第10話 死闘
ヨシキの名乗りは、正しくオーガの耳に届く。
オーガは敵が動き出すのを理解し、待ち構えた。
そして、ヨシキが消えた、かのように見えた。
油断があったわけではない。
得体のしれない相手だ、気を抜くはずもない。
だが、オーガには消えたかのように見えた。
顔面への衝撃、拳である。続けて流れるように腹部への蹴り。舞うようにして、白いスーツを着た青年が肉薄し連撃を繰り出す、
何が起こったか、オーガは頭で理解することは出来なかった。頭で理解せずとも体は動く。
オーガは巨体である、ヨシキよりも体が大きい。
そのため懐に潜り込まれると、反撃が難しい。
それでも容易に可能な攻撃があった。
反射的にオーガが選んだのは牙である。
獲物を捕食しようと、口を開き食らいつこうとする。
それに対し、身をかわしながら構えを崩さないヨシキ。
間合いが離れた所で、オーガは爪で引き裂こうと薙ぎ払う。
巨体に見合った強靭な爪。
それにヨシキは飛び乗り、爪の上を渡り、さらに飛ぶ。
驚愕に眼を見開くオーガ。
オーガの眼を素手で抉り取ろうと、拳を放った。
怪物は痛みにより絶叫する。
その叫びは鼓膜を破ろうとするかのごとく、破壊力を伴った。
回避しようもなくひるむヨシキ。地面への着地に失敗する。
片目を頼りに腕を振り下ろす、オーガ。
しかし、そこに既にヨシキはいない。
いつの間にやらオーガの股をくぐり、背後にヨシキは回っていた。
無防備な背中にさらにひねり出される強力な拳の一撃。
オーガはうめき、よろめいた。
最初に繰り出された攻撃よりも、破壊力が徐々に増している。
その上、オーガが体制を整えるまでのわずかな間に、ヨシキの持つ威圧感がさらに増した。察知し攻撃を防がんと、腕を交差させ振り向く。
皮膚を削ぐようにして血しぶきが上がり、そのまま拳がそれていく。
オーガは攻勢に転じようとするが、その頃にはすでにヨシキは万全の構えで攻撃を待ち受けていた。
再び爪を振るう、がそれはフェイント。
あえて浅く攻撃し、切り返す形で爪を伸ばす。だが、それをまるで予測していたかのようにヨシキはわずかな動きで避けて見せた。
かぶっていた帽子のつばが切り裂かれる。
さらにオーガはもう一方の腕を伸ばし、絶え間なく攻撃する。
だが、さらに間合いを取る形で回避された。
先ほどの手痛い一撃を考えると、下手に攻撃すれば不利になる可能性がある。
オーガも深く攻め入ることが出来ない。それ故に、攻めあぐねている部分があった。
また、隙を見せ下手に時間を与えれば、強力な一撃を繰り出すことが出来る。
そのことも今の攻防で理解出来た。
経験則と言うものがある。
今まで様々な敵とオーガは戦ってきた。
それは他の怪物が相手だったこともあるし、人間の勇者が相手であることもあった。
このオーガは、その経験により無意識に相手の動きやスピードを予測し、最適の行動をとることができた。
しかし、それが先ほどから働かない。
それはひどく単純な理由だった。ヨシキの動き、それがこのオーガが戦ってきた経験則よりも、常に速いのである。
予想よりも早いスピードで加速し、唐突に止まる。
今まで経験したことのないその変速的な動きが、オーガを惑わせ消えたように誤認してしまう結果を生んでいるのだ。
それらは、まるでオーガの仕掛ける攻撃がすべてばれているかのような動きだった。
この世界にない武術による卓越した動きと、ヨシキの『とある才覚』。それらが合い極まって、思わぬ苦戦をオーガに強いた。
とは言うものの、ヨシキの持つ攻撃力や速さそのものは、オーガと比較すれば小さなものでしかない。
種族としての戦闘力の差は非常に大きいものだ。
事実、今までオーガはヨシキから既にいくつもの攻撃を受けているが、たいしたダメージになっていない。目に受けた攻撃ですら、回復し今では両眼でヨシキを捉えている。
体格差はヨシキが小回りが利く、と言う結果を生んでいるものの、それ以外は圧倒的にオーガの方が有利なのだ。いくら武術に長けようとも、人間としての限界がある。
にもかかわらず、ヨシキの目は涼しげだった。
楽しそうだった様子から一転、退屈そうな雰囲気すら漂っている。
「あの、一つだけよろしいですか?」
慎重さを重ねた連続攻撃を、息も切らさず避けるヨシキ。
このまま続けば、人間でしかない彼の体力は尽き、必ず仕留められてしまうだろう。こぼれる魂を力に変えたとしても、その力は有限である。
いくら一見、手数の上で有利に見えたとしても、このままであればヨシキに勝ち目はない。
本来、ヨシキは絶望するべき状況のはずだった。
そんな中、彼は言った。
「まさかとは思いますが……もしかしてこれが貴方の全力なんですか?」
単なるそれは感想だった。
本当に彼が心の底から思った内容だった。
「意外とぬるくてがっかりしているのですが」
それがもし、敵を挑発し冷静さを失わせようと言う策であれば、この老練なオーガは即座に見抜き鼻で笑っただろう。
これがもし、達人とは言い難いド素人による発言であれば、聞く耳すら持たなかっただろう。
だが、これがヨシキの本音だった。
若いとはいえ、ヨシキが修羅場をいくつも乗り越えたであろう優秀な戦士であることは、オーガにとって一目瞭然である。
その相手に失望されたのだ。
それはつまり、彼が今まで遭遇した敵や危機と比較し。
己が劣っている、そのことに他ならない。
オーガは再び叫ぶ。
先ほどのが痛みに任せた絶叫であれば、今回はあふれんばかりの怒りによる咆哮であった。
風が吹き荒れる、まるでオーガの怒りに呼応しているかのように。
「抜かしたな、小僧。 ワシを虚仮にするとはいい度胸だ」
確かに今まで油断はしていなかった。
それでも、後先を考えぬほどに全力を出していたかと言えば違う。
子鬼を束ねる人食い鬼は宣言した。
「楽に死ねるとは思うなよ、人間ふぜいが!」
怪物の怒りは、人間にとって本能的な恐怖を呼び起こすものだ。
ヨシキは恐怖を感じた。
だからこそ、笑った。
「そうそう、そういうのを待ってたんですよ!」
恐怖、それこそがヨシキが望んでいたもの。
長く生きた人食い鬼が、最後に戦った好敵手は勇気ある者には違いなかった。
が、それ以上に『ドМ』だった。
「あなたの強さを僕に証明してみなさい!」
凄味の増すヨシキの姿に、怒れるオーガのうちに理解不能の感情、得体のしれない存在に対する恐怖が沸き起こる。
それは決して認め止めたくない感情だった。
オーガにとってヨシキは、何をしでかすかわからない、生理的な嫌悪感を与え続ける行動理念の不明な存在だ。
命の危険が増すごとに喜色を増す狂人。殺意を持たぬ、勇者ではない優れた戦士。
その男が『魔法使い』を名乗った。それは絶対にありえない肩書きである。
しかし、万一その通りであるならば……。
自ら認めることが出来ない恐怖と言う感情、オーガの踏み込みがわずかに甘くなる。
振るう爪の速度が鈍る。
全力で振るわれた力は、この山に生えた木々が束になろうとも薙ぎ払うことが出来るものだった。
ヨシキの体をかすめ、左肩を削り下ろしていく。血がしぶき、ますますヨシキは笑みを深くした。狂喜によって光る眼。
その双眼をオーガは見た。
そして、ようやく自覚した。
自分はこの男を恐れている。
本能的にこの男に嫌悪感を抱き、それは恐怖すら抱いていると言って過言ではない域に達している、と。
がら空きとなったオーガの胸部に、ヨシキの拳が心臓を穿つようにねじり込まれた。
それは今までのどの攻撃よりも、強烈で鋭い一撃だった。
「グゥオオオオオオオッ!」
再び絶叫をするオーガ。しかしそれはあまりの苦痛によるものだった。
これほど痛みを感じることなど、ここ数十年なかった経験だった。
しかし、オーガはそれを堪えた。
鋼鉄のような筋肉に阻まれ、ヨシキの拳の威力が届ききらなかったのが大きな要因ではあった。
しかし、それ以上にオーガの持つ恐怖心は、たった一つのことだけを己自身に考えさせた。
一刻も早い、この天敵の排除である。
「我を失ったか、人喰い。 隙だらけだ」
熱を持たない声。
その言葉の意味を解する前に、オーガは己の目に矢が撃ち込まれたことを知った。
矢を打ち込んだのは、木陰に潜んでいたレダスだ。
レッドエルフの眼はいかなる闇も、昼間のように見通す。
ましてや、レダスは狩人としても達人と言っていいほどの技量の持ち主だった。
突然の思わぬ不意打ちにオーガは、攻撃をはずす。ヨシキのすぐ隣の地面をえぐり、小石や砂がヨシキの頬を穿とうとするかのように跳ねた。
血を流すヨシキはそうなってすら、一切の動揺も恐怖心もなくただオーガの胴を睨む。
「一撃でダメならば……」
だが、その口元はどこまでも楽しげで緩んでいた。
「風穴があくまで打ち抜くのみです」
さきほどの攻撃よりも、さらに深く踏み込む。
光が右の拳に集まり、いっそう青く輝かせる。
踏み抜いた地面に絡む、木の根がみしりとひび割れ弾けた。
「うぅるぁあああああああっ!」
闇を打ち払いながら、その輝きは人喰い鬼の体を真っ直ぐに打ち抜く。
力のうねりと共に突き出された拳、迷いのない一撃は恐怖に固まったその身を砕く。
その破壊力はオーガの体を駆け抜け、背後にそびえた木をも打ち倒した。
その光景を見つめる子鬼たちは、わが目を疑っていた。
呆然と立つ、オーガ。
「そんな……バカな……」
地面をたたき割るかの如く大きな音。
目を開けらないほどの土ぼこりを立てて、オーガはとうとう地にふせたのだった。
それを見て、満足げに笑うヨシキ。
「うん、意外と悪くない死闘でした」
欲を言えば、もう少し危機に陥っても良かった。
そう言いながらも、右の拳から血を流し続けるヨシキ。
魂を力と為す、禁忌の力に自分の体が耐え切れていないのである。
「何はともあれ、二人とも無事なようだな」
レダスがヨシキとリトを見て、そう言った。
「ええ、まさか助けが来るとは思いませんでした」
実際のところ、レダスがいなければオーガの一撃が直撃し、ヨシキは今頃原型をとどめていることはなかっただろう。
だが、それでもこのヨシキの惨状を見て、無事であると言い切るレダスもまた相当変わり者であると言えた。
ヨシキはリトに目を向ける。
「リトさん、速く手当をした方がいいですよ。 傷だらけではないですか」
そう言って、ヨシキはリトの元へ駆け寄ろうとした。
客観的には、ヨシキの方がよほど傷だらけであるが、それはヨシキにとっては優先順位の低い事柄だった。
ヨシキが近づこうとした瞬間、リトは震え距離をとった。
そして、怯えた目をヨシキに向けた。
「あー……」
それに気づいたヨシキは困ったように笑う。
自身の力が人間から逸脱していることは、最初から気づいていた事実だ。
それでも出来る限り人間でありたいがゆえに、最後の一線を超えてはいない。
ヨシキは、いつでもその気になればさらに代償を払って人外の力を得ることも出来るのである。
だが、そんなことはなんの力も持たない普通の人間にとっては同じことだった。
リトは我に返って、自分の行動を否定した。
「違うんです! ヨシュキさん、本当に違うんです!」
リトは先ほどからヨシキの怪我を心配して駆け寄ろうとしていたのだ。
だが、体が動かなかった。
オーガだけでなく、ヨシキもまた恐怖の対象になりつつあった。
それはリトが自分の心を否定しようとも、まぎれもない事実だった。
ヨシキを信じ感謝する気持ちも存在するが、拭いきれない恐怖心が同時に存在することは、人として矛盾した事柄ではなかった。
「いえ、いいんですよ。 怖がるのも無理はありません」
ヨシキとて傷ついたのは否定できないが、その心情を推し量ることは出来た。
同じ立場であったとしても、ヨシキは恐れはしないだろうが、自分自身が一般的な基準から外れた感覚を持っていることに関して自覚は存在していた。
自覚はしても自重はしていない当たり、より救いようのないドМである。
「……ヨシュキ!」
レダスが声を上げ、警戒を促す。
地に伏したはずのオーガが姿を消していたのだ。
「おや、まだ動けたんですね……」
さすがにあの巨体が動き出したのであれば、ヨシキやレダスが気づいておかしくない。
なにか特殊な力でも使ったのだろうか。とヨシキは考えた。
レダスは警戒を強める。
「追うか?」
「いやあ、それはさすがに無茶ですね」
やれやれ、とヨシキは帽子越しに頭をかいた。
真っ白なスーツは泥と血にまみれ、とても見られたものではなかった。
「その判断は実に賢明だ。 勇敢と無謀は違う」
レダスはヨシキに同意する。
追うかどうかの確認は、念のために聞いただけであるようだった。
周囲を見渡せば、すでに子鬼たちもいない。
子鬼たちは自分たちの王が倒された時に一目散に逃げたのだ。
とは言え、いまだ安全とも言い切れない状況にある。
「レダスさん、リトさんを頼めますか?」
レダスはそのヨシキの言葉に頷く。
「ああ、構わん。 しかし、お前はどうするのだ?」
「僕は子供を探しに行きます」
ヨシキはオーガとの戦闘は避けるつもりだったが、子供を探すことは諦めていなかった。
すでに戦うための余力はほぼ尽きているが、一方で普段よりも感覚が研ぎ澄まされているのをヨシキは感じていた。
今ならば、敵に気づかれず子供を探し出すことも出来るのではないか、と考えたのだ。
そんなヨシキをレダスは止める。
「やめておけ」
「……あなたまで僕を止めるのですか」
ため息をつくヨシキ。
いつも穏やかな彼の様子から一変し、あからさまに不機嫌な様子を見せた。
レダスはそんなヨシキの様子に反応を返さず、いつもと変わらず冷静に話す。
「山を甘く見るな、熟練した狩人ですら死ぬことがある。 ましてや、これから雨が降るのだぞ。 お前は一度たりともこの山の奥まで踏み込んだことはあるまい」
その通りだった。
ヨシキはあくまで、リトが子鬼に襲われた周囲しか入ったことがない。
「なによりその身体ではまともに戦えぬ。 万が一の時、子供を絶対に守り抜けるのか?」
正論である。
さすがのヨシキも「その絶望的な感じがいいんじゃないですか」と本心を返すことはなかった。たまには空気を読むこともある。
それでもヨシキは納得した様子を見せなかった。
レダスは言葉を続ける。
「それに、だ」
「それに?」
ヨシキは首を傾げる。
「すでにケイジが捜索に向かっている。 我はケイジの使いだ、お前の命を助けろとな。 我に許されたのは『オーガを退けるまで』だ」
それを聞いて、ヨシキは憮然とした。
すぐにその意味を把握したのである。
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