17
「に――」
背を向け走り出そうとする清正の首を鏡から伸びた手が掴んだ。そのまま鏡に引きずり込まれそうになる清正の手を水月が慌てて握る。
「ばか、何やってんの! 生徒会長さん、手伝って!」
「あ、ああ」
水月の声に生徒会長と男子生徒が援護に入る。だが、それでも引き摺られるほどに、鏡の中に引きずり込もうとする力は強い。
「ちょ、みんな頑張って! やばいやばいやばい!」
「うるさい、少しは足腰鍛えなさい! あなたのことだからどうせ元素頼みでろくに運動もしてないでしょ」
「してるわ! 俺の
不意に黙った清正に水月が怪訝そうな顔を向ける。
「さっきからなんの話をしてるのかはわからんが、助かりたいなら黙って踏ん張れ!」
「………………いや」
生徒会長が声を上げるのに、清正はしかし逆に落ち着いた様子で顔を上げた。
「清正?」
その顔が笑っているのに、水月も生徒会長もさらに眉を顰める。
そんな二人の様子を無視して、清正は耳を澄ませる。今まで聞こえなかった
「――土よ、
高らかな清正の宣言に、生徒会長は「なんだ?」と首を傾げ、水月はパッと手を離した。今まで引きずられていたのが嘘のようにぴたりと清正が動きを止める。
「止まった……? って、君、手を離して!?」
「大丈夫ですよ、生徒会長。彼の元素はそういう性質ですから」
止まったことに安堵した生徒会長は既に手を離している水月に驚きつつも、仁王立ちしてその場から動かなくなった清正に、おそるおそる自身も手を離した。それでも清正の体は微塵も動かない。
清正の
彼が「固定しろ」と命じたのなら、彼がそこから動くことない。たとえ何があっても、だ。
「どう、なってるんだ……?」
混乱する生徒会長の横、水月は鏡を見て目を細める。
鏡に映っているのは彼女と、水月、そして清正の後ろ姿。逆に生徒会長と男子生徒の姿が消えている。
世界が入れ替わった。
水月はそう感じた。
だからこそ清正は
「清正、シフター貸して。あんたのことだから日用以外の何かも入ってるでしょ」
「えー、いや入ってるけどさ」
「それともあなたがあの女を相手にする?」
「お願いします」
仁王立ちしたまま決して鏡の方を振り返らない清正に、水月は呆れた様子でそのポケットからシフターを抜く。もとより、二つ以上の元素を同時に使役することはかなり難しい。全国トップクラスの清正の腕と雖も、
とはいえ、基本的に他人のシフターは使用できない。シフターの中に入っている元素を使うには、それがなんの元素で、何に用いるための元素なのかを知らなければ使えないからだ。それはどこにも記録されないものであるから、収納した本人にしかわからない。
それでも水月が清正からシフターを借りたのは、自身のシフターの中身が日常で使う最低限のものばかりで、こういった場面で役に立つものがないからだった。
「何が入ってる?」
「あー、昨日使おうとして使えなかったやつあるかも」
「何?」
「怒るなよ?」
「いいから言いなさい」
水月は言うのを渋る清正を急かす。清正から入っている中身を正確に教えてもらわなければ水月にこのシフターは使えない。
鏡の中の女子生徒は状況の変化に気付いてるのか、或いはそういうものではないのか、まったく微動だにしない。鏡を眼前にしてもなお、顔が認識できない不快感は強いが、水月はぐっと堪えて真っ直ぐに見据えてシフターを構える。
「あー、下から風を巻き起こすやつ」
「……なにそれ? 何に使うの?」
「……えー、あれです、女子のスカートをこう、ね?」
「詳しい話はあとで聞くわ」
その目的の内容に呆れつつも、水月は今は置いておくことにした。元素の属性、使用目的が判明すればあとは簡単だ。
シフターを握れば該当する元素が反応する。
「……風よ」
水月の手の中でシフターが緑色に明滅する。点いては消え、消えては点きを繰り返し、その速度が速くなる。
速度が高速になり、最早消えている瞬間が認識ではないほどの速度になって初めて鏡の中の彼女に動きがあった。清正から手を離しするりと腕が鏡の中に戻る。
「――逃げるなっ!」
水月がそう叫んだのと、シフターの中の元素が起爆したのは同時であった。
ぶわっ、と下から強烈な風が吹き上げる。きゃあ、と言ったのは階上にいたイナズカだろう。水月も自身のスカートを押さえながら鏡の中を見る。
鏡の中でもまた、風が吹き荒れていた。彼女の髪が服が――否、彼女自身が風に吹き飛ばされる。
風の影響か、鏡面に波紋が広がった。
「清正、行くわよ」
「え、どこに」
風がやむと同時に水月は清正の腕を掴む。彼女の声に清正が反射的に「不動」を解除すれば、そのまま今度は水月に引っ張られる形で鏡に引きずり込まれた。
「な、ちょ――」
突然のことに踏ん張る間もなく、水月と共に清正は鏡の中に吸い込まれる。清正の視界の中で慌てた様子の生徒会長と男子生徒が駆け寄り、そしてイナズカが階段を駆け下りてきて――
瞬きの後、清正の目の前にあったのは階段の踊り場の鏡。そして映っているのは、背後で膝を押さえている水月と、半裸で座り込んでいる自身の姿であった。
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