5
「なー、うららちゃーん」
「お、死ぬか?」
その日、授業が終わって戻ってきた教室。隣から聞こえたその呼び声に、清正は拳を握って頭上高く掲げる。呼んだ当人は机に伸びていたが、そんな清正の暴力意志表示に慌てて体を起こして「冗談だよ」と言い訳した。起き上がった反動でキーケースが落ちたが、それよりも謝罪を優先したことに清正は許すことにした。本来であれば事前通告なしに殴っているので、これでも清正としては寛大な方である。それもこれも、相手が小学校以来の幼馴染という特権ゆえだ。
「で、どうしたんだよ」
殴る代わりに落ちたキーケースを拾ってやりながら清正が問えば、さんきゅ、という言葉と共に「はあ」という深いため息。
「どーもこーも、清正はなんとも思わないわけ?」
キーケースの埃を払いながら問う声に、清正は掌を返して肩を竦めた。お手上げ、という意味だ。
今さっきの元素実技でも、水月は
「
「お前、あれだけ応用に入るの楽しみにしてたくせに、諦め早すぎだろ」
「そらそーだ。この天才の俺を以てしても、あいつに基礎を教えることができなかったんだぞ?」
「お前の教え方は抽象的過ぎてみんなわからん。というか『でかい方するときみたいに踏ん張るんだよ!』っていう教え方で使えるようになったらそれはそれで嫌だっつの」
「言っとくけどアイドルだってクソはすんだぞ?」
まさかお前……、と揶揄する清正に、睦樹は埃を払う手を止めて「知ってるわ、そんくらい!」と清正に言い切った。
睦樹の言葉に笑いながら、ふと清正の目にキーケースが映る。そこに付けられたアイドルグループのロゴキーホルダー。
「お前、まだそのグループ好きだったの?」
「ん? あー、いや、前ほどじゃないけど」
「小学校のときじゃなかったか、はまったの」
「そうだぜー? 小学校のときに兄貴にライヴ連れてかれて一目惚れ。もう何が良かったって――」
「おっけー、その話はもうやめにしよう」
前ほどじゃないと言いつつ延々と語り出しそうな睦樹を右手で制して清正は頬杖を突いた。話を遮られた睦樹は不満そうだったが、そもそも清正とはこういう話はできないのを知っているので、帰ったら同じグループのファンと語ろうと心に決め、再び机に伸びる。
そうこうしているうちに、次の授業のチャイムが鳴る。そのチャイムの音に混ざって教室の後ろの戸を引く音。机の合間を縫って自分の席に向かうその足音に、教室がざわつく。
「戻ってきた」
「始まりと同時に戻ってくるとか」
「文句のひとつも言わせない気かよ」
「本当なら
「誰のせいで」
ぼそぼそと聞こえる声は、しかし存外によく聞こえるものだ。清正は雑念にも似たそれを聞き流しながら、その矛先にいるにも拘わらず不自然なほど毅然としている水月の背を見送る。
文句を言うのは道理だ。
清正とて、水月と小学校で出会っていなければ、同じように思っただろう。隣の睦樹が無言なのも、睦樹もまた水月と小学校が一緒だったからだ。一緒に遊んだこともある仲だからだ。
――わあ、すごい、水月は魔法が使えるんだ!
内緒だよ、と小学生当時の水月にしては珍しい、悪戯っぽい笑みを浮かべて見せてくれた彼女の
元素を使役するには知識がいる。
けれど、水月が見せたものは違った。水月の意志で自由自在に動く水の塊を、清正は見ている。知っている。
だから清正は水月を叩くのではなく、教えることを選んだ。
水月が
授業が始まる。外国語の授業だった。眠い、と欠伸を噛み殺しながら、清正は隣の睦樹を見る。教科書の影でうつ伏せになり、完全にお休みモードに入っていた。この野郎、と思いながら黒板に視線を戻しつつ教室内を見渡せば、何人かは睦樹と同様に寝ていた。教師は、それをあまり気にしていないようだ。水月は、きちんと起きてノートを取っている。
この後サボるかなあ、と清正は次の時間割を見て、サボるのをやめた。
外国語の後は総合時間、この時間は文化祭の準備に当てられている。これをサボろうものなら、嫌な仕事が回ってくるのが目に見えている――というよりも現に一年生のときにそれをやられた――ので、おとなしくこの後も教室に残ることにした。
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