第3話 ヨシキの問題点

 ヨシキが一人で食事を続けていると、酒場のマスターが話しかけてきた。

 人懐っこい笑顔を浮かべており、声にも穏やかさを感じた。


「リトちゃんが世話になったね、ありがとう。 ……それと、すまない。 彼女の命の恩人だと言うのに、礼を言うのが遅くなって」

「いえ、お忙しいご様子でしたし、それに子鬼が人里まで降りてきたことが一大事なのでしょう?」

「そうなんだ、本当にね。 畑や家畜も荒らされる可能性があるし、リトちゃんみたく誰かが襲われることもある。 もっとも人が襲われるなんてのは、あまりないことなんだけど」

「そうなんですか?」

「そりゃそうさ、子鬼だって人間が怖いんだ。 自分が死ぬ危険を冒してまで獲物を狙ったりはしない、普段は人里まで降りてこないってのはそういうことだよ」

「と言うことは、降りてきた理由があると言うことですね。 例えば、山の食料がない、とか」

「かもしれないね。 今年はドングリも豊富にあると思うんだが、何か異変があったのかもしれない」

「異変、ですか」


 興味深そうにヨシキが目を細める。


「それにしても、君たちはいったい何者なんだい? 物腰や服装も平民の出とは思い難いし、なによりこういっちゃ失礼にあたるのを承知の上で言わせてもらうんだけどね。 相応の礼を要求されるものだと思っていたんだよ」

「……リトさんを助けることが出来たのは偶然です。 それは喜ばしい事ですが、たまたま通りがかった結果にすぎません。 僕にせよ、ケイジにせよ、本当に誇ることでも褒められたことではないんですよ」

「立派なことだ。 皮肉じゃなくだよ、本気でそう思って言っている」

「皮肉で言ってくれた方が気が楽です」


 マスターの真剣な様子にヨシキは苦笑した。


 本気で申し訳なくなるものの、『自分たちの能力や所持している道具についての詳細は誰にも話さないこと』と決めている。

これは旅に出る前にケイジとヨシキが事前に話し合って決めたことだった。


 もし、ヨシキが話したければケイジの許可を得なければならない。

ただし、『能力を隠すな』とはしていないため、必要に応じて自己判断で使うことについては互いに止めることはない。


 もし、この取り決めがなかったらヨシキは例え自分がどう思われてでも、マスターやリトに事情を詳しく話して謝罪したかもしれない。

それによってマスターから好意を得ることは出来なかったかもしれない。


 どちらにせよ、ここでリトを轢き殺してしまっていた可能性について触れることはなかった。

 これが村の命運を分けた。


「君たちさえよければ、部屋を貸そう。 しばらく村に滞在してくれて構わないよ、数日くらいなら食事も都合しよう」

「……しかし、それは」

「私はこの村でも顔役でね、誰にも文句は言わせないさ。 『真摯な労働者には相応しい報酬を』と言うやつだ、命を救ってくれた礼としては安すぎるかもしれないが、こちらも裕福ではないからね」


 ヨシキは迷うが実は二人は無一文だ、旅を続けるのにも先立つものが必要だろう。


 ケイジに相談もせず判断できないが、断れるほど余裕がある身の上でもなかった。

ヨシキはマスターに礼を言った。


「こんな流れ者に親切にしてくださって有難うございます。 ……いい言葉ですね、『働かざる者、食うべからず』よりはずっと良いです」

「それは……なんだか随分と切羽詰っているように感じるね」

「僕の母国での言葉ですよ」


 ヨシキはどうもこの言葉にあまり良いイメージがもてなかった。

 働けない者を切り捨てるようでもあるし、後ろ向きな物の見方のように感じていたからだ。


 彼は勤勉ではあるが、自分の楽しみをどこまでも追い求める生き方は憧れだった。

楽してのんびり暮らす、それを夢見るのを否定されたようにどうしても思ってしまう。


 『まかぬ種は生えぬ』と言う捉え方の方が、ヨシキにとってはよほど自然で性に合っていた。


「大変な国から来たようだね、詳しくは聞かないさ。 流れの魔術師なんて訳ありのようだしね」

「リトさんには『魔法使い様ですか?』と聞かれてしまいましたよ」

「おやおや、彼女がそんな子供みたいなことを言うなんて久しぶりだな。 『魔法使い』だなんておとぎ話みたいじゃないか」


 『魔術師』と『魔法使い』。


 この両者への認識には大きく差があるようだったが、ヨシキにはそのニュアンスによる明確な違いを察することは出来なかった。

同じ言語を話せると言っても、言葉の理解には文化的な側面が大きい。


 ヨシキはその点について追及することをあえて避け、他の話題を選択した。


「僕はてっきりリトさんはもともと天真爛漫な女の子だと思っていましたよ」

「まぁ、そうさ。 間違っちゃいない」


 だが、その選択された話題がマスターの顔を曇らせた。

 気まずそうに頭をかいている。


「ヨシキくんだったね。 君を遠回しながらも引き留めるようなことを言ったのは、単純にお礼のためだけじゃないんだ」

「……と、言いますと?」

「リトちゃんがあんなに嬉しそうなのは本当に久しぶりのことなのさ。 もちろん仕事中はいつも笑顔だったよ、でもそれは本当のあの子の笑顔じゃない」


 遠目に元気に働くリトを二人は眺める、ヨシキには彼女が何かを抱えているようには全く見えなかった。

 人々に親しまれながら明るい笑顔を振りまくリト。


「私はリトちゃんの両親とはとても親しくてね。 今となっちゃ私があの子の親代わりみたいなもんさ、それだけにあれこれいらん世話も焼きたくなる。 昔の自分じゃ考えられないことだが、歳をとるっていうのはきっとこういうことなんだね」


 マスターはそれ以上、詳しく事情を語ろうとしない。


 それでもうっすらとではあるが、すでにリトには身内がこの村に存在しないのではないか。と想像することは出来た。


それも遠い過去の出来事が原因ではないだろうと言うことも。


「ここにいるだけでもいいからさ、あの子の前では『魔法使い様』でいてやってくれないかな。 ……頼むよ」


 ヨシキにその頼みを断る理由はなかった。

 酒場の二階は宿泊する部屋になっており、そのなかでもヨシキとケイジとは相部屋あてがわれることとなる。


 二人で部屋に入り、内装に文句を言うケイジ。

 そこでヨシキが事情を説明したところの第一声は想像通りのものだった。


「断われよ、そんなもん」

「しかし、ケイジ……」

「俺はそんな長い時間ここにいる気はないね」


 ケイジの態度はとてもはっきりしていた。


「俺達は別に暇じゃないんだ、時間制限があるんだからな」

「……そうですね、わかっています」

「いや、お前がわかっているとは思えないな。 俺達は少々『地獄』で長居をしすぎた」

「ですがそれが無駄だったとは思わないでしょう?」


 不敵な男に与えられた選択肢、『異界』へすぐに赴くか、『地獄』へ落ちるか。

 これは単なる脅しの文句ではなかった、メリットのある選択肢だったのである。


 ただし、魅力があるとはとても言い難い選択肢ではあった。


「お前の言うとおり確かに退屈はしなかったよ。 夢の国みたいな場所だったと言っても嘘にはならないだろうな。 行ったことはないが、たぶん遊園地ってあんな場所だと思うぜ」

「夢は夢でも悪夢でしょう、貴方のその認識はあまりに哀れです。 帰った後は必ず遊園地を訪問してください」

「俺がぬいぐるみと戯れてたら、子供が泣くぜ」

「……それは確かにそうですね」


 ヨシキは不本意ではあったがケイジのフォローは出来そうもない、とすぐに諦めた。

 誠実な男に嘘はつけないのである。


「どちらにせよ俺達は少し楽しみすぎたんだ、その遅れ分を取り戻す必要があるとは思わないか?」

「しかし、この世界にも怪物はいるようですし、なかには僕達では太刀打ちできないものもいるかもしれません」

「確かにそれは否定できない」

「彼らの持つ常識の中には、それらから安全に逃れる手段が存在している可能性もあります。 また都市部には都市部の危険があるでしょう、行先の情報も慎重に集めるべきです」

「一理あるな、人間が築き上げた環境もまたある種を孕んでいる」


 ヨシキの言葉をケイジは噛み締めるように検討する。

 ごく当然の常識を学ぶための時間、それは今後この世界を旅するための土台となり得る。


「しかし、だ。 仮にお前の言うとおりだとしたら、地獄よりもここは余程厳しい環境ということになるな」

「本当の地獄は人の心にこそありますから」

「それはどこの世界も変わらない、か。 いいだろう、今回はヨシキ、お前に従ってやる」

「ありがとうございます」


 ヨシキは頬を緩ませて礼を述べた。

 よほど今回のことが嬉しかったらしい、それはケイジにも読み取れた。


「それにしても、ヨシキ。 ほとんど今思いついた内容を話しただろう」

「あ、わかりますか?」

「当たり前だ。 元々考えがあった時の会話運びとは違う、もっと説得するための根拠を補強しながら誘導するはずだ」

「自分の感情に従うのも大切なことですよ、今回はそれが理にかなっていた。 願ったり叶ったりじゃないですか」


 それを聞いて「どうやら自分の相棒はかなりの女好きらしい」と呆れながら頭をかいた。ケイジは今まで見ることのなかった相棒の一面なだけあって対応を決め兼ねてすらいる、これが組むのに致命的なレベルなのかどうか考えているのだ。


 しかも、旅を開始してほとんど時間は経っていない。

問題が浮上するには早すぎた。


 「これでは今後が思いやられるな」と口の中で小さく毒気づいた。

ヨシキに利用価値は認めているものの、何かと問題が目に付く。

最悪切り捨てなければならない。


 結局、ケイジは後悔することになる。自分の認識は甘すぎた、と。


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