第33話


 物理室にやってきて、いつもの席に座ると、隣に伏見がやってきた。


「諒くん、今日はギャル弁当なんだ?」

「ああ。茉菜が最近作ってくれるから」


 学校サボったりテストの点が悪いと作ってくれない。マジで母親みたいな妹だった。

 あれもこれも、指示は全部母さんが出してるんだけど。


 てくてく、と近づいてきた鳥越が、俺の向かいに座る。


「……空いてる?」

「うん。見ての通り」


 無言で鳥越が弁当を広げて、伏見も同じ様子で昼食を食べはじめる。


 ……今日はどうしたんだ、二人とも。

 仲悪いデーっていうイベントでもしてるのか?


「鳥越、今日はいつもの席じゃないんだな」

「うん」


 それだけ言って、箸を進めていく。


「伏見も……いいのか? いつも一緒にいるやつらは」

「緊急事態だから」

「へ、へえ……」


 俺のが緊急事態だわ。

 二人が、なんーにも話さないから、空気が重いったらない。


 俺なりに気を遣って二人が好きそうな共通の話題を振るけど、全然食いつかない。


「……ケンカ中?」


 思い至った結論はこれ。

 昔の偉い人はこう言った――ケンカするほど仲がいい、と。


「そんなことならよかったんだけどね」


 小さく息をついて、伏見は言う。


「事はそう単純じゃないんだよ、高森くん」


 違うのか。


「だったら何だよ? 教えてくれよ」


 伏見を見ても無反応。鳥越を窺うと、箸を置いた。


「高森くん。放課後、話したいことがある」


 びくん、と伏見が肩を震わせて、俺と鳥越を視線で何往復もさせた。


「放課後? いいけど」

「じゃあ、教室にいて」

「今聞くよ」

「今話せないから言ってるんだよ」

「……それもそうか」


 納得したものの、今話せないことって、何だ?


 ふう、と呆れたように鳥越は頬杖をついて俺と伏見を見比べる。


「伏見さんって、高森くんの幼馴染なんだよね?」


 俺が返事をするより早く伏見がうなずいた。


「そうだよ。一時的に距離があったときはあるけど、幼馴染で、小学校のころからずっと仲よかったんだから。ず、ずっと……今も……」


 小声になりがら、伏見はどうにか答える。


 ふうん、と鳥越は鼻を鳴らした。

 どことなく嫌みで、伏見を煽るような雰囲気すらあった。


 違和感がある。……鳥越ってこんなやつだっけ?


「漫画やアニメや映画で、主人公のそばにいつもいる子が、あとから出てきた子にどうして負けるのか知ってる?」


「少女漫画でも、よくあるね。最初から主人公のことが好きな男の子は、対抗馬でしかなくて結局本命にはならない」


「うん。どうしてかっていうと、それはね、刺激的じゃないからなんだよ」


 何か思い当たる節があるのか、伏見が押し黙った。


「付き合いが長いその子とは、だいたいのことを経験しちゃってるから、今さらそんなことをしたって、ドキドキしないんだよ」


 隣で伏見がうつむいた。鳥越が何か発する度に対抗心のようなものを燃やしていたけど、急速にそれがしぼんでいくようだった。


「昔からよく知ってるってことは、その子のことは知らなくてもいいってこと。でも、よく知らない子に好意を持てば、これから知っていきたくなる」

「……っ」


 伏見が小さく息を呑んだ。

 二人の会話の意図はさっぱり見えないけど、鳥越が伏見を攻めているのだけはわかった。


「鳥越、よくわかんねえ話はやめろ」


「高森くんには話してないから」


「俺じゃないからやめろって言ってんだよ」


「ごめん……わたし、委員の仕事あるから」


 がたん、と席を立った伏見が、そのまま物理室をあとにした。


 出ていく背中を見送って、鳥越が長く息を吐き出した。


「もう……」


 鳥越は言葉数が少ないから何を考えているのかわかりにくい。

 でも今日は、いつにも増してわかりにくい。


「……放課後、ちゃんと待っててね」

「わかってるって」


「学級委員の仕事、行かなくていいの?」

「……昼休憩中にやる仕事なんてねえよ」


 あるとすれば、授業をやる場所の確認やその準備くらいだ。

 でも昼最初の授業は古典。教室以外では授業しないし資料を準備する必要もない。


「正論だと思うけど、キツかったかな……」


 ぽつりと言って、鳥越は困ったように眉根を寄せた。


「ドキドキってそんなに必要? 俺はそうは思わないけど」

「だったら、そうだって言えばいいのに」

「何で?」


 漫画の話だろ?


 ピキーン、とついに俺は勘づいた。


「漫画の推しキャラの食い違いでケンカしてるのか!」

「全然違う」


 ありそうっちゃありそう、なんだけど……違うのか。


「もお、ほんと、何で? ……全然違うし」

「二回も言うなよ」


 ちょっと呆れ気味なの何でなんだよ。


 伏見がどこかに行くと、鳥越もいつもの自分の席へと戻っていった。


 そのあとは、静かに休憩時間を過ごすだけだった。




 放課後、今日は伏見が学級日誌を書く番だったけど、授業が終わると早々に教室から出ていってしまった。


 学級日誌は教室で書かないといけないってルールはないから、別の場所で書くつもりなんだろう。


 いつもなら、適当にしゃべりながら教室で書くんだけど、話があるって鳥越が言っていたから、それに気を遣ってんのか?


 後ろを振り返ると、鳥越は携帯をイジっていた。今すぐ話すってわけじゃないらしい。


 部活に行く人は早々に教室を出て、そうじゃない人は放課後はどこで遊ぶか話し合ってから出ていく。会話が一〇分ほどで聞こえなくなり、教室は俺と鳥越だけになった。


 椅子の背もたれを前にして、俺は後ろ向きに座る。


「で、話って何?」


 話しかけると、鳥越はイジっていた携帯を机に置いた。


「高森くんは自覚ないと思うけど、最近株が上がってるんだよ」

「……経済の話か」

「じゃなくて、高森くんの」


 俺の、株?


「『伏見バフ』がどうたらってやつか」

「それもあると思うんだけど、陰口を言う松坂さんたちに怒ったでしょ」


 ああ、あれか、テニスの大会に出ないからどうこう、っていう。


「それで、グッときた女子が結構いたみたい」

「何でそんなことわかるんだよ」


「グループチャットっていうものがこの世にはあってね」

「存在くらい知ってるわ!」


 俺が誰からも招待されなかっただけで。


「そのことが話題になって、好感度がグン、と上がって」

「へえ。めちゃくちゃ下がったと思ったけどな。あのあと、教室の空気最悪だったし」

「それはそれ、これはこれだよ」


 よくわかんねえな、女子って。


「四月まで、高森くんと一番仲がいいのは私だと思ってた」


 その認識に間違いはない。

 教室の誰とも話さないけど、物理室のランチメイトとは、言葉を交わすことが多かった。


「伏見さんと幼馴染だってわかって……もしかしたら、一番は私じゃなかったんじゃないかって思うと……」


 詰まりながら、「ええっと」とか、「だからぁ……」と鳥越は言葉を探している。


「嫌な気持ちになった」


 まだ続けようとする鳥越を俺は待った。


「何でなんだろうって、考えた。自分でもそんなふうに感じるなんて意外だったから」


 一番仲がいいと思っていた友達。でも、そうじゃなかった。

 そんな場面を、俺は小中学校のときに、何度か経験したことがある。


 寂しいような、悲しいような。クラスでは一番仲いいけど、そいつの友達全体では、俺は一番じゃなかったときの気持ち。


「寂しいとかじゃなくて、その気持ちはそれ以上だった。だから友達としての感情より、異性として思う感情のほうが強くて……」


 うぅぅ、と小さく唸って目を伏せた鳥越。


「……私は、高森くんが伏見さんと仲よくしているのが、嫌だったみたい。自分がどうあがいても勝てそうにない女の子が現れて、すごく、嫌だった」


 逆に、俺はどうだっただろう。

 二年になって、クラスが同じになった鳥越が、他の男子と仲よくしているのを見て、嫌な気分になっただろうか。


 たぶん俺は、安心したかもしれない。鳥越、他にも話せるやつがいてよかったなって。


「どうして嫌なのかって考えたら、答えはひとつしかなくて……」

「うん」


「ようやく、気がついた。私は、高森くんのことが、好きなんだって」

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