第11話 鬼
オーガは必死に逃走した。
風は吹き荒れ、横殴りの雨がオーガに叩きつけられていた。
おとぎ話の言い伝え通り、オーガには魔法の力がそなわっていた。
それは人間に擬態する能力である。
特にこのオーガが好むのは、子どもに擬態することだった。
能力は魔法に自らの生命力を回す分、本来の姿をとっている時よりも劣るものの、油断を誘えばどんな戦士でも一撃で葬ることが出来た。
それは獲物を惑わし、狩るための武器であるはずだった。
それが今では、自分が生き延びるための頼み綱となっている。
オーガはわずかな影にも隠れるよう小さな女の子の姿で、山を駆けていた。胸を押さえ、必死に血を止めようとするが再生能力の働きが鈍い。
「あの忌々しき半死人が込めた魂の力が、再生を妨害しているのか」
オーガはそう考えた。
半死人は死を周囲にまき散らす存在だ。
さらに、奴は地獄の死者たちから魂をかき集めたと言う。
それらもまた、死を引き寄せるのだろう。
ヨシキが与えた傷は、死神に祝福されているとさえ言えた。
あの場で反撃を続ければ、乱入してきたレッドエルフを含めて皆殺しにすることも可能であったかもしれない。
だが、さらに反撃を受け深い傷を負うことになれば、勝利を収めたとしても、次に何者かが自分の命を狙ってきたときに戦うことは出来なくなるのだ。
誇りのためにあの場で命を捨てる賭けに出る。
そんな愚行は、この老練なオーガには出来なかった。
「今は笑うがよい。 だが、次は万全の状態で貴様を殺してやる」
半死人はオーガにとって、捕食の対象にはならない。
その肉体は人間なのだろうが、汚れた魂を口にすることは耐え難いことだった。
オーガは子鬼たちの巣穴である洞窟に入ったが、途中で足を止めた。
血臭を認識したからだ。
「なんだ、この臭いは」
巣を守る手勢になにかあったのか。
未だ戦うことのできない幼子や雌は巣穴に留まらせていた。
自らの眷属たちに訪れたであろう、何らかの異変。
警戒していたところに、巣穴の奥から一人の人間が出てこようとしていた。
洞窟の岩陰から様子をうかがうに、それは奇妙な男であった。
真っ黒な皮のコートを身にまとい、金色に染め上げた髪を逆立たせている。
深淵を歩くかのごとき、闇に閉ざされた洞窟にいるのにもかかわらず、その男は黒眼鏡を掛けていた。
穴をあけた耳にはいくつもの耳飾りがつらなっている。
あの者が我が眷属を殺したのか。
オーガの出した結論は実に単純だった。
見れば、男は少年を抱きかかえていた。
山を彷徨っていた村の子供である。
オーガは子供を殺すことをあまり好まない、また子鬼たちもそれは同様であった。
山に捨てられた人間の赤ん坊を育てたこともあった。
それらは徐々に眷属に変え、自らの配下として可愛がったものだ。子鬼やこのオーガにとって、子供はただの獲物とも違う存在だったのだ。
人間にとって、鬼は邪悪にして残虐な存在である。
しかし、鬼には鬼の価値観が存在していた。
「襲撃を受けたとあらば、どれほどの生き残りがいるのか。 ……無念だったであろう」
仇を討たねばならなかった。
それは私情ではなく、王としての責務である。
すでに失われた眷属たちとは言え、それが出来なければ眷属を率いる王としての資格を失う。
オーガは子供のふりをして、近づくことにした。
岩陰から物音を立てて、様子をうかがう。
「誰だ?」
男は警戒して見せた。
その腕には骨のように白く細長い槍が握られていた。先を岩陰に隠れたオーガに向ける。
オーガは過去に聞いた幼い子供の声を模倣した。
それはオーガにとってたやすいことであり、旅人を騙す時にもよく使う手だった。
「……誰かいるの?」
男は警戒を緩めたように見えた。
「なんだ、ガキか。 他にもいたのか」
「助けに来てくれたの? ……お願い、村に帰りたいの。 ちょっと怪我しちゃったの、血が出てる」
「はあ? ……クソ、仕方ねえな。 まあ、面倒だがその分報酬を釣り上げてやるとするか。 出てこいよ、送ってやる」
ぶっきらぼうな物言いだった。
どこの言葉とも知れない言語が混ざって、理解できない部分もあったが、とても戦士とは思い難い態度だった。
村の人間と言うよりは、子鬼の始末を頼まれたチンピラか、あるいは盗賊かなにかだろうか。
戦士でないならそれも好都合と言えた。
体力を回復するためにも、食料は必要だったからだ。それに、人の肉であれば酔うことで痛みを忘れることが出来る。
幼い女子に化けたオーガは、男の前に出た。
油断を誘うように涙を浮かべる。
「ありがとう、おにいちゃん」
ほら、次の瞬間にでも殺してやる。
オーガは本心から笑みを浮かべた。
そして、そのまま槍で心臓を貫かれた。
「が……ぐはっ」
男は愉快そうに笑う。
「あの村のガキが俺を見て、喜ぶわけねえだろ。 下手な芝居だな」
オーガは膝から崩れ落ちた。
人間に勝るその膂力を持って、白い槍を抜こうとするがまるで抜けない。それどころか、ますます食い込んでいく始末だった。
それもひどい苦痛を伴う、抜こうすればなおのことだった。
さすがに武器が刺さったまま、傷がふさがる訳もない。
オーガは男の顔を見上げる。
黒眼鏡の端から、満月のように金色に輝く目が見えた。
「ああ、ずいぶんと上等な魂だな。 お前が子鬼どもの親玉か、なかなかの生命力だ」
男は納得したように何度も頷いた。
「ヨシキは手ごわかったろ?」
男はオーガにもわかるような言葉でそういった。
「ヨシ……キ?」
「お前が戦った白い男だ」
「貴様、仲間だったのか……」
「いや、違うけどな」
男はにやにやとやらしい笑みを浮かべた。
そして、またどこの言葉とも知れぬ言語を口にする。
「ヨシキはとんでもねえ奴でな、『生粋のドМ』であるせいで『自分の性癖を満たす』ことに関して、絶対の勘が働くんだ。 つまり、それは『あらゆる危険を事前に察知して、痛い目にあうことが出来る』ってことなのさ。 だから、アイツには不意打ちや罠は効かねえし、攻撃してくる初見の動きすらもほとんど読めちまう」
耳障りな声で笑い声をあげた。
「そうした『ドМ』と言う素養を、『先読み』や『危険察知』に変え武術に生かしたのがあの男だ。 いかなる苦痛を伴う努力ですら、奴にとっては喜びでしかなく、実践においては逆境になればなるほど集中力と鋭さが跳ね上がる。 そんなふざけた野郎なんだよ」
オーガにはその言葉をほとんど理解することは出来なかったが、自分がどうあがいても死ぬことだけは理解出来た。
この目の前の男は、仲間でこちらの力を測ったうえで攻撃を仕掛けた。
これからどんな抵抗をしても、無傷で済ます目算があるのだろう。
観念した様子のオーガを見て、男は気分を害した。
「その顔は気に入らねえな。 ……そうだ、いいことをおしえてやろうか」
男はオーガが理解できるようにこう言った。
「巣穴の子鬼は皆殺しにした……ますます安心したろ?」
「なんだ、と……」
「もうこれで思い残すこともない。 心配はいらない、害虫はきちんとすべて片づけた。 害虫はやはり元から絶たなくちゃな」
「が、害虫、だと……?」
「そうだぜ、人間様に害をなすようなゴミは害虫で十分だろう?」
男が今まで話した中で一番、流暢にそう言って見せた。
オーガが憎しみを込めて睨みつけると、また耳障りな声で笑い出した。
「いやあ、いい顔だぜ。 しかし、なんのために人間のガキを生かしておいたんだ? まあ、俺はこれで金になりそうだからいいけどよ」
「……クズめ、呪われろ」
「ありきたりだけど、いい褒め言葉だぜ。 あ、その槍は抜けねえから安心しろよ。 お前もどうあがいたところで死ぬからさ」
オーガは、男がなにを言っているかほとんど理解出来なかった。
だが、それでも心から沸き立つ気持ちは同じだった。
「諦めきれるものか……貴様だけは絶対に許さん」
「許さないか、そうか。 そいつはいいな」
男は上機嫌だった。
「俺の言葉はわからないだろうけどな、せっかくだから教えてやる。 その槍はな『骨の槍』と言うんだ。 白くて綺麗だろ、肉に食い込み決して離れない。 引きはがせば、苦痛だけじゃなくすべてを失うことになるぜ、心臓に刺されば一巻の終わりだ」
オーガは体に力が入らなかった。
悔しいことにこの人間に一矢報いることすら出来ないのだ。動いたところで、目の前の男を仕留めるにはいたらない。
子供の姿をとっていたことが災いした結果だった。
なにせ心臓を一撃で打ち抜かれる羽目になったのだから。
たとえ胸部に傷を負っていたとしても、本来の姿であれば攻撃がそこまで深く突き刺さらなかったかもしれない。
「あ、最後に聞きたいことがあったんだ。 『他の鬼はどこにいる?』」
「……それを聞いて何とする」
「殺したいだけってのもあるけどな、面白いし。 でも、なにより『……人間と違って、魂が美味そう』だからだ」
「貴様も半死人か!」
最後の力を振り絞り、オーガは立ち上がり男に迫った。
男はそのままどこからか取り出したのか、鎌を振り下ろす。
そのままオーガの首が飛んだ。小さな女の子の姿をしているにもかかわらず、男は躊躇うこともしなかった。
首を失くした身体がゆっくりと崩れ落ちる。
男はそれを無視して、黒眼鏡に隠された金色の眼で宙をにらむ。と、何かを掴んだ。
男にはオーガの魂が見えていた。
「やっぱり美味そうだなあ……。 悪くねえ」
魂を眺めながら舌なめずりをし、我慢できないとばかりにそれを口に頬り込んだ。
むき出しとなった鋭い剣歯が、魂を咀嚼する。
だがほとんど丸呑みにし、最後に指をなめとった。
「見た目ほどではなかったが、これで少しは長生きできそうだ」
やや不満げに男はこぼした。
そして、焦る様子もなく男は周囲を見渡す。
そこには殺気立って子鬼の群れが立っていた。
ヨシキから逃げ出した臆病な彼らが、今宵最も強烈な殺意を持って男を囲う。
「なんだ、お前ら。 失せろよ、殺したところでうまみもねえよ」
子鬼は男が何を言っているのか、理解できなかったがそんなことはどうでもよかった。
巣穴に残した子供や雌の子鬼たち、その仇が目の前にいる。
仇を討とうとした王まで無残に殺された。群れは滅びるだろうが、その恨みを果たさずにはいられなかった。
「ふうん、やる気かよ」
漆黒に染まった大鎌を肩に担いで、ゆっくりと歩いていく男。
金色の眼が子鬼たちの魂を眺めていた。
「考えてみれば、あの村の連中よりもお前らの方がよっぽどいい父親だよ。 家族を見殺しにした連中と比べたら、家族の復讐のために死ぬ子鬼はなんと情に溢れてることか」
男はやや不満そうにそう言った。
それはどこか過去を思い出すかのようなそんな雰囲気をにおわせていた。
「まあ、俺だけは覚えててやるぜ。 ……その魂の輝きをな」
ゆっくりと子鬼の群れの中に歩いて行く。
そして鎌を振りかざし、子鬼たちの怒号と断末魔が響く。
それを咎める者は誰もいない。
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