姫巫女を罠にかけよう!


 レヴィは毎日来た。

 俺を実験台にした後、傷口に軟膏を擦り込んで、おやつ・・・を食って帰るのだ。良い御身分である。

 名実ともに良い御身分でありながら、白いドレスを着ていたのはあの時だけ。

 今は俺と同様の原始人めいたボロを着ている。


「お前さぁ、家でもっと良いもん食ってんだろ?」

「食べてたらしてないわよ。こんなこと」


 今日のおやつは自然鉛だ。人間が食べたら一発で鉛中毒になる量。

 鉛が甘いのは有名な話で、中世の貴族はこのために鉛のグラスでワインを飲み、その仄かな甘みと引き替えに、晩年は鉛中毒に苦しんだという。一説によればベートーヴェンも鉛のせいで聴覚を失い、やがて死に至ったらしい。

 しかし鉱石を主食とするドワーフには関係ない。

 レヴィは貴重な甘味に舌鼓を打った。


「しっかし、よく食うな」

「魔力の源はね、ご飯の力なの。たくさん食べなきゃ力が出ないわ」

「でもお前、魔法つかえてねーじゃん」

「…………」

「使わない栄養は腹に貯まるだけ――――いででででっ!?」


 どこで覚えたのか、プロレス技めいたものを極められる。


「あんただって全然筋肉ついてないでしょ!? ほらほらっ、悔しかったら解いてみなさいよ! やーい、もやし!」

「俺はもやしじゃねぇ! 細マッチョだ! 周りが筋肉ゴリラ過ぎるだけだ!」

「よく言うわ。女の子にも負けちゃうくせに」

「そりゃ、お前もゴリラの一員――――ぐぁぁっ?! ギブギブギブッ!」



 そんな日々は一年近く続いた。

 だが、強請ゆすられる日々は今日で終わりだ。俺だけに課せられた税率50%から抜け出してやる。

 いつもと変わらぬ調子で遊びに来たレヴィへ、先んじておやつ・・・を差し出す。

 花崗岩かこうがんを厚切りにした石英せきえいのステーキ。

 霜降りの如く煌めくエレクトラム。

 少女は受け取った物の正体に気付くと言葉を失った。


 これは俗に言う金鉱石。

 粗粒の黄金が散りばめられた高品位の山金やまきん。鉱物に慣れ親しんだドワーフでさえ、滅多にお目にかかれない垂涎の一品。

 レヴィは浅く開いた口から、つーっと溢れた物を拭って。


「……えっ、これ、どうしたの?」

「誕生日だろ。おめっとさん」


 レヴィは、はたと固まって、それから「えへへへへ」と破顔した。


「あんたさー、あたしのこと好き過ぎでしょー」

「うっざ。全部やるからさっさと食っちまえ。見つかったらただじゃ済まないぞ」



 もちろん善意ではない。誕生日祝いなど単なる口実だ。

 俺の手には長方形の箱が控えている。

 これが何であるか、レヴィには分からないだろう。


 磨き上げたレンズに、シャッターと乾板を備えたカメラ・オブスキュラ。簡易的構造の撮影機である。

 タルボタイプと呼ばれる写真法を改良したもので、ゼラチンと臭化銀を混ぜて感光乳剤としている。

 暗室となる木箱は、坑道の竜頭を補強する材木から。鏡はガラスに銀膜を引いたもの。

 その他のパーツも鉱山内で手に入る素材から作った。

 制限の多い環境で、これを捻り出すには並々ならぬ苦労があったが、その労に値する結果が得られるだろう。


 いかに族長の娘といえど、掟に背いて金鉱石を盗み食いすれば『ただでは済まない』。

 その証拠を写真に納め、脅す側に回るのだ。

 脅して片棒を担がせれば、弱みは雪だるま式に増えていく。

 レヴィが族長になる頃には立派な傀儡政権の出来上がりだ。

 

 ――――さぁ、食えッ! 喰って俺の言いなりになるのだ! ふはははは!



 俺の念とは裏腹に、レヴィはもじもじと体を揺するばかり。

 いつもなら手にした途端貪り付くのに。

 それどころか金鉱石をずいっと返してきた。


 ――――意味が分からない。

 想定外の事態だ。食欲の権化が、こんなにも美味そうな誘惑に耐えるなんて。


「これ、明日もう一度渡してくれる?」

「……なんで?」

「こんなにおっきくて立派なんだもん。きっと一番になれるわ」

「一番? 何の話だ?」

「……オバールは話してなかったの? 明日、採掘大会があるって……」


 大会? そういえば朝礼でそんなことを言っていた気がする。

 深遠な計画を練りつつ鼻をほじるのに忙しくて上の空だった。

 刑務作業所のイベントになんて興味ないし。


「ちゃんと聞いてなさいよ」


 レヴィの説明によれば、こうだ。

 明日の採掘大会では、みなが挙って金鉱石だけを集める。この日に採れた金だけが、来月の神事で聖金として捧げられるのだ。優勝できるのは最も幸運な鉱夫。つまり、最もテリア様に愛された者である。そのように称えられ、神事にてドワーフの姫巫女と踊ることを許される。

 ――――うん、興味ない。


 一連のイベントは毎年やっているらしいのだが、まるで記憶にない。他の作業で忙しかったからだろう。


「つーかドワーフの姫巫女ってお前のかーちゃんだろ? 優勝したところでさ」

「違いますー。あたしですー。今年からはあたしなの。8歳になったから、交代なんだって。どう? やる気出たでしょ?」

「余計になくなった」

「なんでよ!」


 いいから、この金鉱石は明日使って、と押しつけてくる。


「いいのかよ。俺にそんなズルさせて」

「だ、だって仕方ないでしょ!? こうでもしなきゃ、ダダン勝てないもん!」

「いいだろ、別に。誰と踊ったって」

「そ、それは……っ」


 レヴィは急に口先を窄め、「バカ」とか「アホ」とか小声で罵ってくる。聞こえてるぞ。

 全くなんなのだ。

 この計画のために俺がどれほど苦労を強いられたか。

 コンクリの数倍硬い花崗岩脈から金鉱石を削りだして、贈答用に加工して。天然ガラスから質の良いレンズを作ったり、コンマ秒でカラー感光する写真乾板を調整したり……。

 それもこれも、全てはレヴィのため。

 お前を嵌めてギャフンと言わせるためだったのに。


 頑なにプレゼントを突き返してくるレヴィ。

 このままでは悪巧みが水の泡だ。


「……わかったわかった。やってやる」

「ホント?」

「ただしズルはしない。正攻法で勝つ。……だから、この金鉱石は今食べてくれ」

「……無理でしょ。もやしのくせに。……相手はみんな大人なのよ?」


 訝しげな眼差しを向けるレヴィ。

 だが心配はいらない。俺にはこれがある。と言って秘密兵器を広げて見せた。


「それなに?」

「聞いて驚け。鉱石の分布図だ」


 ドワーフ達が霊山と崇めるテリア山脈は、確かに超常の固まりだった。

 各所の切羽きりはからは組成の異なる鉱石が出土し、そのデタラメさと言ったら、まるっきり別の鉱山が連結しているかのよう。

 鉱山学者が見れば腰を抜かしただろう。


 チャートの下にアンドソルの地層を見つけたときは、俺も頭を抱えた。どうやったらこうなるのか、と。――――説明しても詮無いことだが、アンドソルとは最終氷期以降に形成された湿潤の地層で、ローム質の火山灰と腐植土からなる。未分解の植物を調べたところ、ここ1万年以内の比較的新しい地層だった。

 上に被さったチャートとは、海洋プランクトンの死骸が遠洋底に堆積し、ゆっくり化石化したものだ。3~4cmの層を成すのに2万年掛かると言われているから、このチャートは凡そ165万年かけて形成されたもの。

 つまり、古い地層の方が真新しい位置にあるのだ。地層累重の法則に反している。


 褶曲しゅうきょく――――横圧力によって地層が撓み、上下が逆転することは稀にある。

 しかしチャートには海底噴火による火炎構造が刻まれており、その美しい葉理に天地の逆転は認められなかった。

 大いなる謎だ。


 俺は一つの仮説を立てた。

 付加体によって山脈が形成されたなら、逆断層には説明がつく。

 大陸プレートの沈み込みにより、新しい地層が古い地層の下に潜り込む現象だ。


 地表には山脈が堆積し、その圧によって複数のマグマだまりが刺激され、多種多様の鉱化流体が岩盤内を毛細血管のように巡っている。

 その交代作用により様々な鉱石が採れるのではないか、と。


 仮説を元にしたダウジングは複雑怪奇な方程式を編んだが、概ね威力を発揮した。50%ほどの精度で。

 とにかくこの山は滅茶苦茶だった。こんな状態だから魔法金属が掘り出せるのか、大量に埋まった魔法金属のせいで狂っているのかは分からないが、天才の頭脳を以てしても調査には歳月が掛かった。


 手探りで二年。二年だ。

 二年の月日を掛け、各地の切羽・坑道を検証した。

 その調査の結晶が、この地図。



 金鉱脈も既に見つけている。そこを掘れば優勝など簡単だ。

 説明を結ぶとレヴィの顔がパッと明るくなった。


「勝てるのね?! 話は、よく分かんなかったけど!」

「……ドワーフなら分かってくれ。これはつまり――――」




「――――つまり、そいつが宝の地図ってことか」


 小部屋に踏み込んでくる、いけ好かない顔の面々。

 ジェイドと取り巻きの二人だ。

 ムートンというデブはこの一年で更に肥え太り、ダリンガというゴリラは更に厳つくなっていた。俺達は取り巻きに抑えられ、ひらりと落ちた地図をジェイドが拾う。


「なるほど、こいつは凄いな」


 腐っても鉱夫だ。難解に見える走り書きも一発で読み解かれてしまう。


「でもよぉ、ジェイド、信用できんのか? デミ野郎の書いた地図だぜ」ダリンガは言った。

「……おい見ろよ」


 ジェイドはレヴィの握っていた金鉱石を取り上げる。


「か、返して! あたしのよ!」

「ははっ! 聞いたか、お前ら。これはレヴィのらしいぜ? どこで手に入れたんだろうな? 採掘場の鉱石は持ち出せないはずだろ、不思議だな。ルチル様に聞いてみようぜ」

「やめて! 言わないで……!」

「だったら分かってるよな? ここで見たこと、聞いたこと、誰にも言うんじゃねぇぞ?」

 レヴィの顎を持ち上げて念を押す。


「最低だな。人の弱みを握って思い通りにしようなんざ。品性を疑うね」


 俺が煽るとジェイドは、こちらへ向き直った。

 カメラを踏み砕き、金鉱石を掲げる。


「なあ、デミかす。こいつも地図の場所で掘ったのか?」


 俺は黙して答えない。と、ジェイドの拳が腹に刺さった。

 げうっ、と声が漏れる。嘔吐えずくような不快感。収まるのを待たず、次から次に豪腕が振るわれた。

 ゴツ、ゴツ、と硬い拳は顔面にも。まるで石で殴られているみたいだ。

 泣き叫ぶレヴィの声が遠ざかっていく。


「おい、いい加減に答えろよ」

「はは、のびてるぞ」とダリンガ。

「ふん。……脆いな、混ざり物は。……ここまでやって喋らないなら、答えは決まっている。どうやらこの地図は本物らしい」

「マジ? マジ? じゃあよぉ、それで掘ったら食い放題じゃね? オバールの奴にもバレねぇでさ」

 ムートンがブヒブヒと鼻息を荒げる。

「バーカ。んなことしなくても食い放題だ。明日、優勝すればな」

「どゆことだ?」

「……ジンクスがあんのさ。ドワーフの姫巫女にはな。『初めて踊った相手と結婚する』ってジンクスが。ルチル様も、先々代も、その前も、みんなそうだと親父が言っていた。……俺がキングになれば、お前ら二人とも大臣さ。石掘りなんざしなくて良くなる」

「すげぇ!」「マジかよジェイド! 一生お前に付いてくぜ!」

 取り巻き二人は興奮した様子ではしゃぐ。


「誰が、あんたなんかと……!」

「テリア様の選ぶ相手なんだろ? ……姫巫女には逆らえない」

 桃色の髪を捻りあげる。

 レヴィは痛みを訴えたが、ジェイドは更に強く引いた。

「せいぜい媚びの売り方を覚えておけ。じゃじゃ馬」



 ジェイド達は地図と金鉱石を奪って引き上げ、俺達はその場に放り捨てられた。

 全身タコ殴りにされて動けない。

 レヴィは駆け寄るやいなや、杖を引き抜いた。


「セレス・オルタス・ムンドゥース・ドミネーテルト・ダクオールッ!」


 間違えずに呪文を言い切ったのは、この一年で初めての快挙だった。

 しかし魔法は発動しない。

 ――――当然だ。魔法の習得は本来ここから。レヴィは今、スタートラインに立ったのだ。

 彼女は何度も呪文を唱えるが、そう容易くは扱えない。

 ボロボロと溢れる涙と鼻水のせいで、また呪文が唱えられなくなってしまう。レヴィは一層顔をくしゃくしゃにした。


「うぅぅ……っ、なんで、なんでよぅ……!」

「……ははっ。あいつらもバカだなあ。この調子じゃ、族長を継ぐなんていつになることやら……」

「ダダン!! 大丈夫!?」

「あぁ、お前の魔法が効いたみたいだ」

「嘘ばっかり……!」


 全身が悲鳴を上げている。平衡感覚は揺れ続け、視界は定まらない。

 ――――それがなんだというのか。

 俺は世界一あったまいい男だ。頭が動き続けている限り、他のパーツの事情など知ったことか。

 気合を入れて起き上がると、レヴィは目をまん丸にして泣き止んだ。


「ほらな、嘘じゃない」

「む、無理しないでよ……」

「それよりお前、あのジンクスの話、知ってたのか?」

「え……」

「『ドワーフの姫巫女は、初めて踊った相手と結婚する』。……知ってて俺に、優勝しろって?」

「あ、いや、それは、その……」しどろもどろに目を泳がせるレヴィ。

「お前、俺のこと好き過ぎだろ」


 レヴィの顔が一瞬で真っ赤になった。あまりの火照り様に、髪の毛先まで湯気で広がる。


「バババ、バーカッ! 違いますー! 変な奴と踊るよりマシかな、って思っただけですー! バーカバーカ! 自意識過剰ー!」

「それにしては強引だったような」

「うるさいうるさいうるさーい!」

「いたたっ!? 痛ぇな、もう」


 ポコポコと殴ってきたレヴィの手を引いて、そのまま1,2とステップを踏む。

 社交ダンスは上流階級の嗜みだ。「え? え?」と呟くレヴィをリードした。


「……ほら、もう踊っちまった」

「え?」

「初めては済んだ。……ジンクスなんて非科学的なもんに踊らされることもない。全部解決だな!」

「あ、あわわ……っ、このアホ! 何してくれてるの!? せ、責任とりなさいよ!?」

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