第22話
やっぱりアレを机に置いた犯人は茉菜で、俺が問い詰めると、
「高森家の長男なら、節度はきちんと守ってもらわないと」
とか言い出した。真面目な顔をしていたので、本気で言っているらしかった。
節度を守るって言うけど、茉菜の線引きはよくわからなかった。
「高森くんー? 次って体育体育館でいいの?」
授業後の休憩時間に女子に話しかけられた。
「ああ、うん。確かそれでいいはず」
ありがとねー、と女子は去っていく。
ゴォォォ……!
隣に座る伏見が、青い炎のようなものを吹き出していた。
「……あれ? 違った? 体育館じゃなかったっけ?」
「ううん……合ってる」
声低っ。地獄の底から響いてきそうなくらい低い。
合ってるならいいだろ。なんでご機嫌斜めなんだよ。
「諒くんじゃなくて、わたしに訊けばいいのに。わたしのほうがしっかりしてるんだから」
プンスプンス、と伏見はぶつぶつ言いながら怒っていた。
「その反応って……どう考えても……」
昼休憩、物理室でそのことを話したら、鳥越が言葉尻を濁した。
お互いの席は離れたままだけど、静かなのでちょっとした話声で届いた。
「伏見はお堅いというか、真面目だから、ユルい俺のほうが訊きやすいのかなーって」
「それは、なんとなくわかるよ。女子にも、一応あるから。格付けというか、そういうの」
伏見さんみたいな頂点の人間はわからないだろうけど、と鳥越は前置きして言う。
「こっちの気が引けるっていうか。だから、高森くんみたいな適当っぽくてユルい人のほうが、話しかけやすいんだよ。品行方正なお姫様より、下町育ちの従者のほうが、庶民は親近感あるでしょ?」
そんなもんか。
「じゃあ、鳥越もそうなの? 同じ女子の伏見より、俺のほうが話しやすい?」
「異性のほうが逆にいいときもあるんだよ。異性ってだけで、B組女子の格付けランク外になるから」
ふうん、と俺は鼻を鳴らした。
伏見は、今日もクラスメイトと食堂にいる。猫を被ったまま。
しかし、あの青い炎は何だったんだろうな。
「伏見バフもあるかもね」
「バフ?」
「そ。伏見さんが高森くんといて楽しそうにしているから、女子からすると魅力的に見えちゃうっていうか、そんな感じだと思うよ」
女子ってよくわかんねえな……。
話し終えると、鳥越は箸を動かして弁当を食う。
「そんなふうに予想できるってことは、鳥越もそう思うのか?」
「ほごっ、ごへっ」
鳥越がむせた。
「大丈夫か?」
「い、いきなり、何を言うの」
ペットボトルのキャップを開けて、お茶を飲む鳥越。
「いや、色々とよく見てるなーと思って」
「別に、そういうつもりは……」
むせたせいか、顔が赤い。
俺や伏見よりも席が後ろだから、俺たちのことはよく見えるんだろう。
オホン、オホン、と何度も鳥越は咳き込んで、ようやく落ち着きを取り戻した。
「……それで、高森くんには、その伏見バフが今かかってる状態ってことだよ。どういうことか、わかる?」
「俺のほうが話しかけやすいってことだろ」
俺の回答は微妙だったらしく、鳥越は首を捻った。
「的は射てないけど、近からず遠からず。六〇点って感じ」
なんだそりゃ。ナゾナゾか?
「羊さんがいます」
「どうした鳥越、いきなり」
「一頭だけいたそこに、一匹の狼が羊さんを狙いにやってきます」
「鳥越、どうした」
「すると、その羊さんを知っている狼たちは、『あいつが狙うってことは、あの羊美味いんじゃね?』となります」
絵本的なファンタジーの話……?
「ね?」
ね? じゃねえよ。どういうことだよ。
ここまで言えばもうわかるでしょ、って顔すんなよ。
突然、ガラッと扉が開いた。
そこには、伏見がいた。
「……諒くん、五限目の世界史、世界地図要るから準備しよ?」
そういや、そんなことを先生が言っていたような?
ああ、と曖昧に返事をして、俺は食べ終えた弁当を片付ける。
会釈することもなく、俺は物理室を出ていき、伏見と世界史資料室を目指す。
鍵は先生に預かったらしく、すでに伏見が持っていた。
さっきの悪かった機嫌も多少は回復しているように見えた。
「読んだよ、貸してくれたところまで全部」
「そっか。どうだった?」
「みんな可愛いし面白いよ」
男子が読むラブコメだから伏見の口には合わないと思ったけど、よかった。
「でもね」と伏見は唇を尖らせた。
「カリンちゃん、ちょっと引いた感じになるでしょ。あれが納得いかない」
王道ラブコメでは、なくはない展開だった。
主人公のことを好きなヒロインが一人二人と増えていき、主人公の境遇やヒロインたちの想いを知り、カリンちゃんは傍観者っぽい立ち位置になる。
「可愛いって言ってたのに」
「好きだからこそ、応援してるんじゃん。なのにさ……」
「それは、ほら、本人も言ってただろ。主人公のことを想ってというか……身を引くことが自分のためでもある、みたいな」
「そんなの言いわけでしょ」
ズバっとカリンちゃんを斬った。毒舌コメンテイターのコメントみたいな切れ味だった。
世界史準備室の前にやってくると、伏見はガチャガチャと荒く鍵穴に鍵を突っ込んだ。
「大人ぶった敗北宣言。まだまだ好きなくせに。悲劇のヒロインなんて、ただツライだけだよ」
ぐすん、と伏見が鼻を鳴らした。
目尻の涙をすくった伏見が、扉を開けてくれたので、中に入った。
「何巻まであるの?」
「まだ連載中で一〇巻やそこらだから、もうちょい続くと思うぞ」
答えつつ、俺は世界地図を探す。それはすぐに見つかった。
一人では持て余すくらいサイズが大きい。
「自分の気持ちを隠して押し殺して、好きって言えないなんて、ツラいよ」
相当カリンちゃんに感情移入したらしい。
「わたしは……、もしわたしなら、自分の好きを貫く」
俺の目を見て、はっきりとそう言った。
「いつもそばにいて支えてあげて、その上可愛くて、いい子ってだけじゃダメなの? わたし、悔しいよ……『幼馴染』は、あとから出てきた女の子に必ず負けるんだから……」
テンプレートな描写はなかったけど、カリンちゃんはそういう設定だったな。
「まあまあ、落ち着けよ。漫画だから」
そうだね、とまだ納得いってなさそうな声音で伏見は返した。
世界地図を教室へ運ぶ途中、無言のままも気まずいので、ちょっとした話題のひとつとして訊いてみた。
「何で青い炎出したの?」
「え、何それ」
「ああ、いや、そういうふうに見えたってだけで、実際は出てなくて。体育の前だよ」
「あー……あれね……」
しばらく考えるように口を閉ざすと、控えめにこっちに目をやった。
「諒くんはさ……わたしが男子と話してて、嫌な気分になったりしない?」
今までずっと同じクラスなのは、伊達じゃない。クラスの男子と話をするところなんて、小学生のころからずっと見てる。
「それはないかな」
言うと、伏見は眉根を動かして、頬を膨らませた。
「……じゃ教えなーいっ」
何だよそれ、と俺が言うと、ころっと表情を変えた伏見は「あはは」と笑った。
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