純白剥離の槍

 ラグナロク生徒会。

 七騎の一角、ツバキ・イス・リースフィルトが会長を務める学内二大組織の一つ。

 生徒に関する情報と、予算を管理するのが主な役割。生徒が新たな武装を召喚した場合、その真名と能力を情報としてまとめるのも、彼女達の仕事だ。

「何やら、外は騒がしいな」

 丁度仕事を終わらせたツバキは、書き終えた書類をまとめてペンを置く。

 今年度で六年生になる彼女はすでに卒業に必要な単位の大半を取得しており、この日は午前中ずっと、生徒会の仕事に勤めていた。

 故に食堂の騒動も知らず、仕事が終わって初めて、外の喧騒に気付いたのだった。

「何やら第一闘技場で、決闘が行われるのだとか。この時期だと珍しいですね」

「うん。そうだな……」

 新たな学年にて迎える新年度。

 誰もが不安と緊張とで不安定になりがちだが、不安定だからこそ引き籠るような生徒はいるが、自分から騒ぎを起こす生徒は少ない。

 決闘自体はラグナロクに限らず、全対神学園にて日常茶飯事レベルで行われているから珍しいことではないのだが、時期的には珍しかった。

 決闘申請は武装を持つ学生同士でしか出来ないので、特例を除いては武装の召喚を許されてない一年生ではないだろう。この時期にいざこざを起こすとなると、もっとも精神的に不安になる彼らなのだが、決闘となると話が変わる。

「相手は誰だ?」

「少々お待ちを……申請はカウーレと――え」

「どうした?」

 確認した副会長は、一瞬混乱した。

 何せそこには出てくるはずもない――いや、出てくる可能性もゼロではなかったのだが、しかし彼女が出てくるなど、誰も思わなかったからだ。

 何せやるまでもなく、勝敗など誰の目にも明らかに見えているのだから。

「どうしたんだ」

「あ、いや、えっと……荒野あらやれい、です」

「なんだと?」

 ツバキもまた、零の名前が出てくることは予想出来ていなかった。

 確かに補習先で武装を召喚した彼女には、決闘を申請する権利も受ける権利もある。が、いくら何でも相手が悪すぎる。

 カウーレも生徒会に所属しており、元ではあるが、同じ七騎だった彼女の実力はツバキもよく知っている。

 武装の人格を否定する性格にこそ難はあったが、鞭という拷問器具を武器にまで昇華した彼女の音速の一撃には、感心さえしていた。

 だが麒麟きりんに座を奪われた後の彼女は、随分と荒れている様子だった。つい最近の討伐依頼では、対峙した悪魔を必要以上に痛めつけ、嬲り殺しにしたと聞く。

 そんな中で零が名のある武装を召喚したと聞いて、気に入らなかったのだろうが、まさか決闘とは――

 零が嬲られ、痛めつけられ、醜態を晒す姿を想起したツバキはすぐさま立ち上がった。

「第一闘技場であったな」

「仲裁は決闘のルールに反します。それにあなたが助けに入ったら、逆に荒野さんの立場が」

「わかっている。ギリギリまで手は出さぬさ。奴の嗜虐心が疼く前に止める」

 ツバキはすぐさま、第一闘技場へ向かった。

 すでに噂となっていたようで、随分と人が多い。

 零の召喚した武装に興味があるのか、ただの野次馬根性か。いずれにせよ、彼らの目に零が辱められる姿だけは映すまい。

 産んでくれた母こそ違えど、家族には違いないのだから。

「来た! カウーレ・オルトクラムだ!」

 カウーレの入場。だが、歓声はない。

 歓声が上がったなら、ツバキはこの学園生徒全員の道徳を疑っていた。

 パートナーは首輪を嵌められ、繋がるリードを握られ、操られていた。全身には生々しく痛々しい傷跡。もう抵抗する気もないのか、ずっと黙ったまま俯いている。

「ここまで堕ちたのか、カウーレ……」

 全体がカウーレに注目し、ざわめき立っていた。

 本人に直接文句を言えば、彼女のパートナーの二の舞になることは確実。故にヒソヒソと、皆が小さく漏らす中、彼女は冷たくなった空気など一蹴するかのように現れた。

 颯爽と歩く道筋は、揺らぐことない一直線。

 立ち止まれば、絶世の美しさで以て周囲からの視線を独り占めにし、ザワついていた全体が一挙に静まり返った。

 彼女の美しさの前では、言葉さえも邪魔になる。

「……レイ。もう治まりました。ご安心を」

「うん。みんな、あなたに夢中だね」

「私は舞台を整えたまで。この静寂を、今度は貴君が破るのです。万雷の喝采で。そして貴君なら出来ます、我が君、レイ。貴君は、私が必ずや勝利させましょう」

「……うん、ありがとう」

 二人のやり取りはボソボソと小さく、カウーレの距離からは聞き取れなかった。

 が、周囲の目が二人に向いているのは明らか。

 気に入らない。無能の彼女が注目を浴びているのも、武装が注目を浴びているのも――

「さっさと武器になりなさい! この鈍間!」

 リードを引かれ、首輪が締まったパートナーが悲鳴を上げる。

 握っていた部分がそのまま柄となり、リードから首輪へと繋がる少女の姿が八メートルにも及ぶ鞭へと変わる。

 試しに放った一撃が空気を裂いて、地面を割った。

「叩き潰してあげる! 歪めてあげる! 二度とそんな茶番が出来ないよう、永遠にね!!!」

 零は静かに、深く呼吸を繰り返す。

 未だ心拍の高鳴る胸を撫で下ろした手を、彼女へと差し出した。

神霊武装ティア・フォリマ

 差し出された手を掴んだ彼女が真白の光となって、零の体を包み込む。

 ドレスワンピース型の白銀の甲冑が体を包み、右手には純白の槍が握られる。

 槍の名は、純白剥離ロンギヌスの槍。

 ミーリ・ウートガルドの操る槍はスピアと呼ばれる部類だが、零の手に握られているのはいわゆるランス。

 シルエットとしては全体的に細い形状をしており、零でも持てそうなくらいに軽く見えるが、柄の先にある螺旋を描く円錐は、命を奪うためと言わんばかりに、鋭く伸びていた。

 美しく、猛々しく、神々しい。武装を見てそんな感想を抱いたのは、ツバキは初めてだった。

いざ尋常にオン・ユア・マーク――】

 双方が武器を構えたため、自動音声が再生される。

 カウントはテン。その間に仕掛けることは言うまでもなく禁止されているが、威嚇、威圧は禁じられていない。

 カウーレのように鞭を振るい、空気を裂き、地面を割る破裂音を轟かせることもよし、零のように堂々と立ち尽くし、沈黙無言のプレッシャーを掛けるもよし。

 だが零が立ち尽くしたところで、カウーレは臆しはしない。彼女が学内最弱であると、すでに知っているからだ。無言で立ち尽くそうが槍を振るおうが、懸念要素は何もない。

試合セット――】

 やる前から勝敗は決している。

 相手は槍、こちらは鞭。明白なまでのリーチの違い。

 彼女が懐に入り込んでくるようなら脅威だが、そんな膂力もないことは把握している。

 彼女は何もできず、ただ荒れ狂い襲い掛かる鞭の応酬に跪き、泣きじゃくるだけ。首を締めあげて落とし、二度と歯向かえないように恐怖を傷と共に与えてやる。

開始レッツ・ゴー・アヘッド

 最大射程は八メートル。一歩踏み込めばすぐに届く。

『跪きなさい』

「え?」

 一歩、踏み込んだ。

 だが両脚が力を失い、踏み込んだ足を前にして片膝を付く。

 自分でするわけがない。今自分は、攻め込もうとしたのだ。服従も降参もするつもりはない。

 何より、零はまだ何もしていないのだ。降参する理由がない。

「こ、この――っ!」

『王の御前である。首を垂れよ』

 立ち上がれない。

 重力操作かとも思ったが、圧し付けられている感覚はない。

 ただただ聞こえてくる言葉に従うしかない。精神汚染による体の支配でないことは、自我がハッキリとある今わかる。

 ならば何故、どうして――

 相手は無能の異名さえ持つ最弱。自分の方が実力は圧倒的上のはずなのに。

「あなた、一体、何を……!」

『静まれ』

 もはや彼女を見ることさえ出来ず、口答えさえも許されない。

 ずっと握り締めていた鞭を初めて手放して、カウーレはなんとか頭だけは下げまいと、両手を床について脂汗を浮かばせながら抗う。

 が、周囲はそんな彼女を不思議そうに見つめていた。

 周囲からはただ彼女が跪き、頭を下げまいと必死に抗っているようには見えたものの、しかし何がそうさせているのかまでは誰にも理解できなかった。

 何せ零は、武装をまとってから一歩も動いていなかったからだ。霊力にも、変動はない。

 むしろ、変化があったのはカウーレの霊力。どういうわけか、大きく減少している。それこそ、今現在対峙している零よりも少ない。

 だがまだ戦いが始まってから、攻防の一つもない。彼女だけがそこまで消耗する理由も、普通に考えればないはずだが――

「あの武装の能力か」

 それ以外に考えられない。が、まったく動きがないため、ツバキを含めた誰もが未知の力として、武装の能力について見当をつけることも出来なかった。

 そして零も、驚いているのだろうがとても静かだ。とても静かに、自分が身にまとう武装を見つめたまま動かない。

「――っ!」

『平伏せよ』

 ついに抗え切れず、地に顔を伏せる。

 その形はまるで、王に救いを乞うような無力の姿。貴方には敵いません、逆らいませんという忠誠と同時、逆らったところで敵わないと悟った証。

 プライドの高いカウーレからしてみれば、戦わずして降伏したと同義であり、これ以上ない屈辱の姿勢であった。

「アディ、もういいよ」

『畏まりました、レイ

 フッ、と、カウーレは何かから開放される。

 未だ力が湧かない感覚はあるものの、言葉を発することも立ち上がることも、鞭を握りなおすことも出来た。

 だが体中汗だくで、化粧も落ちそうになっている。息も絶え絶えで、彼女に戦う力が残っているとは、誰もが思えなかった。

「同情でもした……? 私をあのまま倒すのは可哀想だとか思ったのかしら。ふざけるんじゃ……ふざけるんじゃないわよ、ゴミが!!! 何様のつもりで、私に同情なんてしてるつもりだぁぁぁぁっっっ!!!」

 疲弊して尚、速度を失わない音速の鞭。

 最大射程八メートル先の零は、諸に受けた。肌は刃に斬られたか如く裂け、骨には亀裂が入り、肩は抜けていた――はずだった。

「へ……?」

 間の抜けた、実に力のない声がカウーレから漏れる。

 速度は充分。鞭に力も乗っていた。が、響き渡った破裂音が空しく聞こえるほど、零にはまるで効いていなかった。

 肌も装甲も、傷一つない。裂傷どころか、鞭が当たった痕跡さえ、与えられていなかった。

「そ、そんなわけが――!!!」

 鞭は確かに、武器と呼ぶには足りないかもしれないが、音速で撃ち込まれる一撃は充分に人の体を痛めつけ、発する破裂音は恐怖を誘う。

 神霊武装ティア・フォリマへと昇華された鞭の一撃は、音速へと至れば岩をも砕く。

 が、鞭の使い手で通ったカウーレ・オルトクラムの攻撃は、岩どころか少女の皮膚すら裂けず、甲冑に傷さえ与えられない。

 武装の能力は、相手との距離が遠ければ遠いほど与えるダメージが大きいというもの。最大射程八メートルにいる零には、最高速度、最高威力の一撃を叩き込んでいるはずなのに。

「なんで――なんで!」

「それが、無能の恐怖です。最弱の、無力の恐怖。敵はいつだって自分より強大。護りたいものも、護りたい人も護れない。ただただ自分が弱いことを呪って、恨んで、どれだけ努力しても実を結ばない。この怖さが、あなたにわかりますか?」

「そんな無能の言い訳、知る訳がないでしょう!?」

 十や二十では収まらない。

 音速を超えた一撃が幾度も撃ち込まれ、見ている方が痛みを感じてくるほどの応酬が千に及ぶ数にまで達したとき、カウーレの動きが止まり、震える手から鞭を落とした。

 さすがのカウーレも、鞭を振るい過ぎたのだろう。疲労困憊となった筋肉が痙攣し、酸素が足りないと悲鳴を上げる体が大急ぎで酸素を取り込ませようと、彼女に過呼吸を強いる。

 それだけ体を酷使しても、目の前にいる零に傷一つ付けられず、一歩も動かせていなかった。

 元七騎。学園最強の一角に数えられる実力者、カウーレ・オルトクラムは知らない。

 自分がまったく敵わない敵との遭遇。自分が何も出来ない無力感。それを知ることで付いて来る絶望感。そこに湧いてくる感情は――何もない。

「――」

「な、何かしら?」

「いえ、独り言ですから」

「何か気になるでしょう?! 言いなさいよ! え?!」

 ただの独り言にさえ、動揺を隠せない。

 心が、気持ちが、小さくなっていく。自分という存在が、これ以上なく小さくなっていく。

「では代わりに、この武装の能力を。この槍は――私の気持ちを知ってもらうための槍です」

 決して、速くはない。

 霊力で強化しているのかと、疑ってしまうくらいの鈍足で走る。

 だがすでに、カウーレにはその鈍足を躱す体力さえ、残されていなかった。自ら、正体の知れない能力で大幅に削られた体力を無駄に浪費してしまった。

「く、来るな……!」

 躱せない。避けるだけの力が湧かない。

「来るな……!」

 嘲り笑っていた鈍足が迫る。感じるのは、紛れもない恐怖。

「来るなって、言って……」

 無力。無力。無力。今の自分の現状。抗いようのない今、迫り来る敵。

 湧き上がるのはひたすらの恐怖。力強かった言葉さえ、恐怖で竦み、情けなく震えるばかり。

 尊厳はなく、気位もなく、あるのはひたすらに込み上げる恐怖。振り上げられたランスの一撃が自分の頭を砕く、今まで考えたこともない光景ばかりを想像して、恐怖を助長させる。

「く、くぉ……」

 殺される――安全装置の存在も忘れて、そんな予感が脳天を貫いたとき、背後より鈍い一撃が、カウーレの意識を刈り取った。

 振り下ろそうとしていたランスを下ろし、零は目の前で卒倒する彼女を見下ろす。

 そして彼女の意識を刈り取った張本人が、彼女を片腕で担ぎ上げた。

「戦意喪失。才能に溺れ、自身の高いプライドに驕ったが故の敗北だ。カウーレ・オルトクラム。元とはいえ、七騎の決着にしちゃあ情けなかったな」

 闘技場全体がザワつく。

 彼の登場は誰も予期しておらず、ましてや介入してくるなど更に想像していなかった。

 何より、彼が学園に来ているなど珍し過ぎて、まずそこから、驚かなければならなかった。

「これは、珍しい奴が出てきたな」

 赤い髪の下で光る金色の双眸が、二メートル近い高さから零を見下ろす。

 零も彼とは面識があり、何度も話したことがある。何せ同じ父の血を引く、終焉の世代。

 ツバキと同じ歳で、世代最強にしてラグナロク現最強を誇る男。

 ラグナロク六年、風紀委員長、アロン・クーヴォ。

「……久しいな」

「アロンさんも、お久し振りです。珍しいですね、学園に来るなんて」

「まぁな。とりあえず、だ」

 腕を貸せ、と指で誘う。

 誘われるまま差し出すとアロンに捕まれ、高々と掲げられた。身長差があるせいで、半分背伸びさせられている状態である。

「カウーレ・オルトクラムの戦意喪失により、勝者! 荒野零!!!」

 数秒の静寂の後、歓声が上がった。

 不正を疑う者も若干名いたが、それでも大半は元七騎の一角を『無能の零』が下したことに興奮し、喝采を送る。

 ツバキもまた安心から一気に疲れて、大きく溜息しながら肩の荷を下ろすように力を抜かす。

 学園にて初の勝利。初の栄冠に、零は込み上げる物を堪え切れず、袖で拭った。

「ありがとう……アディ」

『すべては貴君の力です、レイ

 純白剥離ロンギヌスの槍、ロンゴミニアド。

 この名前は隠しておきたい。なら呼び方はどうしようかとなって、戦いに出る直前に付けられた愛称で呼ばれた槍は、どこか微笑んでいるかのような柔い声音で、主の勝利を静かに称えるのだった。

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