急な目覚め


 私はレース編みというのは細長いレース針ですると思っていた。前に京子ちゃんのお母さんがやっているのを見たことがある。私と京子ちゃんがゲームで対戦している間に、おばさんは小さなコースターを編んでしまっていた。でもこのボビンレースと言うもは同じレース編みでも全く別のように思った。何よりも糸が細い。

私の好きなアイロンビーズも、とても小さなものがある。極小ビーズだから、並べるのもとても大変で、ちょっと当たっただけですぐにバラバラ、いやパラパラになってしまう。できたものはもちろん小さくてかわいいけれど、時間がすごくかかる。


 私はじっくりとこのボビンレースを作っている様子を見ていた。どうも下に絵や模様が書いてあるものがあって、それにピンを打って糸を交差させて、模様を作っているようだった。

「カタカタカタカタ」小さなリズムの良い音、やさしい木の音は、不思議と全く嫌にならなかった。

他の見学者も熱心に見ている。するとマルクのお母さんが、作っているおばあさんにたずねた。


「ボビンレースを始めて何年くらいになられるのですか? 」


「そうね、三十年くらいかしら」


「ん? 」


と私は思った。どう見ても七十歳くらいには見えるから計算すると・・・


「四十ぐらいから始めたの、それから夢中になっているのよ。レースを作っている間に年をとってしまったという感じだわ、でもとても楽しい。今作っているのはウサギの模様、主人が大好きな動物だから」おばあさんは、眼鏡を鼻の下の方にかけたまま、にっこりと微笑んだ。


 幅が少し狭くて 細長いものを作っているようだった。ウサギはその真ん中にいて、その上には、小さな鳥や、太陽や月や雲や星があって、下には、お花や草や木があった。


「きれいですね、素晴らしいデザイン」と他の見学者が言うと


「いえいえ、昔のものに比べたら私のものはまだまだです。糸も細くて、もっと細かいですから。残念ながら現代の技術でも、亜麻糸をそこまで細くすることができないのです」


「現代の技術でも解明されていないのですか? 」


「そうなのです、でもそれだけではないような気がするのです。昔のレースを見ていると、技術だけではない「何か」があるような気がするのです。ここにせっかく来られたのですから、どうか昔の名工たちの技を楽しんでください」


おばあさんはそう言って、またボビンを操り始めた。まるでピアノの早い旋律をひいているようだった。


私はもう一度周りを見渡した。

「あま? 」初めて聞いた言葉だ。

「亜麻という植物があるんだよ、それから糸を作るんだ」

とても小さな声でミミミが教えてくれた。

ここはきっとボビンレースの博物館なのだろう、遠くにとても大きなレースが飾ってあるのが見えたけれど、そこに行く前に、どうも私はやらなければならないことがあるようだ。


「マルク、トイレに行きたいんだろう? 」

お父さんがそう言ったので

「うん」

「一緒に行こう。それからボビンレースをやってみよう」

と二人で歩き始めたが、トイレの前で



「マルク? 女子トイレに行ってどうするんだ? もう大きくなったんだから」

お父さんの言葉にドキッとした。そうだ、私はマルクなのだ、どうしよう!


「先に行ってて、お父さん」

「・・・ああ・・・」

トイレにお父さんが入ったのと、周りに人がいないのを確認して


「ミミミ! ミミミ! 」と呼んだ。

「糸ちゃん、行ってくればいいじゃないか」

「行ってくればいいって、できるわけないでしょう! 」

「簡単だよ、お兄ちゃんがいるからわかるだろう? それに礼君とも小さい頃一緒に裸で遊んでいたじゃないか、写真で見たけど」

「いやよ! 」

「ボビンレース、やってみたいだろう、糸ちゃん、だったら」

「やってみたいけど、できるわけないでしょう! 」

「簡単だって、ズボンのチャックを」

「いや! 絶対にいや! できない! もとにもどして! ミミミ! 早くしないと! それこそ、もれ・・・早く! 」


「わかったよ・・・あーあー」



しょうがないなあ、という感じの声がしたと思ったとたん、私はパッと目が覚めた。真っ暗、でもうっすらと天上の木の模様が見えた。

間違いなく私の部屋だ。


「急に帰るには、力をたくさん使っちゃうんだ」


顔の横で、立ったミミミの声がした。

私はきっと飛び起きたのだろう、ミミミを前に


「ミミミ! 男子の代わりにトイレなんか行けるわけないでしょう! 」


と大きな声で怒鳴ってしまった。すると隣の部屋から


「糸! 何を寝ぼけて言っているの、ミミミちゃんがかわいそうでしょう? 」

「そうだぞ、糸、夢の中でミミミが悪いことしたからって、いじめていると、お化けになって出てくるぞ」

お父さんとお母さんが何も知らずに私をしかった。


「糸ちゃん、僕眠るね、急な事でつかれちゃった」

「ミミミ! 」


すると本当にコトンと枕に横になり、マスコットに戻ってしまった。

暗いうえに一瞬の出来事だったので、その変化がわからなかった。まだ外は暗く、私はちょっとまだ怒っていたけれど、もう一度ベッドに入ったとたん、すぐに眠ってしまった。もしかしたら私も少し疲れていたのかもしれない。




「糸、いくら何でも起きなさい、もう十時よ」


 部屋の外からお母さんの声がした。私が目を覚ますととても明るくて、いつものようにミミミは私の枕元にいた。お母さんが窓を開けてくれていたのか、カーテンが風に揺れていて、体をおこしてすぐに私はカーテンの所に行った。


「そうだ、これもレースのカーテンだ」


大きな花模様で、その周りは網目になっていた。連続した大きな模様はもちろん機械で作ったものだろう。


「これをもしボビンレースで作るとしたら、とっても大変だよね」


ミミミに話すように言ったけれど、目は覚めないようだった。

毎日見ているはずのレースのカーテンを、私はきっと生まれて初めて、長い時間まじまじと見た。そして部屋を出るとき言った。


「ありがとうミミミ、楽しかったよ、おやすみなさい」


その日はまた部屋に戻ってカーテンを眺めている時間が長く

買い物について行ったら私が「カーテン売り場にいってみる」と言ったので、お父さんとお母さんは不思議そうな顔をしていた。


そしてその日の夜、ミミミは目を覚まさなかった。


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