第2話 ヨシキとケイジ

 ヨシキは実に紳士的にリトを送り届けた。


 その態度に、時折リトが恥ずかしさのあまり行動不能に陥ったほどだ。一方、ケイジは不平不満をヨシキにぶちまけながら、のそのそ着いてきただけである。


 なにはともあれリトが職場である『メサの葉亭』に戻ると、リトの想像以上にマスターに思い切り心配されることとなった。


「マスター! ただいま!」

「リトちゃん、おかえり。 って、どうしたんだい! その恰好は!?」


 なにせ看板娘の姿はひどいものだった。

膝はすりむいて傷だらけだし、泥や土で洋服はかなり汚れている。


葉っぱが強く擦れた後もあり、一目見た瞬間に誰かに乱暴されたのではないか、と疑問に思って仕方のないところではあった。


 酒場のマスターは気のよさそうな細身の男で、こぎれいに整った髭がトレードマークのような人物だった。

 他に客がいるのにも関わらず、まっさきにリトに駆け寄った。


「……派手に転んだ、とも違うみたいだけど。 そこの妙な格好をした二人はだれかな?」

「う~ん、マスター。 話せば長いんだけど」


 マスターに心配をかけたくないリトは、慎重に言葉を選びながら事情を説明していく。

 それにすら、悪態をつくケイジ。


「話せば長い? ここまでの説明なんて五秒で済むぞ、馬鹿なのかこの女」

「ケイジ、黙って見てましょう」

「言葉が通じなくて一番不便なのは、面と向かって悪口を言っても伝わらないことだな」

「……僕は伝わらなくてよかったなあ、と思ってますよ」

「確かに本人の陰口を叩くには、言葉が伝わらないほうがいいよな。 その発想は俺にはなかったよ、さすがヨシキ」

「そういう話じゃありません!」


 しかし、二人の会話がもし周囲の人々に理解できていたら、ややこしい事態になった可能性もある。


 ケイジは自分の利益には聡いし、決して場の空気を読むことが出来ないわけではない。

むしろ、時に誰よりも言葉の先を読むことに長ける場合もある。


 問題はその能力が、他人を不愉快にさせることに意図的に強く発揮されることが多いということだ。


 それは一重に人のメンツを潰すことがケイジにとっては楽しみであるからだ。

ケイジは自分が楽しむと言うこと自体が己の利益だと判断している。


 ヨシキは彼のその性質もまた熟知していたし、純粋に今の会話の内容はひどくて聞かせられない。という、良識による感想でもあった。


 マスターは二人がリトの恩人と聞くと、最終的に快く食事を提供してくれた。

リトが「賃金から支払う」という提案を却下して無料で提供すると言いだしたほどの歓迎である。


 ただし、子鬼が人里近くまで降りてきたと言う事実をマスターに告げた時、店内は騒然とした。


「これはまた困ったことになったものだ」

「村の男衆をかき集めて、山狩りかね」

「村長に知らせねばならんな、見張りも強化せんと」


 次第に動揺は村全体に広がることとなったが、ケイジは「そんなことはどうでもいい」と言わんばかりに不満をあらわにしながら空いている席に座る。


一言ヨシキに悪態を付いた。


「客に飯を食わせない酒場ってどう思う? 俺は潰れたらいいと思う」


 その言葉に苦笑するヨシキ。出来の悪い弟を見守る兄のような表情だった。


 同じようにテーブルを挟んで向かいに座る。

 ケイジの気をそらすように、ヨシキは尋ねる。


「我々の世界で言えば、狼や熊が出没したくらいの騒ぎになるのでしょうか」

「さあね、猿程度の知恵もあるのだとしたらもう少し深刻じゃないか? 殺人猿が群れを成して人類相手に略奪を働くくらいの深刻さかね。 ん、どこのB級映画だよとツッコミたくなるな」

「映画か、帰れたら映画も見たいですね。 目を付けていた映画を見損ねてしまいました」

「戻るころにはDVDにでもなってるだろうよ、あちら側の時間がどう動いているのかはよくわからんが」

「売れないコメディアンが旅行先で凄腕スパイと間違われる話でして。 それが非常にいい加減な男で、適当に周囲の人々に話を合わせているうちにとんでもないことになっちゃうんですよ」

「お前がどんな映画を見たいかは聞いてない。 なあ、あと俺はどれくらい待てばいいんだ?」

「ケイジが餓死する前には間に合うでしょうね」

「それはどうかな、餓死通り越して白骨になるかもしれん。 たぶん店内のインテリア扱いされるぞ」

「安心してください、その時にはリトさんが綺麗なお花を用意してくれますよ」

「早くそうなるといいな、具体的にはお前一人が。 きっと、お花がよくお似合いだろうよ」

「ありがとうございます」

「戯けた奴だ、褒めてねえんだよ」

「じゃあ、けなしているんですね」

「……喜ぶな、ドМ野郎」

「それは褒め言葉ですよ、ケイジ」


 結局、相手に痛手を与えることが出来ず不満そうに黙り込むケイジ。終始、ヨシキに穏やかな笑みを浮かべながら対応されたことが腹立たしいようだった。


そのまま店内の様子を見守る。


 見渡せばこんな状況にもかかわらず、平然と食事している人々も少なくないようだった。

ワイン片手に手づかみで芋にかじりつく者いれば、汚れた口をテーブルクロスで拭くような者までいる。テーブルマナーなんてまともにあるかも不明だった。


 旅人の中にも我関せずと言った様子で、あえて騒ぎに耳を貸さないことを決めた者もいる。厄介ごとに巻き込まれたくないのだろう。


 ある程度状況が落ち着いた頃、服を着替えたリトが食事を運んできた。

野菜のスープとジャガイモである。


「どうぞ、当店自慢の特製スープです!」


 そのスープを見た反応は二人で大きく分かれた。


「うわー、肉はないのかよ。 ずいぶん貧相なスープだな」

「わあ、これは美味しそうですね」


 ヨシキは完全にケイジを無視する。


「ワインもつけましょうか?」

「ぜひ、付けてくれ。 チーズとソーセージも」

「いえ、大丈夫です。 ありがとう」


 元気よく配膳するリトに対して、いちいち悪態をつくケイジ。

リトが何を言ってもこのありさまだ。


「つか、魚くらい出せよ。 しかも芋はないわ、せめてパンにしてほしいわ」

「あのお連れのケージさん、でしたか? なにをさっきから話されているんでしょう?」


 さすがにリトもケイジの態度が気になるのか、ヨシキに質問した。

 ヨシキはこめかみを指で押さえながら、それでも笑みを浮かべる。


「のどが渇いたみたいなので水が欲しいそうです」

「あ、そうなんですね。 うっかりしてました!」


 パタパタと足音を立てて水差しを持ってくるリト。

 ケイジはそんなどこまでも善良そうな様子を見て、ため息をついた。


「能天気そうな女。 つか、やっぱりしゃべれないと意思の疎通に問題あるな」

「はい、これが水です! どうぞ、ケージさん」

「……いくら俺でも、それが水なのは見りゃわかるよ」


 苦笑しながらコップに注がれた水を受け取るケイジ。

 ケイジの一言を聞いたヨシキはつい吹き出してしまった。


「あれ? なにかありましたか?」


 不思議そうに首を傾げるリト。


「いえ、なにも。 ケイジがお礼を言っただけです」

「そうなんですね! どういたしまして、ケージさん」


 一礼されたのを見て、居心地悪そうにするケイジ。


 お礼を言われたり親切にされるのが、どうにも苦手らしい。

何も言わずに食事を始めるが、味についての不満を口にすることはなかった。


 ヨシキも習って、同じようにスープに手を付ける。

塩やハーブを利かせているのだろう、やや物足りないようには思うものの美味しく食べることが出来た。


 リトは二人に目を輝かせて話しかける。


「そう言えば、もしかしてお二人は高名な魔法使い様ですか?」


 その言葉を聞いて、一瞬二人は視線を合わせた。

 顎をしゃくってケイジが合図を送ると、ヨシキは頷いて返答した。


「ただの旅人ですよ」

「ええっ、ただの旅人だなんてそんなはずないですよ。 だって、不思議な乗り物を使われていましたし。 お連れのケージさんが一瞬で乗り物を消してしまわれたじゃないですか」

「……なるほど。 ちなみに魔法使いはこの辺りにいますか?」

「いえ、村にはいませんね。 この辺りというか、よく知りませんけど領主様におつきの顧問魔術師さまがいるのは聞いたことあります」

「顧問魔術師さま、ですか。 やはり魔法の詳しい知識が必要であれば、その方に聞くのが一番なんでしょうね」

「えー、どうなんでしょう。 たぶんそうだと思いますけど」


 それを聞いて、顎に手を添えながら神妙そうに頷くヨシキ。

 ケイジも黒メガネのズレを直しながら考え込むそぶりを見せた。

 ヨシキがケイジに問いかける。


「どう思います?」

「魔法ね、興味深い話だ。 与太話じゃないなら、目的を達成するための手がかりになるかもしれん」

「行先は決まりですね」

「問題はそいつにどうやって話を聞くか、だな」


 リトは二人のやり取りを黙って見つめている。


 言葉がわからないながらも、真剣な内容を話し合っていることは察したらしい。

「まずいことを聞いてしまっただろうか」と気にして始めているようだった。


「もしや、二人は身分を隠してなにか特別な使命を帯びているのかもしれない」とまで考え始めている。

 それは真実に限りなく近いが、それを彼女に教える人間はいない。


「わたし、他のお客さんの注文を聞いてきますね。 ……もし、本当にもしよかったらですけど、あとで旅のお話でも聞かせてくれたら嬉しいです」


 気を遣うようにその場を離れるリトを二人は見送った。

 ヨシキはあえて何も言わずに笑顔で手を振る。そして数秒の間、二人に沈黙が訪れた。

 それを破ったのはケイジだ。


「ずいぶん彼女と打ち解けているじゃないか」

「それはリトさんの人柄が素晴らしいからですよ、余所者相手にこんなに親切にしてくれるなんて」

「命の恩人だから、っていうのもあるんだろけどな。 そもそも、どこの世界でもイケメン気障男はモテる」

「命の恩人って……単純に貴方がスピード出しすぎて、ブレーキが間に合わず飛び出してきた相手を轢き殺しただけでしょう!」

「人聞きが悪い事を言うんじゃねえよ、何も俺は別に法律を犯したわけじゃない。 この世界にスピード違反なんてないだろ、そもそも交通法って概念もないんじゃねえの?」

「法がどうこうと言う話ではありません! もう少しタイミングがズレてたら、リトさんは死んでたんですよ」

「そうだな、すべてお前の言うとおりさ。 もう少しスピード落してたらよかったよな~、そしたらあのリトとか言う小娘を助けられなかったよな、たぶん死んでたぜ」


 それを聞いて、ヨシキは絶句する。

 前提条件が覆ってしまえば、今回の結果がなかったのは事実だ。


 危険を感じるような荒い運転で、山道を爆走していたからこそリトの危機というタイミングに間に合ったのは否定できない。

急ブレーキを掛けられないほどのスピードだからこその結果だ。


「ん、理解したならよろしい。 深く考えるなって、なんにせよ結果オーライだよ。 いやあ、覆面パトやネズミ取りがないって素晴らしいわ……やっぱ警察っていらねえな」

「……さっきからわざわざ僕を煽る言い方をして楽しんでません?」

「お前こそ、今日はずいぶん反抗的だな。 スリルは嫌いじゃないだろ、そんなにあの女が気に入ったのか?」

「……自分の楽しみと他人の生命を比較するような生き方はしてませんから」

「俺もそうだよ、比較なんかしてないね」


 ケイジは他人の命なんてどうでもいい、と言わんばかりの態度でヨシキを煽り続ける。


 とある特殊な性癖を持つヨシキは、本来ならば他人に馬鹿にされたりしても不快感を持つ人間ではない。

しかし、彼にとっては『善良な人々』は守るべき存在だ。


他者のために自己犠牲を働くことや苦痛を感じることに、快感を感じる性癖がヨシキにはある。


しかし、自分以外の犠牲者を出したいわけでは決してないのである。

 破たんしている部分はあっても、それがヨシキにとっての信念だ。


「しかし、仮に命の恩人であるとしても対象は僕ではなくてケイジになるのでは?」

「俺が運転手だと理解しているかは怪しいぞ、車の構造も知らないんだから。 それに仮に気付いていたとしても、命が助かった後に好意的に接したのはお前だ」

「確かにケイジは好意的からは程遠い振る舞いですから、敬遠されてしまう面もあるかもしれません」

「そうだろう? 言ってしまえば、ある種の吊り橋効果だな。 有効だよ、俺もたまに使うこともある」


 ヨシキが何とも言えない表情を浮かべる、複雑な心境になりつつあるのだろう。

 自分への好意がそういった習性によるものとは思いたくない、そんな感覚がヨシキにはあった。


「でも、まあ、あれだ。 俺は気持ちよく車をぶっ飛ばせて、おまけに感謝までされると来た。 お前は働かなくても飯にありつけて、女まで付いてくる。 まったくここは良い世界だよな」

「リトさんのこと、そういう言い方しないでください」

「へいへい。 あ、タバコ喫っていい?」

「……外でお願いします」


 しかし、引き際を心得ているのかケイジはあっさりとその場から離れる。

 ケイジは相手がどこまでなら怒らないのか、関係に支障をきたさないのか。

それらを把握する才能に関しては、優れた能力を持っていた。ポケットから煙草を取り出しながら、店の外へ出ていく。


「本当に困った人だな、『あの人』は」


 ヨシキは呆れたようにその背中を見送る。

 だが、そのまなざしにはどこか情景の念があった。


 致命的に善悪の価値観が合わない二人、しかしヨシキにとってそれは大した問題ではなかった。


 ヨシキは一度、仲間と決めた人間を見捨てることも裏切ることもしないのである。例えケイジがヨシキをどのように思っていたのだとしても、命を預け合った大事な仲間なのだ。

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