第26話
ちょん、とつままれた俺の右手。そこから伏見の体温が伝わってくる。
何て言えばいいんだ――? こうしてていいって、このままってことだよな?
と、トイレとかどうすんだ――!?
脳内でテンパっていると、
「わ、わたし、お手洗い、行ってくる」
ぱっと手を離してトイレのほうへと歩いていった。
だ、だよな。トイレ行くなら手は離すよな……。
壁に背を持たせ、俺は息を吐いた。
イエスなんだ。イエスなんだけど、びっくりして何も言えなかった。
いきなりどうした、とか、なんで? とか、色々思い浮かんだけど、言葉にはならなかった。
そういうのって、カップルがするもんなんじゃないのか?
付き合ってないのに手を繋ぐもんなの?
周りを見ると、カップルらしき男女がちらほら見える。
ゆるく腕同士を絡ませてたり、手を繋いだりしていた。カップルなら、まあ、あれくらいは。
「……」
俺と伏見が、って考えると、脳が茹だってきそうだ。
伏見がトイレに行って一旦間が開いてよかった。あのままだったら、オーバーヒートしてずっと無言だった可能性がある。
何気なく上着のポケットに手を入れると、絆創膏が出てきた。
「なんだこれ?」
入れた覚えはないし……使う予定もとくにない。茉菜がこそっと入れたんだろうか。
こけて擦りむいたら使えってことか?
首をかしげていると、伏見が戻ってきた。
「ごめんね、お待たせ。行こっか」
あれ。思ったより普通。
歩き出した俺の隣に並ぶ伏見。
ちらりと手元を見るけど、さっきみたいなことは起きなかった。
俺が何も言わなかったから、やめてる、のか……?
もう、全然わからん。
普段の学校とか帰り道とかなら、何考えてるのかだいたいわかるはずなのに。
エレベーターに乗り込んだあたりでスイーツを食べようという話になり、エレベーター内にある案内を見て、飲食店が並ぶ階で降りる。
「諒くん、甘いもの好き?」
「好き」
「変わってないね」
ふふ、と楽しそうに笑って、見つけたカフェに入った。
それからはいつも通りだった。案内された席で、学校の話や委員会の話をして、これからどうするのか簡単に話した。
……いつも通りで、俺の知っている伏見だ。
それぞれ頼んだメニューで一番安いケーキセットを片付けて、一時間ほどで店をあとにした。
「諒くんは、ギャル系が好きなんじゃないの?」
「何回同じ質問するんだよ。好きじゃないって」
「じゃあ……今日の、茉菜ちゃんに借りたこの服は、微妙だったかな」
ちょっとだけ元気をなくした。
あ。そういう意味か。
「似合ってるし、いいと思う」
「えへへ。よかった」
ストレートに褒めるのって、精神的なパワーを使うのは何でなんだろう。
それから、ファッションブランドを見て回った。
ちょっと可愛い店員のお姉さんに目を奪われていると、
「ふむふむ。こういう服着ればいいんだね……」
勉強してた。
中高と遊ぶ機会がないから私服センスがアレだっただけで、これから知識を身につけていけば、もっとまともになるんじゃないだろうか。
「茉菜ちゃん先生にあとで相談しなきゃ」
料理もできるし、真面目だし、オシャレだし、茉菜はギャルなのに結構スペックが高い。
「茉菜に彼氏とかいても、おかしくなさそうなのにな」
「諒くん……そんなこともわかんないの……?」
呆れたような眼差しだった。
「え。何?」
「なんでもない」
ふいっと顔をそむけた伏見は、気に入ったらしいワンピースを手に取って鏡の前で合わせていた。
「よくお似合いですよ~」
さっき俺が見ていた店員さんがこちらにやってきて、伏見に声をかけた。
「へっ? あ、は、はい……あ、ありがとう、ごじゃいます」
噛んでる、噛んでる。
「よろしければ、試着もできますのでその際はお声がけください」
「あ、ありがとう、ございます」
伏見がおどおどしてる。
気持ちはわかる。いきなり話しかけられると、びっくりするんだよな。
にこにこ、と店員さんは、子猫を見守るような優しい目つきをしている。
「今日はお兄さんと一緒なんですね~」
「……」
伏見が、白目むいて気絶しそうになってる! せっかくの美少女が台無しになってる!?
「おい、伏見、こっちの世界に帰ってこい」
ガクガク、と肩を揺らすと正気に戻った。
「はっ……。さっきわたし、諒くんと兄妹に間違われる夢を見た……」
夢じゃねえぞ。
脳に負荷がかかり過ぎたから、一旦気絶したんだな?
ミスに気づいた店員さんは笑顔を強張らせていた。
「ごゆっくりどうぞ~」と、特徴的な高い声を出して、そそくさとこの場を離れた。
伏見は、気に入ったらしいワンピースを手に、ずっと鏡の前に立っていた。
同じ物を見てみると、値段は二〇〇〇円ちょっと。
……俺の映画代を出したせいで、欲しいけど買えないんじゃ。
写真を撮って茉菜に送ってみると、すぐ返信があった。
『可愛いー!』
「諒くん、これどう思う?」
服を持ったままこちらに振り向いた。
特殊な服――今日うちに着てきたような服じゃなけりゃ、だいたいの服なら似合って見える。
俺だけの意見なら不安だったけど、茉菜もいいって言うのなら間違いないだろう。
「いいと思います」
「ほうほう」
そっかそっか、と言いながら、きちんと畳んで元の場所に戻した。
「欲しいんじゃないの?」
「んー。でも、今日はいいかな」
「サイズは? これでいいの?」
「いいけど……え? どうしたの?」
「久しぶりに、一緒に出かけた記念ってことで……プレゼント、するから」
えーでも悪いよっ! と言う伏見には構わず、さっきまで持っていたワンピースを手に取り、レジへ向かった。
ちょうどさっきの店員がレジの対応をしてくれた。
ちらっと俺と目が合う。
『買ってあげるんだー? へぇー?』とか言いたそうな目をやめてくれ。
支払いを済ませ、伏見に紙袋を渡す。
「久しぶりに出かけたってことで」
「はっ、初デート記念ってことで……」
言い直された。
やっぱり今日のこれは、そういうつもりで――。
またオーバーヒートしかけていると、伏見が紙袋を大事そうにぎゅっと抱えた。
「ありがとう、諒くん」
その笑顔が直視できなくて、顔を背けて「お、おう」と小声で返すしかできなかった。
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