第16話


 二人で一緒に帰っていると、それまで何も言わなかったせいか、『弁当』の感想を求められた。


「え、弁当?」

「そ、そう。食べた?」

「食べたよ。美味しかった」


 まだ曇っている空とは真逆の笑顔を伏見は咲かせた。


「そっかそっか、美味しかったかぁ。昔取った杵柄っていうの? ちっちゃい頃からあれだけは上手に作れたんだよね」


 あれだけ……?

 何なんだ、その一点突破型の料理スキル。


 思えば、幼い頃から俺は甘い物が好きだった。お菓子はもちろんだし、甘めに味付けされた料理とかも好物だった。


「これで、ひとつ完了だね」

「完了? 何が?」


 ニッコニコだった笑顔が曇り、機嫌悪そうに半目をした。


「出た……変なことだけ覚えてるのに、わたしとの約束全然覚えてない症候群」


 症候群て。


「カボチャの煮物をたくさん食べさせる的な約束?」


 いよいよご機嫌斜めな伏見は、つーんとそっぽをむいた。


「それなら、俺だって言いたいことがある。漬物とご飯くらい入れといてくれよ。あれ、弁当じゃなくてお裾分けだから。煮物いっぱい作ったからご近所さんに分けてるだけだから」


 ぷくっ、とフグみたいに膨れた。


「そういう、『俺のたとえツッコミ面白いだろ』って顔するの、やめたほうがいいよ」


 微妙にグサッと刺さった。

 そんな反撃、なしだろ。


「そんなつもりないから」とだけ、どうにか返した。


 こんなふうに切り返されると、俺は今後何にもツッコめなくなるぞ……!


 無言になった伏見が、つま先を見ながらぼそりとつぶやいた。


「だって……あれしか上手にできないんだもん……。美味しいって、言ってほしかったんだもん……」


 参った。もう、俺の負けだ。

 計算じゃなくて、心からの言葉なんだろう。

 伏見が頭で考えて話せば、俺への対応も、学校にいるクラスメイトたちと同じになるだろうから。


 そんなふうに俺を想ってくれている気持ちを、悪くなんて思えない。


 さっき完了って言ったことから、俺と伏見が昔交わした約束のひとつでもあったわけだし、当時の俺が、いっぱい食べたいとか、そんな頭の悪いことを言ったんだろう。


「俺の好物、作ってくれてありがとう」

「うん……」

「もし、次の機会があるなら、違う料理にもチャレンジしてもいいんじゃない?」

「わたし、茉菜ちゃんみたいに上手にできないから」

「いいよ。それでも。最初から上手いやつなんかいないんだし。俺、ちゃんと食うから」


 口元を綻ばせながら、


「じゃあ……頑張るね?」


 とだけ言った。


 次があれば、今回みたいなカボチャのお裾分けドッキリってことには、もうならないだろう。


 伏見を送るため、伏見家のほうへ歩を進めていると、思い出したように言った。


「お弁当箱、どうしてる?」


 あ。昨日食ったまま部屋に置いてる。


「悪い。洗って明日返すよ」

「ううん。こっちで洗うから大丈夫だよ」

「いや、でも――」

「いいのいいの」


 作ってもらって、さらに弁当箱を洗わせるのは、申し訳なさがあったけど、「いいの」を連射する伏見に屈することになった。


「そ、その代わりだけど……また、諒くんち行っていい?」


 て――照れながら言うのやめろっ。

 こっちまで照れてくる……。


 何もしない。何も。そう、何もだ。

 仲のよさにつけこんで、スケベなことをするような男じゃない。断じてない。

 オーケー。俺は異常なし。オールグリーン。いつも通りだ。


「い……い、いいけど」

「何か緊張してる?」

「し、してねえし」


 そお? と首をかしげる伏見を、俺は再び家へと招いた。


 玄関には見慣れたローファーが揃えて置いてあった。

 茉菜がもう帰ってきているらしい。


 物音で帰宅に気づいたようで、パタパタとスリッパを鳴らして茉菜がやってきた。


「にーに、さっきの雨大丈夫――だ、った――」

「茉菜ちゃん、お邪魔するね」

「ああうん。いらっしゃい……」


 きょとんとした茉菜が、何度も瞬きしながら、俺と伏見を見比べる。


「にーに……姫奈ちゃんを部屋に入れて、どうする気……?」

「どうするって、どうもしねえよ。来たいって言われたから――」


 真偽を確かめるように、ぐりん、と首を回して茉菜が視線で尋ねていた。


「う、うん。そう」

「えぇぇ……ちょっと待って。清楚ビッチじゃん。うわあ、中学のときのイメージ崩れるぅ」

「ち、違っ! そういうんじゃない、そういうんじゃないから!」


 顔を赤くしながら伏見が慌てて否定した。


「姫奈ちゃん、にーに、童貞だから気をつけてね。ワンチャン、常に狙ってるから」

「おい、妹。俺はそんなガツガツしてねえぞ」


 てか何で俺が童貞だって知ってんだ。


「あたしがいてよかったよ。抑止力になるから」

「だからしねえって言ってんだろ」


 プシーッ、と隣で蒸気が上がるのが見え、伏見が顔を真っ赤にしてうつむいていた。


「――わ、わたし、よっ、ようっ、用事思い出したから、帰るねっ」


 ところどころ裏声になった伏見は、逃げるように玄関から出ていった。


「おまえがおちょくるから」

「おちょくってないし。本当のことだし」


 それにさ、とこっちもこっちで頬を染めながら、茉菜が目をそらす。


「い、嫌じゃん……二階から、ドッタンバッタンギシギシって物音が聞こえたら」


「プロレスごっこしてるんですねわかります」


「あたしがいないときならいいから。あのさ……も、持ってる? ちゃんと」


 モッテル? 何を?


 無反応な俺を見て、「だから、コレだよ……」と、茉菜は恥ずかしそうに指で輪を作った。


「……お金? ……は、あんまり持ってないぞ」


 茉菜が決意に満ちた瞳をしている。にーにが不甲斐ないならあたしがしっかりしないと、みたいな目。


「――あたしに任せて。ちょい恥ずいけど、ドラッグストア行って買ってくるから」


 だから、何をだよ。

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