闇の妖精と、地底の姫君
翌日、俺がツルハシを振るっていると、年上のドワーフ達が絡んできた。
オバールほどのヒゲモジャゴリマッチョではない。
人間でいえば中学生くらいの顔付き、身長は小学生並。――――ドワーフは基本的に130cm前後で背が止まる。
それでも向こうの方が上。取り囲まれると、圧がすごい。
「お前、盗み食いしてるんだって?」
昨日のお説教を聞かれていたらしい。
原始人のコミュニティにも、人前で部下を叱らない程度の良識はあるらしいのだが、部屋と部屋がこうも筒抜けでは意味がない。
「してねぇよ。言いがかりだ」
「前々から思ってたんだ。お前の取れ高は少なすぎるって」
「……証拠でもあんのか?」
「ああ。この――――」
リーダー格と思わしき少年は、俺の耳を捻りあげて言った。「――――穢らわしい丸耳が、なによりの証拠だ。デミ野郎」
逞しい豪腕が俺の耳を掴んだ。
指の万力に挟まれたまま、ビッと引き裂かれる――――そのように恐ろしい勢いで耳を引かれ、俺は自分から飛ぶしかなかった。
すっ転ぶ俺を見下ろして、三人は嗤った「……どうだ? 少しはまともな顔になったか?」
ドワーフと聞いて、大酒飲みで豪放磊落なヒゲ親父を思い浮かべる人は多いだろう。
善良な小人として鉱夫の間に伝わるステレオタイプだ。
この里にも当て嵌まる者は幾らかいるが、皆がそうとは限らない。
生前、俺が聞いた伝承では、ドワーフとは巨人に湧いた蛆虫であった。ジメジメした暗い場所を好み、陰気で、
それが事実ならば技術者として尊敬もしたのだが、ここの男達が鉄を鍛えているところは見たことがない。
採掘オンリー。性格の悪さだけが事実であった。
俺は唾を吐き捨てて、言った。
「どうした
「貴様を同胞とは思ってない。そう言わなきゃ伝わらないか? 混ざり物」
「……ハッ。そいつは嬉しいね。一緒にされちゃ敵わない。純ゴブリンなんかと」
「ゴブ……ッ!? ――――愚弄する気か!? ドワーフ族を!!」
「ああ、いや、悪かった。失礼だったな。ゴブリンに。――――あいつらのがよほど文明的に暮らしてるだろうさ」
ドスッと蹴り飛ばされて、続きは言えなかった。
そのまま馬乗りになってくる純ゴブリン君。
親譲りの豪腕は、子供とは言えかなり痛い。
遠巻きに様子を伺っていた青年ドワーフが、リンチを見かねて声を上げる。
途端にドスドスと走ってくるオバール。
「クォラッ! やめんかジャリ共! 喧嘩やめい!」
――――喧嘩。そう見えるか?
リーダー格の少年は羽交い締めにされ、引き剥がされた。
暴れながら言い訳を重ねる純ゴブリンに対し、オバールは「黙れ」と被せた。
「なにか問題があったの?」
凛とした声。
白いドレスを纏った美しい少女だ。洞内では鮮烈すぎるピンク色の髪を揺らして、歩く度に涼やかな音色が咲く。そのように高貴な雰囲気を纏っていた。
周囲の原始人とは一線を画す、正当な妖精。
ルチル・ド・ヴェルグ。族長の娘である。
この里を取り仕切る小さな王族にして、忌々しい掟の管理者。
声を掛けられた者も、そうでない者も、みな緊張を露わにして即座に跪く。
寝転がる俺と同じ高さまで頭を下げた。
「……みんな、顔を上げて。何があったの?」
「いえ、あなた様の気に掛けるようなことでは。子供の喧嘩です」とオバール。
「違う。こいつが盗み食いしてたんだ」
「黙らんか、ジェイド」
「証拠だってある。ほら、見てみろ」
リーダー格の少年が俺の荷車を指した。
オバールはルチルに一礼して、俺の荷車を調べる。
それはすぐに見つかった。
歯形の付いた
マスカット色でブドウ状の晶癖を持つ鉱石は、確かに美味そうに見える。
しかし俺は喰っていない。目先の欲に負けて盗み食いを試みたのは、あの一回きりだ。この一年半、一度だって喰っちゃいない。
なのに
確定的な証拠を手にして、わなわなと震えるオバール。
リーダー格の少年は取り巻きのデブと目配せして嗤った。
――――奴ら、証拠をねつ造しやがったんだ。俺が殴られている間に。
そう訴えようとする俺を、オバールは遮った。
「もういい、分かった」
「なんでだよ、それは――――」
「ダダン、慎め。……ルチル様、申し訳ありません。俺が見てなかったばっかりに。子供はご容赦ください」
「いいよ、オバール。この格好だからって、そんなに畏まらないで。あたしが怖い人みたいじゃん? 採掘のことは全部あなたに任せてるんだから」
それからルチルは俺を見て言った。
「お腹が減るのは分かるけど、ルールを破っちゃダメよ? 次からは気をつけてね」
白いドレスを煌めかせて、歩き去る。
その後ろをちょこちょこと付いていく7歳ほどの少女。
姉妹に見えるほどよく似ているが、ルチルの娘だ。
かつて聞いた伝承において、ドワーフの女性はみな若く美しいとあった。それはこの世界でも事実なのだろう。彼女らは10歳前後で成長が止まってしまう。うちの母も含めて。
ルチルの娘は一度こちらを見返り、手を振った。
オバールに促され、仕方なく手を振り返す。
「ジェイド、ムートン、ダリンガ、行っていいぞ。……ダダン、お前だけ残れ」
三人は密やかに、俺だけに分かる形で軽薄な笑みを浮かべ、去って行く。
オバールは歯形の付いた鉱石を握って、俺に言った。
「これは、お前のじゃないな」
「……え?」
「お前は生まれたときから頭が良かった。こんな証拠を残すはずがない」
「…………」
「……だがな、ダダン。お前が何か企んでるのは分かってんだ。尻尾をふん捕まえたそのときは、覚悟しとけよ」
髭面を近づけて凄む。
それからドスドスと、三人の方へ向かっていった。
その日の仕事終わり。
またしてもジェイド達に絡まれた。
「テメーがチクッたんだろ」という内容で壁際に詰められる。
懲りないゴブリン達だ。
軽口を返せば豪腕が振り上げられる。
「やめなさいよ、みっともない!」
強い口調でたしなめるピンク髪の少女。
振り返った三人は彼女の姿を見て一瞬怯んだ。
しかし『ルチル』でないと分かると、急に威勢を取り戻す。
「女が出しゃばるなよ。俺達は今、男の仕事の話をしてるんだ」
「あたしを誰だと思ってるの?」
「はっ。偉いのは、お前の母親だ。――――威張りたいなら魔法の一つでも使って見せろ」
あぐっ、と黙り込む少女。
三人の男子は調子付き、ニヤニヤと囃し立てる。
「どうした? 使わないのか? ご自慢の魔法とやらは」
「父ちゃんが言ってたぞ。王族は魔法を使えるから王族なんだって。産声を上げたときから呪文を唱えられる特別な存在なんだって。……なぁ。お前いま、いくつだよ」
「やめてやれよ。レヴィは拾われ子なんだ。だから――――」
「違うもんっ!」
レヴィ・ド・ヴェルグは叫ぶように中傷を遮った。
唇を噛んで、瞳を潤ませる。
そうして泣き出すのかと思いきや、破れかぶれに杖を引き抜いた。
「……こっ、後悔しても知らないんだからね?! ――――レタスッ! フィレタスッ! アスパラガスッ! ドリアタルト・ラクノールッ!」
呪文めいた文言を結ばれる。
泡を食って防御姿勢を取る三人。
……しかし何も起きない。当然だ。それが呪文のつもりなら〝盛大に間違えている〟のだから。
ジェイド達は暫く固まっていたが、なにも起こらないと分かるやいなや、ぷっと吹き出した。
少女を指差して、更にゲラゲラと嗤い始める。「どうした、早く使って見ろよ」と。
彼女は真っ赤になって震え、やはり泣き出しそうだ。
面白がって茶化すジェイド。その股間を背後から思い切り蹴り上げてやった。
「あおんっ?!」
情けない悲鳴をあげて悶絶するジェイド。慌てて寄り添う取り巻き。
戦闘中に余所見とはバカな奴らめ。
「お、ごぉぉぉぉ……っ、ぎ、汚いぞ……っ」
知ったことか。
3対1だろうが、体格差があろうが、
股間を抑えてうずくまるゴブリンを躱してレヴィの手を引いた。
「逃げるぞ」「えっ……!?」「走れ!!」
「お、追い掛けろ!」「待て!」
取り巻きのデブとマッチョが追いかけて来る。
7歳ほど年上の彼らだ、すぐに追いつかれる可能性もあったが、重鈍で助かった。
小部屋に駆け込んでやり過ごし、それっきり彼らが戻ってくることはなかった。
左右の安全を確認し「じゃあな」と言って別れようとするが、レヴィは手を離してくれない。
「……まだなんか用か?」
「お礼、聞いてないんだけど」と少女は口先を尖らせた。
「何のお礼だ?」
「助けてあげたでしょ?」
「俺も助けた」
彼女は逡巡し、やや不満げに「ありがと」と言ったので、俺も同じ調子で返す。
手は掴まれたままだ。
「……まだ何か?」
「あんた、酷い怪我してるでしょ。この手」
レヴィは、血豆の潰れた俺の手を掲げて「……治してあげようと思って」
「そのために?」
「そうよ」
そう答えて、傷口に杖の先を向けた。
「――――レタス・フィレタス」
「待て」
「え?」
「違うぞ。呪文が違う。セレス・オルタス、だ」
「……あんたも魔宝使いなの?」
「違うが。起動呪文は15種全部知ってる」
「……なんで? あんた、何者?」
魔宝珠のことは、よく知っている。――――何度も煮え湯を飲まされたからな。
呪文だって、覚えたくて覚えたわけじゃない。
生前、俺の船へ攻め込んできた連中から聞いただけだ。嫌って言うほど。火の玉やら真空波やら魔力砲やらを浴びながら。
知ってるだけで魔法が使えたりはしない。
魔宝珠から奇蹟を引き出すには、ゴブリン達の言うように『天賦の才』が必要だ。流石の俺様にもそれはない。天は二物を与えなかった。
非科学的でクソみたいな属人性。ファックだね。
レヴィの杖に付いているのは藍色の魔宝珠。
起動呪文は『セレス・オルタス・ムンドゥース・ドミネーテルト・ダクオール』。
正しい呪文を伝えると、訝しんでいたレヴィは「そうそう、そういう感じだった」と頷いた。
「レタス」
「なんでじゃい」
「……長すぎて最初の方わかんなくなっちゃうのよね」
アホの子かな。
彼女は杖をそそくさとしまうと、軟膏を取り出した。
「ほら、両手、広げなさい」
「……えっ。魔法は?」
「うるさい。塗るの? 塗らないの?」
「へいへい。頼みます、レヴィ様」
「よろしい」
血豆の潰れた両手を広げた。
少女はそこに軟膏を塗り込んでいく。幼い指を滑らせて。
ガサツな気性に似合わず綺麗な指だ。
爪が割れ、泥のこびり付いた俺のとは、まるで違う。
「……あんた、名前は?」
「ダダン」
「ふーん。じゃあこれで一つ貸しね、ダダン」
「ああ、ありがとな。どうせならパパッと魔法で治して欲しかったけど」
「……ふーん?」
「いだだだだっ!?」
――――こいつっ、傷口にグリグリとっ!
「バカお前ッ! 悪化させに来たのかよ!」
「ごめんねー。どーせあたしは不器用だからさー」
つん、とへそを曲げるレヴィ。
魔法の話題は禁句か。面倒くさい奴だ。
「じゃあ俺、もう行くから」
「待ちなさい、ダダン。――――服脱いで」
「はぁ?! なんで」
「殴られたなら、痣ができてるかも知れないでしょ?」
「ないよ」
「いいから脱いで。見てあげる。……それとも、脱げない理由でもあるの?」
「……なに言ってるんだ?」
レヴィはジトッと目を細めた。
「例えば――――鉱石を隠し持ってるとか」
「あ、あるはずないだろ」
「他の皆は誤魔化せても、あたしの鼻は誤魔化せないわ」
すんすん、と犬のように嗅いでくる。
服の中に仕込まれたマジックのタネを、むんず、と掴まれてしまった。
レヴィは瞳を輝かせる。
「ほらっ! やっぱり!! なんていけない子なの!!」
「ああ、もう! なんなんだよお前!」
「一人で盗み食いとは許せないわね! それも怒られたその日に! あたしが言い付けたら、きっとキツイおしおきをされてしまうわ! ねぇ? そうよね?」
こちらの顔を覗き込んで、ニマーと笑うのだ。
俺は盗み食いなどしていない。断じて。
ただ少し、脱出計画に必要な物資をちょろまかしているだけだ。こうして、少しずつ。1年以上もかけて。
絶対にバレる訳にはいかなかった。
「まさか、誰かに言うつもりじゃないよな?」
「それはあんたの心掛け次第ね」
「……つまり、口止め料を寄越せと?」
「ふふふ。そうは言ってないけれど。……そういえば、お薬代を貰ってなかったわね。〝半分こ〟でいいわよ?」
とんでもない
俺が一日汗水垂らして働き、危険を冒しながら持ち出したこれを、半分も!?
仕方なく渡した藍銅鉱を頬張っては、美味しい美味しいと幸せそうに微笑むレヴィ。
そうして別れ際「また明日も〝治療〟してあげるからね」などと言うのだ。
幼女の皮を被った悪魔だ。この里には本当に、碌な奴がいない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます