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「お湯頭から被ればいいじゃない、ねえ佐沼」


「教室を水浸しにする気か」


 実に予想を裏切らない女だと清正は思った。その後ろで睦樹が苦笑いを浮かべている。


「そもそもお湯をどうやって作るつもりなんだお前は」


「佐沼がばーっと水出して、それをあたしが温めればお湯になるでしょ」


「昨日、複合元素コンポジットで失敗しまくったばかりだろ」


「お湯は複合元素コンポジットじゃないわよ、佐沼の水をあたしの火であっためるだけなんだから」


「なんとなくあっためるどころか蒸発する気がするんだが」


 簡単に言う灯里に祐司が疲れたように突っ込みを入れる。勢いのまま元素を操る灯里のテンションに、祐司は大分振り回されているようだ。


「とーにーかーく、時間がないから清正くんも新原くんも手伝う! というか新原くんは昨日逃げた分働け」


「うっす。やるぞ清正」


「おいこら裏切り者!」


 昨日の敵前逃亡を引き合いに出された睦樹は、おとなしく灯里に従う。なぜならば彼女の手元がうっすらとぼやけて見えたからだ。それは即ち熱である。ともすれば自身の髪が犠牲になりかねないと、睦樹が鞍替えをするのも無理はない。


 早々に親友が灯里側についたのに「ああもう」と脱力する清正の肩を、祐司がぽんと叩いた。


「お前、よくあんなのと一緒に委員できるな」


「俺の所属元素シィネルガシアは水だから、一応は」


 清正の指摘に、祐司もまた肩を竦めてそう言った。


 そのまま四人で教室を移動する。


「鏡は既製品を買った方がいいと思うんだけど」


「せっかくの文化祭に日頃の成果を出さないでどうするの!?」


 その道中、祐司が発した言葉に灯里が反論する。


「いや、成果も何も、昨日死ぬかと思ったし……」


「みんながあたしに合わせないからいけないんでしょ」


「お前の火は強すぎるんだよ……お前、料理も強火オンリーでやるタイプだろ」


「だって弱火の十分と強火の三分って同じでしょ? 早い方が効率いいでしょ」


 きょとんとして言う灯里に、祐司と清正と睦樹は顔を見合わせた。普段は料理などしない面々だが、灯里の言っていることは確実に間違っているということだけはなんとなくわかる。


 練習室に向かう途中、階段の踊り場にある鏡の前で四人は立ち止まった。不審点があったわけではなく、鏡とはそもそもどういうものなのかを改めて見るためだ。


 灯里や祐司、睦樹が直接触れたりしながら配合を考えている脇で、清正だけは鏡を極力見ないようにして立っている。


「ちょっと、清正くんもやりなさい」


「いや、そもそも俺と睦樹の所属元素シィネルガシア同じだし、睦樹が見れば問題ないかと」


「あ、それもそっか」


 見かねた灯里が声を掛けたが、清正の言葉に納得して作業に戻る。「それに納得するのか……」と睦樹の独り言と恨めし気な視線が清正に浴びせられたが、昨日働かなかった分だと言わんばかりに清正はそれを無視した。


 鏡はもうこりごりだ。夢で済ますにもなくなってしまったワイシャツが現実であることを証明してしまっている。二度とあんな目はごめんである。


 放課後の廊下は静かだ。行き来する生徒が少ないからだろう。それでも、文化祭の準備期間ということもあって、普段よりは忙しなさを感じる。あちこちで精霊ファミリアが動き回っている気配がする。


「………………おい」


 不意に声を上げたのは祐司だった。それに清正はそちらを向いた。鏡を間近で見ている灯里や睦樹から一歩引いた位置に立つ祐司の顔は、なぜか青ざめていた。嫌な予感がする。


「どうしたの? 佐沼」


 不思議そうに祐司を振り返る灯里。睦樹もまた怪訝そうな顔をしていたが、ふと異変を感じてばっと鏡から飛びのいた。


「新原までどうし――」


「おい! 小牛田、こっち来い!」


 突然、ふたりの様子が変わったことに眉を顰める灯里の腕を、咄嗟に一歩踏み出した清正が引っ張った。


「ちょ、っと」


 転ばないように踏み止まった灯里も、さすがに背後のに気付いた。


「な……に? これ……」


 振り返った先、踊り場の鏡。




 そこにはひとりの女子生徒が映っていた。




 無論、灯里ではない。制服は同じだが、映っているのは灯里ではない。その女子生徒の顔は識別ができない。顔があるということはわかるのだが、認識ができない。目はある。鼻もある。口もある。けれど、顔はない。


「清正、彼女?」


「こんな不気味な彼女は要らねえ」


 睦樹の言葉に清正が頬を引き攣らせながら返す。


「ちょ、ちょっと清正、これ何? 精霊ファミリアが何も反応しないんだけど?」


「知らん」


「祐司!」


「俺も知らん」


 ささ、と灯里は清正の背後に隠れる。隠れたいのはこっちだと清正は思ったが、今ここでどうこう言ってもどうしようもない。


 じりじりと後ずさる四人。鏡の中の女子生徒は動かない。


「何も……して来ない……?」


 その沈黙が逆に不安を呼ぶ中でいつの間にか一番後ろに回っていた灯里が一段目の階段に足を掛けた。


 瞬間。




「ひっ――」




 鏡に波紋が広がったかと思うと、中から伸びてきた腕がまっすぐ灯里に向かった。


「こ、この燃やしてやる! サラマンダーよ!」


 清正の耳に届く上擦った声。


 だが。




 しん……




「え……?」


 何も起きなかったことに固まる灯里の襟首を伸びてきた手が掴んだ。そのまま引っ張られそうになる灯里の体を、祐司と清正が抑える。


「ひ、な、なにこれ!? 離してよ!」


 必死に手を引き剥がそうとする灯里と、体を抑えるふたり。


「睦樹! お前も手伝え!」


 男二人がかりでも引きずられるのは自分が経験したときのままだ。手の空いている睦樹に声をかけた清正は、睦樹が鏡の方を向いていることに気が付いた。


「?」


 灯里の体を抑えながら清正は鏡を振り返る。鏡面に映った女子生徒が波紋で揺れている。その波紋が次第に大きくなり――




 、とまた別の手が出てきた。




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