第6話


 俺の家に行きたい、と伏見は言った。

 うちは、カフェでもないし、パンケーキもない。アイスは……冷凍庫にあったような気がする。買い置きのお菓子があったから、それで対応しよう。


 それを食うと茉奈がキレるけど、緊急時なんだから仕方ない。


 伏見の真意が見えないまま、俺は曖昧に「まあ、いいけど」と返事をした。


 伏見家への途中に高森家があるから、ついでと言えばついでだった。


 でも、なんでまた……?


 隣を歩く美少女の様子を窺うと、どことなく表情がほころんでいる。

 教室でよく見るパッケージされた『伏見姫奈』らしい表情とは少し違う。


 俺んち、なんもないぞ? って、何回か確認したけど、それでも伏見は、


「いいの。何もなくても」と言った。


 幼馴染の姫奈ちゃんモードだと、何を考えているのかさっぱりわからん。


 首を捻りながら歩き、自宅へと着いた。


「諒くんち、久しぶりかもー」


 何の変哲のない、どこにでもある洋風戸建て住宅だ。


 俺がヤン車と呼んでいる茉奈の自転車は、まだ駐輪スペースにはない。

 母さんは仕事だし、今誰もいないのか。


 ……誰もいないのに、俺、家に女の子を上げていいのか……?


 ぱちぱち、と長い睫毛を瞬かせながら、伏見が小鳥のように少し首を捻る。


「どうかした?」


 顔もそうだけど、男子から圧倒的支持を得ているのは、こういう仕草をするからだろうな。


 伏見激推し勢の気持ちが少しわかった。


「いや、何でもない……」


 伏見は、家にこれまで何度も遊びに来たことがある。俺の部屋でもよく遊んだ。

 それなのに、なんか緊張してきた……。


 鍵を開けて、玄関に招き入れる。スリッパを出すと、「わざわざありがと」と、ローファーを脱いだ小さな足をそこに突っ込んだ。


 どこに案内したらいいんだ? リビングでも遊ぶことあったしなぁ……。


「二階、行かないの?」


「うぇ!? 俺の部屋!? で、いいの?」


「うん。いこいこ」


 勝手をよく知ってる伏見は、ペタペタとスリッパを鳴らしながら階段を上がっていく。


 見られたらヤバイものは、ちゃんとしまってるよな。

 出した物はきちんとしまう、っていう躾けをしてくれた母さんに、めちゃくちゃ感謝だ。


「ねえ、上がってきなよ」


 伏見は階段の上で止まって、顔だけで俺を振り返っていた。


「今行――」


 ちょうど見上げる形になってしまい、スカートの中が、見え、見え―――見え、ない。


「…………」

「?」


 ほっとした。でもやや残念な気持ちもあった。

 なんだあれ、計算されてる長さなのか? 絶妙過ぎるだろ。


 ちょっとした落胆を隠して、俺は階段を上り、伏見を追い抜いた。

 二階の廊下を進み、部屋の扉を開ける。


 ぐちゃっと脱ぎ散らかしがあったり、読みかけの漫画が数冊置いてあったりするくらいで、エロいものは何もない。

 俺は改めて胸を撫で下ろした。


 六畳ほどの部屋は、勉強机とベッド、あとは漫画が詰まっているカラーボックスが二つと、シンプルに構成されている。


「散らかってるねー」


 後ろから部屋を覗いた伏見がぽつりと言う。


 でもあんまり変わってないねー、と付け加えた。


 中に入って、適当に脱ぎ散らかしたものをベッドの隅にやる。

 座布団とかってクローゼットの中にあったっけ?


 座る場所を作ろうとしていると、すとん、と伏見がベッドに腰かけた。


 思わず、じーっと見てしまった。


「あ、ごめん、ベッド、ダメだった?」

「いや、そういうわけじゃなくて」


 俺が悪いやつだったらどうする気だよ。

 このまま押し倒して、それはそれはもう、エロいことしてるとこだったぞ。


「ん? そういうわけじゃなかったら、何?」

「伏見、もうちょっと警戒心を持ったりしたほうがいいんじゃないの? 無防備だから――」


 話す途中に、伏見は背中からベッドに倒れて仰向けになった。


「無防備って、こういうこと?」

「……おまえな」

「あはは」


 くるくると楽しそうに伏見は笑って、俺はため息をついた。


「最後に俺んちに来たのって、中学のときだっけ?」

「ううん。六年生の……」


 仰向けのまま天上を見ている伏見が変なところで言葉を切った。

 六年生? そうだっけ?


「六年生の、何?」


 訊くと、ころんと転がって俺に背をむけた。


「諒くん、覚えてないの? 六年生のあの日以来なんだけど」


 覚えてねえ……。あの日ってどの日だ? 最後に来たのが中学のときだと思ってたくらいだから、六年生なんて言われても、ピンとこない。


「…………なあ、ジュースとお茶だったらどっちがいい?」

「もう、話を逸らすの下手すぎ」


 寝転んだまま伏見はくすくすと笑う。


 じゃあジュース、との回答を得たので、俺は部屋をあとにしてキッチンへとむかう。


「小六のとき? 週五くらいで遊んでたからなぁ……伏見関係の印象的なことって薄れがちなんだよなぁ……色々ありすぎて特定の出来事って思い出せねえ……」


 ぶつぶつと独り言をこぼしながら、冷蔵庫にあるアップルジュースを二人分グラスに入れる。そして買い置きのポテチとともに部屋へと戻った。


 テーブルも何もないので、勉強机の上に持ってきたそれらを置く。


「六年のときって、何があったっけ?」


 振り返ると、まだベッドに伏見は寝転んでいた。

 やれやれ、と俺は鼻で息をつく。


 筋の通った形のいい鼻と涼しげな眉。ぱっちりした二重瞼は、今は閉じられている。ベッドに無造作に広がる艶やかな髪の毛。桃色の薄い唇からはかすかに吐息の音が聞こえてきた。


「ね、寝てる?」


 薄らと目蓋が開いて、俺のほうをちらっと見た。

 何で寝たフリしてるんだ……?

 さっきの無防備の続きのつもりか?


「伏見、おまえな、男をからかうのもいい加減にしろよ」


 ちょっとお灸を据えてやる。


 マウントポジションを取り、伏見の顔の横に両手を置く。


 どうだ、怖かろう。


 けど、お、思ったより顔が近ぇ……。

 俺のほうがドギマギしちまう……。


 ぱちっと目を開いた伏見。思いのほか、眼差しが真剣だった。


「別に、からかってないよ。諒くんが忘れてるだけじゃん」

「だから、何なんだよ、それ」

「いっぱいした約束のうちのひとつだよ?」


 いっぱいしてると、一個一個の印象がだな……。

 たったひとつだけとかなら、まだ覚えていられるんだけど。


「男のベッドに寝転がって、寝たフリなんかして――そういうのは、好きな男にだけするもんで」

「――バカ」


 頬を染めながら、伏見は顔を背けた。


「……バカ」

「何で二回も言うんだよ、バーカ」

「約束覚えてないほうがバカだもん」


 くッ、ああ言えばこう言う!


「いつまでそうしてるの? どいてよ」

「あ、悪い」


 と、思わず俺はマウントポジションを解いた。


 やや気まずい雰囲気になったけど、ジュースを飲んでポテチを食っていると、重かった口も軽くなっていった。


 話しているだけだと手が暇だから、と俺の脱ぎ散らかした服を畳んでくれた。


 そうしていると、「そろそろ帰るね」と言って伏見は鞄を持って立ち上がった。


 いつの間にか、外は少し薄暗くなっている。


 帰る伏見を家まで送ることにして、街灯が薄闇に穴を開ける道を二人で歩いた。


「バカなのは仕方ないとして、もっとその約束のことでヒントをくれよ」

「ヒント? あんなにいっぱいしたのに、忘れてるなんて、わたしはショックだよ」


 伏見は拗ねたように唇を尖らせた。


「だから悪かったって」

「ううん。いいよ。ごめんね、意地悪言って。結構前だから忘れちゃうのも仕方ないと思うんだけど、わたしは指切りで諒くんと約束した内容を全部メモってるよ」

「まじか」


 そういや、伏見はマメに何かをメモしていたのを思い出した。


「『じゃあオレもそうしよ』って、諒くんもメモしてたんだよ?」

「まじか」

「まじだよ、大まじ」


 言われてみれば、何か書いていたような気もする。


「てか、そのメモを見せてくれればよくないか? 俺にできることがあれば頑張るし」

「できること――? 頑張る――?」


 ボフゥン、と伏見の顔が一気に赤くなった。


「だ、だ、ダメ! ええっと……メモ以外に、よ、余計なこといっぱい書いちゃってるから恥ずかしいの」

「ふうん、そっか」


 黒歴史的なメモ帳なのかな。

 そうこうしているうちに、いつの間にか伏見家に着いていた。


「今日はありがとね。また明日」

「うん。じゃあな」


 手を振る伏見に手を振り返し、俺は背をむけた。


 俺もメモったらしいから、探せば出てくる、のか……?

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