神霊武装契約
琥珀――いや、蜂蜜色と呼ぶべきなのだろうか。
彼女の髪からは、まるで花のような甘い香りが漂ってくる。
霞む視界でさえわかるほど整った、端正な顔立ち。声音は玲瓏。
世界屈指と呼ばれる芸術家が総動員したところで、彼女を美化することは叶うまい。
何せ彼女という存在が、すでに最高の美を体現してしまっている。彼女をモデルに彫刻を彫ろうが絵を描こうが、彼女を上回ることは出来ないだろう。
「命令に従い参上しました。王たる我が君。貴君の槍たるこのロンゴミニアドに、命令を」
そうは言われても、彼女の言うところの王には今、言葉を返すだけの余力がない。
察したのか、彼女は緋色の双眸で腕の中の
「我が君。暫し御辛抱を」
零を抱えていることなど感じさせないくらいに颯爽と、風を切る速度で駆け出す。
目の前に聳える悪魔など眼中にないと言わんばかりに無視して通り過ぎると、ミーリとロンゴミアントが控えていた森へと飛び込み、迷うことなく二人の下へ零を運んだ。
ミーリはもちろん、ロンゴミアントは驚きを禁じ得ない。
感じられる霊力の質から、自身と同じ武装であることはすぐにわかった。だからこそ、彼女の身体能力の高さに驚かされる。
全盛期とまでは言わないが、自分を召喚したばかりのミーリを思い出したほどだった。
本来、武装がそこまでの身体能力を有していること自体、あり得ないことだというのに。
「君は……何者かな?」
「緊急事態につき、返答は後に回させて頂きます。すでに問いに対する回答が、あなた様の元にあらせられるご様子ですので」
「確かにそうだね。まずはその子の治療だ。手伝ってくれるかい?」
「いえ、私はこれより敵の殲滅に向かいますので。我が君はお任せします」
否、と返す暇さえ与えない速度で敵へと走る。
ユーリが悪魔の振るう鎌から手刀を駆使し、
気付いた悪魔が振るう鎌を足蹴にして、より高く跳んだ彼女の後背に現界したのは、飛翔する一二の刃。力の解放と断罪の命令を待つ幻影が、彼女の背にて円を組む。
「我が君の窮地故。一瞬で、滅却します」
「うん? あの子、一体何してるの、か、な……?」
彼女が何か唱えているのは感じられたが、高過ぎて聞き取れない。
技の口上なら別に自由だが、口上だというのなら、徐々に高まる霊力の質に驚きを禁じ得ず、さらに説明がつかなくなる。
だが今確かにわかることは、この場にいてはマズいということだ。
有無も言わさず、そして自分も言う暇なく、ユーリは切を担ぎ上げて走り出した。自分が走り出して初めて、突如現れた謎の美女の身体能力の高さに気付く。
「――“
一二の刃が連結し、槍の形になると高速で回転。
輝ける黄金を放ち、天より降り注ぐ光芒となって悪魔へと飛来。
蜘蛛の眼が揃って眼光を飛ばす脳天から胴体、腹部を貫いて、悪魔の巨躯を爆散させた。
漆黒に濁った体液が通り雨の如く降り注ぎ、熱を発する大地に落ちて蒸発する。血液の鉄臭い異臭までもが蒸発して消え去ってから、彼女はフワリ、という擬音が似合うくらいに悠々と、ゆっくり着地した。
直後、彼女は再び風を切って疾走する。先に走り出したユーリさえも置き去りにして、一直線に零の下へ――主の下へ、
「ありがとう。零はもう大丈夫だよ」
「お礼申し上げます」
距離は一キロもない。六〇〇メートル後半程度だ。
だがその距離を往復し、途中、一撃で屠ったとはいえ悪魔と戦った彼女は、まるで息も切らさず平然としていた。
平然と静謐を保ったまま、自分を召喚した主を緋色の双眸で見つめている。表情筋も瞳孔もまったく動かさず、安静な呼吸で眠る零以外には眼中にすら入れることなく、ただ見つめていた。
「この子は零。僕の娘だ。君はこの子が召喚した
「はい」
「お名前、聞いてもいいかな。あぁ、俺は
「――」
沈黙。
答える様子はなく、素振りもない。
かと言って迷っている様子もなく、自身で決めて黙っている様子だった。
「君ほどの武装が名無しってことは、ないと思うんだけどな」
「名はあります。ですが、我が王たる君の許しがない以上、勝手に名乗ることは出来ません」
「この子が名乗るなって?」
「いえ。ですが、この名はこの時代においても有名に過ぎます。名前から能力、弱点、その他情報が流出、漏洩するとも限りません。故に我が君の敵となり得る確率が存在する相手に、許しなく名乗ることは我が君の命に繋がります」
「ちょっと! ミーリはその子の親なのよ?! 敵になるなんて――」
「血の繋がりなど戦場においては意味を持たず、ましてや血の繋がりが戦場を作ることさえあり得ます。貴方様含め、敵になり得る可能性が一割でも存在するのなら、私が我が君のため、名を明かすことは出来ません」
堅物。
出会ったまだ数分も経ってないが、今のやり取りだけで、ロンゴミアントは彼女が苦手だと判断した。感情論も通じず、家族でさえも敵になり得ると言い切る彼女のことを、好きになれるとは思えなかったのである。
何せロンゴミアントのパートナーは、家族を婚約者の皮を被った女神に殺され、その婚約者を自ら手に掛けなければいけなかったのだから。
が、ミーリは特別怒るようなことはしなかった。
むしろそっか、と言って笑っている。
「その気持ちわかるよ。いや、君とは少し違うんだろうけれど、この子の親だからね。しかも女の子だから可愛くって、そこらの奴にはくれてやるものか! っていつも思ってる。だから嬉しいよ。さっき召喚されたばかりの君が、僕の大事な娘を懸命に護ろうとしてくれていることが。ありがとうね」
「召喚に応じた身として、当然の責務です」
直後、零が小さく呻いて目を覚ます。
自分の顔を覗く父とロンゴミアントの姿を見て安堵し、側に見知らぬ顔があることに疑問符を浮かべつつ、朧気に残っている記憶を手繰り寄せて思い出した。
「私が、あなたを……?」
「はい。我が王たる君。あなたの呼びかけに応じ、馳せ参じた次第にございます」
まるで姫騎士。
鎧兜も甲冑も着ておらず、腰に剣もない。
だが端麗な容姿と、彼女が発する言葉とがそう思わせる。
もし彼女が今、横たわる零の唇を奪ったとしても、童話の王子か騎士と姿を重ねて、不思議に思うことも少ないだろう。
「……切、にぃは?」
「大丈夫、無事だよ。もうすぐユーリくんが連れて来てくれるはずさ」
「そっか……よかっ、た……」
「零? 零! 零――!」
目を覚ますと、何度も見てきた天井があった。
日付も掲示している壁時計を見て三日も経ったことを知り、隣を見て夢でなかったと知る。
甘い香りのする蜂蜜色の髪の下、輝く緋色の双眸がジッと見つめていた。
「ずっと、そこにいたの?」
「主を護るのが、私の務めですので」
改めて見ると、やっぱり美人だ。
ロンゴミアントも、零を含めた女性が皆憧れるような美人だが、彼女の美しさにはどこか、触れ難い品がある。
王族や貴族のイメージは物語や童話。身近なところで言えば、最高位貴族のリースフィルト家の令嬢であるツバキしか知らなかったが、それらが一番存在に感じられた。
ただし彼女の場合――これもイメージでしか知らないが、騎士のような凛とした面も見えて、ロンゴミアントとは違う美しさが彼女を作り上げていた。
不意に取られた手の甲に口づけされて、頬が熱を持って紅潮してしまうくらいに、彼女は女性からしても魅力的だった。
それこそ、余りにも綺麗だったから、つい――
「本当に、私があなたを召喚、したのですか……?」
と、訊いてしまうほどに。
武装は召喚者の中にある属性や性格に見合った――つまり、丈のあった者が召喚されると聞いていたから、実質自分を卑下することになるのだけれど、しかし彼女を召喚できるだけの器があるだなんて、信じられなかったのだ。
「はい。間違いなく、私はあなたの呼びかけに応じて召喚されました。我が君」
「えっと……その、我が君って私のこと、だよね」
「はい。我が使い手は我が主君にして王。故に敬愛を籠めて我が君と……ですが、王命とあれば、変えることも厭いません」
さすがに、我が君は恥ずかしい。
武装は個性的な人格を持っていることが多いけれど、主を我が君、なんて呼んでる武装は見たことがない。
ましてや学内最弱にして『無能の零』なんて呼ばれてる自分がそんな呼ばれ方をしていたら、それこそ笑われ者だろう。それだけはごめんだ。
「えっと、まだちゃんと自己紹介してなかったよね? 私は、荒野零。零って呼んで」
「畏まりました。では以降、我が主を
今、なんか変なルビ振りされたような――?
若干違和感を感じたものの、これ以上問答しても仕方ないので話を進めることにした。
「えっと、それで……あなたのことはなんて呼べばいいのかな」
「
あぁ、今そう言う気がした。
短いやり取りしかしてないが、パートナーだからなのか、なんかもう掴めてきた気がする。
そしてもうわかった。多分だが、彼女は零とは呼んでない。
「ま、いいけど……じゃあ、武装としての名前は?」
「その問いに答える前に、扉の前にて聞き耳を立てる輩を、排除してもよろしいでしょうか」
「え? ちょ、ちょっと待っ――!!!」
彼女が背中に顕現させた一二の刃と、跳び込んできたロンゴミアントの脚が互いの首の寸前で止まったのはほぼ同時だった。
ただし止めたのは双方の意思ではなく、間に入って双方の双眸を潰さんと指を向けるミーリで、そのまま跳び込もうものなら目も喉も潰れて、互いに死んでいた。
「はいはい、そこまでね。ロン、手出しはしないようにって言ったはずだよ。もちろん、脚だからって言い逃れはなしね。君も、ここでそんなものを出したら、君の主で僕の娘の零が大変なことになってた。お互い、反省して引いてね」
ロンゴミアントも彼女もゆっくりと下がる。
二人が完全に武器を下ろしてから、切がムゥに支えられながら入って来た。
「零……大丈夫?」
「切にぃ!」
零は切に跳び付いた。
切の姿を見て心配と安堵とが一挙に込み上げて来て、抱き着かずにはいられなかった。
つい、切が倒れそうになってしまうくらいに勢いがついてしまったが、ムゥが支えてくれたので倒れることもなく抱き着けた。切も驚きつつ受け止め、抱き締めてくれる。
「よかった、無事で……」
「あのときは庇ってくれて、ありがとうね。零も、無事でよかった……」
切と抱き合う零を、彼女がジッと見つめていることにミーリは気付く。
同時、彼女が切の手元を警戒し、霊力を張り巡らせて霊術の存在まで警戒していることを察して、昔の自分の姿を重ね合わせ、思わず笑みを零した。
「そんなに警戒しなくても、大丈夫だよ。あの子は切。君のご主人様の、双子のお兄さん。体は弱いけれど、とっても優しい子だから、良ければ一緒に、ご主人様を護ってくれると嬉しいな」
「我がき――我が主人たる
「健気だなぁ」
「頑固って言うのよ」
背中で小さく漏らしたロンゴミアントに、ミーリは指を立ててシー、と注意した。
家に入れ、零をベッドに寝かせるまでにも、彼女の警戒心を解くのに結構苦労した手前、これ以上彼女を刺激して、関係を停滞させたくはなかったのだ。
何より同じものを大事に思って護りたいと思っているのに、ずっとギスギスしているのもお互いにとって良くないだろう。
「コソコソ覗くようなことをしてごめんね。零が目を覚ましたみたいだったから、気になっちゃって。この子――ロンも俺を護ろうとしてのことだったんだ。許してあげて欲しい」
「それもまた、
「そっか。零」
ロンゴミアントとムゥには動かないでと念押しして、わざと彼女の前で、零に耳打ちする。
ここまでの経緯と彼女の過剰なまでの忠誠を零に説明するのと同時、自分は敵ではないと彼女にアピールするため、時折、零と共に彼女に一瞥を配る。
自分の信頼する人と同じ行動を取る人相手なら、わずかにでも警戒心が和らぐものだ。言葉で味方だと示すより、まだ信じて貰える。
無論それだけでは彼女の警戒を完全に解くには至らないが、こうして少しずつ距離を縮める作戦である。
「ってなわけで、零の采配をお願い出来るかな」
「う、うん……」
ジッと見つめられて、変に緊張する。
ミーリとロンゴミアント。切とムゥ。
彼らのような関係を望んでいたが、果たして彼女とそんな関係になれるのか、不安ではある。
だが、不安ばかり言って先に進まないことほど無駄なことはない。
ようやく踏み出せた一歩。またずっと地団駄を踏むなんて、もう嫌だった。
「あなたは、この家の新しい家族よ。私は、家族同士で隠し事なんて出来るだけ少なくしたいし、みんなあなたの名前を知っていて欲しい。だからお願い。私のパートナーになるために、私があなたのパートナーになるために、名前を教えて?」
「――」
彼女はその場で片膝を付いた。
さながら王に忠誠を誓う騎士の如く、首を垂れる。窓から降り注ぐ陽光のせいもあって、彼女がより凛々しく、神々しく見えたのはきっと、零だけではない。
「名は、ロンゴミニアド。かつての王が抜錨することを許された神々の
堅苦しいけれど、誠意は伝わってくる。
ミーリとロンゴミアントの契約は、逆にとても簡素で、淡泊とさえ思われるくらいにすんなりとされてしまったから、そう思うのかもしれない。
ムゥもまた、切を自ら護ることを決め、自ら契約の手を差し伸べた。
だからこれが、本当の契約。
共に命を賭し、戦場へと赴くパートナーへの忠誠と信頼を結ぶ儀式。
この先二人の道先には、艱難辛苦が待ち受けていることだろう。乗り越えて進めるか、阻まれて終わるか。すべては彼女達次第だ。
「よろしくね、ロンゴミニアド。私の神槍」
すべての難関も死地も戦場も、共に進む契約が今、成立した。
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