身勝手契約
対神軍、
場所を知るのは、総督であるミーリを含めた上位幹部と、彼の本妻、側室のみ。
霊力の満ちた濃霧によって、あらゆる外敵の侵入を許さない。元はウートガルド家の別荘だったというが、形状も規模も、王国の城と変わらない。
その堅牢さから、要塞とさえ呼ばれる本部の総督室の警備はより厳重で、幹部の中でも数人しか入室を許されていないのだが、当人が禁じたわけでなく、逆に誰でも信用してしまう総督の人の好さを皆が心配しているが故の措置である。
「ミーリ!」
部屋に入れる少ない人間――本妻の
ノックもされずに急に扉が開いたので、驚いたロンゴミアントが、彼女の首に突き付けた脚をゆっくりと下した。
「空虚、いつの間に来たの? 来たなんて報告は受けてなかったけれど」
空虚が答えるより前に、電話が鳴る。
『ミーリ様、今そちらに空虚様が――』
「あぁ、うん。もう目の前にいるよ。連絡ありがとね」
連絡を切って一秒もしないうちに、空虚が吐息した。
「入り口を通過されてから五分も経ってようやく連絡とは、危機感が足りぬな」
「空虚、口調が戻ってるよ」
「子供達もいないし、今はいいだろう? 何より、夫の前だ。素でいたい」
正妻、空虚。
子供達の前では口調が移ってはいけないと自重しているが、これが彼女の素だ。
それこそ一人称を俺、僕とさえ言いそうなほどの強い言葉を使う。荒野道場の師範でもある彼女の実力を、裏打ちしているような印象だ。
そしてそんな彼女を、ミーリは愛した。今も尚、変わりなく。
「それで、どうかした? 何か家であったのかい?」
「あぁ、実は昨日から、
「変? と、言うと?」
空虚がソファに座り、ミーリもまた隣に座る。
二人が並んで座る姿がもう夫婦として出来上がっていることに、ロンゴミアントは微笑んだ。
二〇年も経てば当然のことなのだろうが、武装の感覚だと、二〇年などあっという間過ぎて、変化するには短過ぎて感じるのである。
「十日ほどまえから、風紀委員に入会したのは話したろう? そのとき何かあったのか、家に帰ってくるとほとんど誰とも話さないんだ。私とだけならまだしも、
「そっか。ロー先輩から連絡はないし、アロンは――まぁわざわざ報告してくるはずもないか」
「おまえが何か聞いていないかと、こうして乗り込んできたわけだが……すまない、仕事の邪魔をしただけだったな」
「大丈夫だよ。むしろごめんね、いつも側に居てあげられなくて。不安だったよね」
「もう、いい大人なのにな」
「大人だって不安になるさ」
肩に乗る妻の頭をそっと抱き寄せ、梳かすように撫で下ろす姿は、若い頃からずっと変わらず、互いに寄り添い支え合う、ロンゴミアントにはなれないパートナーの形。
結婚してから二〇年も経てば、関係性を含めて色々なものが変わっていくだろうに、この二人に限っては、ほとんど変わることがない。
互いに互いを想い続けていて、何より二人共幸せそうだから、ロンゴミアントは見ていて少し妬いてしまうものの、誇らしく感じていた。
「だけど、切とも距離を取るだなんて、心配だね。あの子は?」
「彼女も口止めをされているようだ。王命だからと、頑なに教えてくれなかったよ」
「困ったね。まぁ、零を主として認めてくれてるのは嬉しいけれど、王命と来たか……」
「彼女はいい。問題は零の塞ぎ込んだ理由だ。何度かあったが、今までの比では――」
「ごめんね」
空虚の言葉を遮った連絡を、ミーリは取る。
ただの連絡ならば捨て置くものの、たった今鳴り響いたのは警報に近く、緊急性の高いものだった。解決を急ぎたい案件ということである。
さらに重要な案件だったようで、連絡を受けたミーリの顔つきが変わり、連絡を切ってすぐ、重い吐息を漏らした。
「大丈夫か?」
「大丈夫だよ」
そう返すミーリの顔色は、笑顔ではあるものの相当に悪い。
心配させまいと頑張っているのだろうが、余計に心配を煽ってしまっていることに気付いていない。そのまま流してしまうことも出来るが、限度がある。
空虚は持ってきていたバッグから水筒を取り出し、飲めと差し出した。
「無理をし過ぎだ」
「……ありがと」
他の家族にも誰にも言っていないことだが、最近のミーリは異常な速度で衰えていた。
年齢のせいもあるだろうが、それでもまだ四〇代。先日荒野道場を襲撃した老人の半分以下の年齢で、あり得ないほど衰えている。
女神との戦いで、身に余る力を使ったが故の反動であろうが、まるで常人の倍――三倍、四倍の速度で力が衰えていた。
体力も気力も霊力も、まとめて言ってしまえば、生きるための力を失いつつあった。
しかしこれは病でも何でもなく、老衰がただ凄まじい速度で迫っているようなもの。特効薬もなく、安静にしていればいいというわけでもない。
それこそ体が機能を停止するのを遅らせるため、体を労わってやることしか出来ない。
彼の命の終結は、もはや誰にも予測できないほど早くになるだろうことが、決定づけられていた。この事実を隠すためにも、総督室に入れる人物は限られているのである。
今度は空虚がミーリを座らせ、汗で湿る額をタオルで拭う。
「それで、そんなにも酷い報告だったのか?」
落ち着くためにと、促されたお茶を飲んだミーリは、首を横に振った。
「内容自体は、そんな衝撃的なものじゃないよ。ただ最近立ってたある噂を検証した結果が来ただけ」
「噂?」
「一ヶ月くらい前からかな。それこそあのお爺さんが道場を襲撃した日の少し前くらいから、全国八つの対神学園で、同じ噂が広まり始めたんだ。ほぼ同時期にね」
「確かに妙な話だな。その内容は?」
「人けのない場所を一人、もしくは武装との一組で歩いていると、絶対に顔を見せない人影が現れて、願いを一つ叶えようと誘ってくる。それと契約を交わすと、願いが叶う――っていう、今の世間体じゃあり得ない噂だよ」
ミーリがあり得ないというのは、契約を交わすと願いが叶うという、さも神や悪魔を崇拝しているものが流すような内容の噂が広がっている点である。
神々を未だ敵視する世間の、それも将来に神々を打ち倒さんと集った学生らの学び舎で、そんな噂が広まること自体あり得ない。
だからこそ調査させたことは、空虚にも理解できた。
「結論から言うと、未だ判明出来てない。現れるっていう人影も確認できてないし、まずその人影に願いを叶える力があるのかどうかさえ、疑わしい段階だ。けれどこの一ヶ月で、学園内での生徒同士の抗争がやけに起きてるんだ。もちろん、ストレスの原因なんて人それぞれだから、自暴自棄になるタイミングなんてわからない。けれど――」
「世界八つに分かれている学園の全てで、しかも頻発しているとなると、か」
ストレスの原因など、千差万別の一言で片付けられないほど多い。
だがそれでも、世界中に散らばる八つの学園全てで同時多発している生徒同士の抗争には違和感を否めないし、何よりそれらの背後に感じざるを得ない噂の人影。
何か関連があると思わざるを得ないのだが、果たしてそれが噂を流した誰かの狙いなのか否か。だとすれば目的は何なのか。
いずれにせよ、未だ更なる調査が必要な段階。結論を出すにも、指示を出すにも早すぎる。
だが現在報告されている抗争の結果だけでも、重傷を負った者もいればその後の戦線を完全に離脱せざるを得なくなった者。そこまでの傷を負わせて責任を取らされている者もいる。
陰謀の正体も狙いもわからないが、どのような理由であれ、子供を巻き込まれるのは近しい歳の子供達を持つ親として我慢ならない。
「そういえば、零は無事かい? まさか塞ぎこんでるって、何か大けがを――」
「いや、彼女のお陰でここのところの怪我もない。むしろ大活躍しているらしくてな。本人はあの性格だから謙遜するが、
「……そっか」
「何か心配事が? 奴は立派にやっていると、ツバキらからも連絡を貰うぞ」
アロンが風紀委員に誘ったと聞いたとき、確かにあの槍の能力なら敵を無力化するには最適だろうと思ったが、同時に、だからこそ心配していた。
何せその能力は、零が弱くないと強くない。
あれは敵の能力値をただ下げるのではなく、持ち主よりも下げるというもの。つまり常人を超えた強者が握ったところで、さほど効力を発揮しない能力だ。
皮肉なことに、零ほど脆弱かつ貧弱な者が握ってこそ真価を発揮する能力だ。
彼女が槍を振るって活躍すればするほど、それは彼女の弱さを改めて、さらに強い形で周囲に認識させていることであって、強くなりたいという彼女の願いとは正反対の結果を生んでいる。
人間は自分の功績よりも、失敗の方を強く記憶に焼き付ける。長所よりも、短所の方を先に言えてしまえる人が多い。
零はその典型的なタイプの人間だ。そういう人間に、彼女の弱さがしてしまった。
だから彼女がこの事実に気付いてないはずはなく、彼女が塞ぎ込む原因はそれではないかと、思っていたのだが。果たして杞憂と見送るか。それとも――
「それで、
子供達の前で使う口調にしたのは、わざとだろう。
一人の妻としてではなく、荒野空虚という家族として許さないという現しだ。たった一人が通したい我儘ではないという意味合いを込めた、愛ある忠告だった。
「もちろん、そんなことはしないよ。だけど看過することも出来ないからね。これまで人影と――そうだな。“身勝手契約”をした生徒から、どんな生徒が対象になるか幾らか絞ってる。その子達を中心に、護衛を付けようと思うよ。念のため、零の見張りにも一人付けようか」
「だが、彼女は零の周囲に探知網を常時張ってる。懐に入れさせなければ、見張りも護衛も出来はしないぞ。むしろ敵と認定されて、無駄な争いを生みかねない」
「だからって零に前もって言ったら、また傷付いちゃうだろうしねぇ……ロン。今、俺の事過保護だとか思ったでしょ」
邪魔はしないと、部屋の隅で息を潜めていた聖槍の視線に気づく。
そんなことはないわ、と否定しているのは言葉だけで、称える微笑は否定しておらず、むしろ肯定さえしていた。
「でも本当にどうするの、ミーリ。あの子の探知網を掻い潜るのは、相当に難しいと思うのだけれど」
「そだね……じゃあロー先輩にもご協力して貰って、潜入させちゃおうか」
この発言には、さすがのロンゴミアントも驚いた。
何せ今まで如何なる事態にあっても、ミーリが自分のコネを使って何かをしようなんてしてこなかったからだ。
まさか自分の娘に護衛を付けることに、ここまで力を注ぐだなんて思ってもいなかった。
「でも誰を? そんな都合よく動ける子なんて、ここにいた?」
故に問題は人材だったのだが、無論潜入させると言うだけあって、ミーリには心当たりがあるらしい。
すぐに受話器のダイヤルを回し始めた。
『もしもし! お呼びですか?!』
「うん。なんか今、大きい音が聞こえた気がしたけれど、トレーニング中だった? 邪魔してごめんね」
本部内設のトレーニング施設。
霊力で稼働するトレーニング機器もあり、対人戦闘訓練も出来る地下施設。
連絡用の漆黒蝶を指に止める彼女の背後で、倍以上の体躯を誇る大男が倒され、倒れた際の脳震盪によって立ち上がれない状態にあった。
「いえ! 問題ありません! それよりご用件を!」
『君にちょっと任せたい案件があるんだ。詳細を説明したいから、総督室に来てくれるかな』
青い双眸。ただし片目は青より暗い紺色。
結んでいる髪は、海よりも空よりも澄んだ青色。
総督直々の御指名ということが嬉しいようで、汗を拭っていた彼女は満面の笑みで破顔する。
『じゃあ、待ってるから。来てくれるかな、ルイ』
「はい! すぐに向かいます! お兄様!」
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