第7話「愛情への“手抜き”」

 山城ほどではないが、芳江も囲碁が強い。

 

 芳江も、大学の囲碁部出身だった。年二回の団体戦では、それなりの好成績を挙げたこともあった。山城が利用していたインターネット囲碁サイトの棋力でいえば四段ないしは五段程度で、十分に高段者と呼びうる実力を持っていた。

 山城が持ち前の勘のよさ、あるいはセンスのよさを主として上達したのに対して、芳江の場合は専ら努力の賜物だった。同じような悪手を繰り返し、同じような死活を間違えて何度も痛い目を見たが、その蓄積により強くなった。

 

 盤外においても、芳江は同様にして成長した。外見や頭の回転の悪さに正面から向き合い愚直に砥礪切磋しれいせっさすることで、低空飛行ながらも着実に歩んできた。見るに堪えないほど醜悪ではないにしろ、美人とはほど遠い容姿を抱えながらも希望の美容関連の職に就けたことを考えても、芳江の努力が相当なものであったことがわかる。


 芳江は、山城の“手抜き加減”を好もしく思っていた。

 当然受けてくれるだろうと考えて打った一手に、山城が手を止めて盤全体に視線を動かす。もとより細い目をさらに細くし、やや前のめりになって傾注する山城の姿はお世辞にも恰好良いとはいえないが、芳江はそういう山城の姿や、そこから繰り出される予想外の一手が好きだった。熟考する際に無意識的に睫毛を引き抜く癖はいただけなかったが、それが始まった後に飛び出す手はいつも芳江の意表を突いた。


 夫婦生活に、芳江は現状これといった不満はない。

 二十代の半ば、医師から原因不明の卵管閉塞らんかんへいそくと診断された。結婚活動が四年にも及んだのは、そもそもの第一印象などが男受けしなかったことが主要因ではあるものの、この件も確かに付随していた。

 山城は、しかしそれを知っても態度を変えなかった。子どもがほしいわけではないから構わない、という言葉に、芳江は胸のつかえが下りる思いだった。


 その言葉はけだし本心であろうと、芳江は思う。

 それを確かめるすべはないが、日頃から心にもないでたらめを口にするような男ではない。

 一方で、山城の言葉にそれ以外の意味が伏在ふくざいしているのではと感じることもあった。相手が自分だからそう言えるのではとか、不器量な妻の子を授かることにならずに幸運だとか、左様さような感情が隠されているのではとゆくりなく感じてしまう場面があるのだ。

 

 行為のとき、たとえば山城が仁王立ちになり、芳江を自身の要所に深々とあてがった際、山城がほとんど天井を仰ぎ自分のほうへと視線を投じないときなど、ふっと這般しゃはんの疑問に惑う。勢いを増し、嗚咽感に耐えかねてだらだらと不潔な液を垂れ流したとき、山城があからさまに眉根を寄せる様子に、不遜にもこの男は自分への愛情が抜け落ちていると思わざるを得なくなる。


 盤上での手抜きに魅了されつつも、盤外におけるそれは如何にと、芳江は時折冷静に思索をめぐらせた。

 山城に尽くす理由などあるのだろうか。鏡台に向かって睫毛を盛りながら、それに対する答えをあれこれと探す機会がおよそ月に二度ほど訪れる。

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