第21話


「ふふっ。可愛い……」


 ベッドに寝そべりながら、カチカチと俺が携帯ゲーム機で遊んでいると、隣に寝そべる伏見が、くすくすと笑っている。

 その手には、俺が持っている漫画があった。


「面白い? 大丈夫?」

「うん、面白いよー」


 ならいいんだけど。


 放課後の学校帰り、俺の漫画好きを知った伏見が、オススメを教えてと言うので、少し読ませてあげることにしたのだ。


 男子が好きそうなラブコメだから楽しめるか不安だったけど、杞憂に終わったらしい。


 ふうーん、とかへぇー、とかリアクションを取りながら漫画を読み進める伏見。

 ハイソックスを穿いた足をゆっくりバタ足をさせている。


 ちら、と横を見ると、細身で真っ白な太ももが目に入ってしまい、俺は慌てて目をそむけた。


 腰を浮かせて、ちょっとだけ距離を取る。


「誰が可愛いと思った?」

「うんと、カリンちゃん」

「ああ。わかる」

「可愛い」


 カリンちゃんってのは、ヒロインの一人で、最初から主人公のことが好きな女の子だ。


 シリアスな内容がほとんどないので、サクサク読み進められるのも魅力のひとつだ。

 次、次、と伏見も続巻をおかわりしていき、早くも四巻を読み終え五巻に入った。


 ごろん、と転がって仰向けになったり、また転がってうつ伏せになったりと、ベストポジションを常に探していた。


「何だかんだで、寝転がるより椅子と机ってのがベストだったりするんだよな」


 ロクに漫画を読まない伏見は知るまい。


「ふうーん」


 よいしょ、よいしょ、と仰向けのまま体を動かして――


「あ。これいいかも」


 あぐらをかく俺の膝に頭をのせた。


「……あ、お気になさらず、どうぞ、どうぞ」


 と言いながら、目線を漫画に戻した。


 気にしないわけにいかねえだろ。


「頭、重い」

「ちょっとだけ、ちょっとだけ」


 しゃーねーな……ん? 膝を曲げているせいか、スカートの裾が普段よりハイポジションを取っている。普段隠れている太ももの部分も丸見えだった。


「っ」


 ベッドでゴロゴロしていたのもあって、そよ風が吹けばめくれそうだ。


「伏見……あの、スカート……。その、見えそう」


 薄い胸の上に漫画を開いたままのせる。

 ぱっと片手で裾を引っ張って、膝上一五センチくらいの位置に直した。


 伏見が、ちょっと顔を赤くしていた。


「……諒くんの、えっち」

「えっちなんじゃなくて、注意っていうか……」


 じっと真顔で伏見が俺を見ていた。


「諒くんも、女の子のパンツ、見たいって思ったりするの?」


 あの漫画に、そんなシーンがあったな。

 過激ではないけど、そういう小学生でも読めるえっちな感じのシーン。


「俺は思わないかな」


 本当はめっちゃ思う。


「ふうん……見る? って訊いても見ない?」


 マジか。


「……見ねえよ」

「ふふ。そう言うと思ったから訊いた」


 信用されてるのか、舐められてるのか、イマイチわからない。


 再び漫画を持ち、読みはじめた伏見。

 また裾がするすると落ちてきた。


 無防備……。


 太ももと裾の位置が気になって、ゲームに集中できない。


「ジュース、取ってくる」

「え? いいよ。お構いなく」

「いいから」


 俺は伏見が枕にしている膝を抜いて、ベッドから立ち上がって部屋を出ていく。


「はぁぁ……」


 この部屋なんなの。俺の忍耐を試す部屋なの?


 MPがごっそりと削られた気がする。


 気分転換も兼ねて、一階でジュースを入れて部屋へと戻った。


「前と同じアップルでよかった?」

「え――――っ!? あ、ああ、うん!」


 漫画を読むのをやめていた伏見は、俺が入るなりシャキン、とベッドで正座をした。


「?」

「……っ」


 俺と目が合うと、すぐに視線をそらした。喉を小さく鳴らして、正座を解いた。


 心なしか、顔が強張っているような……?

 唇を内側にしまって、舌で少しだけ湿らせた。


「なんだ、喉が乾いてるならそう言えばいいのに」


 やれやれ、と俺は持ってきたグラスのひとつを伏見に渡す。


「あ、ありがとう……」


 渡す瞬間、指先が触れて、ドキッとしてしまった。


「わ、悪い……」

「い、いいよ……っ」


 なんか空気がおかしい。


 伏見は渡したグラスのジュースを、喉を鳴らしながら飲み干した。


 同じベッドにいるのもあれだし、椅子に座ってゲームするか。

 グラスを机に置くと、見慣れないものがあることに気づいた。


 手の平にのせられそうな、正方形の薄い何か。その中に丸い何かが入っているのがわかる。


 えちえちエチケットのあれだ!? どっから湧いて出た。


 正方形の中にある円の面積を求めろってわけじゃねえな、これ。


 そのパッケージには「にーにガンバ♡」と茉菜の字で書いてあった。


 あのギャル! 余計な心配を!


 い、一体、コレはいつからここに……。

 もしかして、俺が気づかなかっただけで、ずっと置いてあったんじゃ……。


 俺が部屋から出ていったときに、伏見もソレに気づいて――。


「……漫画、続き、読もっかな……」


 正座のまま、伏見が漫画を手に取る。


 漫画の上下逆!

 えちえちエチケットのせいで動揺してるんだな!? 顔真っ赤じゃねえか!


 さっきみたいに、「諒くんってば、えっちなんだから」的なノリで、ソレを見せてくるわけでもなく、伏見はただただ動揺していた。

 冗談のノリをする余裕すらないらしい。


 パンツを見るだの見ないだのという、ポップなえっちじゃなくて、やや生々しいシリアスな「えっち」を見つけてしまったばっかりに……。


 すうはあ、すうはあ、と深呼吸しながら、手を団扇のようにして火照った顔を仰いでいる。


「ふ、伏見」

「ひゃいっ!?」


 ごくりーんっ、と緊張しながら喉を鳴らしたのが、ここからでもわかった。


「ま、漫画は、貸すから。お、俺、よ、用事思い出して」


「そ、そ、そうなんだ」

「お、お、おう」

「じゃ、じゃあわたし、かっ、帰るね――っ」


 最新刊までその漫画を貸すことにして、小さな紙袋に入れた。


 外はいつの間にか薄暗かったので、伏見を家まで送ることにして、高森家をあとにした。


 俺たちの間にあるのは、ほんの少し漂う緊張感と沈黙。

 微妙な空気だった。


 心の準備なくアレを見たら、そりゃ慌てるよな。男の俺がそうなんだから。


 伏見家が見えたあたりで、「ここでいいよ」と伏見は俺が持っていた紙袋を受け取った。


「ああ、うん。じゃあ、また明日」


 俺が背をむけて歩き出すと、大声が聞こえた。


「りょ、諒くん!」


 玄関の扉を盾にするようにして、伏見が横からひょっこりと顔を覗かせていた。


「どうかした?」

「――あ、ああいうのは、わたし、順序通りじゃないとヤだからっ! も、もう、ばかぁ!」


 伏見は逃げるように家に入り扉を締めた。


「あ、あれは! 俺が準備したもんじゃなくて――」


 事情を説明しようにも、もういなかった。


「茉菜のせいで……」


 俺はがしがしと頭をかいて、家へと帰る。


 ……でも、最低とか、猿じゃん、とか詰られるわけじゃなかった。


 ふとさっきの言葉を思い出して、伏見家を振り返る。


 二階。伏見の部屋の窓には明かりが灯っていた。レースのカーテンが開いて、人影が現れて手を振っていた。


 俺も手を振り返した。


 ……伏見。

 順序通りじゃないと嫌ってことは、順序通りなら別にいいってことになるぞ?

 いや……さすがに言葉の揚げ足を取り過ぎか。

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