第零感

藤ノ宮 陸

第1編 微能力 ~篠宮桜子の場合~

 「それ」は、突然起こった。


 そこにいた私は一度分解され、不思議な空間を通り抜け空間を超える。


 新たな場所、新たな世界で質料の私は再構成され、「私」の形相を取り戻す。


私はすべてを取り戻し、再び私となる。


だが、今の私はまだ――完全ではない。






 寝ぼけ眼で部屋のカーテンをのろのろと開け、私は布団の脇に置いてある目覚まし時計を見た。時間は6時45分。完全に寝坊だ。

 昨日はその日の内に済ませなくてはならない仕事が遅くまで終わらず、家に着いたのは時計が夜の1時を回ってからだった。眠気を押して身支度を済ませ、布団に入ったのが何時だったかはもう覚えていない。もっとも、これが私にとっての日常なので、この目の回るような生活にも違和感を抱くことすらないのだが。

 そんな日々が始まってから、もう四年は経つ。私が希望を胸に抱いて会社の扉を叩いたとき、こんなに空虚な生活を送ることになろうとは考えもしなかったはずだ。今は夢を見る暇などなく、仕事をするために生きているような気すらする。そもそも自分に夢などあったのだろうかと思ったが、今は時間がないから余計なことを考えるのをやめた。焼いただけのパンを胃に押し込んでスーツに着替え、手早く荷物をまとめて家を飛び出した。

そして今日も、私は仕事に行く。私が勤めている会社はいわゆるブラック企業というわけではないのだが、なにぶん家からの距離が遠い。電車一本で行けるのはありがたいのだが、家から会社までは片道2時間近くかかってしまうため、必然的に朝起きる時間は早くなり、夜家に着く時間は遅くなる。

分厚い雲が垂れ込める冬空は今日も薄暗い。マフラーを忘れた朝の自分を恨む。冷えた空気が首元をなでるのを感じながら体を抱きしめる。白い息を陰鬱な気持ちとともに吐き出しながら改札を通り、階段を上って電車を待つ長い列に並んだ。

私の通勤は、この電車を待つ時間が一番つらい。いっその事、何かのヒーローのようにひとっ飛び出来れば楽なのに。そう思った瞬間、突然足下の感覚が無くなった。

唐突に訪れた浮遊感に驚いて目を大きく開けると、周りの風景は一変していた。

何本も並ぶ線路や乗降口に群がる人々は忽然と消え去り、代わりに目の前にあったのは薄いクリーム色のドアだった。あまりのことに驚いて鞄を落とし後ずさると、私のすぐ後ろにあった台のような何かに躓いて、その上にぺたんと座り込んでしまう。恐る恐る手探りすると、冷たく硬質なそれが私の手のひらに触れた。ゆっくりと振り向く。

 私が座っているのは、間違いなくどこにでもある普通のトイレだった。

 異常現象。瞬間移動。誘拐。

 この状況から考えられる状況や言葉がひっきりなしに頭の中を駆け巡る。状況を整理しよう。私はさっきまで駅のホームにいて、あくびを一つしたらトイレにいた。無理だ。訳がわからない。もしあそこで突然失神なり気絶なりしたのならば、私がいるべき場所は病院だろう。万が一だが麻酔でも嗅がされて拐かされたとでもいうのならば、無傷でトイレに放置されている理由がわからない。そもそも私は会社に行かなければならないのに……会社!

 慌てて時計を見ると、驚くことに時間はさっきホームにいたときとさほど変わっていない。しかし、もう電車は出てしまっている筈だ。今日は少し起きるのが遅れてしまったから、乗る予定だった電車は会社に間に合うかどうかのギリギリの時間に発車するものだった。遅刻確定だ。

 急いで落とした鞄を拾いトイレから出ると、なんとそこは「会社の」最寄り駅だった。混乱した頭でもう一度時計を見たが、針はさっきと同じように、この駅に着くにはあり得ないほど早すぎる時刻を示している。改札の向こうに広がる空はまだ薄暗く、吐き出される息は白い。突然吹いた風は身をすくめるほどの寒さだった。

 それから私は、何度もスマートフォンの地図アプリや駅の案内板、駅員に聞いてまで現在地と現在時刻を確認した。その結果理解できたのは、私は遅刻を回避出来たということだけだった。


「篠宮、この書類お願い」

「はっ、はい!」

慌てて先輩の席に書類を取りに行こうと席を立った拍子に、椅子を上司にぶつけてしまった。

「痛った!もう、何するのさ桜子ちゃん。気をつけなよ?」

「も、申し訳ありません部長!本当にすいません」

私は自他共に認めるうっかり者だ。仕事のミスはさほど多くないが、こういう普段の仕草で他人に迷惑をかける行動をしてしまう。ちなみに誰かに椅子をぶつけたのは今日だけですでに3回目だ。しかも全員が上司。

「篠宮?まだ!?」

「はっはい!今行きます!」

「もう新人じゃ無いんだからさ、しっかりしてくれよ。そういうところ取引先に見られたらマイナスにしかならないぞ」

「すいません……。」

「申し訳ありません、な。客相手なら申し訳ございませんだ。」

「あっ。」

こういうところだ。

 結局、その日の午前中は昨日以上に仕事が忙しく、朝のことをゆっくり考える時間はほとんどなかった。が、昼休み中に一つだけ気がついた。私があのホームから駅のトイレまで瞬間移動した直前、私は家から会社まで飛んで行ければいいのにと考えていたことを思い出したのだ。

そう、私がしたこと、というより私が遭ったのは瞬間移動に違いない、というところまでは自然と結論が出ていた。これが私の力なのか超自然的な力なのか、はたまた別の誰かが私を転送させたのかは分からないが、これが瞬間移動の類いだということだけは間違いない。

昼食を食べながら朝起きた超常現象について思考を巡らせていると、仕事に気を取られ他のことを考えられなかった私に、一つだけ趣味のようなものが出来た気がした。二度と起こらない偶然の産物だったとしても、それはそれで仕方のないことだ。むしろ、一回限りの方がいいかもしれない。まるでシャボン玉のような淡く儚い雰囲気を持つこの記憶は、記憶のままでとどめておきたい気もする。

だから、きっと偶然だ。私は自分にそう言い聞かせた。子供のときに夢見たような現象だったが、明日同じことが起きる確証もないし、そもそも私の力とも限らない。とにかく今日は今日の仕事をこなして、明日に備えよう。特段明日に何かがあるわけでは無いけれど。

その日の午後は、いつもよりいくらか仕事に集中出来たし、粗相をおかすことも無かった。久しぶりに定時で上がり、ゆっくりと家に帰っていつもの二倍寝た。


次の日。結論から言うなら、またやってしまった。いい夢を見て気持ちよく起きた私は昨日のことをきれいさっぱり忘れていて、何も考えずにいつも通り駅のホームで電車を待つ列に並んだ。ふとした拍子に隣の女子高生がSNSでなにかきらきらした写真を投稿しているのを見て、自分は電車の中で何もやることが無いと気づいた。いつもは座りながら熟睡しているのでそんなことを考える必要も無いのだが、今日は寝覚めがよく電車の中で寝られる気がしない。私は極限まで眠くないと寝られない体質だった。

なんにせよ、今日は電車の中で二時間ほどずっと何も出来ないのだ。そして私は、その時間をもったいないと思ってしまった。その時間を動画のようにスキップしてしまえたらいいのにと思ってしまった。

数瞬の浮遊感が身を襲った瞬間、やってしまったという感情が体を支配した。昨日は気づかなかったが、ホームで私の後ろに並んでいた人は私が急に消えたように見えるに違いない。失意の中目を開けると、昨日とは違い今度は真っ赤な自動販売機が目の前にあった。

やってしまったことは仕方が無いので、昨日と同じ寒空の中私は気を紛らわそうと駅前のカフェに足を運んだ。さっき見た女子高生がSNS映えするような商品を求めて行くようなチェーン店だ。ストレスをかき消すようにカロリーの高そうな飲み物を選ぶと、朝早くからバイトをしているかわいい店員さんがタンブラーにメッセージを書き加えてくれた。

『笑顔がイチバンです!!』

少し気が晴れた私は、それを飲む前にスマホを構えて一枚だけ写真を撮った。


その後数週間かけて何十回も実験を繰り返し、私はこの力をほぼ完全に理解し、その詳細を手帳に書き留めた。

まず一つ、これは瞬間移動であること。これは最初から分かっていたことだが、一番わかりやすい説明なので最初に書き加えておいた。

次に二つ目、駅から駅へ移動出来ること。逆に言うなら、駅以外からは跳べないし駅以外に跳ぶことも出来ない。さらに、改札の内側にお金を払って入らないと跳ぶことは出来ない。電車代が節約出来ないということが理解出来たときはかなりショックだった。だからこの能力の利点は時短以外に無い。

三つ目、駅の中で『跳びたい』と念じるだけで、上の条件に反しない限り時間空間の制限なしに瞬間移動出来ること。こう考えるのが一番スムーズに瞬間移動出来るので、私はこの力をジャンプと呼ぶことにした。また、日本国内ならどこへでも行けるのだが、海外はさすがに怖かったので実験しなかった。

四つ目、同じ駅の中に跳ぶことは出来ないということ。つまり、広い駅の中でこの店から別の店に、ということは出来ない。地味に不便な制約だったが、あまりこの力に頼って歩かないでいるとぶくぶく太ってしまいそうな気がしたのでむしろありがたいと考えることにした。

 五つ目、行きたい駅のどこに跳ぶかというと、それはどうやら私の深層意識、つまり表面化しないレベルの小さな欲望左右されるらしい、ということ。一回目に跳んだとき、私は寝坊をしたから朝トイレに行っていなかった。我慢出来ないほどでは無かったが、トイレにジャンプしたのはきっとそれが原因だ。自販機の前に跳んだ二回目の場合、少し前のことなのでよく覚えていないがきっと私は喉が渇いていたのだろう。

最後に、これはとても不思議でどう条件を変えても解明しきれなかったのだが、私が目の前で消えても誰も違和感を覚えないということ。また、最初に跳んだトイレではひとりでに個室のドアが閉まって気づいたら私がいるというホラーもかくやの状況に違いなかったのだろうが、突然個室から出てくる私に不審な目を向ける人は一人もいなかった。これだけまるでご都合設定のような力だが、ありがたいのでほっとくことにした。

何十回も実験して分かった。正直なところ、私にこの力はさほど役に立たない。まず、私は休日に外に出るような趣味はない。また、買い物には車を使うため、会社と家の往復以外に電車には乗らない。さらに、跳べる分睡眠時間を大幅に伸ばせると思うかもしれないが、それは間違いだ。なぜなら私は最寄り駅始発の電車に乗るから必ず座れるし、座ったら必ず寝るから飛べたところで睡眠時間はさほど変わらない。要は、私はジャンプを全く有効利用出来る環境にない。

その結論に達したとき、私は……つまらないと思ってしまった。


朝食をのんびりと取りながら、私はテレビのリモコンを手に取り、電源ボタンを押してニュースをつけた。最近のテレビは物騒な事件とゴシップばかりを流しているように感じる。別に過去のニュースの風潮がどうだったかなど覚えていない、いや、そもそも見てもいなかったと思うが、改めて見ると画面の反対側ではそこに写る人間、写らない人間、とにかくあらゆるものの悪意が蠢いているようにしか思えなくなってくる。ため息を一つついて、私はテレビの電源を切った。こんなつまらない考えしか出来なくなったのは、やはり暇になったからだろうか。

私がジャンプ出来るようになってから、もう五年経つ。私は三年前に会社の同僚と結婚し、一年より少し前に彼との娘を授かった。出産直後は、会社に勤めていた頃など比較にならないほど子供という存在に振り回され夜も眠れない有様だったが、時間はかなり多くの問題を解決してくれる。私はこの生活に慣れ、ゆっくり朝食を摂るくらいの余裕は出来た。彼は二人目がほしいと毎週のようにせがむが、私は必ず丁重に断っている。贅沢を言うが、私は少し疲れた。彼には悪いが、少々長めの休養を取っても罰は当たらないだろう。今はこうして、世の中の汚れをまだ知らない無垢な娘を育てることに専念している。

最後にあの力を使ったのもたしか三年前だったはずだ。電車に乗ったのも二年前が最後だと思う。当時の私は偶然目覚めたジャンプにつまらないという理由だけで勝手に失望し、自分がどんどん普通からそれていくことを恐れてあの力を封印した。だがきっと、今電車に乗ったとしても私がジャンプすることは無いだろう。最近の私には、ゆったりシートに腰掛け、娘を膝に乗せながらも外の景色を楽しむだけの余裕があるはずだ。そう考えると、久しぶりに電車に乗ってどこかに出かけようという気になった。ジャンプをしたいというわけでは無く、娘と一緒にただのんびり電車に揺られてみたいというだけだ。それこそ、ただ車窓から流れる景色を見るためだけにでも。

そういえば、実験を繰り返していた当時、『ジャンプに私以外の人間を連れて行けるか』という問題には一切触れなかった。最悪の場合、握りしめた腕だけが千切れて着いてくるなんてぞっとしない結末も予想出来ていたからだ。……必要の無いことまで思い出してしまった。今日は娘と電車で旅行して、ついでに映画でも見に行こう。私はそんな明るい計画で濁った思考を振り払った。


私は車を出して、五年前のものとは違う、十分な駐車場と駅ビルを備えた最寄り駅に行った。

実際のところ。電車に乗るどころか、駅に近づいたのも久しぶりだった。私が今住む家の近くは比較的田舎だから大抵のことは電車を利用するよりも車の方が便利だし、なにより出費も少ない。だから、今日の小旅行は少しの贅沢だ。

電車もそうだが、映画というものは少々贅沢な嗜好だ。日本の映画料金は、物価の差を考えなくてもその価格は世界トップレベルらしい。何か特別な理由があるのかもしれないが、財布の紐の緩み具合を第一に考える主婦としては文句の一つも言いたくなる。

だが、今日ばかりはそんなことも言う気にならない。実はこの二年、特に結婚してからというもの、私は電車に乗ることを意識的に避けていた。ジャンプのことはもちろん、私は駅にさほどいい思い出を持っていない。しかしそんな感情は、いつの間にか時間とともに風化していたのかもしれない。結論を出すことを諦めるというのは、私が年を重ねたからだろうか。まだアラサーだけど。

車を駐車場に止め、私は娘を抱えて改札へ向かった。『跳びたい』と言う意識を少しでも表層意識に出せばすぐに反応してしまう神経過敏な能力なのだが、私は実験を重ねながら行きたいところに確実に行くという力と同時に、飛ばなくていいときは絶対に跳ばない制御力を身につけていた。ましてや今日は娘を抱えた状態だ。他人と跳ぶとどうなるか分からないので、私は消して力を発動のすることの無いよう意を決して改札を超えた。ここからはあの力のフィールドだ。


映画は楽しかった。特に見たい作品も無かったので無難そうな感動ものを選んだのだが、思い掛けなくも涙を流してしまった。娘も上映中全くぐずらなかったし、見ることが出来てよかったと思える一作だった。

どうせ外出したのならと学生の頃好きでよく行っていたファストフード店で軽い昼食を取ってから、家に帰ろうと駅に歩を進めた。

行きは久しぶりの電車だからとジャンプしないよう気を張り続けていたが、その一回で昔の感覚を取り戻すことが出来た。常にジャンプ『しない』ことに意識を向けていれば確かに跳ばずにすむが、実は全く関係ないことで思考を埋める方が気楽なままジャンプを防げる。


ホームに入る頃には、空が少し陰りを見せ、まばらに列をなす人々の影が長く伸びていた。私は娘を連れて誰もいない乗り口に並ぶ。


少しは歩く練習になるかもと思い、ホームでは娘を立った状態で電車を待たせた。親馬鹿かもしれないが、娘はとても聞き分けのいい子だ。私の言うことは基本的におとなしく聞いてくれるし、本当に自分がつらいときにははっきり「やだ」と言ってくれる。とても賢い。歩き始めるのも周りの子よりずいぶん早かった。将来が楽しみだ。


どこかから目的の電車がもうすぐ来ることを伝えるアナウンスが聞こえる。音声は人の少ない駅にわずかな緊張感をもたらし、そこに立っていた何人かは顔を上げた。


そして私は娘の未来図を思い描くことに執心してしまい、少し、ほんの少しの間だけ娘と繋いでいた手を離してしまった。


後ろから泥酔した男がよろよろと近づき、その膝が無造作に娘を撥ねのけたことに、私はそれが終わるまで気づかなかった。


ホームに電車が恐ろしい金属音を響かせて滑り込む。


娘がバランスを崩しおたおたと二、三歩前によろめく。


私は過剰反応してバランスを崩し倒れかけた娘に飛びつく。勢いを殺せず彼女を抱いたまま転がり、あっという間に薄汚れた点字ブロックを越える。


とっさに娘を抱えていない方の片腕を伸ばして何かを掴もうともがくが、絶望的なほどのっぺりと見える平らなホームに、掴めるものなど何も無いことは明白だった。


時間がゆっくり流れているように感じる。もうホームから落ちる。電車がすぐ後ろに迫ってきている。落ちれば高速で走る鉄の塊に弾き飛ばされるか、車輪に体を引きちぎられるか、車体の下ですりつぶされるか、何にせよ目も向けられない惨状が多くの人の目にとまるだろう。


私が死ぬ。


娘も死ぬ。


いや、死なせるものか。


かつて無いほど高速ではたらいて熱を持った脳が、一つだけ、でも鮮烈に命令を放った。













跳んで。











数瞬のち、私は電車に跳ね飛ばされた。


*************************************


次の日、私は病院のベッドでひとり見慣れぬ天井を眺めていた。

止まる直前だった電車は私の体を弾き飛ばしはしたものの、数メートル転がしただけで私の息の根を止める事は無かった。しかし石と線路にしこたま体を削られ反対のホームの壁に背中から激突した私は数カ所を骨折し、一ヶ月の入院を余儀なくされた。仕事はもう辞めたからその時間的余裕はあるのだが、その間娘をどうするかは考えあぐねた。

娘は奇跡的に無傷だった。私は全身で彼女をかばい、その結果私はすべての傷を引き受けた。死にそうなほど痛かったし、実際出血量の多かった私は早急に手術と輸血を必要とする状態だったらしい。まあ娘は助かったし私も後遺症の心配も無いそうなので結果オーライだ。娘はとりあえず私の母親に預かってもらうことにした。

 娘を突き飛ばしたあの男がどうなるのかは分からない。法律には詳しくないし、医師も夫も何も教えてくれなかったので、どのような罪が科されるのかは知りようが無かった。きっと入院費と慰謝料くらいは請求出来るだろうが、今度あったときには思い切り顔をぶん殴ってやるくらいしないと気が済まないのは確かだ。


あの時、間違いなく私は跳ぼうとした。

私は家で狭い押し入れを探っている。やることの無い入院期間はあっという間に終わり、娘とまた長い時間を過ごせるようになった。そして今、入院中に立てたジャンプに対する仮説の裏付けになり得るものを探している。

あの時、間違いなく私は跳ぼうとした。しかし、体は全く反応せず、今私はこうして大けがを負っている。やり方を間違えたのか、やはり二人では跳べない能力だったのか。

たぶん、そのどちらも違うという確信を持っている。ホームから転がり落ち娘と跳ぼうとしたあの瞬間、私は私の心の中に小さな穴、というよりはしこりのようなものを感じた。きっと、ジャンプはもう私の中には無いのだと思う。確かなところは分からないし、確かめるためにもう一度駅に行く勇気も無いのだが。

あの力を得たときの私は、ただ日々の仕事をこなすことに夢中で、自分というものを持っていなかった。考えることすべてが仕事を中心に回っていて、それ以外の何かに目を向けようともしていなかった。別に不満があったわけではないが、自分がやりたいことだったかと聞かれると、心の底から肯定出来たとは思えない。

ようやく目的のものを見つけた。それは五年の歳月を経て段ボールの底に沈んでいた、あの時能力の条件を整理して書き留めたノートだった。

『条件その五、目的の駅のさらにどこに跳ぶかについて。おそらく、そのとき心の底で考えている何かが影響している可能性が高い。詳しくは分からない』

この能力は不安定なもので、私の望みによってその結果を大きく左右する。

『例えば、初めて跳んだときは、朝トイレに行っていなかったから目的地はトイレだった』

もし、この能力自体も私の望みによって生まれたものだったら?

『また、水を飲まずに跳んだところ行き先は自動販売機の目の前だった』

あの日跳べなかったのも、もう私が能力を必要としていなかったからなのではないか?

『以上のことから、ジャンプの細かい行き先には私の深層意識によるところが大きいと考えられる』

この力を望んだのも手放したのも、すべて私の意思だったのかもしれない。


仕事に疲れた私は、通勤だけでも楽にならないかと思い、自分じゃない何かに救済を求めた。その結果がジャンプという力として顕れたのだろう。しかしあまりにも中途半端な理由が根幹だったから、その能力も半端なものになり、私は自分が呼び寄せた力に飽きてしまう。心の奥底でそれを必要としなくなってしまい、使うこともやめてしまったその能力は本当に必要のないものになった。だから、ジャンプは私の元から去った。

『条件その六、私がどこでジャンプしようが誰も気にしない。私が跳んだことには誰も気がつかない』

 これもジャンプは私が望んだ力だという証拠の一つだろう。私が欲しがった力が、私を苦しめる必要はない。バレてほしくないと私が願ったから、それが他人にも影響を及ぼしたんじゃないのだろうか。

 結局のところ、ジャンプとは私の心の穴を埋める楔のようなものだったのだと思う。私は社会の歯車として己を殺し続け、私でいられなかったことを嘆いていた。そんなひずみを抱えた私を、この力は救ってくれた。周りに目を向ける余裕を与えてくれた。

 そして、今の私には娘がいる。夫がいる。ジャンプが埋めてくれていた穴は、今は家族でしっかり埋まっている。私のまわりには力ではない、人がいる。私は。


もう力に頼る必要はない。

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