ラグナロク風紀委員

 対神学園。

 神と戦う術を学ぶ学園に入学する者など、大半が血の気の多い者達だ。

 それこそカウーレ然り、己が実力を誇示したいという人間は少なくない。

 だが同時、それは各地方各方面から腕に覚えのある強者らが集ってくるということでもあり、自身の実力を証明するための学内抗争は、決して少なくなかった。

「おい、やめろって! 二人共!」

「うっせぇ! こいつが俺の依頼を横取りしたのがいけねぇんだろ?!」

「は? 掲示板の前でいつまでもウダウダ言ってたから、代わりに行ってあげたのよ。逆恨みも甚だしいわね!」

 男と女がやり合っている。

 取っ組み合いなら可愛いものだが、女は両手に鋼鉄のトンファーを握り締め、男は薙刀を振り回している。

 一見、リーチの長い薙刀を操る男の方が、女相手ということもあって有利とさえみられるかもしれないが、女は男より俊敏で、懐に入ってその鋼鉄の一撃を頭部に喰らわせれば、脳震盪は確実。最悪、撲殺さえ出来てしまう。

 だが男も、女を懐に入れたとしても霊力で強化した拳を振るい、トンファーの一撃よりも先に仕掛けて距離を取らせ、互いに決定打を欠いたまま、互角の戦いを繰り広げていた。

 が、そこは決闘場ではなく、神様討伐依頼が多数貼られた掲示板の前。多くの人が行き交う場であり、言うまでもなく、抗争など認められている場所ではない。

 故に、彼らがやってくる。

「副長、対象者二名を発見しました。これより拘束します」

「殺していい?」

「ダメに決まってるだろ。捕縛だ」

 軽やかに跳躍する姿は、細身ということもあって、さながら猿のよう。

 両手に握り締めた陰陽魚の刻まれた双剣を振り下ろし、両者の間に入った男は薙刀を踏み付け、低くなった男の頭を鷲掴んで地面に伏せる。

 直後にトンファーを振り回していた女子生徒の方も、もう一人の生徒に両腕を背中で組まれて捕まった。

「こんのっ! 離しなさいよ! 悪いのは斬りかかって来たあいつでしょ?!」

「てめぇが横取りしたのが発端だろうが!」

「うるさいな……やっぱこいつら、殺していい?」

「ダメだと言っている。それに、すぐ治まる」

 沈黙。捕まっても尚暴れ、吠えていた男女が押し黙る。

 霊力、膂力が湧かず、それらが支えていた気力さえも搔き乱されて、戦いを知っているが故に、今抵抗しても無意味と悟って鎮まった。

 さながら、彼女の登場を待っていたかのように、乱闘による喧騒は完全に鎮静する。

「遅くなってすみません! 先輩方!」

「いやいや、タイミングとしてはナイスなくらいさ。助かったよ」

 駆けつけたれいの腕には、男女を取り押さえた先輩らと同じ腕章が掛かっていた。

 ラグナロク風紀委員の象徴である、緋色の聖槍が描かれた黒を基調にした腕章だ。まだ汚れ一つない零の腕章は、彼女がまだ新人の証である。

「じゃあ、シン。後は任せたぞ」

「ぶっ殺していいのか?」

「ダメだから。さっさと行ってこい」

「ちぇぇ」

 零が風紀委員に入ってから一週間。

 毎日とは言わないが、思っていたよりも仕事が多い。先輩らから見ても、例年より多い様子で、奔走していた。

 前年では二週間に一回程度だったが、零が入ってからの一週間で、もうこれで五件目になる。

荒野あらやが入ってくれたお陰で、毎度騒ぎが小規模で済むから助かるよ」

「そんな。先輩方がいて下さるからですよ」

 謙遜する零の功績は、本人が思っているより大きかった。

 彼女の槍は、対象の能力値を零自身と同じにするから、より小さな力で治められる。お陰で周囲へのとばっちりも、暴れる生徒ら当人の怪我も、今までより少ない被害で済んでいた。

「委員長から、おまえの武装の能力は詮索するなと言われてるが、こんなに風紀委員に適した力もねぇや。まぁ、詳細は点でわかってないんだが」

「お役に立てているなら、こんなに嬉しいこともありません。私はずっと……とにかく! お役に立てて光栄です!」

 アロンの提案に乗り、風紀委員に入った零。

 最初こそ委員の先輩らから反対こそあったものの、アロン直々の推薦ということで入会。その後は今のように実力で、周囲からの評価を得ていた。

「さ、俺達は委員会室に戻ろうか」

「は、はい!」

 ラグナロク風紀委員室は、学内でも知っている人が少ない。

 特別何かしらの処置をしているわけではなく、単純に人けの少ない場所にあるからだ。

 教会だった名残が一番多く残っている、無縁仏を収納していた部屋が彼ら風紀委員の部屋である。神を崇拝することをやめた証なのだろう。捨てたか壊したかは知らないが、かつてそこにあったのだろう十字架の跡がクッキリと壁に残る大部屋だ。

 本来ならば風紀委員長を務めるアロンがそこにいるべきだが、彼が学園にいることはほとんどないため、委員長席は大体空席だ。丁度、零を紹介した一週間前が、一番最近になる。

 彼の代わりに委員会の面々をまとめるのは、『鬼の副委員長』の異名を持つ彼女――ラグナロク六年、リスリエット・ベルベリー。

「よくやってくれた。報酬はおまえ達三人で均等に分けておけよ?」

「はい、副長。今日も荒野が大活躍でしたよ」

「そうか。アロンの推薦だなんて初めてだったから驚いていたが、目まぐるしい活躍だな。俺も、久方振りに暴れたい気分だよ」

 一人称を俺にするリスリエットだが、顔立ちも体格も女性であるし、むしろ女性らしい体格。

 それらを男装で包んでいるが、むしろ男物のシャツを豊満な体をした彼女が来ているのが、下心を誘っていることに彼女自身は気付いていない。

 それこそ苦しいからとボタンを閉めず、開いた胸元に見える谷間こそ、男は下心を持って覗かずにいられないだろう。

 尤も、彼女も元ではあるが、七騎の称号を持っていた実力者。実力はラグナロクで女性最強を誇るツバキと、ほぼ互角と言われており、実力だけで言うなら、もはや七騎と遜色はない。

 アロンの恋人ではないかと噂されているが、誰も確認出来ていないため、真偽は不明だ。

「副長が暴れたら、俺達の仕事無くなりますし。むしろ美化委員の仕事が増えると思うんですけど――! って痛っ!」

な? 副長と略すな。私はどこぞのレディースか?」

 正直に言って、そうだと言われると納得してしまうくらいしっくり来てしまいます、なんて、口が裂けても言えない。

 ただ、リスリエットは怖いというより、勇ましいという表現の方が似合うと思っている。『鬼の副委員長』、なんて通り名がついているくらいだから、戦場ではわからない。

「しかし、アロンの言っていた通り、今年は随分と荒れているな」

「えぇ、それも全体的に。一年生や二年生、あと各国の対神軍への入隊が掛かってる七年生が、この時期集中するんですが……ってて」

 傍から見ていた限り、そこまで強く小突かれていたようには見えなかったのだが、結構痛かったらしく、まだ後頭部をさすっている。

 幼少期に零の母、空虚うつろが師範を務める道場に通っていたらしいし、何かしらの体技なのかもしれないが、得体は知れない。

「今さっき対応してきた学生も、共に四年生。学生生活を絶賛謳歌してる頃でしょうに、何も小さな討伐依頼の取り合いだなんて」

「うん。この一週間で取り締まった件をすべて辿っても、特別関連性は見られない。どれもこれも、後で話すには馬鹿馬鹿しいとさえ思われる理由ばかり。まるで彼らから、余裕が奪われているかのようだ」

――おまえとその槍の能力が、今後役立つ

 アロンはそう言って、風紀委員に誘ってきた。

 この状況を見越していたなら大したものだが、しかし理由は零にもわからない。

 性格的に、アロンが誰かにあれこれ相談することもないだろうし、独自に色々と調べていく中でそうなったのかもしれないが。こうなるとわかっていたなら、理由を聞いておくべきだった。

「とにかく、私達は警察ではない。あくまで管轄は学内の風紀。後々この不安がより大きく伝播してく可能性もある。荒野には申し訳ないが、存分に力をふるってもらいたい」

「は、はい! 任せて下さい!」

「頼もしい限りだな」

「荒野はもう、立派な風紀委員の一員ですよ、副長」

「そうだな。が――副委員長、な?」

 リスリエットの言う通り、風紀委員の管轄は学内の風紀。故に、学園が閉まれば後は警備員に仕事を交代し、帰宅するだけである。

 零も同じく、閉門時刻と同時に学園を出た。そのまま寄り道は考えず、帰路を歩く。

 寄り道する用事もないのだが、するとなると後ろを歩く武装が黙っていない。

「今日もありがとうね。疲れてない?」

「私は特別何もしていません。すべてはレイの功績にございます」

「でもその功績は、あなたがいてこそだから。ありがとう、アディ」

「もったいないお言葉です、我が王たる君よ」

「もう、零って呼んでってば」

「失礼致しました、レイ

 必要最低限の返事しか返さない。

 彼女と話していると、無駄話という概念についてまで考えてしまいそうだ。

 笑ったらもっと綺麗になるだろうに、能面のような無表情を変える術を、未だ知らない。

 父は昔、六人もの武装と契約を結んでいたというけれど、どうやって関係を保っていたのだろう。今度父が帰ってきたら、真っ先に訊いてみようと思った。

 だけどまずは、手近にいる荒野家の武装達から――

「ごほっ、ごほごほ!」

 咳き込むせつなの背中をさする。

 どこで菌を貰ってきたのか、若干微熱があったために薬を飲んだのだが、その際に咽てしまったのだった。

「……ありがとう、ムゥ」

 透ける髪の下、赤い双眸で見下ろす少女は何も返さない。

 元々、無口であったからミーリが勝手にムゥとあだ名を付けて呼んでいただけで、彼女の真名なのかさえもわからないくらいだ。

 一応、パートナーとして見初めて貰えたくらいだからある程度の意思疎通は出来ていると思っているけれど、やはり喋ってくれないというのは難しい。

 そう考えると、父は不随の武装を二人もパートナーにしていたらしいけれど、と思い出して、問うてみた。

 それこそ、不随の武装当人に。

「私に何か御用でしょうか、切坊ちゃま」

「ネキさん。さすがに坊ちゃまは、その、ちょっと恥ずかしいな……」

「申し訳ありません。つい」

 ミーリ・ウートガルドを支えた六つの武装のうち、生き残った三つのうちが一つ。

 人名、ネキ。武装の名を、宿り木の剣ミスティルテイン

 杖、剣、槍、弓と形状を変化させる特殊な武装で、一応は剣に分類されている。

 そして武器としての逸話故なのか、彼女は盲目の身で召喚された不随の武装だ。普通、武装は病気もしないし、怪我も霊力さえ補充できればすぐさま治るのだが、ごく稀にこういった武装が召喚される。

 今やミーリ・ウートガルド最強の武装にして常勝の聖槍であるロンゴミアントも、かつては不十分な召喚だったために槍の脚だったという。

 名のある槍の武装は特別召喚が難しいらしいが、それでも槍脚の形状でも召喚できたのは希少かつ貴重な例だ。

 ましてや、零の召喚したロンゴミニアドには、それらしい欠点が存在しない。強いて言うなら意思疎通が難しいくらいだが、本当にそれくらいだ。

 だが、切のパートナーはムゥである。相談は、彼女のためにすることだ。

「なるほど……ムゥ様とのコミュニケーションに、戸惑っておいでなのですね」

「今更って感じもするけれどね。ただ、僕が今までやって来れたのは彼女のお陰だし、ずっと僕を支えてくれたのはあの子だから。せめて、あの子のパートナーとして、もっと何か出来ないかなって思ったんだ」

「武装にとって、そう考えて頂けるだけ、とても嬉しいことです。私も、主様にはとても感謝しております。女神を討ち倒した戦いから、未だ私を置いてくださって、わざわざ点字のついた本まで買って下さって。何かしてあげたい。その気持ちから生まれる言動は、なんであれ、嬉しいものですよ」

「その耳飾りも、父さんがプレゼントしたんだっけ」

 ネキの両耳で揺れる、エメラルドがあしらわれた耳飾り。顔を動かすと、とても小さいが鈴の音が鳴る装飾を、ネキはずっと付けていた。

 ロンゴミアントには指輪を、他の武装にもそれぞれ宝石をあしらった贈り物をしているらしく、消えてしまった三人が遺して逝った装飾は、ミーリの部屋で大切に飾られている。

「盲目の身である私には宝石の価値はわかりませんが、こうして音に変えて下さいました。他の皆様も、趣味が悪いだなんて言っていた武装でさえも、大事にされていました。ですが、高価だから大事にしているのではありません。ここに、主様のお気持ちがあるから、大事にせずにはいられないのです」

「つまりは、気持ちってこと、か……」

「はい。具体的な方法を示して見せることは、申し訳ございませんが私には叶いません。しかし何かしてあげたい。その気持ちは、とても、大切なもの。是非、大事になさってください」

「……ありがとう、ございます」

 ふと、窓の外を見る。

 灰色の雨雲が天を覆いつくし、ポツポツとだが、雨が降って来た。

「零、傘を持ってないんじゃないかな」

「本日も、風紀委員の御職務で遅くなると、言っておりましたね」

「大丈夫、かな」

 その頃、零は道の中央で立ち尽くしていた。

 相手もまた、道の真ん中で仁王立ちして通す気配がまるでない。深く被ったフードの下で、何かブツブツ言っているようだが、気味の悪い男だ。

 体格からして男だとわかるが、それ以外の情報が一切ない。服の構造的に、袖に小型ナイフを隠していてもおかしくないが、生憎と探るための霊力探知は苦手だ。

「通して頂けますか」

「お、おぉっ……!」

 初めて聞こえる声量が出た。が、ガスでも吸っているのか、妙な声だ。顔を隠すフードといい、見るからに――いや見えないからこそ怪しい。

「おね、がい……おまえの、おね、がいぃ、叶えて、やろ、やろ、う、か?」

「私の、お願い?」

「た、とえば……そう――と、か」

 たどたどしく、また覚束ない様子で喋る相手が、唯一ハッキリと言った言葉。その言葉だけがハッキリと聞こえたのはわざとか、それとも、本当に零が心から望む願いだからか。

 零には、判断できなかった。

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