第32話


 図書館に行ってからの数日、ずっと伏見の元気がない。


「おい、伏見、号令」


「あ」


 伏見は、珍しく俺に促されて授業の挨拶をする。いつもは立場が逆だ。

 伏見の号令に続いて、俺やクラスメイトたちが適当に挨拶をした。


 ぼんやりとしているかと思えば、ときどき、真面目な顔になったり、悲しそうな顔をしたりしている。

 登校中にそれを訊いても「ううん、何でもないの」としか言わない。


 何でもなかったら、もっといつも通りだろうに。


 男子の俺にはわからない女子ならではの悩みとかがあるんだろうか。

 だったら、俺じゃなくて茉菜とかなら相談しやすいのかもしれないけど。


「ここの問題を――じゃあ、伏見、解いてみろ」


「え、あ、えと……」


 慌てて教科書と黒板を見比べる伏見。

 授業を全然聞いてなかったっぽい。


「りょ、諒くん……わかる?」


 困惑しきりの伏見に、俺は笑顔を返した。


 すまんな、伏見。俺も先生の話はまったく聞いてない。


「グッドラック」

「何で英語」

「聞いてなかったのか。伏見、ちゃんと聞いておくようにー」

「あ……は、はい……すみません……」


 珍しい。本当に。

 何かがあるとすれば、取り巻き連中とのことか?


『今度から昼休憩は物理室行こうぜ!』

『ちょ、ちょっと待って――物理室はやめようよ』

『何でだよー?』


 ……みたいな感じで揉めたとか。


 物理室の先住民である俺たちを思っての行動が、角を立てる結果になった――。

 ううん、ありえるな。


 休憩時間になると、上の空が続く伏見に俺は言った。


「もし物理室使うんなら、別に大丈夫だぞ? 俺と鳥越はまたどこかいい場所を探すし」


「諒くんと鳥越さん……」


 じいっと見つめてくる瞳はどこか切なそう。口をゆるくへの字にして、眉尻を下げていた。


「…………そ、そうだね……」


 何だ? 何か言いたげだけど。


「何か言いたいことがあるんなら、聞くぞ?」


 じいいいいいいいい、と猜疑心の眼差しで俺を突き刺してくる伏見。


「わたしはね、諒くん。言ったんだよ。言いたいことは。言ってきたんだよ、今まで! でも、でも、んんんんんん全っっっっ然聞いてないんだもん!」


 べしべし、と俺を叩いてくる。


「待て待て、こら。どうしたどうした、姫奈ちゃん。落ち着けー」


 みんな俺たちを見てる。プリンセス顔からむくれた姫奈ちゃん顔の伏見を不思議そうに眺めていた。


 伏見のイメージが崩れちまうから、膨れた顔でべしべしするのをやめろ。


「酒でも呑んだのか」

「あったら呑みたいよ、わたしは」


 やさぐれてる……。


 ぷーと膨れ面のまま机に突っ伏した。顔は伏せたまま、尋ねてきた。


「ねえ、諒くん。今日もお昼休みは……?」

「いつも通り物理室」

「……鳥越さんのこと、好きなの?」

「何でそうなるんだよ。訊くけど、伏見は同じ教室に居合わせるだけで、好きになれるのか?」


「それだけじゃ好きにならないけどさぁ……」


 そりゃ、俺たちがいつも向かい合って昼飯を食ってるんならわかる。好きなのかも、と勘違いされても仕方ないと思う。

 でもそうじゃない。


 距離でいうと、机三列分くらいは離れている。話せるけど、無言になると気まずいって思うほど近くもない。


「諒くんの鈍感……空気をあえて読まないことができるのに、何でそういうところは……ああ、んもぉ……」


「何なんだよ、一体……」


 今日はとくに、伏見がナメクジみたいにウジウジしている。


「飴、食う?」

「諒くん……おやつを学校に持ってきちゃダメなんだよ?」

「フルーツだけど、何味がいい?」

「グレープ」


 建前としての注意だろうなと思ったら、やっぱりほしかったらしい。


 鞄の中に入っているフルーツ各種を取りそろえた飴の袋を取り出して、ひとつを伏見の机に置いた。


 俺も一個口に放る。レモン味。伏見もひょい、と口に入れた。


「おいし」

「なー」

「休憩時間に全部食べるんだよ?」

「わかってるって」


 ころころ、と口の中で飴玉を転がす。


「諒くんは、巨乳好きでしょ?」

「ぶっ!?」


 飴玉、吹き出すかと思ったわ。


「何だよ、いきなり……」

「ちっちゃいのはダメなの?」

「ダメじゃない」


「そ、そうなの?」


 うん? 声のトーンがちょっとだけ明るくなった。


「大きくても、小さくても、中くらいでもいいってことだ」


「てことは、誰のでもいいってこと?」


 あれ? 間違いじゃないけど、何で伏見は冷たい目を……?

 これ、男子の真理だと思うんだけどな……。




 授業を消化していき昼休みを迎えた。


「高森くん、行こう」

「え?」


 席まで鳥越がやってきた。一年のときから今までこんなことなかったのに。


 一緒に食べるっていう感じでもないから、わざわざ誘うこともしなかったのだ。


 クラスが同じで、同じ物理室に向かうのであれば、一緒に行っても不思議じゃない……のか?


「ああ、うん……」


 内心首をかしげながら用意をして席を立つと、伏見が捨てられた子犬みたいなつぶらな瞳で俺を見つめていた。


「……」


 何か言いたげだったけど、言い出しそうにない。


 ちらりと鳥越が、伏見のほうに目をやった。

 目が合ったようだ。

 伏見がぷるぷると頭を振って、ピシピシと頬を自分で叩き立ち上がった。


「みんな、ごめんね。今日はわたし、諒くんと鳥越さんと一緒に過ごすから――」


 さっきまでとは打って変わって、瞳に闘志のようなものが宿っている……ように見える。


 その迫力に気圧されたのか、取り巻きたちはついてくるつもりなはいようだった。


「諒くん、行こう」

「お、おい――」


 手を掴まれ、ずんずんと力強く歩く伏見に俺は引っ張られながら歩いた。


 楚々と歩く鳥越が伏見の隣に並んだ。


「わたし、もう迷わないから」


「ふうん。そう」


 ど、どうした二人とも。


 この前の昼休憩と図書館で仲良くなったんじゃないのか――?


 二人の間にある空気が、仲がいい女子のそれじゃない。はっきりとそれだけはわかる。


 ……な、何がどうなってんだ……?

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