穢れた血
「穢れた血が王家を継ぐなどありえない。お前はそう言ったな」
男の低音が響いた。
ジェイドは椅子に縮こまり、口を噤む。
薄暗い
「ドワーフの未来を憂う、その気持ちはよく分かるぞ、ジェイド」
「……」
「継がせぬ方法はある」
「……もう遅いだろ」
「神事は一ヶ月後だ。それより先に、ダダンを始末すれば良い」
ジェイドは目を剥き、耳を疑った。
日頃の人物像からはとても考えられないセリフだ。
「俺も未来を案じているのだ」
「……でも」
「奴さえ消えてくれれば、来年は正しく選定されるだろう。……そこでお前が勝てば良い」
「……無理だ」
「ふん。あれだけ暴れておいて、
「違う! 奴は、奴らは……! テリア様に守られているんだ!」
男はくつくつと嗤った。
「テリア様が選んだのは、お前の方だ」
「……そんなはず、ない。だって俺は」
「その腕を見ろ。――――赤い紋章は力の証。ルディクロの証明だ」
ルディクロ。
耳慣れない言葉だ。
「ルディクロとは、体内に神獣を宿す者。その権能を行使できる者。――――ジェイド。お前こそが特別な存在だ。王家を継ぐに相応しい」
「俺が……?」
「だというのに、奴はそれを横から浚ってしまった。お前の地位も、将来も。……今や全て、ダダンのものだ」
「……」
「憎いか? 許せないか? 紋章は想いに応えてくれる。……その力があれば、奴のペテンを剥ぐことだって、できるだろうよ」
「ペテン……? 奴のアレは、ペテンなのか……?」
「だからテリア様はお前を選んだ」
闇の中に赤色が煌めいた。
ふつふつと心を熱する
「……俺、
「それでこそ王の器だ」
血気
男はそれを押し止める。
「ああ。だが少し待て。お前はまだ目覚めたばかり。今のままでは、また返り討ちに遭うだけだ」
「……神事は一ヶ月後だぞ? やるなら早いほうが良い」
「そうだ。だから、覚醒を早める」
男が指を鳴らすと、聖壇の袖から女が現れた。
この場の誰よりも背が高く、ドワーフには見えない。
「……どうして
ジェイドの質問には、何の返答もなされない。濡れ羽色の髪から、虚ろな目がジッと覗くだけ。
陰気な女は、抱えた壺から何かを取り出す。
キチキチと金属音を打ち鳴らす、鋼の
八つ足はナイフのように鋭く、先端から紫の液が滴る。
背面には人頭のドクロ模様。歯列から伸びる肉厚な舌が、女の手首を舐めていた。
まともな生物ではない。見ているだけでゾワゾワする。生理的な怖気にジェイドは身を引いた。
「おい、なんだそれは」
「始めてくれ」
指示を受け、女が近付いてくる。
握り込んだ
赤い紋章に押しつけられる怜悧な感触。
八つ足が、ガチャリと広がり、一斉に腕を刺した。体内で樹枝状に伸びる針。
長大なミミズの群れが皮下に潜り、ズゾ、ゾゾゾゾゾゾ、と肉を食い進む激烈な痛み。
まるでカテーテルの太さを持つ注射針。
吐き気を伴う痛みに、ジェイドは喉を濁らせた。
「う゛あ゛っ、あ゛っ、あ゛ああ――――――!?」
すぐさま、その顎も抑えられる。
ジェイドの悲鳴を封じながら、男が冷淡に呟いた。
「じきに慣れる」
――――痛い。痛い。痛いッ!
皮下を食い進む金属の形が、皮膚の上から見て取れる。枝状に浮き上がってグロテスク。
内出血を繰り返し、青黒く変色する。
しかし赤い紋章だけが、更に赤く。
鋼の蜘蛛と融合し、ドクン、ドクンと拍動している。
「お、おごっ、ガ……ッ!」
鋭利な節足が体内を
カチャカチャ。
ザクザク。
腕から肩へ、肩から首筋。
許容量を超える苦痛と恐怖に、ジェイドは白目を剥いた。
それから何時間が経っただろうか。
泣き腫らしたジェイドの目が、変わらぬ聖壇の天井を映した。
傍らに立つ男。濡れ羽色の髪の女。
そして。全身が葉脈の如く腫れ上がった、自分の姿。
グロテスクに変貌し、所々から金属の節足が飛び出している。
なんと醜く、おぞましい……。
声を上げようとしたが、喉の奥で血に変わる。
意識が鮮明になるにつれ、体内にひしめく針の痛みが増していく。
「……あ゛っ、あ゛ぁッ、ああああ゛ッ! あああああ――――ッ!」
――――ブチンッ!
ギチギチに張っていた人の皮が、爆ぜた。
肉が裏返り、内側から伸び上がる、黒い
容積にして20倍、30倍。まだ膨らむ。
その巨体は瞬く間に天井を割り、聖壇を埋める。
「はははっ! いいぞ、ジェイド! 素晴らしい!」
男は腕を広げ、大蛇を仰いだ。
「さあ行け! 異端者を八つ裂きにしろ! テリア様の神威を見せてやれ!」
大蛇の瞳に火が灯った。
チロチロと先割れの舌を出し、よく知った臭いを嗅ぎ取ると、そちら目掛けて滑り出す。
巣穴を抜ければ、坑道を封鎖するほどの巨体。
岩盤より更に硬い鱗は、のたうつ度に壁を削り、鉱山を揺さぶった。
聖壇は完全に破壊され、後に残される二人。
「……本気で、あの子を王に据える気なの?」
女が訊ねると、男は笑った。
「はっ。バカを言うな。魔獣を宿したヒトモドキなぞ」
「……騙したの?」
「奴は確か、こう言った。――――『穢れた血が王家を継ぐなどありえない』、と。全く同感だ。そう思うだろう? お前も」
女は湿っぽい視線を切り、「そうだね」と呟いた。
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