第9話 喜々迫る者

嵐が迫る山をリトは駆けた。


夜の山々の闇は深い。


ランタンのちっぽけな明かりを頼りに走るリト。

しかし、その光は子鬼たちを惹きつける危険性があった。


 「どこにいるの」と叫びながら子供を捜し歩くリトは格好の獲物。


その風の騒がしさを除けば、嵐を目前とする山々はひどく静かだ。

鳴く鳥も獣もいない、こんな時に出歩くのは愚かな人間くらいなものだ。


 もし、子鬼が山まで下りてきているとしたら、その声は子鬼に届くだろう。

風がその叫びをかき消してくれるかどうかを試す、などと言うのは何の利益も出ない賭けでしかない。


 それでも、リトは叫んだ。

 無謀で愚かなことは承知している。


それでも、自分のために誰かが死ぬなど、リトにとって絶対に許せないことだったのだ。


ましてや、相手は子供だ。

自分のように身寄りがない人間より、はるかに大事に決まっている。


それなら自分が犠牲となったとしても助けたい。

そうリトは思ってさえいた。


 リトの望み通り、その時はすぐに訪れた。


 彼女は足を止めた。


 自分を囲む無数の陰に気づいたからだ。


 リトを見つめる百を超える眼。

 子鬼は闇に目を輝かせながら、か弱い獲物を映し出していた。


子鬼はひどく臆病な性質ながら、自分たちよりも弱者に対してはどこまでも残忍である。

苛め抜いて殺した者の死体をおもちゃにして遊ぶことすらあるのだ。


リトは察する。


子鬼たちは村に嵐に乗じて奇襲を掛けるつもりなのだ。


責任ある立場であるマスターは慎重にそのことを危惧していたようだが、他の村人たちがそのことにどれだけの現実味を持って考えているだろうか。


臆病者の子鬼たちが嵐の中、村に攻撃を仕掛けるなど、自分たちが危険にさらされることは本来しないのだ。

知性ある子鬼たちは出来るだけ、死や危険を避ける。


訳もなく集落を襲うなんて、人間と生きるか死ぬかの戦いをする羽目になることはしない。

せいぜいが闇に乗じて、食料や家畜を奪うくらいである。


 その疑問の答えはすぐにわかった。

木々の陰からその怪物が現れたからだ。


 人間の大きさを倍にしたような体躯に、その体重を支えるための丸太のような野太い手足。闇夜に光る眼。その顔つきは、人間にも見えたがどこか獅子にも似ていた。


 それは人食い鬼として恐れられる怪物、オーガだった。


 ただ凶暴なだけではなく、時に狡猾に知恵を働かせて人々を狙う。

おとぎ話では魔法を使い、人を騙すとさえ言われていた。


 オーガは流暢に人間の言葉を口にした。


「人間の小娘がまさかこんなところをうろついているとはな」


 リトは恐怖のあまりに声を失っていた。


 それを見て、オーガは鼻で笑った。

そして、無感動にこの少女の処遇を思案した。


オーガにとってリトの命など大した問題ではなく、結論を出すのに十秒も必要なかった。


「景気づけだ、頭から噛り付いてやろう。 余った血肉は、子鬼どもに振る舞おうか」


 リトは最初、その意味を理解できなかった。

しかし、次第にガタガタと震えだした。恐怖に染まる表情。


それを見ても、オーガは喜ぶことさえしない。どうでもよい存在だからだ。


 オーガにとって人間とは、ただの食材である。

闘争心を刺激してくれる勇敢な戦士ならまだしも、無力な小娘の心情など推し量る価値もなかった。


「戦働きの前の腹ごしらえだ。 血に酔えば、子鬼どもも恐れることを忘れよう」


 鬼は人の血に酔う性質がある。

 鬼にとって酒と変わらぬ性質を持つが故に、その肉は重宝されるものだった。


 オーガに睨まれたリトは、恐怖で身動きが取れずにいた。

 リトとて、子供を助けるためになら、命を引き換えにすることを恐れなかった。


だが、これではただ食われに来ただけである。

逃げ出そうにも、子鬼に囲まれて出来そうにない。


これからリトは村人が皆殺しにあうことを知りながら、悲惨な末路を迎えるのだ。

子供を助けることも出来ずに村を襲う者たちの糧となる。

 

それに思い至った時、リトの恐怖と言う呪縛が解かれた。

 

家族のように慕う人々への使命感。

 両親を亡くしたリトにとって、それはなによりも大事な宝である。


「そ、そんなことは……」

「ん?」


 無力に震えていた小娘の様子がおかしいと、オーガは気付いたが。


「そんな非道なことなんて、させるかぁああああ!」


 その小娘がとうとう叫びながら、走り出したとしても。

 オーガが驚くことも、指ひとつ動かすこともなかった。


 立ち並ぶ子鬼たちは飛び掛かり、その鋭い爪をリトに食い込ませる。


「ぁあああああっ!」


 叫びながら痛みをこらえながらも、走ろうとするリト。


 村娘にしか過ぎない彼女の限界は早く、地面に倒れ込む。

 それでもなお、必死に這いつくばるようにして村へ腕を使って少しでもにじり寄ろうとする。


 それは無駄だった。

 どんなに努力したところで、決して村には彼女はたどり着けない。


 それを退屈そうに眺めるオーガ。


「まあ、よかろう。 子鬼どもにとっては、良い前座だ」


 リトがなぶり殺しにされ終えるのを眺めるくらいの余裕は、オーガにはあった。

 そう、この時はまだ余裕だったのだ。


 リトは必死に叫ぶ。


 身動きが取れずに叫ぶことくらいしかできないリト。


「うちの村にはなぁ! 『魔法使い様』がいるんだ、お前達なんか……」


 子鬼たちが次々にリトに群がる。

 爪を立て、突き刺そうとする。


 それでもリトの心は折れない。

 リトは力の限り絶叫した。


 子鬼たちにとっても、オーガにとっても、それはひどく耳障りな叫びだった。

 目の前で喚き散らす人間は、ひどく醜く映った。


 だが、その叫びが彼を呼び寄せた。


 光る拳でリトに群がる子鬼たちを薙ぎ払う、純白のスーツをまとった青年。

 彼は音もなく一瞬のうちに現れた。まるで魔法を使ったかのように。


「よく頑張りましたね、リトさん」


 帽子のツバつかんで被り直し、にこやかに笑った。


「ここからは僕が請け負いますよ」


 それはヨシキだった。

 子鬼たちはその突然現れた乱入者を見て、一気に距離をとる。


 元々が臆病な性質だ、得体の知れないものに近づく勇気などない。

 またオーガにとっても、ヨシキは驚愕の対象だった。


「なんだそれは……」


 彼の両手の先、光りを纏う拳。

 それを見たオーガは、その光の源が何なのかを見定めようとした。


 このオーガは老練である。

百年余りを生きるこの人食い鬼は、数多くの勇敢な戦士に命を狙われ、また自分より強力な天敵と対峙して生き延びた経験があった。


 だからこそ油断はしない。


 オーガは手下に命じ、ヨシキを攻撃させようとした。


「何をしている、子鬼ども。 この下郎をねじ伏せるがよい」


 だが、臆病者の子鬼は動かない。

得体の知れないものに近づきたくないのは、子鬼とて同じだった。


オーガは大きく息を吸い込んだ。

一気に吐き出される叫びは、森に響き渡る。


木の葉が舞い、子鬼たちが身をすくめる。


ヨシキは警戒し拳を突出し、構えた。


「まるで百獣の王が吠えているかのような迫力ですねえ」


 とぼけたように、ヨシキはそう言った。

 それが合図であるかのように、子鬼たちはヨシキへ飛び掛かった。


 自分たちの王に逆らって死ぬことよりも、得体の知れない敵へ挑むことを選んだのである。


 ヨシキはいっそう拳を青白く輝かせて、迎え撃った。

飛び掛かる子鬼たち次々に拳により、撃ち落とす。


中にはその一撃で空を矢弾のように飛び、木に跳ね返りながらいずこかへと姿を姿を消した者さえいた。


 掴みかかった子鬼すら、ヨシキがわずかに身をそらしねじると、なぜかするりと抜けてしまう。次々に地にふせ、動かなくなっていく子鬼たち。


 そんな最中で、木の上から狙い定める子鬼が一匹、笑みを浮かべた。

爪により首の動脈を絶とうと狙っているのだ。

その子鬼は枝木を飛び跳ね、直下の獲物を狙う。


 それを知っていたかのように、ヨシキは同じように笑みを浮かべた。


「意外と悪くない動きですね」


 上から降った子鬼を蹴り飛ばし、さらに続けて木の枝から奇襲を掛けようとした他の子鬼にそれをぶち当てる。

夜の森という濃い闇の中で彼はそれをやってのけた。


 それは子鬼すべての動きを把握しているかのような動きだった。


 さすがに子鬼たちも劣勢であることを察し、逃げ森の陰へ隠れていく。


 一連の動きを見て、オーガは子鬼たちを叱りつけることもなく、興味深そうに獣のような目を細めた。


「儂には見えたぞ、小僧。 貴様、魂がどんどん抜け落ちているな」


 原初の悪鬼グランオーグルの末裔たるオーガには見えていた。


 ヨシキの体から次々に魂が漏れ、消えていく最中に両腕に集まっていくのを。


 ロウソクが、蝋を吸い上げ火をともすかのように魂によって拳を輝かせていたことを。

 よく見れば、戦う時以外ですらヨシキの体からはすこしづつ魂が抜け落ちていっている。


 これは生きている人間にはあり得ないことだった。


「さては、死者か?」


 オーガはそうヨシキの正体を推測した。


「え? ……ヨシュキさんが死者?」


 それを聞いたリトの口から零れ落ちる疑問と戸惑い。


 目の前で戦う英雄の正体。リトにとっての『魔法使い』は何者なのか、その答えを喰い殺そうとした怪物が語ろうとしていた。


 オーガは己の呟きに気づかない。


「死者は永久に現世に留まることは出来ない。 いつしか己の心を失い、妄執に満ちた獣と成り果てることとなるからだ。 魂を失い続けることは、心を失い続けることだからな」


 拳を構えたまま、オーガを見据えるヨシキ。

 オーガはそんなヨシキを興味深そうに見、その指で自らの顎をこするようにして添えた。


「しかし、貴様は完全なる死者ではない。 そうかわかったぞ! さては半死人ハーフデッドだな」

「半死人?」


 聞きなれぬ言葉にリトが目を見開く。


「どうやら知らぬまま、共にいたようだな小娘。 半死人とはな、死神と契約し死の運命を捻じ曲げようとする愚か者よ。 古来より、『死神憑き』として忌み嫌われた存在だ。 なにせ半死人が自我を保ち続けるには、他者を殺し、魂を奪い続けるしかないのからな」


 リトはヨシキを見た。


 ヨシキは穏やかに笑みを浮かべている。

 なんてことはないように、静かな声で彼は答えた。


「その通りです、僕は既に死んだ人間です。 その死が不条理なものであれ、逃れようとしている以上、死は常に僕の身近にいます」

「どう足掻いたところで元の生者には戻れぬぞ。 そんなことは不可能だ。 半死人は魂を失い、獣に成り果てるが定めよ」


 リトは衝撃を受けていた。

 自分を助けた人間が、怪物に近い存在だったのだから。


 オーガはもはやリトや子鬼たちに興味を失ったようだった。

眼前の半死人のみをその目に映す。


「……しかし、なぜそのように強い力を宿す? 貴様は常に魂を失いつつあるはずだ、そこらにいる定命の魂を奪ったところで気休め程度にしかならないはずだ。 単なる人間を殺した程度で、その力を得たとは思えぬ」

「地獄を見てきましたからね、生半可な覚悟で志している訳ではないということですよ」


 ヨシキは自分がなにを志しているのかを省略し、そう答えた。


 嬉しそうに笑みを深めるヨシキを見て、オーガは寒気を感じた。

言い知れぬ恐怖を感じたのだ、男の目にどこか狂気を感じる。


 そして、なにかを察した。


「……なるほど、地獄を彷徨う亡者を狩ったということか。 それも強力な死者たちをな。 どうやって現世と地獄を渡り歩いたは知らぬが……境遇は違えど似たような存在であろうに、おぞましいことだ」

「ええ、なかなかにスリリングな体験でしたね」

「同胞を手に掛け魂を奪い、抜け落ちる魂を燃やし力と為すとは、なんたる許されざる所業。 魂を冒涜し、禁忌に手を染めた者に救いはない」

「人喰いにそこまで言われるいわれはありませんよ」

「強者が弱者を喰らうことは自然なことだ。 それらは魂を犯すものではなく、神が定めた自然の摂理。 ましてや、もとより人間は我らに尽くすために生まれた存在よ」

「いや、僕は美しい女性に尽くすために生まれてきましたけども」


 どこかずれた返答をするヨシキにオーガは首を傾げた。


「……こやつ、本当にワシの話を聞いておるのか?」


真っ白な服装に身を包み、自分に挑む男。

奇妙な装いではある、だがそれ以外に明確に違和感を感じる何かがあった。


 そこでオーガはようやく気付いた。


 目の前の男は爛々と目を輝かせながら自分を見ている。


 まるでこれからとても楽しいことが起こるかのように。

そこには恐怖や殺意が存在しなかった。


 そんな人間は今まで見たことがなかった。


 どんなに勇敢な戦士でも、オーガである自分を見た時には戦慄と恐怖に耐え抜き、それをはねのけながら対峙してきたものだ。


 戦いに心を奪われた者もいた。


 だが、共通して彼らにあったのは強烈なる闘志と殺意だ。


 そうでなければ、恐怖に呑みこまれている。人間が自らより強大なものと戦う時、なにか支えとなるものが必要になるのだ。

人間はそれほど強い存在ではないのだから。


 それでは、この者はいったいなにを支えにしているのか。

 オーガは疑問に思った。


 にやりと笑って、ヨシキは言った。


「素手でこんな強そうな相手と、守らなければならない女性を背にして戦うとか……」


 その声は弾んでいた、抑えきれないほどの喜びを含んだ声。

 純白に身を包んだ美麗なその男は、輝かしいほどの笑顔で言ってのけた。


「なんたる縛りプレイ! すごい絶体絶命ですよね!」


 潤んでさえいるその瞳に映る、人食い鬼。その姿は心なしか怯えてすらいる。


 オーガは本能的に悟ったのだ。

 よくわからないが、こいつはヤバい。


 半死人がどうとか強力な力を持ってるとか、そんなちゃちな話ではなく、純粋に生きていくうえで関わってはいけないたぐいの敵だ。


単純に言えば、こうだ。

 めちゃくちゃ気持ち悪い。


「いやあ、僕こういうの憧れてたんですよ。 こんなの五分の条件でやりあっても、難しい相手じゃないですか。 そこで女性を無傷のまま守り抜き、子供を無事に助け出さないといけないとなると、ズタボロになっちゃいますよね~。 いやあ、困ったなあ」


 全然、困った様子に見えない。

むしろ、今にも踊りだしそうなほどに上機嫌であるし、どこか余裕すら感じさせる。


 間違いなく、絶対にこの危機を潜り抜けるという自負を彼は備えていた。


「……貴様、まさかワシに勝てるとでも思っているのか?」


 力の差を測れないほど愚かな人間なのだろうか、とオーガは考えるが、強者と戦い続け重ねに重ねた経験がそれを否定する。

この目の前の男は、力量の差を正確に判断できるほどの能力をもつ者だ、と。


だからこそ、なおさらオーガは混乱した。

 老練なこのオーガは一切敵を侮ることがない。


追い詰められた弱者が見せる足掻きは、時に自分を殺す可能性を秘めることを知っているからだ。

そんな状況下では勝つ見込みも、生き残る見込みも見出すことが難しいはずだ。


 なぜ、この者は喜んでいるのか。正確に分析すればするほどに、矛盾する、


 ヨシキは答えた。


「不可能を可能にしろ、と言われるのが『真のドМ』にとっての最大級の喜び一つなんですよ」

「まったく意味が分からん」

「僕はね、映画が好きなんですよ。 主人公が困難で苦しい目に合う物語は大体好きです、それもハッピーエンドのものは特に好きですね」

「……だから、なにを言っている?」

「苦しい目にあって気持ちよくなれた上に、ハッピーエンドなんて最高だ。 そういうお話です」


 ヨシキは半歩だけ前にでて、距離を詰めた。

 オーガに対し、拳を構える。


 出来る限りの警戒をオーガはヨシキに向けた。

間合いにはいればいつでも爪で切り裂ける、そんな構えである。


 それを見ても、ヨシキは穏やかな笑みを崩さない。


「リトさん」


 ヨシキは背後を振り向かずに優しい声をかけた。


 リトは震えていた。


 自分の理解を超えた状況に、恐怖を抱くしかなかった。


「大丈夫です、あなたは必ず村でまたあの子たちと遊べますよ。 それは僕が約束する『絶対』です」


 ヨシキにはリトの表情は見えなかった。

 だが、怯えていることは察していた。


 故に彼は『絶対』を約束する。


「心角流師範代……いや、『魔法使い』ヨシキ。 参ります」


 決意を込めるわけではなく、さりげなく足された。そんな一言。


 今日は天気がいいと、当たり前のことをさらりと語られたかのような風情で、彼は名乗りを上げた。

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