第46話


 店内はかなり広く、五階建てのビル一棟が丸ごとその店舗となっていた。


 俺は漫画コーナーで気になる作品を探したり、集めている作品の新刊がないかを探していた。


 普通の書店ならそれだけで三〇分もかからないだろうけど、何せ鳥越が言った通り品揃えは最強だったので、一時間近くはそれに費やすことができた。


 別行動中の鳥越は、たぶん小説コーナーにいるんだろう。ちなみにそれは二階。


 一瞬でも、デートなのか? と思ってしまった自分が恥ずかしい。


 けど、お互い目的だけのために行動してあとで合流っていうのは、とても理に適っている気がする。うろうろしているとき、気を遣わなくてもいいしな。


「……」


 広い広いフロアの隅で、小説コーナーにいるはずの鳥越を発見した。

 すると、あちらも俺に気がついた。


「あ、ごめん。えっちな漫画探すだろうから、別々がいいと思ったんだけど」

「待て。俺がエロ漫画を探す前提で話を進めるな」


 クラスの女子と書店に来てるのに、そんなリスク犯さねえよ。

 ちなみに鳥越が手にしていたのは、ちょっと過激な漫画だった。


「このBL、伏見さんにも勧めようと思って」

「俺にその現場見つかってるんだから、ちょっとは慌てろよ」


 手にしている漫画は、上半身裸同士のイケメンが絡み合っている表紙だった。


「趣味が全然違うなら勧めないよ。でも、読んだ小説の中に、そうとも読める小説があって、伏見さん、それを面白いって言ってたから」


 どうやら鳥越は、伏見の中に眠るBLを感じたらしい。


「あれはBLだよね、ってその小説のことをみーちゃんと話してて」


 篠原、おまえもか。


「だからね、文学なんだよ、BLは」


 深い発言……のような気がする。

 いや、深いのか? 全然わからん。


「高森くんも、読んでみる?」

「勧めないでくれ。開けちゃいけない扉が開いたらどうすんだよ」


「……それは……たしかに困るかも」


 だろ、と俺は嘆息交じりに言った。


 さっきから、付近にいる女性客の視線が痛くて仕方ない。


 じゃあ、と俺は元の漫画コーナーへと戻っていく。


 気づいたら女性用下着の売り場だったときのような、変なドキドキ感から解放された。


「ああやって布教して仲間を増やしてるのか?」


 仲良くなるツールのひとつであるなら、それはそれでいいんだろうけど、どっぷりハマった伏見の姿は想像しにくい。


 気になっていた漫画と新刊のそれぞれ一冊を持って、会計を済ませる。その頃には鳥越も選別は終わったようで、レジに並んでいた。


「腹減ったな」


 書店をあとにして、俺たちはあてもなく街をぶらつく。

 時間はもう正午を過ぎている。


 財布の残金を確認して、お互いまだ余力が少しだけあったので、見かけたファミレスに入って食事休憩とした。


「みーちゃんと付き合ってたときって、どうだった?」


 注文したハンバーグセットが来るまでの間、さらりと鳥越が訊いてきた。


「付き合ってねえよ。罰ゲームで告られただけだし」

「え?」


 それまで携帯をいじっていた鳥越が、不意を突かれたように顔を上げた。


「だって、『付き合えなかったら死ぬ』って言ったんじゃ」

「俺がそんな情熱的に何かをアピールするキャラだと思うか?」


 言われてみれば、と鳥越は難しい顔をする。


「篠原が言ってたことは全部逆で、あいつがやったことを、俺がやったってことにして話してるんだよ」

「……道理でなんか変だと思った」


 女性店員の高い声とともにハンバーグセットがふたつ運ばれてくる。それを口にしながら、俺は知っている限りのことを鳥越に話した。


「……だから、まあ、三日でフられたんだよ」


 ふうん、と鳥越。


「じゃあ、何もしてないんだ?」

「手も握ってねえよ」


 そうなんだ、と鳥越はナイフとフォークでハンバーグを切り分けて口に運ぶ。

 俺は面倒だったので箸を使っている。


「ふうん。そうなんだ」


 何回言うんだよ。


「みーちゃんらしいというか。意地っ張りだから、自分が下手に出たって思われるのが恥ずかしかったのかな。それとも、みーちゃんの中では、誰にも知られたくない黒歴史になってたりして」

「俺は篠原の黒歴史かよ」


 くつくつ、と控えめに鳥越は笑った。

 ソテーされたニンジンをフォークで刺して、ぱくりと食べる。


「キスは」

「もちろんしてない」

「誰とも? 伏見さんとは?」


 一瞬、電車の中でぶつかったことが思い出されたけど、あれはノーカン。事故だ。


「ないよ」


 今日何度目かの「ふうん、そうなんだ」と言う鳥越。

 表情に出ることがあまりない鳥越にそんなふうに言われると、観察されている気分になる。


「逆に鳥越は? あるの、経験」

「あると思う?」

「意外とあったりして」

「どうかな」

「言えよ、俺は言ったのに」

「想像に任せるよ」

「んだよ、それ」


 つまんね、と俺が呆れたように言うと、楽しそうに鳥越は肩を揺らした。

 それから、真面目な顔をして言う。


「経験ないほうが、変なのかな」

「女子はマセてるやつが多いから、男子より数は多いんじゃない? だから変とかって話でもない気が……」


 こんな話題、男子の俺にするなよ。

 気兼ねなく話してくれるのは別にいいんだけど。


「トイレとかでね、彼氏とキスしただの、その先がどうだっただのって、自慢するみたいに

しゃべる人いるんだよ。それで、みんな『わかるー』みたいな口調で賛同して。私は、全然わからなかった。好きな人とそういうことをしてみたいなって妄想することはあるけど、それを口に出して気持ちを友達と共有したいって思えなくて」


 好きな人とそういうことをしてみたい――?


「……」

「どうしたの、顔赤いけど」

「何でもない」


 鳥越は、そういうつもりで言ったわけじゃないのに、唇に目と意識がいってしまった。

 小首をかしげて、鳥越は続けた。


「ああいう子たちって、自分が少女漫画の中にいるみたいに話すんだよね。聞いてる側も、それでそれで、って先を促して。私も、もしかするとあと一か月早かったら、そんなふうに少女漫画の中にいけたのかなって」


「俺に言うなよ、そんなこと」

「ごめんね。他意はないんだけど、話しやすいから、つい」

「そういう評価をしてくれるところは嬉しいよ」


 ハンバーグセットに含まれているドリンクバーの飲み物を入れようと席を立つ。


「あれ、諒くん」

「ああ、こんちは」


 伏見のお父さん――経久(つねひさ)さんがいた。丸みのある眼鏡に、優しげな相貌は以前会ったときと全然変わらない。

 経久さんの顔立ちはすごく綺麗なので、伏見は両親のいいところをもらって生まれたんだろうなと思う。


 経久さんがいるボックス席は、俺と鳥越がいた席からも近かった。

 一緒にいるのは、追跡したときに見かけた男の子とその母親らしき人だった。


 アクターズスクール終わりに食事をしに来たらしい。


「姫奈もさっきまでいたんだけど、やっぱりいいって、帰っちゃって」


「そうなんですか」


 この席からだと、俺たちがいる席はよく見えた。


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