さかさまの地球儀
めんだこ。
さかさまの地球儀
俺は、宇宙飛行士になることが夢だった。
宇宙服を着て、その身で宇宙を知りたかった。
そのために、有名国立大学の工学部だって受けた。
在学中は、学年でも首位を争うほどに勉学に励んだ。
だが、その夢は叶うことがなかった。
後天性色覚障害。
予備校からの帰り道に不慮の事故に遭い、後遺症として発症した。
すべてに絶望した。世界の何もかもが不平等に見えた。
命なんて全て投げ出してしまおうとも思った。
だが、しかし。
俺は今、こうして宇宙の中にたっている。
【1.水母】
-1-
「なあ宙、合コン、ちょっと付き添ってくれん?」
その突然の誘いは、提出予定のレポートをチェックしている時だった。
「は?」
そう声をかけてきたのは、同僚の船山 稔(ふなやま みのる)だった。同性の俺が言うのも何だが、顔立ちが整っておりイケメンという言葉がこれほどまでにも似合う男なんてうちの学部内には彼くらいだろう。
「いや、ネットで合コン申し込んだらさ、友達誘うと割引されんだと。それに、やっぱ知り合いがいると肩の力が抜けるし。」
「あのなぁ。」
稔が言うには、その合コンは結構レベルが高いらしい。大学に入学して2年目となった今は、だいぶ大学生活にも慣れてきてた。稔も、時間に余裕ができたため合コンに参加しようと思ったのだろう。
「イケメンとなんて行きたくねーよ。テメーが独り占めする未来しか見えねぇわ。」
「んなのわかんないじゃん。大体、お前だって割かしイケメンだろ?ほら、口数が少ない寡黙な男、その堅実さに惹かれるっていう女の子も少なくないんだぜ?」
大層な口車だ。俺がイケメンだと?普通だ、普通。お前に言われたってバカにしているようにしか見えない。そう言ってやりたかったが、時間に余裕ができたのは俺だって同じだ。たまにはこいつの雄弁に乗車しても悪くないだろう。
「はぁ。しょうがないな。いつなんだ?そのゴウコンってやつは。」
「来週の金曜。宙氏の予定もチェック済み。何もないはずだ。」
ちっ。こいつ、肝心なところは抜けているくせに、こういう場合に限って抜け目がない。それを勉強に生かせればどれほどいいことか。嘆きたいわボケ。
「石垣、船山、時間だぞ。」
「ほら、くだらない話してないでさっさと行こうぜ。」
「俺にとっちゃくだらなくはないからね?」
講義室の外で話していた彼らは、教授に呼ばれた。石垣 宙(いしがき そら)と稔は、書類を持ってそそくさと講義室に入る。
-2-
「それでは皆さん。この度は、忙しい中お集まりいただき、誠にありがとうございます。」
「ちょっと、真面目過ぎ。もっとラフにワイワイ行こうよ。」
そんな締まりのない挨拶から合コンは始まった。宙は、そのままテキトーにわいわいやってさっさと帰ってしまおう。そんな心意気で過ごすことに決めた。隣に座ってる猟師の目をしたあんぽんたんの様には絶対になりたくはない。
「はい!自己紹介タイム!俺の名前は船山稔!」
絶対になりたくはない。
しかし、稔が元気よく切り出してくれたおかげで、辺りの空気が柔らかくなった気がする。おかげですんなりと自己紹介ができた。
「どうも。石垣宙と言います。えー、大学はさっきこいつが言っていた通りです。ロケット開発したり云々やるような研究をしてます。趣味は、田舎とか行って星とか見たり、家にこもってガラクタ作ったりしてます。」
「へー、ロマンチスト。ガラクタって何?ロケット?ウケる。」
「いやいや、ガラクタなんてもんじゃないでしょ。お前が作ってんのもっとすごいわ。」
「え!気になるんだけど!なに作ってんの?」
「無駄なおだてはいらねぇよ。照れるだろ?完成するまで秘密だ。」
まぁ、自分なりにはウケを狙ったつもりだ。女性陣もシラケたような雰囲気はないし、なかなか出だしは好調なのではないだろうか。
「あはは。おもしろいなぁ。君。」
一人の女性が屈託の無い笑顔で笑う。次の自己紹介は、彼女だ。
「あー、私か。」
「私は、岬本 海来(はなもと みらい)。大分県出身の、湘南住まい。」
待てよ?大分?出身が同じだ。まあ、生まれて間もなく父が転勤し、都心へと向かったために覚えてはいない。
「あっ、じゃあサーフィンとか好きなの?」
「おしいっ!趣味はね、ダイビング。」
岬本はそう言って白い歯を見せて笑顔を作る。なぜか宙はその笑顔が印象に残っていた。
メンバーのうち一人が泥酔してしまったので、最後に連絡先を皆で交換し解散することとなった。
結局のところ、まだ初対面同士なのもあってか、カップル成立とはならなかった。それもそうだ。皆酔っているとはいえ、心の中まで探られないように皆きちんとシャッターを閉めていたからだ。ましてや、成人となった今は何かあればすぐに実名という個人情報が一気に日本中に行き渡ってしまう世界だ。簡単に心を開くはずはない。
稔は、手ごたえを感じていたそうだ。4人の内の1名と結構いい感じに話し込んでいたから、納得できる。宙はその逆、何も喋れず仕舞いだった。それでも全会話の5%くらいは言葉を発してはいたので、宙としては割と喋った方ではないだろうか。
宙の狙いは、岬本だった。幸い稔の好みのタイプとは違ったため取り合いにはなかったが、おそらく振り向いてはくれないだろう。少し日に焼けた健康的な肌、表裏のなさそうな笑顔、海に入っているとは思えないほどに艶やかな髪を後ろで結んでいる。一言でいえば、一目惚れだ。
連絡先は稔のアプローチにより何とか交換はできたが、ただそれだけだ。他人から知人へと会談を1段上ったに過ぎない。
二次会に行かない時点で、負けは確定したのだ。
はぁ、と宙はため息をつく。稔は笑いながら言葉を振りかけた。
「おいおい。まだ気を落とすには早いぞ。これからが重要なんだ。」
口が裂けても言うことは出来ないが、時折稔のそのポジティブなところを見習いたい時がある。俺ももう少しポジティブにすれば楽になるのかもしれない。
そして、全員が離れ離れになった。稔以外は、果たしてまた集まって会うことはあるのだろうかとも思えてくる。宙は、最寄り駅までゆっくりと足を進める。ああ、明日の講義は寝坊しそうだな。誰かに代筆を頼みたいところだが、宙の心がそれを許さなかった。空を見上げると、月が黒い霞に切り刻まれなんとも風情のある朧月が完成していた。
スマートフォンを片手に電車を待つ。
照明の光が宙をスポットライトの様に照らす。気分はさながらアーティストだ。
酒が入っているためか、今日は気分がいい。支柱に寄りかかり、好きな歌を口ずさんだ。
あぁ、この世界は回り巡る。
たとえ悲哀の豪雨が降ろうとも、いつの日か幸福の日差しにより乾くだろう。
涙の川が氾濫を犯しても、いずれ母なる海が許し受け入れるだろう。
大地も海も、回り巡る。
回って回って、大きな穴を作る。
大切にしたい幸せな思い出は、その穴に埋めて大切にしよう。
埋めた穴を通って、悲しみを洗い流してしまおう。
今だって、幸せは回り巡るのだから。
決して逃げるな恐れるな。
決して逃げるな恐れるな。
「その歌、知ってるんだ。」
宙はギョッとした。酔いで気持ちよくなって歌っているところを、誰かに見られてしまった。穴があったら入りたい。宙にとってはそれくらい恥ずかしかった。
宙は振り向いた。すると、そこにはもう会うことはないと思っていた人物がったっていた。
「岬本さん?」
偶然なのか、そこには岬本さんが立っていた。酔いが驚きの衝撃で宙の身体からはじき出されてしまった。
「あ、地元出身のアーティストの曲だったので止めずに聞いちゃった。凄い綺麗な声してるね。」
「そうだったんですか。でもこれ、かなりマニアックな曲ですよ?」
「うん。そうだね。メジャーデビュー一歩手前で急に音楽活動辞めちゃって。」
「そうなんだよね。結構演奏が上手かったからデビューしたらかなり売れると思ったのに。」
「ほんとそう!なんでなんだろうね。」
二人とも笑顔になって話した。これが、充実ってやつなのかな?
「あ、そうそう同い年だよね?石垣君。」
「そうですけど。」
「じゃあ敬語なんていらないじゃん。というか、キモい!あはは。」
ちょっぴり傷ついた。やはり女の子にキモいと言われてしまうと冗談でも落ち込んでしまう。
「…。俺、タメで話すと、結構ぶっきらぼうになっちゃうし、口も悪いから。」
「いいよ、それでも。」
電車がホームに到着する。扉が開いた瞬間、夜だったせいかまるで光のゲートのような感覚がした。ああ、まだ俺は酔っているらしい。
「じゃ、遠慮なく。その…。宜しく。」
「うん。よろしくっ!!」
それから、海来との距離はみるみるうちに縮んでいった。
彼女のダイビングでの体験談を聞くことは楽しく、稔でさえ飽きてしまう宇宙に対する宙の熱弁も真摯に聞いてくれた。それに、変なところのツボも合う。
いつしか彼女との交際が始まり、毎日が嘘のように楽しくなった。彼女の生きたいところだって、宙の行きたいところだって、万里の先でも苦にならずに幸福に昇華する。稔もあの合コンで潮崎 閖(しおざき ゆり)という恋人ができたそうで、4人によるダブルデートだって決行した。
積み重なる写真のデータ。メモリーカードがいくつあっても足りない。それくらい幸せを感じていた。
「ねぇ、いつになったらその作ってるものを見せてくれるのよ。」
「これは、ちゃんと完成してから見せたい。1つの夢みたいなもんだから。」
「じゃ、完成したら一番に私に見せてね。くだらないものだったら、ちゃんと笑ってあげるんだから。」
「はっ!その笑いが感動の笑みになるぜ。大発明だからな。」
本当に、幸せだった。
-3-
大学4年の夏。宙と稔と海来と閖は海に来ていた。大学生活の集大成として、旅行に来ていたのだ。
「で、宙。ゼミは大丈夫なん??」
「ああ、だいぶ方針は固まってきたところだし、後は結果次第って感じだな。論文もまずまずのものが書けそうだし。」
「まじかぁー!俺何もやってねぇよー!!」
大抵学生の"何もやっていない"は、陰で少しはやってあるものだが、稔の場合は本当に何もやっていないのである、よく現役でここまで進級できたもんだ。
「ほら、男ども-!!青春はあっという間に過ぎてっちゃうぞー!!」
浜辺から海来の声が聞こえてきた。閖と元気に遊んでいる。
「やれやれ。おじさんたちはビールをこれから飲もうと思っていたのに。」
「いっちょ前に気どんな青二才。ほら行くぞ。」
「ちょっと!言ってみたかっただけなのに!宙君ヒドイ!」
「稔君キモい。」
大学最後の青春。泣いて、笑って、驚いて。感情を失わせまいと降りかかる大人の旋風を払いのけながら大いに遊んだ。
夜になると、宙は一人で堤防に座っていた。
上を眺める。同時に、星が瞬く。ああ、宇宙をこの目で見たかった。
「星、綺麗?」
「ああ。」
気付いたら海来が横に座っていた。幸せなことなのに、星を見ると、やはり心はまだ満たされなくなる。
「ねぇ、あの一等星の右の星、何色に見える?」
「黄色かな。」
「あれ、赤いんだよ。」
その一言で、宙の身体は一気に凍り付いた。
バレていたのだ。今まで必死に隠し続けていた色覚障害のことを。
心臓の鼓動がはち切れんばかりに筋肉を返して鼓膜を何度も叩きつける。
苦しい。呼吸ができない。
「…。」
未来は、宙に抱き着いていた。
「辛かったよね?苦しかったよね?」
泣いていた。
「知ってたのか?」
「うん。」
海来も、同じように泣いていた。
「船山くんから、宙君の夢が宇宙飛行士だってこと、きいた。」
「…。」
「それで、宇宙開発の大手会社から内定を貰ったって、きいた。」
「…。」
「本当なら、変わってあげたい。」
「…。」
「視神経を交換してあげたい。」
「…。」
「ダイビングは、それでも資格が取れるから。」
「…。」
宙は、何も言わずに海来の言葉を受け止める。
「なんで宙君なんだろうね。なんで、なんで。」
「海来。」
耐えきれなかった。
「へ?」
気づいたら俺は水着姿の海来を力強く抱きしめていた。
「ありがとう。」
嬉しかった。
「こんな話をしたら、怒られるかと思った。」
「怒るわけねェだろバカ。」
「うぇえん。」
「海来は、優しいんだな。」
「そんなこと、ない。」
「逆に、色盲だってことを隠してたことに、怒るかと思った。」
「怒るわけないでしょバカぁ。」
「…。ぷっ。」
気づいたら二人は泣きながら笑っていた。もう、全てがどうでもよくなった。
受験の時に、命を終わらせないでよかった。合コンの後、歌を歌ってよかった。
今ここで、幸せを結ぶことができたんだから。
「なぁ、海来。」
「うん。」
「青色と黄色しか見えない、こんな俺でも。」
「夢をあきらめきれずにまだズルズルと宇宙を追っているこんな俺でも。」
「うん。」
「就職して、落ち着いた゛ら゛。」
「う゛ん゛。」
二人とも鼻声になっていた。
「俺と、結婚してくれるか?」
「はい…。喜…んで……!!」
涙で視界がゆがんでいるのか、水面の波で揺れているのかわからない。
桃色に染まる月が水面に反射し、水母のようにユラユラと揺れていた。
「おうおう、あっついねぇ。ラスト青春フルスロットルだねぇ。」
宿泊部屋の窓から二人を覗き込んでいた閖は、お猪口ちょこを片手に妖艶に笑う。少しはだけた浴衣に涙黶なみだぼくろ。その火照ったからだから放つ色気は花魁に引けをとらないだろう。
「海来ちゃん、あの娘は優しいね。」
電子タバコを片手に、稔も二人を眺めていた。
「そりゃもう。あたしのお墨付きっちゃ。」
閖は、酒が入ると方言が混じってくるようになる。まあ、そこがかわいいんだが。
閖と未来は、きく話によると幼馴染らしい。天真爛漫な閖を、いつも海来が支えているそうだ。その光景は容易に想像できるからまた面白い。
「あんな、あんたんこと好きになった理由にも繋がっちくるん。」
「お、それはぜひとも聞きたいねぇ。」
「同じような優しさぅ持っちょん。」
おっと。これは結構酒はいってんな。だいぶ訛ってる。
その後も閖は延々と惚気ていたので、稔は優しく寝かしつけた。
「こりゃ、まいったな。こんなに好きになられちゃ、責任をとるしかなくなるじゃないか。」
電子タバコをふかせながら、堤防の二人を眺める。
そしてその後も特に大きな障害もなく時は過ぎた。
順風満帆ともいえる人生だった。
就職後の仕事も宙はバリバリと功績を残し、先輩社員からも期待をかけられるようにもなった。
稔は大手自動車メーカーの営業として、海来はダイバーのプロカメラマンとして、閖は調理師の資格を取ることに専念したという。
ここまでが順調すぎたとも言えよう。だがその後に大きな転機を迎えることになる。
入社2年目となった夏に、海来が突然消息を絶った。
【2.我楽多】
-1-
「はい。はい。…。そうですか…。ありがとうございました。」
頬を抓った。
何度も何度も抓った。血が流れてもなお抓った。
これは、何かの間違いだ、嘘であってほしい。そう思って。強く抓った。
だが、期待を裏切るように痛覚は大脳皮質に信号を渡す。実際に現実で起きているのだ。
海来の連絡は、カリブにダイビングに行ってくるという連絡以降一切来ていない。行ってらっしゃいの送信以降、怖くて送信ができていないのだ。
宙は膝から崩れ落ちた。海来が行方不明になってから、もう既に1週間が経過した。たとえこれ以降見つかったとしても、生存している可能性が一気無くなってしまう。その現実を突き詰められた空には、もう絶望の二文字しかなくなっていた。
バミューダ諸島の観光ツアーとして海来はインストラクターを担当していたそうだ。同伴者の供述によると、海に潜っているときに運悪く強い海流に攫われてしまい、そのまま行方が分からなくなってしまったという。
勿論、そのアクシデントの後すぐに攫われた方向に船を出したそうだ。しかし、海来を見つけることができずに救急隊員や捜索隊が派遣された。それでも痕跡すら見つけることができなかった。
そして、1週間が経過しても状態は変わっていない。勿論、現場にいた皆の賢明さや真剣に取り組んでいたことは伝わってきている。無能と罵るわけにはいかない。宙には怒りの感情はなかった。喪失感と悲しみ、絶望だ。
しかし、同伴者の供述の中で返し刃のように引っかかって取れない不可解な点が一つだけあった。
海来が海流に攫われる数秒前に、一瞬だけ辺りが夜のように暗くなったらしい。
雲がかかったのかとも思われたが、あいにくその日は雲一つない快晴。危険生物への警戒も怠っていなかったそうなので、その可能性も低い。つまり、完全に不可解な現象だったそうだ。
宙は、考えた。
今、自分はどうすべきか。何をすることが正解なのか。このままでいいのか。受け止めるべきなのか。
「違う。」
このままモヤモヤさせたくない。ハッキリとさせたい。ちゃんとした材料をそろえて、確かめたい。
「海来に、会いたい。」
その言葉を放った時には、もう立ち上がっていた。
-2-
「宙、こんなのどうだ?」
稔は、ドサドサっと本を宙に渡した。
「おっわ、こんなにあんのか。」
「俺も手伝うぜ。」
宙は、稔を連れて専門図書館まで来ていた。
最初に着眼点に置いたのは、海洋学だ。海流の流れや、その各地での特徴的な自然現象から算出して、海来が流された場所を特定しようとした。しかし、その不可解な現象に関しての記述を見つけることは出来なかった。
「しかし、良かったよ。このまま宙がもぬけの殻になっちゃったら、俺らはどうケアしたらいいかも分かんなくなるところだった。」
稔には感謝している。1週間経っている状態から捜索開始をすると相談をかけ、普通なら諦めろと一蹴されるだろうところを快く引き受けてくれたのだ。閖も店を閉めて捜索に協力してくれているそうだ。この件が済んだら、二人にはなにかしてあげよう。
次に手をかけているのは、バミューダの歴史だ。バミューダ諸島に関連する失踪事件と言えば、バミューダトライアングルだ。しかし、似たような現象にはどれも曖昧。且つ仮設として解明されていないものも多かった。
"メタンハイドレートによって海中で爆発が起き、大きな穴が開き吸い込まれる。"との記述が発見されたが、爆発のような音は聞こえていないという話は聞いている。
「うーん。ここにもないなぁ。あ、閖から電話だ。」
待てよ。穴?
穴が急に開いたとしたら、辺りが暗くなるのも納得がいかないか?
いや、でも夜になるくらいの暗さにはならないか。
それでも少し真相に近づいた気がする。穴…。穴…。
「おい。宙。聞いてるかー。」
「あ、わりぃ。考え事してた。何?」
「閖が見つけた。同じ状況の失踪事件。しかも何件も。」
「!!!」
「行こう。それに、その事件から生存して帰ってきている人と今話してるそうだ。」
止まった針が動きだした。海来が生きている可能性に少しだけ傾いた。
「ちょいちょいちょっ!いてててて!!!歩けるから!歩けるから!!引っ張んなって!!!」
ただそれだけで人は行動することができる。もう、迷うこともない。
「オーイ、キイテマスカー?ワタクシ、ヒキズラレテルアルヨー。」
宙は、力強く一歩を踏み出した。
-3-
「これは…。どういうことかね?」
「心療に努めさせてください。」
統括課長の卓上には、長期休暇届が置かれていた。
この1週間、仕事も身が入らないでいた。職場の仲間たちは、そんな彼を心配し続けていた。ミスは起こしてはいなかったが、明らかに業績は落ちた。それほどまでに気が滅入っていた。
「詳しく教えてくれんか。さすがに心配だぞ。」
「はい。」
二人は面談スペースに向かうことにした。
「…なるほど、そういうことだったんだな。」
統括課長は人を観察する力が優れている。嘘をついたとしてすぐにバレてしまうだろう。宙は正直に話すことにした。
「会社としては、仕事のヤマが来始めるようになるこの時期に休みは極力控えるようにしてほしい。」
やはりか。致し方ないとは思う。ならばあとでこっぴどく叱られるのを覚悟して体調不調にしておこうか。
「普段ならそう言うだろう。しかし、理由が理由だ。俺はこれにハンコを押してもいいと思っている。」
「いいんですか?」
以外にも、課長はすんなりと許可を出してくれた。
「俺も昔、似たような理由で会社を休んだことがあってな。」
「それって…。」
「いや、君のような珍しい境遇ではないんだがね。昔ね、幼い方の息子が迷子になったんだよ。森の中でね。3日間の間、何も手掛かりがなくてねぇ。会社も休んで、家族揃って捜索隊と必死に探したもんさ。」
「それは…。結果を聞いてもいいのでしょうか?」
「ああ。別にいいとも。教えてやろう。」
ゴクリを唾を飲む音が筋肉を介して聞こえてきた。少しの沈黙の後、課長が口を開く。
「見つかったよ。息はなかったがね。凍死だったそうだ。」
言葉を失った。やはり、そうなのか。宙は何も言うことができなかった。
「当時は絶望を感じたものさ。ちょうど1週間ほど前の君みたいにね。本当に自分が生きているだけでこれほど辛いことはなかった。」
「…。」
「まぁ、俺には家族がいる。養わなきゃならない。苦渋の決断だが、命は絶たずに未来へ進むことにしたよ。」
「…。」
「石垣君。」
「はい。」
宙は課長に目を合わせる。課長は、先ほどとは全く違う、真剣な目線。蹴落とされまいと視線をそらさずに見つめた。
「その話を聞いてもなお、覚悟は変わらないかい?どんな結末だったとしても、ちゃんとここに戻ってきてくれる約束はできるかい?」
ああ、やっぱりこの人の下について良かった。
「はい。」
そう言った瞬間、ハンコを力強く容姿に叩きつけた。
「よく言った。彼女を見つけてくるまで帰ってくるなよ。帰ってきたらそれこと懲戒処分にしてやるからな。」
「はい。」
こうして、立ち上がり、一歩進んだ宙は止まることなく歩き出すことになった。
-4-
「そういえば、あれどうなったん?」
「ん?」
「作ってたやつ。」
「ああ。完成したよ。」
「へぇー!!見せてくれよ!!まだ一回も見せてもらってないからさ。」
「ま、そのうちな。」
「それ絶対見ないうちに終わるやつ。」
飛行機の静寂な時間も、バスに揺られタ時間も、たわいのない会話で潰す。おそらく黙ったままだと宙が追いつめられるのではないかと気を配ったのだろう。鬱陶しかったが、やはり口は達者だ。おかげで自分の頭を整理することにも貢献できた。
「お、話しているうちに着いちまったな。」
「いつの間に。」
気付けば閖が指定したバス停についていた。ここから少し歩き、待ち合わせの場所に行く。
九州に来たのはいつぶりだろうか。ここは海来の故郷でもあり宙にとっては生まれた場所だった。物心つく前に引っ越したとはいえ、懐かしい空気を少しばかり感じる。
2人はある居酒屋の前に立っていた。全席個室。なるほど、少し話を聞くには申し分ないスペースだ。
「やほやほ。来たね。」
「あ、どうも。」
閖と一緒に席に座っていたのは、三十路を丁度過ぎたような男だった。
「おうおう、未来の夫を目の前にして他の男とデートとはおんしなかなかやりよるわい。」
「ああ、彼がその彼氏さんですね。なるほど、潮崎さんが言っていた以上のイケメンだ。」
見間違いだろうか?宙はそう思ってしまった。しかし、聞かざるを得なかった。
「あの、もしかして、クロスペアーズのハルさんですか?」
「えっ、良く知ってたね。メジャーデビューもしてなかったのに。」
彼は、俺が好きな曲を作っていたアーティストのメンバーだった。
「ふむ。ふむ。なるほど。」
押永 晴彦(おしなが はるひこ)は、宙の話を一字一句真剣に聞いていた。
「押永さん、どうでしょうか。」
3人は、ソワソワしていた。海来が生きているかもしれないという希望が今目の前に居る。ただそれだけで返答を待つという行為でさえ長く感じる。
「さて、どこから話そうか。」
「どこからでもいいです。思いついたことを列挙していただいても…。」
「じゃ、あれから話そう。」
「結論から言うと、その海来ちゃんが遭遇してしまった状況は、僕たちとほとんど一緒だ。」
「達、というのは?」
稔は代わりに質問を投げた。
「ああ、バンドメンバーのことだよ。リュウ、ハルカ、ナナコ。」
そう、晴彦さんがベース、リュウはギター、ハルカがボーカル、ナナコはドラムだ。4人の演奏は絶秒なバランスで、実力はプロ顔負けのレベルだ。
「君たちの推理の通りさ。海来ちゃんを攫ったのは"穴"。それも、普通の穴じゃないんだ。」
居酒屋の喧騒を押しのけ、辺りが沈黙に包まれる。
「ちょっとオカルト的な話になっちゃうんだけど、実際に起きた話だから、聞いてもらっていいかな?」
勿論だ。どんなものにでも縋りたい。
「はい、話してもらえますでしょうか。」
3人は無言になり、話を聞いた。
「まず、"穴"はブルーホールみたいに巨大で深い穴だと想像してくれ。それに、誰も底を見たことがない。かなり不気味な穴だ。その穴は、表れると周囲のものを吸い込んで消える。かなり不思議な存在。」
「で、出現させる方法ははっきり言って分からない。最初は周期的に表れるものなのかと思っていたが、それは違った。その理由はあとで教えよう。」
「これからは俺が体験したことを言う。」
「実を言うと、メジャーデビューの話は決まっていたんだ。それで、気合付けと打ち上げみたいな感じで全員で旅行に行った。」
「で、その旅行の時に事件は起きたんだ。場所は、オーストラリアのグレートバリアリーフ。忘れもしないよ。」
「船で移動中、サンゴ礁が見えるほどに下は透き通っていたんだが、突然黒くなったんだ。まるで、その一帯だけが沖に進んだかのように。」
「気づいたら、船ごと海中に引きずり込まれた。もちろん海中だから息もできないし、上に泳ごうなんてできないような水流だ。もう、何もすることは出来なかったさ。間もなく俺は気を失った。」
「ここまで聞くと、死んだように思われるだろう。実際、メンバーの内2人はその吸い込まれた時の衝撃で死んだんだからな。」
それが、メジャーデビュー目前にして姿を消した理由か。
「じゃあ、海来も…。」
「いや、その時に死んだのならもう死体が見つかっているはずだ。だから、海来ちゃんは生きている可能性がある。」
「じゃあ、続けるぞ。その後…、俺は…。」
「色々、ありがとうございました。」
「いや、こちらこそ、楽しかったよ。海来ちゃん、見つかるといいね。」
すべての話を聞き終え、晴彦とは別れることになった。
「これからどうする?」
「勿論、行くに決まってんだろ。」
「宙君それ本気で言ってる?だって、今は…。」
閖は止めようと言葉を掛けようとしたが、稔が制した。
「見せてくれるんだな?あれ?」
「ったく。しょうがねぇなぁ。ま、当日持ってくるさ。」
「…。もう。」
-5-
一人暮らしとなってしまった部屋に戻ってくる。
約束は明後日。皆が予定を合わせてくれた。無理に行って現地の船を借りることもできた。準備は整っている。
部屋の鍵を開け、中へと入る。趣味として使っている場所だ。
そこに俺の作っていた"ガラクタ"が置かれている。
海来と話が合ったのも、恐らくこれを作っていたからだろう。
正直に言うと、このガラクタは使うことはないだろうと思っていた。
だが、海来を助けに行くのであれば、それも本望。
万が一、失敗してもそれで共に冥土に行くのも悪くない。
「よろしくな。相棒。」
宇宙服を見立てて作り上げた、深海の圧力に耐えれる潜水服。
我楽多。そんな名前でいい。
俺は、これから宇宙へ飛び立つんだ。
【3.さかさまの地球儀】
-1-
ドドドドドドドドドドド。
モーターの音と共に、爽快な空気の中を掻き分けて前へと進む。
「お前ら、本当にここまで付き合ってくれてありがとう。」
「気にすんなよ。俺とお前の仲だろ?」
「幼馴染のために頑張ってくれてる。それだけで手伝う理由になるでしょ?」
稔と閖は笑顔で応える。正直、一人ではここまで来ることは出来なかった。
「しかし、宙もすっげぇよな。こんなん作り上げちゃうなんて。」
「宇宙服そのものって感じだよね。正直もっとちゃっちいもんかと思ってた。」
「耐久テストもちゃんとやってある。これが上手くいったら会社に持ち込んでもいいかもな。」
我楽多はウェットスーツの上にずっしりと置かれてある。我ながら、かなりすごいもんを作ったのではないかと思っている。
「これ、いくらかかったの?宇宙服って10億くらいかかるんでしょ?」
「まぁ、親父のツテでロケットを作るときに使えそうな廃材とか、余ったものを貰ってたりしたからそんな莫大なお金はかかってない。それなりにはしたけど。」
「ロマンあるなぁ。俺もなんか作ってみるかな。」
「飽き症の稔が良く言うよ。今まで完成まで持って行けたプラモデル、何個あるの?」
あとは、この我楽多がちゃんと機能するかどうか次第だ。生きるも死ぬも、助けられるも失うも。
「兄ちゃんたち、もうそろそろ着くぞ」
グアムから船で向かった先。それは…。
マリアナ海溝だ。
-2-
「その後、俺は死んだかと思った。だが、目を覚ましたらかなり不思議な場所にいたんだ。」
「冷たくもない赤い雪が降り、体は軽いが動かすと重い。空気がそのまま水みたいになった感じだ。同然ながら呼吸するのにも一苦労だった。」
「最初は死後の世界かと思っていた。歩くというよりは泳いで、辺りを探してみた。すると、ハルカが同じように彷徨っていた。」
「何日経ったかわからない。かなり広い場所だったからか探索には時間がかかった。手分けして探していたんだが、ここから出るような手掛かりは無かった。」
「途方に暮れ、周りに危険もなさそうだったから二人とも寝たんだ。そうして、目覚めたら浜辺に打ち上げられていたんだ。俺とハルカだけな。」
「なんとも不思議な話ですね。」
「ああ。当然、その話をしても信じてくれる人はなかった。リュウとナナコは亡くなったってのにな。」
「ま、こんなところだ。あとは、その穴について俺らなりに感じたことを話そう。」
「まず、穴は人工的に作られたらしい。まぁ、信じてもらえるかどうかは微妙なとこだが、太古の昔の陰陽術みたいなもんだ。悪しき念を感知して振り払おうとするものを具現化したらしい。まぁ、王族の妨げとなることを恐れたんだろうな。」
「その穴ってのは、基本的にはある地点に居座っている。で、条件が重なった瞬間、その地点へ転移して原因となるものを吸い込んでしまう。」
「条件って何なの?」
「まぁ、まず、その昔にここ大分の宇佐神宮付近に住んでいた人の血筋がしっかりと入っていて、残っている女性であること。そして、その血筋の者が海に入っていること。そして…。」
「その者が、王でない何かを強く支えていきたいと思ってしまうこと。」
宙は驚いた。それは、もしかしたら海来が強く思っているかもしれないことだったからだ。
「まぁ、実際グループを強く支えていきたいと一番思っていたのはハルカだ。それに呼応してしまったんだろうな。」
「俺は、勿論同じことを思っていたが、巻き込まれて本当に運が良かっただけ。」
「ハルさん。その穴がいつもとどまっている場所っていうのは何処ですか?」
「あぁ、駄文言っても無理だと思うぜ?なんせ陰陽師たちも隠したかったんだろうな。世界で一番深い場所って指定したと文献には書いてあったな。」
「世界で一番深い海って言ったら…。」
「まぁ、普通に考えてマリアナ海溝のチャレンジャー海淵だろうな。」
-3-
「夢、叶ったな。」
「おう。」
我楽多で覆われた宙は、少し涙ぐんでいる稔と閖に手を振る。
「兄ちゃん、乗り掛かった舟だ、俺だって応援してるぜ。」
「ありがとう。船長。」
「タンクとして保有できる空気量は半日分だ。沈降と引き上げ時間を考えると、動けんのは6時間だぞ。」
「分かった。じゃぁ、行ってくる。」
地上では、重すぎてとてもじゃないが歩くことは出来ない。特注で用意した滑り台に固定されている。
「3」
例え、どんな未来が待っていたとしても。
「2」
例え、この身が砕かれようとも。
「1」
今から、海来に会いに行く。
「発射!!」
バゴオオオオオオン!!!
勢いよく水面に我楽多は飛び込んだ。
『200M。』
ボコボコボコ。
チリチリチリチリ。
水中の音はリアルタイムで伝わるように設計してある。飛び込んだ泡の音や、甲殻類が鳴らすテンプラノイズまで。こんなに繊細に聞こえるとは思わなかった。
メット越しに辺りを見渡す。辺りが暗くなってきたところだ。
『そっちの調子は大丈夫?』
唯一の命綱である5本に分かれたワイヤ―を通して、稔が通信をしてきた。
「問題ない。ちょうど光が届かなくなってきたところだ。」
『一応メートルのアナウンスはするけど、もう通信もできなくなると思う。後は健闘を祈ってることしかできないよ。』
「あぁ。」
ここまで、水の抵抗を考えて計算した到着時間は順調だ。特に生き物による衝突もなく、我楽多にも障害はない。
周りには光もなく、何もない。時折テンプラノイズが聞こえてくるくらいか。
『1・00M。』
時間が経った。いや、まだ20分程度しか経っていないだろうが、虚無の孤独と何かが襲ってくるかもしれないという恐怖が周りを包む。前までの宙であったら発狂していたであろう。だが、今は違う。芯なる支えがあるからこそ正常に保てている。
『3・00・。』
無音と恐怖の螺旋が宙を襲う。今、水中の温度は1.5℃くらいか。我楽多に内蔵されている温度緩和剤によって内部は15℃くらいには保てている。我楽多にも異常を知らせる信号はなく、ワイヤーも切れていない。問題はなく進行しているだろう。
そう思った瞬間だった。
ガコォン!!!!
我楽多に少しの衝撃が走る。
(!?、何だ?)
メット越しに何かうごめく細いものがあった。宙は気が動転した。ライトをつけると、底には巨大な怪物がいたのだ。
ダイオウイカ。黄金に光り輝く巨体は、その大きな目をぎょろりとこちらに向けている気がする。
(まずい。何とかしないと。)
生物の襲来には対策していなかった。緊急であり、そもそも警戒して近づいてこないだろうと高を括っていたのだ。穴を開けられたりでもしたら、一気に水圧でぺしゃんこになってしまう。
(あれ?)
ダイオウイカは、ぱっと触手を放し、そのまま去っていった。
おそらく、動転して動けなかったのが功を奏し、食べ物でないと判断されたようだ。
『・0・・。』
いったいいつまで続くのか。すでに1度襲来を受けている宙にとっては、恐怖そのものであった。
本当なら、弱音を吐きたい。愚かでもいいから弱音を吐きたかった。
「海来。」
常人ならおかしいと思うだろう。いるかもわからない仮説に縋って、命を懸けて向かいに行くなど。
だが、これが最後の頼みの綱なのだ。
その、綱に捕まっていなければならない。
そうでないと、何もできない。
そう思っていると、目の前で何かが光った。
「えっ?」
メットの先には、小さな生き物が発光していた。おそらく、巨大な物体に驚いたのだろう。
呼応して、周りの生物も光りだした。どうやら、小さいプランクトンの群れに遭遇してしまったのだろう。
「これは…。」
上も下かもわからない環境に、数多の光が散布する。
その光景は、さながら"宇宙"そのものだった。
皮
肉にも、夢が叶ってしまった。
俺は、宇宙飛行士だ。
『1・・・・・!!・・・・点・・!!・・・・!』
あれから、かなりの時間が経過した。宙は、感覚的に状態を起こして沈む先にライトを照らす。
すると、何かにライトが当たるような感じがした。
「地面だ。」
つまり、底まで到着したということだ。宙は慌てて着陸する体制をとる。
地面に到着すると、勢いよく泥が巻き上がった。さながら月面に到着したような感覚だ。ここまで深くに潜ると、生物もいない。まさに、死地に飛び込んでいると言っても過言ではない。
着地した地点で、ガラクタの状態を確認する。圧力にも耐え、問題なく機能しているようにも見受けられる。途中、ダイオウイカに襲われた瞬間には死を覚悟したが、心配だったワイヤー部分にも損傷はなかった。通信は、10kmも離れているためか水中に分散してしまいほとんど聞き取ることは出来なかった。その点に関してはまだ改良が必要そうだ。
さて、のんびりしている場合はない。時間は限られているのだ。ライトを照らし、深海の星の探索を始めることにした。
チャレンジャー海淵の一番深いところに点在しているという推測を頼りに、捜索を行う。
生物は何一ついないかと予測はしていたが、沈降中には聞こえなかったテンプラノイズがまた聞こえ始めるようになった。加えて、大地の音なのだろうか、微かにゴゴゴゴという地鳴りの音も聞こえてきている。
宙も、やみくもに探索しているわけではない。神経を研ぎ澄まして、平衡感覚を信じ徐々に下るようなルートを通っていた。
「あれは…。」
目の前には噴煙がモヤモヤと噴出されている場所が点々と見受けられるようになった。熱水噴出孔だ。最近俺も知ったことだが、深海には火山地帯が近くなると、数百度に熱せられた有害物質が間欠泉のように噴出している地点があるらしい。ということは、ここ付近の水温は言わずもがな高い上に有害物質が充満しているとみていいだろう。我楽多に侵食してくる可能性がある為、迂回して通るようにした。
気づくともう着陸してから5時間が経過していた。もうほとんど時間に余裕がない。
宙は焦りを感じた。翌日、そうなってしまうとまた海来の生存確率が減ってしまう。
少しペースを速めよう。そう思った瞬間だった。
ボゴォッ…。
「!!!」
宙が乗っていた足場が崩れてしまった。すでに半分以上体力を持っていかれている宙は、我楽多と重力に逆らえず、更に深くへと落っこちていってしまった。
バツン。
そして最悪なことにワイヤーが岸壁に擦れ、2本千切れてしまったのだ。
どうすることもできず、止まるまで宙は身を任せることにした。
ガラガラガラ。
以降は音も聞こえず、静寂に包まれた。噴出孔の猛々しい大地の方向も、耳をつつくテンプラノイズも。何もない、静寂。
宙は上体を起こし、ライトを照らす。もうそろそろ電池切れだろうか。点滅しだしている。
おそらくかなりの底まで来ていることは宙にもわかった。低い山一つを転がり落ちてきたのだから。
やはりないか。引き上げてもらわないとそろそろまずい。
合図のボタンを押そうとした瞬間。
そこに、あった。
すべてを飲み込むかのような大地の口が。
ハルさんは、ブルーホールと言っていた。だが、その迫力はブラックホールに等しいだろう。
「見つけた。」
宙は、最後の力を振り絞って巨大な穴の端に立つ。
【4.未来へ。】
-1-
「そろそろ、時間かな…。」
稔は、釣竿を垂らして気長に待っていた。
荒れることのない。雲一つない。かなり釣りにはもってこいの日和だった。
横を見ると、船酔いでダウンしている閖と、タバコを吸っている船長がいる。
「あの兄ちゃん、そろそろ引き上げたほうがいいんじゃねぇのか?」
「はい。あと15分ランプがつかなかったら引き上げるつもりです。」
あいつ、途中で無線を切りやがった。
一人で抱え込むつもりなのか、それとも、何かにくわれちまったのか。
おそらく、宙のことだ。後者にはなってはいないと思うけど…。
「お、兄ちゃん。引いとるで。」
釣竿がクンクンと引っ張られている。それに結構力強い。
「これ、釣ったら宙も引き上げることにします」
「おう。それがいい。準備しとくぜ。」
リールに手をかける。今は引きがかなり強い。こういう時は引っ張ってしまうと糸が切れる可能性がある。様子見をしながら、緩むタイミングを待つ。緩んだら、一気に引く。それの繰り返しだ。
しかし、この魚は強力だ。もしかしたらかなりの大物かもしれない。
10分ほど格闘したのち、釣りあげた。大きなカツオだ。
「おーでかしたな。こりゃ大きい。」
「頑張りました。じゃ、宙の方のワイヤーも上げてください。あと包丁ってありますか?」
「おうよ。あるぜ。そこの棚の中に入ってる。ゆっくり使ってくれ。」
機械は ガガガガとゆっくりを動き出し、ワイヤーを引き上げる。
稔は暇つぶしにカツオを裁くことにした。刺身にして皆に振舞ってやろうと、閖から教わった知識をフル活用して開いていく。すると、ガチっと変なものにあたった。
「ん?これは、ネジ??」
結構大き目のカツオだ。誤飲してもおかしくないだろう。でも、どこかで見たような形状をしている。
「何だったっけなぁー…。」
そして、全て巻き終えたときにようやくわかった。
ワイヤーが、2本千切れているに加え、残りの3本が意図的に留め具から外されていたのである。
-2-
なんとも、不思議だ。
普通なら、底が見えない巨大な穴を目の前にしたら、恐怖を感じてしまうだろう。
だが、宙は違った。
何も感じないのである。
「向こうから引き寄せるって感じはないな。休めてんのか?」
この先に海来がいる。そう思うだけで恐怖は勇気へと昇華される。
「すまない。稔。閖。」
宙は、ワイヤーを止めていたネジを外した。
もう。これで後戻りはできない。
「行くぞ!!!」
小さな宇宙飛行士は、巨大な穴ブラックホールに思いいっきり飛び込んだ。
穴の中に入り込むと、とてつもない乱気流のような水流が辺りを駆け巡った。それは、渦潮のように回転し、時には左右に大きく揺さぶり、岸壁に何度も叩きつけられた。もう、宙にはそれに抵抗する体力は残っていない。生身であれば粉々になっていただろう。
あっという間に、宙は気を失ってしまった。
‐かごめかごめ‐
‐穴の中の魚は‐
‐いついつ出やる‐
‐夜明けの晩に‐
‐赤と黄が重なった‐
‐後ろの正面だあれ‐
‐あはは‐
‐あはは‐
‐替え歌、たのしいね‐
‐そうだね、たのしいね‐
‐誰が始めたんだろう‐
‐わかんない、誰なんだろう‐
‐昔からあったね‐
‐そうだね、あったね‐
‐またうたってあそぼうね‐
‐そうだね、あそぼう‐
‐ばいばい‐
‐ばいばい‐
‐あはは‐
‐あはは‐
-3-
天から降るは、赤い塵。
ふわりふわりと落ちてゆくその先は、勇敢な青年の鼻頭。
「…!!」
宙は目を覚ました。
「あっ!!いってぇ!!なんだこれ!!くっそ。」
全身に激痛が走った。幸いに、骨は折れてはいなかったが、全身に打撲のような跡が残っている。
「どうなってんだ…。」
宙は上体を起こす。すると、ある異変に気付く。
「なんだこれ、水か!?」
しかし、妙だ。すんなりと呼吸ができるのに、肌に触れている感覚は水。そう、まるで自身が魚のようになったような感覚だ。この現象はハルさんが言っていた中にもある。つまり…。
「着いたんだ。"穴の底"に。」
宙は辺りを見渡す。上からは黄色の雪みたいなものが降ってきている。これは察するにマリンスノー。プランクトンの死骸が塊として落ちてくる現象だ。
しかし、その雪は光っている。死骸になる前に光る物質でも吐き出したのだろうか。そのおかげで、ライトを使用する手間が省けるくらいには明るかった。
「あれ…?」
腕を確認した。すると、さっきまでの状態が嘘のように痣が消えている。
ハルさんが言っていた通りだ。何もかもが信じられない。
突き詰められた現実に驚きを隠せないままでいると、更に信じられない出来事が起きた。
「宙…。君…?」
後ろから、声が聞こえてきている。
いつぶりだろうか。そう思えるほどに懐かしく、一番聞きたかった声だ。
後ろを振り向く。その眼頭に集まろうとしている熱いものを必死にこらえて。
「海来。」
「なんで、こっちに来ちゃったの…?」
「え?」
「だってこれって、死んじゃったってことでしょ?」
ハルの話を聞いていない海来にとっては、この世界は死後の世界だと思い込んでしまっているらしい。それも仕方のないことだ。水の中に居るのに、呼吸ができ、さっきまで追っていた怪我がみるみる内に治るなんて、それはもう死んでいるとしか思えなくなる。
「海来、よく聞いて。」
「私が、いなくなっちゃったから?」
「だから。よく聞けって。な?」
涙は溶けてしまって見えないが、恐らく泣いているんだろう。宙は海来をなだめて話を聞く状態にさせた。
「大体俺が死んでたら、こんな格好してると思うか?」
「それって…。」
「ああ、もう拉ひしゃげちゃったからな。何ともいえないんだけど。俺が作ってたやつだ。」
「宇宙服…?」
「いや、マリアナ海溝の水圧だって耐えれる最強の潜水服。名前は我楽多だ。」
「ガラクタって…。」
少し海来がわらった。それだけでも、だいぶ心が和らぐ。
「いいや、漢字で書いて我に楽で多いの多。糸んなことを可能にさせる魔法の道具だよ。」
「すごいね。そんなの作ってたんだ。」
「ああ。この潜水服のお陰で夢も叶えられた。」
「夢って…。」
「ああ。真似事と言われたらそれまでなんだけどな、」
「俺は、宇宙飛行士になったんだ。」
「うん。本当にすごいよ…!!私は、真似事なんて言わない。立派な、宇宙飛行士だよ。」
「ありがとう。」
「それに、我楽多のお陰で海来にまた会うことができた。」
「うん。ありがとう。」
「そして、必ず連れて帰る。」
「ありがとう…。ありがとう…。私。本当に宙君が恋人でよかった。」
「でな、渡したいものがあるんだ。」
「え?なに?」
赤く光る大地がより一層に赤く光る。
「海来。たとえ見える世界の色が"絶望の赤"だったとしても。」
「うん。」
「俺には赤色は見えない。勇気のオレンジだ。」
「うん。」
「俺は、これからも海来の見える世界をそのオレンジで赤から"希望の黄色"に塗り替えていきたいと思ってる。」
「うん。」
途端、赤く光っていた者が黄色に輝いた。
「俺と結婚してくれ。海来。」
「はい。喜んで。」
そして、柔らかな黄色い光が包み込み、二人は意識を失った。
-4-
『続いてのニュースです。』
『先ほど、神奈川県茅ケ崎市の海水浴場付近の浜辺に打ち上げられているもの、2人組の男女が発見されました。身元を確認したところ、2週間前に行方不明となった岬本 海来さんと、交際相手であり1週間前に行方不明となっていた石垣 宙さんであることが判りました。』
「おい!!!閖!!!ニュース見たか!!!!」
「うん!!!速報で見た!!!!」
『二人共命に別状はありませんでしたが、体温が著しく低下していたため、現在は病院で療養中とのことです。』
「よくやってくれたよ!!宙!!!お前は世界一の宇宙飛行士だバカヤロー!!!」
「ちょっと稔。騒ぎすぎ。でも…。本当に…よがっだぁあ…。」
『行方不明の経緯等、まだ不明な点は多々見受けられますが、現在は二人の健康を最優先で…。』
さかさまの地球儀 めんだこ。 @Mendako_Medanko
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