第17話


 その夜は、和風な夕飯だった。

 ひじきの煮物に、焼き魚と肉じゃが。あと味噌汁。

 ギャルだけどいい嫁になるわ、この子。


 仕事から帰ってきた母さんと三人での夕飯だった。


「……茉菜ちゃん、彼氏でもできたの?」

「えー? できてないけど。何で?」

「本当に? じゃ何であれ買ってたの? ゴム」

「えっっっ!?」


 カチーンと茉菜が固まった。

 ヘアゴムのことか。髪を結うこと多いもんな。


「み、見られてた――」

「いや、私じゃないんだけどね。ドラッグストアでお隣の田之上の奥さんが」

「さ――細心の注意を払ったのにっ!」

「……そんな男はやめたほうがいいよって言ってて」

「は――――んっ!?」


 賑やかだなぁ。

 今日の味噌汁も美味い。


「にーにが童貞のせいで、あたしが辱めを受けて……」

「何の話だよ」


 俺関係ないだろ。


「そういう勉強もしときなよって話!」


 妹にキレられたけど、何のことかわからないので、俺はぽかんとするしかなかった。




「昨日の晩に、そういう話があって――」


 翌朝の学校までの道で、俺は思い出したように伏見が帰ってからの話をした。


「えぇぇ……。茉菜ちゃん、可哀想……」

「え、何で?」

「諒くんって察しがいいのか悪いのか、謎だよね」


 なんか、俺が悪者になってるのは納得いかねえ……。

 肝心なところはみんな教えてくれないし。


 もやもやしながら歩いていると、「おはよー」と伏見が挨拶をされていた。


 同学年の女子で、名前は知らない。短いポニーテールでスポーツバッグを持っているあたり、運動部なんだろう。


「おはよう」


 学校用のお淑やかなプリンセススマイルで伏見は挨拶を返した。

『おはよう』より、『御機嫌よう』のほうが似合いそうな笑顔だ。


「姫奈ちゃん、やっぱ部活入らないの?」

「うん。高校からは、もういいかなってなって」


 ニコニコしながら話しかけてきたくせに、その女子の目が一気に冷めたものへと変わった。


「ふうん、そう。ま、遊んでるほうが楽しいもんねー」

「そういうわけじゃ……」


 伏見の笑顔に困惑が混ざったのがわかる。


「気が変わったら陸上部来てよ。みんなとも仲がいいんだし」

「うん。誘ってくれてありがとう」


 俺を一瞥したその女子は、離れていくと同じバッグを持つ女子の輪に加わった。


 伏見は、運動神経がいい。中学のときは陸上部で、短距離走と走り幅跳びをやっていた。体育で何回も見たけど、陸上だけじゃなくて球技もかなり上手い。


 人数の少ない運動部が、伏見を勧誘するのを何度か見かけたことがある。


「二年になっても、まだ誘われるもんなんだな」

「うん。そうだね」


 表情が少し硬い。


「……嫌なら嫌だって言ったほうが、お互いのためだと思うぞ?」

「それはそれで、角が立つのが女子なんだよ、諒くん」


 ……面倒くせえな、女子って。

 まあ、さっき断ったら、俺でもわかる皮肉を言われたもんな。

 帰宅部は楽しそうでいいね? みたいな。


「あんなこと言ったら、その部活に行きたいなんて思うわけないのに」

「ちょっとイラってしちゃったんだと思うよ」


 伏見は優しいな。ちゃんとフォローしてあげるなんて。


「どこか一つの部活に参加したら、『何でウチには来ないの? あんなに誘ったのに』って言われるから、だからどこにも行かないの」


 そういう話を聞いていると、学校っていう社会が嫌になってくる。


 伏見は、さっきの女子の言葉を気にしているのか、まだ表情が暗い。

 朝っぱらから嫌み言われたんだから無理もないだろう。


 背中を何度かさすってあげた。


「気にすんなって言っても難しいだろうけど、頑張ってこうぜ」


 学校サボったり授業真面目に聞いてない俺が言っても、説得力ないかもだけど。


「ありがとう。うん、そうだね。わたし、頑張る」


 小さな手で拳を握った伏見。くすんでいた表情が輝きを取り戻した。

 隣の席でどんよりされっぱなしだと、さすがに心配になるからよかった。


 ひと安心した俺は、背中にやった手をポケットに入れた。


「……続けて」

「へ?」

「さすさす、続けて……ほしい」


 さすさす? ああ、背中さすっててほしいってことか。

 何で照れ顔してるんだ?


「諒くんに触られると、安心するから……」


 それくらいなら別にいいぞ、と返事をしかけて周囲を見る。

 学校間近とあって、歩いている生徒がそこかしこにいた。


「いや、今はさすがに……」

「わかった」


 声も表情もセリフと真逆で、小さく膨れていた。わかったって顔じゃねえな、それ。


「ちっちゃいとき、鉄棒から尻もちついたわたしが泣いてると、隣で逆上がりしてる諒くんが『そんな泣くことでもねーだろ』って言って」


 そんなことあったっけ?


「地面に打ったお尻をさすさすしてくれて。それから、さすさすが好きになったんだと思う」

「俺にケツ触ってほしいってことか?」

「ち――違うよ! 何聞いてたのっ」

「冗談だよ、怒るなって」


 もうっ、と憤慨したように言う。


「どこでもいいけど、諒くんにさすさすしてほしいってだけ」


 どこでもいいのかよ。それだとケツでもいいってことになるぞ。


 さすさすって、エロ用語の隠語みたいに聞こえるから、自分の口からはあんまり言いたくない。


 周りに他の生徒たちが見ていることに気づいて、伏見が表情をがらりと変えた。


 中学以降の伏見が、子供から大人へ成長した姿だと思っていたけど、近頃俺の前で見せている表情は、子供の頃とそう違わない。


「あれだよなぁ……要は、学校では猫被ってるってことだよな」

「何か言った?」


 ご機嫌麗しゅうとでも言いそうなプリンセススマイルは、他の男子からするとご褒美なんだろうけど、猫を被っていると知っている俺からすると、その顔には変な迫力があった。


「い、いえ、何でもないデス」

「そう、よかった」


 その笑顔はゴゴゴゴゴって擬音がぴったりだった。


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