7




「いや、クソだろ」


 はあ、と吐き捨てるように言いながら清正は鞄を持ち直した。空は赤く染まり、影が長く伸びている。


 ほとんど生徒のいなくなった下校時刻の学校。その中を清正は疲れ切った顔で歩いていた。


 結論から言えば、複合元素コンポジットの実技がなぜ応用扱いなのかをよくよく理解するための時間となった。鏡を生成するために必要な元素エレメントの比率はわかっているのだが、出力の調整がとにかく難しい。最大火力をぶつけてくる勢いの灯里に対して、祐司はそこまでの力がない。灯里に何度抑えろと言っても言うことを聞かず、あいつの耳は付け耳なのではと心底疑うレベルであった。そうして放課後いっぱいかけての成果はゼロ。ちゃんと合わせなさいよ、と怒る灯里を無視し、清正と祐司は既製品を買おうと目だけで頷き合った。


 初の複合元素コンポジットであったが、清正は理論と実践はかくも違うものなのか、と思うと同時に、灯里とだけは絶対に複合元素コンポジットはできない、と初めて元素実技の部門での自身の限界を感じた。


「いや、無理だわ、あいつは無理だわ」


 限界を感じるだけでは悔しいのでなんとかできないかと清正も思うのだが、そもそも協調が必要な複合元素コンポジットにおいて、それがまったくできないやつと組むのは最初から失敗しているようなものだ。灯里ではなく睦樹――あいにくと睦樹の所属元素シィネルガシアは清正と同じなのだが――や水月――そもそも水月は元素使役デスモスができないのでそれ以前の問題なのだが――と組めば百パーセント成功させられる自信が清正にはある。その二人でなくとも、祐司と二人だけであれば、もう少し練習すればできそうだとも思う。つまりは、灯里がダメなのだ。


 自分の実力の問題ではないな、と清正は納得し頷く。できなかったのは自分のせいではない。そう言い切れてしまえば、気持ちも楽になるというものだった。


 明日になってまた灯里に連行されたら嫌だな、と思いつつ清正は校門に向かう。だが、校内神社への参道にさしかかったところで、ふと清正は足を止めた。学校の敷地にあるには不自然で、けれど背後の社叢と組み合わせればあまりにも自然な鳥居を見上げる。


 志波学園は中高一貫校だが、中等部と高等部の校門は別だ。二つの敷地を隔てているのは、まっさらな校庭の中に突如現れる鬱蒼とした、けれど小さな社叢。校門と校舎を結ぶ直線道路から脇に伸びる参道は、社叢の中央で合流し双方の敷地を内部で結ぶ唯一の通路となっている。通常、中等部と高等部を行き来することはないが、部活動の交流などで利用する際はここを通るのが一般らしい。高校から学園に入った清正は特に用もないため通ったこともないが、通路のちょうど真ん中のあたりにも鳥居があり、本殿が鎮座しているらしい。そこには神が祀られているのだそうだ。


 神という存在は、かつては信仰の対象だったらしい。元素エレメントというものの解明が進んでいない頃は、おとなもまた、元素使役デスモスを魔法だとか神の加護だと信じていたそうだ。それも何百年や何千年という単位ではなく、ほんの百年前まではそのような状況だったというのは、清正には信じられない。




「学校を建てる際には、そこに通う生徒の安全と、無事に卒業し、未来へ巣立つ子らへの加護を籠めて、社を建てることが多かった」




 歴史の授業の中でそんなことを習ったのを清正は思い出した。歴史などいつも寝ているかサボっているかなのだが、校史については試験で問題が出た際の配分が高いため、頑張って起きて聞いていたのだ。


 志波学園は歴史のある学校で、創立して百年は優に超える。そのため、校内神社があるのは不自然ではない。今となってはただの通路と化している参道は、参拝者が行き交う道であった。聞いたところによれば、文化祭もそもそもこの神社の神を祀るための行事だったらしい。


 そんな参道の入口で、清正は今、足を止めている。清正もまた、神は信じていない。この世の事象のすべては――それがたとえ人が理解できないような自然災害だとしても――元素エレメントによるものだ。神などいない。ゆえに、清正が足を止めたのは神社とは別の理由だった。


「………………水月?」


 鬱蒼とした社叢の奥、参道を進む背に見覚えがあったのだ。


 日は速度を上げて傾いていく。鮮やかな夕日は、しかし社叢の中までは差し込まない。薄暗い参道は、同時に薄気味悪さも兼ね備えていた。


 下校時刻である。中等部に向かうにしては遅い時間だ。何よりも、水月が中等部に向かう理由がパッと思い浮かばない。


 なんとなくだが清正は、ここは見ないことにした方が良いと思った。何も見なかったことにして、家に帰るべきなのだと。


 だが同時に、行った方が良いような気もした。このまま水月ひとりで行かせてはいけないような気がしたのだ。


 少し悩んだ末、清正は奥に消えた背を追いかけることにした。清正の所属元素シィネルガシアは土だ。いざとなったらこの程度の社叢をひっくり返すこともできなくはない。


 参道は普段使っているからか、きちんと整備されていた。落ち葉や小枝は払われ、石畳の通路が伸びている。風もないのにざわざわと木々がざわめいている。正確には、わずかな風でも枝葉は揺れるために起こっている現象なのだが、それを知らなければ不安を煽るような音だ。その合間を縫ってさらさらと水の流れる音も聞こえる。ある程度進んだところで、せせらぎが通路の脇に合流した。源流は奥にあるようで、流れてくる方向に逆らう形に清正は進む。水月の背は途中で曲がったため、既に見えない。通路は一見すれば一本道だが、途中に曲がり角があるのだと清正はその動きで察した。


 せせらぎの源流が近くなる。見れば、一部だけぽっかりと木々が開けた個所があり、そこには小さな池があった。そこはちょうど水月の曲がった場所で、清正は池とは反対の方に目を向ける。そこには話で聞いていた鳥居が、その奥に本殿があった。


 神社の本殿、というものを清正は生まれて初めて見たと言って過言ではない。木製のそれは、建てられたときはさぞ丁重に、美しく造られたものなのだうが、既にその面影は消え果ていた。塗装はすべて剥げ落ち、みすぼらしい状態だ。足の部分は半ば腐り、いつ折れてもおかしくはない。ぽかりと空いた部分には、かつては扉があったのだろう、風に飛ばされたのか中身が丸裸になっている。屋根の一部は崩れている。こういうものは神様の家という扱いらしいが、あんな家には住みたくない。そんなことを清正は思う。


 水月は、そんな社に正対して立っていた。両手を合わせ、首を垂れている。何をしているのか、清正にはわからない。だが、話しかけない方が良いという気配だけは通じた。


 帰ろう。


 そう思う。興味があってついてきてみたが特に何もなかった、これはそれだけの話だ。


 踵を返し、元きた道を戻ろうとする。が、通路に転がっていた小石をその際に蹴ってしまい、ぽちゃん、と水面が音を立てた。


「っ!?」


「あ――」


 静かな空間に突然響いた音は嫌でも気づく。驚いたように振り返る水月と、それに「しまった」という顔をする清正。水月は暫く驚きのあまり固まっていたが、やがて深く息をついた。


「何してるの、清正」


「いやあ、散歩?」


「もう下校時間でしょ」


「それを言うならお前もだろ」


「私はもう帰るわ」


「俺も帰るところだよ」


 地面に置いていた鞄を手に取り水月が鳥居を抜ける。清正はそんな水月を迎えつつ、ふと池が気になって振り返った。


「どうしたの?」


「いや、この池、面白いなって」


 本当はなぜ池が気になったのか自分でもよくわからなかったが、清正は適当にそう答えた。縁に立って覗き込めば、落ちるわよ、と背後からの忠告。


 深さはそれほどなく底が見える。どういう仕組みか、池の底から水が絶えず溢れ出ていた。池が溢れないように高等部側と中等部側のそれぞれに造られたくぼみから、水はさあと流れていく。先のせせらぎの正体だ。何より水があるにも関わらず虫がいない。流れる水がきれいな証拠だ。


「水の元素エレメントを用いてるのよ。私はよくわからないけど、この森の中を循環しているらしいわ」


「へえ、だから精霊ファミリアがなんとなく水っぽいのか」


「土に水分が多いと精霊ファミリアも水っぽくなるの?」


 どういう仕組みなの、と水月が怪訝そうに聞いてきたが、清正もそこの説明はよくわからないとしか言いようがない。


「……どちらにしても、もう下校時刻だから。早く戻らないと」


「あいよー」


 水月の急かす声に清正は池に背を向けようとして――




 




「!?」


 咄嗟に池に振り返ったところで、何かに引っ張られたように足元のバランスを崩す。


「ぅ――」


 わ、という清正の叫びと「清正!?」という水月の声と、それからばしゃんという水が盛大に跳ねる音がふたつ響き亘り――一拍遅れて二人分の荷物が地面に落ちる音がした。片方は重く、片方は軽い音であった。



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