症が残るか、わからないわ……。それ以上は、命が、体が持たない……。だから、それ以上はしないって、約束して、志雄……」
「……すまん」
たった一言。それだけを残し、ボロボロになった体を引きずりながら病室を出て行く。
残された夏美は、崩れ落ち、静かに泣く。
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警報が鳴り響き、放送が流れる。
「悠馬!」
「わかってる!」
愛理の声に悠馬が反射的に走り出そうとする。
だが、ラルアがジャケットを握りしめていることに気づき立ち止まる。
「……ラルア。大丈夫だ。必ず、俺が守ってやるから」
視線を合わせ、頭に手をのせる。
ラルアの目が不安に揺れ流のをみて、悠馬は薄く微笑む。
「……ゆう」
「ラルアちゃん、大丈夫だよ。悠馬は強いんだから!」
精一杯の去勢。愛理も悠馬が心配で胸が張り裂けそうだった。
悠馬の目は死を覚悟した人間の、今の世でよく見る目をしていることには気付いている。それでも、生きて帰ってくる、もしダメなら……。そう想い笑う。
不安げな手がジャケットから離れるのを確認した悠馬は、顔に満面の笑みを貼り付ける。
「行ってきます」
白く、逞しく、頼り甲斐があって、大きくて、儚い背中が走り去っていく。
「行って、らっしゃい……」
ラルアの小さく、消えそうなつぶやきは愛理の胸を締め付けた。
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