荒野兄妹

双子の荒野兄妹

「それ、で……あの、先生……なんの、御用で、しょうか」

 担当教師の深い溜息が漏れると、荒野あらやれいはビクリと震える。

 元々人がたくさんいる空間は苦手なのだが、職員室は特別苦手な場所だった。何せここに呼び出されて、良かった思い出が一つもない。

 今回も前例に漏れることなく、今までと同じ展開になることを教師の溜息は宣告していた。

「おまえ、単位が相当ヤバいぞ。まぁ、わかってるとは思うが」

「はい……」

「おまえが頑張ってるのは知ってるんだが、どうにもなぁ……兄貴の方も単位が足りないが、単純に出席日数不足だし……」

 情けない。

 単位が足りないと騒いでいる生徒はたくさんいるけれど、教師が深刻な面持ちで黙るほど圧倒的に足りないのは、自分だけだ。

 単位が足りなくて本気で困っていて、どうしようもないのは自分だけだ。

 教師まで困らせているのは、自分だけだった。

「まぁいい。俺から学園長に頼んで、兄貴と補習で組ませてやる。それを無事にやり切れたら、単位をやろう」

「ありがとう、ございます」

 結局、また兄のおこぼれを貰う。

 家族で下の子が、上の兄や姉の衣服などをお下がりで貰うことはよく聞くだろうが、進級するのに必要な単位をおこぼれで貰うなど聞いたことがない。

 だからこれ以上ないくらいに情けなく、泣きたくなる。

「そら、もう行っていいぞ」

 職員室という牢獄から釈放される。

 泣きそうなのを堪えながらトボトボと歩いていると、向こう側から誰かが咳込んでいるのが聞こえて、聞き覚えのあった零は駆け寄った。

せつなにぃ!」

「や、やぁ、零……迎えに――ゴホッ! ゴホゴフッ!」

 今しがた教師との話の最中にも出た、零の双子の兄、荒野切。

 妹の零と同じく、単位が足りなくて進級の危機にあるが、病弱の兄はただ単に出席日数が足りていないだけで、実力は充分に兼ね備えている。

 実力不足で単位も足りない妹と、同じにしてはいけないのだ。

 ましてや授業が面倒で、ほとんどサボっていながらも単位を貰えてしまったという父親とは、天地を隔てるほどの差が存在する。それこそ実の娘であることが、恥ずかしくなるくらいに。

「ごめんね、僕が迎えに来たのに……」

「切にぃ、今朝微熱があったでしょ? だから休んだのに、来ちゃったら意味ないじゃん」

「本当、ごめん」

 妹の肩を借りて、なんとか歩く兄。

 周囲から見れば、なんとも情けない光景に見えるかもしれないけれど、もしも彼が好調で、それも武器を持っていて、それがもしも特定の武器だったなら――といくつかの条件を重ねた状態で彼に喧嘩を売った奴がいたとしたら、凄い後悔するだろう。

 ただ今のところ、そんな状況が訪れたことはない。そもそも切は人柄からして、売られた喧嘩を買うような性格ではなかった。

「久し振りに外に出たな……」

「そうだったね。ちょっと歩く?」

「うん、付き合ってくれるかな」

 対神学園・ラグナロク。

 切と零の通う、世界に八つしか存在しない神と戦う戦士を育成するための七年制の学園。

 元々時計塔をも備えた巨大な教会を改装したラグナロク校舎は、二〇年前に世界を救う英雄、ミーリ・ウートガルドを輩出して以降世界屈指の学園となり、それに伴って敷地をより広大化させた。

 故に学内を回るだけで、充分な散歩になる。いざとなれば助けも呼べるため、病弱の切にとっては絶好の散歩コースだった。

「今日は少し、暖かいな」

「だから出てきたの? もう……」

 入学式を控えている学園の校庭。植えられている木々が芽を膨らませ、開花に備えている。

 ただ花が咲く頃、自分自身がどうなっているのか。不安ばかりが巡る零の胸中。

 兄の切は顔色で察し、自分と同じ色の頭を撫でて慰める。

 入学当初は、二人の髪を見つけた人達からの注目が凄かった。しかし本当に最初だけの話だ。今となっては、二人を見かけてもわざわざ注目する人はいない。

 だから昔は誇らしかった髪の色も、今の零にとってはコンプレックスだった。

 空、海、星。自分達が生きている世界そのものを凝縮したような青色の髪。この世界を救った英雄と同じ色であることが、ずっとずっと、誇らしかったのに。

「おや、二人共こんなところに」

「ローのおじさん、こんにちは」

「はいこんにちは。ただしここでは、学園長と呼ぶようにね」

 ラグナロク現学園長、ヘインダイツ・ロー。

 両親と先輩後輩の関係ということもあって、家族ぐるみでの交流もあるから、ついおじさんと呼んでしまう。

 二つ上の先輩に彼の娘さんがいるのだが、その人も実の姉のように慕っていた。

「二人共、学期末試験はもう終わったはずだけれど、何かあったのかい?」

「その……お恥ずかしながら赤点を取りまして、補習を受けることに」

 学期末試験の終わった学園にいる学生なんて、暇を持て余しているか、調べ物があるか、神様討伐依頼の申請をするためか、もしくは赤点を取って補習を受けなければいけないかのどれかしかない。

 だが赤点取って補習を受けないといけない生徒なんて、本当にごく一部。実際、零のクラスでも病欠していた兄を除いては、零以外にはいない。本当に、一人もだ。

「そっか。それは大変だね。ただ僕もここの学園長として、仕事に私情を挟むことは出来ないんだ。、そのつもりでね」

「はい、頑張ります……」

 特別扱いはしない。

 生まれた瞬間から特別扱いされる自分達にとって、その言葉がどれだけ魅力的に聞こえるか。理解できる人は本当に少ない。

 ローは仕事柄仕方なくという形で言っているだけで、真に理解しているわけではないだろうけれど、それでも特別扱いしないでくれるのはありがたかった。

「じゃあ僕はこれで。ご両親によろしく。切くんも、あまり無理をしてはいけないよ」

「はい、ありがとうございます」

 ローが通り過ぎ、その背中が小さくなっていくのを見届けると、切は貸して貰っている肩が震えていることに気付く。

 周囲に誰もいないことを確認し、妹の耳元にそっと、もう帰ろうかと耳打ちした。

 荒野護身術道場。

 荒野兄妹の母にして、ミーリ・ウートガルドの正妻。荒野空虚うつろが師範を務める道場が、二人の実家を兼ねている。

 武道家家系の荒野家で、母は丁度二〇代目に当たり、尚且つ歴史上初の女性師範。それ故か、門下生には女性の姿も少なくない。何かと物騒な昨今、最低限の護身術だけでも身に着けようと考える人が多いそうだ。

 双子も母から直々に教えを受けており、最低限の護身術は出来るが、零の場合は本当に最低限だけだ。だから零が門下生らの前で、腕前を披露したことがない。

「「ただいま、母さん」」

 双子らしく、狙っていないながら揃った声と同時に扉を開ける。

 だが道内は、投げ飛ばされた師範代の女性が床に背中を打ち付けた際に上げた、ぐえ、という女性らしからぬ声に驚いていて、二人にはまるで気付いていなかった。

 最初に二人に気付いたのは門下生ではなく、師範代を軽々と投げ飛ばした大柄の老人だった。

「おや。もしかして坊や達はこの道場の子達かな?」

 Yシャツにスーツという、道場には似合わぬ装い。

 だが何より、見た目六〇は超えているだろう年齢に体格が似合わない。全体的に太くて筋肉質で、二人が見上げるほど背の高い大男だった。

 紳士的な言葉で話しかけてくるが、それよりまえに女性を容赦なく投げている姿を見ているので、とても優しそうには思えない。

「丁度よかった。ここの人達は誰も教えてくれないから、時間の無駄だと思っていたんだ。ちょっとお訊ねしたいのだが……坊や達のお父さん、ミーリ・ウートガルドはどこかな?」

 父の現在の名前は荒野ミーリなのだが、英雄として有名になったミーリ・ウートガルドと呼ばれることが多い。老人ならば、より浸透していることだろう。

 だがこの老人は、憧れるが故に父を旧姓で呼んでいるわけではない様子だ。いくら出来が悪くたって、敵意と殺意の有無くらいはわかる。

「お母さんに訊こうとここに来たんだが、生憎今日は非番だというから困ったよ。家の住所を訊いても、教えてくれないからねぇ」

 当然だ。この老人が両親に敵うはずなどないだろうが、だからと言って行かせていいなんてはずはない。

 だがそれなりに腕に覚えはあるらしい。道場の人間の中でも、師範代が軽々と投げ飛ばされたのを初めて見た。逆に投げ飛ばされたところしか見ていないから、老人の強さが計り知れない。

 間違いなく言えることは、ただいま傷心中につき自信を失くしている零よりも、殺気の籠った眼光を放つ目の前の老人の方が、ずっと強いということだった。

「すみません。父は今遠くに行っていまして、帰りは一週間以上後になってしまうんです」

 と、切が状況を見て、なんとか帰そうと試みる。

 柔和な笑みを浮かべ、老人の戦意を削ごうとしていたものの、再び発熱してしまっていて、とてもしんどそうだった。

 ただしそう見えているのは双子の兄妹であり、肩を貸している零だけだったが。

「要件は僕から父に伝えておきますので、今日のところはすみませんが……」

「そうか、それは残念だったな。出来ることなら、被害を最小限に抑えたかったのだが、仕方ない――」

「零! 逃げ――!」

「切にぃ!」

 零を突き飛ばした切は支えを失い、熱を持った体を動かすことが出来ずに老人の手に首根を掴まれる。太く硬い指が兄の首を絞めるのを見た零が飛び掛かるが、老人の平手打ちに吹き飛ばされて壁に激突する。

 ぶつけた頭が切れて血を噴きだし、激痛が全身を駆け巡って立ち上がれない。

「おやおや、今の攻撃にそこまでの力は入れてないはずだったのだが、霊力での身体強化も碌に出来ないのかね。君らが通う対神学園では、基礎の基礎として習うはずだが」

 そう、碌に出来ない。出来ないから赤点を取った。

 魂が放つ命の波動――霊力を操作し、自身の身体能力を強化するのは基礎中の基礎。

 だが零は、周囲も信じらないくらいにその基礎が出来ない。

 霊力操作も体術も、剣術も槍術も柔術も何も――戦闘に関する才能が、何一つ存在しない。

 零という名前から、才能のない英雄の娘と揶揄されてきた。

 圧倒的な霊力の操作技術と、すべての武器を操ることが出来るセンスを持つ彼の血を引いているとは、とても思えないと。

 才能の欠片も継げなかった、欠陥品だと。

「彼も彼で、どうやら体調不良の様子。まさかここまで、英雄の子供達が使い物にならないとは――まぁいい。ならば容赦なく潰してしまっても、問題ないということだろうからな」

「れ、ぃ……れ……」

 意識が朦朧として、兄の名前を呼ぶことさえ出来ない。

 余りにもあっけない。余りにも情けない。余りにも、無力に過ぎて、余りにも滑稽。

 だけど今日この日、この時ほど、己の無力を呪った瞬間はなかった。

 なんで自分は本当に、何も持たずに生まれてしまったのだろう――

「悪いが、ミーリ・ウートガルドを呼ぶためだ。坊や達には、死んで貰おうか」

「もしもし、そこのお爺さん。もしかしてボケてるのかな?」

 老人は目を見開いた。

 何せたった今まで、一秒にも満たないコンマ数秒前まで、その手で絞めつけていたはずの切の首が切自身ごと消えていて、代わりに自分の襟が背後から誰かに掴まれ、持ち上げられていたからだ。

「人を呼ぶときは誰かの首を絞めるんじゃあないし、誰かの頭をはたくのでもない。インターホンを押すんだよ? ――ってか、会いに来るなら、ちゃんと、アポ取って下さい、ね!!!」

 おそらく百キロ超えているだろう老人の巨躯が軽々と持ち上がって、畳に顔面を叩きつけられ、鼻を折られる。

 それだけのことをした本人曰く、全盛期より細いらしい腕はとても百キロなんて重量を持ち上げられるようには見えなかった。

 そして風の如く道場の端から端へと跳んで、血塗れの零の下に駆け寄る。

「遅くなってゴメンよ。痛かったね」

 双子と同じ青い頭髪は少し長く、後ろで短く束ねられている。

 眼鏡の奥で光る双眸は、色が異なるオッドアイ。整った顔立ちは、未だ若い異性からの人気を集めているらしい。

 二人にとってまさしく英雄。ただし二人だけに限らず、歴史を遡っても、最も最近英雄として認知され、歴史に名を刻まれた男。

「……パ、パ」

 双子の父、ミーリ・ウートガルド――荒野ミーリは我が子達に優しい笑みを向け、直後、子供達を襲った老人へと眼光を光らせる。

 老人は折れた鼻を自身の握力で無理矢理戻し、鼻血を噴きながらも立ち上がった。

「あんたがミーリ・ウートガルドかい……噂の英雄に会えるなんて光栄だねぇ」

「会いたかったなら、アポ取ってくれればよかったのに。確かに俺は忙しいから、アポもそう簡単には取れないだろうけれど、だからって子供を襲われちゃ困る」

「アポ? アポだって? じゃあ訊くがね、ミーリ・ウートガルド。の者ですがと言ったら、アポを取らせてくれたかね?」

「あぁぁ……」

 少し――いや、あぁという割にはおそらくほとんど考えていないのだろうが、ミーリは少し間を置いてから。

「そりゃ、無理だね」

 と、後頭部を掻きながら苦笑を浮かべた。

「まぁどっちにしても――」

「お引き取り頂けるかしら」

 不意に、老人が背後から蹴り飛ばされる。

 コーヒー色のブーツを履いた脚は、もういいわよねと誰の了解も得ぬまま、半壊した畳の上に踏み上がり、槍の如く突き刺さる。

 いや、彼女は槍そのもの。人間の人格と意識を持った、ミーリ・ウートガルド常勝の聖槍。

「まだ長生きしたいのなら、ね」

 聖槍ロンゴミアントの後ろ回し蹴りが、老人の顔を再度畳に叩きつけ、治ったばかりの鼻をへし折った。

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